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   激化する天皇制優生思想攻撃を打ち砕き、

         障害者解放を勝ち取ろう

             
河原 涼
                    




 ●一章 新型コロナ感染拡大に伴う障害者の現実

 新型コロナ感染症の拡大が止まらない。それどころか、社会的な格差の拡大が、コロナ感染症の拡大の中で、ますます激化の一途を辿っている。
 障害者は、日々の介護でソーシャルディスタンスを保つような生活を送れない。あるいは必要な介護を受けられず、当たり前の日常が送れないという現実を日常的に突きつけられている。重度障害者にとっては、食事や風呂といった当たり前の暮らしができなくなってしまうのだ。
 山口で自立生活を送る障害者は昨年、母親の葬儀に出席するため九州に出向いた。九州から帰った際に再び福祉サービスを受けるためにコロナウィルスに感染していない陰性証明が必要なため、PCR検査を受けようとしたが断られ、二週間の待機生活の最中、サービスが停止したままの生活を余儀なくされた。
 昨年一二月二四日、国土交通委員会で、れいわ新選組の木村英子参議院議員は、重度障害者の入院時における介護について、国会で質している。二〇一六年六月二八日付けの厚労省保健局医療課長通達「特別なコミュニケーション支援が必要な障害者の入院における支援について」において、入院前からの介護が入院時においても引き続き受けられると明記していることを指摘した。重度障害者は、新型コロナウィルスによる医療支援、介護の充実がより一層求められる今日、生死にかかわる重大な現実を突きつけられているのだ。
 新型コロナウイルスの感染対策で企業がテレワークを進める中、オフィス内で働く障害者を巡る雇用情勢はさらに厳しい。厚生労働省の調べで、二〇二〇年三月から八月までの半年間に解雇された障害者は一四七五人と、前年同期に比べ約35%の大幅に増加した。政府は、障害者を一定割合雇うことを義務付けた「法定雇用率」を企業に課している。現在は2・2%。だが厳しい罰則がないこともあり、コロナ感染拡大前の昨年時点でも達成企業は半数未満であり、一人も雇っていない企業も全体の三割以上である。政府は来春から法定雇用率を0・1%引き上げるが、雇用義務はさらに形骸化している。

 ●二章 天皇制優生思想の全面化を阻止しよう

 二〇一六年七月に相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で重度障害者一九人を差別抹殺し、二六人に重軽傷を負わせたとして殺人などの罪に問われた被告に対する判決公判が二〇二〇年三月一六日、横浜地裁であった。青沼潔裁判長は、被告には事件当時、完全な刑事責任能力があったと認め、「犯行の結果は……甚だしく重大だ」として求刑通り死刑を言い渡した。
 被告が、なぜ、障害者を虐殺したか、その優生思想を臆面もなく表明しているのにもかかわらず、判決はそのことに何も言及しない。それどころか、全てを被告の人格に求め、被告を死刑にすることで事件を終わらせ、天皇制と天皇制優生思想の盤石化に手を染める。
 二〇二〇年七月二三日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の障害者を抹殺したとして、医師二人が逮捕された。
 逮捕された医師は、自らのブログで「見るからにゾンビとなって生きている……変に仏心を出して手を下せば殺人犯」と書き綴る。一緒に逮捕された別の医師のブログには、「訴追されてプーになるのに全くのボランティアではやってられません」と書き込みがあった。
 石原慎太郎は、この二人が逮捕されたのを受けて、「切腹の際の苦しみを救うための介錯(かいしゃく)の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ」と、ツイッターで明らかにした。
 日本において、一九九六年まで続いた旧優生保護法は「不良な子孫の出生防止」を謳った。不妊手術を強制された障害者は一九九六年優生保護法が廃止になるまでに少なくとも二万五〇〇〇人に上る。二〇二〇年一一月、旧優生保護法のもとで不妊手術を強制された障害者が国を訴えた裁判の判決で、大阪地方裁判所は旧優生保護法が憲法に明らかに違反していたと認定した。しかし、原告の訴えについては提訴の時点で賠償請求できる権利は消滅しているとして退けた。この日の判決で林潤裁判長は、旧優生保護法について「特定の障害や病気がある人を一律に『不良』であると断定する極めて非人道的で差別的なものだ」として、憲法に違反していたと判断した。
 判決は、優生保護法の反人民性については、不問に附すどころか、時と場合によっては、特定の障害や病気がある人に「不良」であると断定してもいいとすることに反対はしない。その上で、判決は、原告の賠償請求権を一切認めない。反動判決である。

 ●三章 激化する「命の選別」に反撃せよ

 れいわ新選組の党員だった大西つねき氏が、二〇年七月三日、動画投稿サイトで、「どこまで高齢者を長生きさせるために若者たちの時間を使うのか。真剣に議論する必要があると思います。……命の選別しないとダメだと思いますよ」と発言した。この発言が、「命の選別」を容認するとして問題となり、山本太郎氏が、七月一六日、総会を開いた上で、大西氏を除籍した。
 大西氏は、木村英子氏らとの討論などを経ながらも、七月一七日記者会見を行い、ユーチューブで主張をしている。「私は、高齢者の問題を言ったのであって、障害者や難病を持っている人たちのことは一言も言っていない。限られた財源の中で、介護労働をどう配分するのかという問題であって、私に優生思想はなく、謝罪を続ければ自分にウソをつくことになる」と、謝罪を撤回している。
 木村英子氏は、自身のオフィシャルサイトで、「『命の選別』、この言葉は、私が幼いころから抱いていた、『殺されるかもしれない』という避けがたい恐怖を蘇らせました。大西氏の発言は、自分の命を人に預けなければ生きていけない人たちにとって、恐怖をあたえる発言であり、高齢者だけではなく障害者も含めた弱者全体を傷つけた暴言であると思います。」と述べている。
 そもそも、高齢者問題であろうが障害者問題であろうが、介護労働を確保する財源の問題にすり替えて、限られた財源をどう活かすかという問題に従属させて、人の生きる価値を選別すること自体言語道断である。
 人が生きる価値とは、社会の中で、お互いの生き様が相互的に混じり合いながら生きている現実の中でしか確認できない。そうした現実の生きた相互関係の場を抜きに、価値があるか、ないかを「選別」することは、如何なる理由であろうが、許されないのだ。
 障害者こそ、とりわけ重度の障害者こそ、介護などを通した、深くて熱い関係を介護者との関係の中で築き上げることで生きている。極端にいえば、今日初めて会う介護者に自分の命を託して、介護を受けることも日常の一つだ。そのような生き様に価値の優劣をつけること自体、悪意に満ちた差別でしかない。
 命の選別は、とりわけ重度障害者にとっては、自身の「生きる価値」をストレートに突き付ける問題である。「障害者は生きる価値がない」という主張は、優生思想による障害者に対する差別的な突きつけである。障害者が作り出す社会的関係は、健全者のそれとは比較にならないほどのネットワークを創出する。しかし、その社会性を切断した上で、障害者は、時に差別や格差の責任がまるで自らにあるかのように仕向けられ、優生思想をふりかざして差別価値観が押しつけられる。障害者は孤立した中で有効な反撃をする機会を奪われる。一方的に「生きる価値」の存在証明の解明を求められ、解明できなければ一切の責任を負わされ、時には障害者自身が自らの生死の始末をしなければならないとする。障害者の尊厳に対して傲慢な、このようなありかたを絶対に許すわけにはいかない。
 菅政権は、一二月三一日、東京で一三〇〇を超えた感染拡大の現状を前にして、「マスク、手洗い、三密の回避」しか言わず、生活保障を前提にしたコロナ対策をまるで取らなかった。その上で、感染が拡大した事態を前に、労働者人民に責任があるかのような罰則付きの制限措置をも画策している。そのような政策は必然的に障害者をはじめとした被差別大衆、人民を直撃する。今こそ、抑圧された人民、被差別大衆、とりわけ重度障害者に一切の矛盾を強制する現政権を打ち砕く日帝打倒に勝利しよう!


 


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