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   ザスーリチの生涯から

   ~現代の女性解放を考える

                      
けらん



 バーグマン著、和田あき子訳『ヴェーラ・ザスーリチ』(三嶺書房、一九八六)を読み、一人の女性革命家の生涯を通して、現代のわたしたちの共産主義運動や女性解放について考えてみたいと思う。

 ●1 なぜ今ザスーリチか

 ヴェーラ・ザスーリチ(一八四九~一九一九)は、ロシア革命に至るまでの激動の時代を生きた一人の女性革命家である。すでに知っている人も多いと思うが、一八八一年にロシアの農村共同体から出発する社会主義がありうるかどうかという質問の手紙をマルクスへ送ったことで知られている。この手紙からも想像ができるように、ザスーリチはもともとナロードニキ運動の参加者であり、のちにマルクス主義に転じた。彼女は、さまざまな理由で追われる身であり、その人生の多くを亡命先のスイスやイギリスで過ごした。プレハーノフ、ザスーリチ、マールトフらはロシア革命運動の中でもっとも初期の段階でマルクス主義に目覚めた人々であった。その活動の前半は実に陽の目を見ないものであったが、のちの高揚期にマルクス主義文献を広く労働者の手に行き渡らせ、重要な啓蒙や教育の役割を果たした。特にザスーリチは、ドイツ語ができたこともあり、『空想より科学へ』をロシア語に翻訳している。そして、一九〇〇年にレーニン、プレハーノフ、マールトフ、アクセリロードとともにロシア社会民主労働党の機関紙、『イスクラ(火花)』の編集局員となる。『イスクラ』は、その文章のわかりやすさ、イデオロギー的つっこみの深さなど、ロシア人亡命者によって発行された無数の定期刊行物の中でもっとも成功したものであった。この事業を通し、ザスーリチはレーニンとも信頼関係を築きあげた。しかし、一九〇三年の党大会(メンシェヴィキとボリシェヴィキに分裂したきっかけ)以降、彼女はメンシェヴィキに属し、レーニンとの対立を深めていく。ザスーリチがロシアに正式に帰国できたのは一九〇五年、五六歳の時である。それからもレーニンやプレハーノフと論争を繰り返し、晩年には革命の第一線からは身を引くが、最後まで彼女の人生の主軸は『社会主義』であった。
 私がザスーリチのことを知ったきっかけはほかならぬこの本によってであった。私が、この本をもとにした論文を書こうと思ったのは、序文に述べられているザスーリチの魅力的な人柄に興味を惹かれたからであるが、それよりも大きな理由は、私自身が女性革命家として生涯をまっとうしたいという気持ちがあるからである。革命運動の歴史において名の上がる女性は少ない。そして私を含め、革命運動の中の女性はしばしば「男性化した女性」と揶揄されるように、革命運動を優先し、「女性」であることから生じる特別の問題にあまり取り組まない、男性中心的な価値観を内面化した人物であるといったような評価を下されることもある。しごく個人的な理由であるが、私はザスーリチの生涯を通し、自らのこれからの女性革命家としての生き方を考えたいと思ったのである。

 ●2 著者バーグマンのザスーリチ評価をめぐって

 この本はヴェーラ・ザスーリチの伝記である。ザスーリチの波乱に満ちた人生、独創的な発想や、特異な人柄は興味深く、面白い。かつ著者バーグマンの歴史や革命運動の包括的な理解もあって、背景の説明も充実しており、ロシア革命期を知る上でも十分に役立ちうる本であると思う。しかし、訳者の指摘に『伝記として必ずしも(ザスーリチの)内面にたち入ったものとはいえない』とあるように、バーグマンは他の歴史家とは異なったザスーリチの把握をしていた側面はあるが、ザスーリチの内面的な考察は足りないように思える箇所はいくつかある。それでも、この本は、日本語で読めるザスーリチについて書かれた本としてはもっとも良い部類に属すものであり、内容も示唆に富んでいると思う。
 ザスーリチ自身は、この本の序文にも『彼女の理論的分析の試みは大抵素人っぽく、革命的アジテーターとしての腕前にいたってはほとんどなきに等しかった』とあるように、理論的には一貫性すらなく、良く言えば「独創的な」悪く言えば「よくわかっていないだけ」と言えるような理論展開をしていた。しかし、ザスーリチには理論的な一貫性はなかったものの、道徳的な信念の一貫性はたしかにあったと思う。
 彼女は自らの不幸な子供時代の経験もあり、社会的弱者の痛みに共感し、弱者の立場に立つということを、その生涯を通して貫いた。その信念は、革命運動においては、不当逮捕され拘禁されている仲間への献身的な援助など、仲間に対しての姿勢によって現わされていた。
 また、彼女は自身が貴族身分出身であることもあって、社会的弱者に対する共感にもとづいた社会変革のための行動に「自己犠牲」を必ずセットにしていた。彼女は、革命家同士が分裂することはとても大きな損失だと考えていたため、分裂が避けられるのなら、彼女自身の不利益や非難は黙って耐え抜き、主張を異にする革命家たちの統一にエネルギーの大半を注いだ。
 彼女は、まだマルクス主義に転向する前に、不当逮捕された青年を鞭打ちで虐待したペテルブルグ市長官トレポフを狙撃した(暗殺未遂に終わった)。彼女は最初からトレポフ暗殺を自分の命と引きかえに行うつもりであった。奇跡的に無罪放免となった後、社会的弱者の声を代弁せず「自己犠牲」も払わないテロリズムを、『社会を変革するのに少数のエリートにだけ依拠して、残りの市民を政治的消極性に追い込んでしまう』と厳しく批判している。
 このように彼女は、社会の福祉のためには自己犠牲を当然と考えており、それはナロードニキを信奉していた時期から一貫していた。彼女ははっきりと、マルクス主義者に必要な唯一の道徳的原則――彼女が『連帯』と呼ぶもの――は、もし必要とあれば、社会のより大きな福祉のために自分の個人的な将来を犠牲にしなければならない、という観念であるとしている。そして、幸いなことに社会に奉仕することはいつでもその個人的な利益になるが、「個人」と「集団」の幸福が分かれる場合にはマルクス主義者は前者より後者を選ぶべきであることは疑いの余地がない、と続けている。
 彼女にとって社会主義は、人が自分の労働を個人的な利益とは考えずに、全体の福祉のために働けるようにする唯一の思想であり、また彼女にとって社会主義社会を目指す運動や党そのものが、社会主義社会の縮図であった。革命運動の中で、『個人が全体の福祉、共通の革命的事業と自分の個性を結合』させることによって、『自分の個人的(あるいは家族的)安寧についての個人的、個人主義的心配からの人間の解放』が可能であると彼女は考えていた。
 私は、この本を途中まで読みながら、ザスーリチの極度の「自己犠牲」の精神は、彼女が「女性」であることがかなり影響して形成されたものではないだろうかと思っていた。当時も現在も、女性一般に対して自己犠牲を求める価値観は存在し、活動家の妻や女性活動家も自己犠牲的献身を当然のように強いられ、また彼女ら自身も「自己犠牲が当然であり美徳である」という価値観を内面化していることが往々にしてあるからだ。しかし、この伝記の著者バーグマンは、そのような視点が欠落しており、子供時代の不幸な経験にザスーリチの道徳的価値観の因を推測することはあっても、ザスーリチが「女性」であることからの影響はほとんど考慮していない。
 しかし、この本を最後まで読み終えた今、私は私自身の「ザスーリチの自己犠牲の価値観は彼女が女性であるがゆえに形成されたのではないか」という憶測は、当たっていないと考えている。ザスーリチが、「女性」としてロシア革命の時代を生きたということはひとつの事実であり、女性であるがゆえの経験をしたことも、また事実であろう。しかし、ザスーリチはその一方で、まぎれもなく「社会の変革を心から望む革命家」であった。もちろん人というものは複合的なものであり、彼女の価値判断の基準が、「女性であるから」よりも「革命家であるから」を上位に置いていたとその理由に順位をつける気は毛頭ないのだが、ただ、たしかに私が言えるのは、彼女は決して「男性から強いられる自己犠牲」を内面化した女性ではなかったということである。
 この本の中で、直接的に女性解放について書かれているのはたった三ページほどしかない。ザスーリチの『革命運動における女性』という論文をもとにした彼女の女性解放についての考えが、著者の理解で書かれている。
 それによるとザスーリチは、『フェミニズムそのものには大いに反対』であり、『ロシアでは女性は純粋なフェミニズム運動よりも社会主義運動に参加すべきだ』と信じていた。なぜなら、女性問題の解決は『経済関係における革命の付属物としてのみありうる』という確信を、当時のほかの社会主義フェミニストと共有していたからである。しかし、ほかの社会主義フェミニストが、労働者階級の女性の問題を特別に扱うための機関を社会主義者組織に置くべきであるとしたのに対し、同じような主張はザスーリチには見られない。また、女性革命家が革命を『社会的、性的習慣の変革への序曲』だとみなしていたのに対し、ザスーリチは革命によって女性問題についてはなにも変わらないであろうと考えていたようである。ザスーリチが生涯で女性解放について書いたものは上記の論文たった一つであり、『婦人解放はザスーリチの心の中で一番の関心事ではとてもなかった』と著者は結論づけている。

 ●3 ザスーリチを通して、私達の共産主義運動と、女性解放を考える

 しかし、この本を通して私の中に浮かび上がるザスーリチ像から考えると、ザスーリチは決して女性解放にあまり関心がなかったわけでも、また女性解放は革命が前提であると考えていたわけでも、なかったのではないかと思う。この本の中にもザスーリチは革命前のロシアにおける女性差別に敏感であったという一文は出てくる(具体的にどのように敏感であったかは書かれていないが)。
 女性解放は革命の付随物であるという確信(要は、経済的平等を性的平等の前提にしている)をザスーリチが持っていたという著者の見解に私は疑問を持つ。なぜなら、明らかな矛盾として、彼女は革命後も「女性問題」に変化はないだろうとみなしているからだ。彼女にとって、革命運動や、社会主義者組織そのものが、社会主義社会の縮図であり、そうであるがゆえにその組織内に、女性差別が平然とあるのならば、革命後もそのような女性差別はそのまま続くと考えていたのだ。
 ザスーリチが感受性の豊かさや、道徳的問題についての鋭い感覚を持っていたことはたしかである。しかし、ザスーリチは、イデオロギーや戦術においては先鋭的なものも、明確なものもあまり持ち得ていなかった。ザスーリチの経済的・政治的理論は、終始非論理的である部分が多く、たびたびイデオロギーをねじ曲げたり、自説やどこかから引っ張ってきた哲学や思想を接ぎ木したり、他のマルクス主義者からは理解が得られないような独自の見解を出していた。なぜなら、彼女にとってイデオロギーはつねに彼女の道徳的価値観を正当化するためのものにすぎなかった。この本の著者は、ザスーリチとレーニンは、「戦術にイデオロギーを従属させるという柔軟性」を持っていた点では同じであったとしているが、私からすれば、ザスーリチは、戦術というよりも、彼女の倫理観や道徳観に、イデオロギーを従属させていたように思える。ザスーリチにとってなによりも重要なことは、やはり「社会的弱者のために社会の変革をすること」であり、その上では、ナロードニズムもマルクス主義もフェミニズムも、大した違いはなかったように思う。
 おそらく彼女は、女性問題に関心がなかったのではなく、彼女の中では、革命運動の中で、個人の利益のためでなく、社会の利益のために、個性を結合させ働くことは、「人間の解放」であり、イコール「女性の解放」であったのだ。つまり、ザスーリチは、個人として負っている「プロレタリアートとしての」「女性としての」苦しみや束縛や制約を、「共同体(=党、革命運動、社会)」の立場や主張を異にする他者(たとえば「男性」含め)と共に負い、つまり、個人的な問題が、集団的、社会的課題になることによって、はじめて解放があるのだという感覚を持っていたのだろう。ザスーリチが、社会主義者組織の中で女性問題を扱う特別の機関の設置を主張しなかったことは、おそらくは彼女の、この「解放」の理論から導かれる当然の答えだった(私は、前半の解放についての考えは、ある程度までその通りであると思うが、党に「女性解放委員会」はもちろん必要だと考える)。
 ザスーリチは晩年、レーニンの社会主義革命を「時期尚早」と批判する。なぜならば、ザスーリチはレーニンのような「エリート主義」によってではなく、労働者階級が、社会的弱者が、政治的意識や道徳的価値観を持ち、自立して社会主義社会を建設できなければ、本当の社会主義社会は実現できないと考えていたからである。著者バーグマンは、レーニンはすぐれた政治家であったが、ザスーリチはすぐれた予言者であったと、この本を締めくくっている。著者はおそらく本書執筆当時のソ連に対し懐疑的な立場であり、このようなことを述べる根拠については理解できるが、私は特にザスーリチがすぐれた予言者であったとは思わない。ただ、ザスーリチの問題意識は、ロシア革命以降の、世界中の社会主義者や共産主義者らの問題意識とクロスするものであることはたしかであろう。
 ザスーリチが党そのものを社会主義社会の縮図と見るのは、すこし理想主義的すぎるようにも思えるが、その考え方は部分的には正しい。たとえば社会主義者の組織内に女性差別があるのならば、それは革命後も断たれることなく続くだろうというような見解は、まったく正しい。
 わたしたちはプロレタリアート全体の利益の代表でなければならないが、そのためには、たとえば「女性問題」「民族問題」「障害者問題」「性的マイノリティ問題」など、それらをわたしたち自身の課題にすることが必要不可欠である。つまり、これらの問題を、わたしたちの個々の「男性」や「日本人」や「健常者」や「ヘテロセクシュアルでシスジェンダーの男性・女性」が、真に自分の問題として捉えなければならない。この、捉えられた「程度」によって、わたしたちが「どれほど」広範な人権的基盤に立った社会を建設できるか、決まると言っても過言ではないだろう。
 今、わたしたちは、たとえば「女性問題」をどれほど深く自らの課題として捉え、実践にうつせているのだろうか。


 

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