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   崎原盛秀氏追悼

             
沖縄解放委員会(準)
                    




 沖縄解放闘争の牽引者だった崎原盛秀(さきはら せいしゅう)氏が、一一月四日永眠された。一九三三年一一月一五日生まれで、満八六歳だった。
 崎原先生(生前の呼称で書かせてもらう)は、五・一五沖縄反革命的体制構築=日米共同反革命前線基地化に向けた沖縄社会構造転換攻撃の環としてあったCTS(石油備蓄基地)建設阻止闘争を担った「金武湾を守る会」の共同代表として、故安里清信氏とともに最先頭で闘いぬいた。当時も現職の中学校教員・教育労働者として奮闘し、主任制反対闘争、「日の丸・君が代」強制反対闘争、後に沖教組の専従役員も担っている。軍用地強制使用・永久的軍事基地支配に反対し反戦地主を支える一坪反戦地主会結成に参画し、沖縄平和市民連絡会世話人、うるま市民ネットワーク共同代表としてSACO・米軍再編攻撃下、辺野古新基地建設阻止闘争を闘いぬいてきた。母親の靖国神社合祀取消しを求めた沖縄ヤスクニ原告団としても闘った。
 崎原先生の生きざまの根底には、苦難の沖縄戦前・戦後史を生き抜き、B52撤去闘争・毒ガス撤去闘争やコザ人民決起などを通した米軍政支配との対決の中から反CTS闘争へと登りつめる中で路線的運動的につかみ取った「反復帰」―日帝の差別軍事支配打破・日帝打倒・沖縄解放への思想的確信が脈々と波打っていた。
 崎原先生からは様々な場面での助言や苦言・提言を受け、わが同盟の沖縄解放綱領は少なからずそれを反映しているといっても過言ではない。三年前、崎原先生の数え八五歳の生年祝い(トゥシビー)での凛とした姿と笑顔が今なお忘れられない。心から哀悼の意を表します。



 


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