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■『戦旗』1625号(11月20日)4―5面 日帝の障害者政策と対決しよう 国連障害者権利委員会「勧告書」をどう捉えるべきか 河原 涼 二〇二二年八月二二日、二三日にスイスのジュネーブで、障害者権利条約に基づいた日本の障害者の権利に関する対話が開かれ、九月九日に国連障害者権利委員会から日本政府へ勧告(総括所見)が出された。 津久井山百合園での障害者虐殺―優生思想の問題や、精神病院での虐殺、強制入院を可能にしている法律、障害児の教育など、障害者の「生の権利」が剥奪されていることへの強い懸念や、医療観察法をはじめとする差別法の廃止など、多岐にわたっている。 障害者権利条約は、二〇〇六年の国連総会で採択された。日本は二〇一四年になって、ようやく一四一番目に批准した。二〇一六年、日本国内において障害者権利条約を法的に根拠づける「障害者差別解消法」が制定された。 今回の勧告は、日本が批准した障害者権利条約を巡り、国連が初めて改善勧告を出したものである。 ●第一章 権利委員会は何を要求したか 一般原則と義務 報告書では、「Ⅲ 主な懸念事項と提言」として、「A 一般原則と義務(一~四条)」において、「委員会が直接懸念している」項目を挙げている。 「(a)障害者に対する父権主義的アプローチを伴うことにより、障害関連の国内法および政策が、条約に含まれる障害の人権モデルと調和していないこと。 (b)障害者資格・認定制度を含む、法律、規制、実践にわたる障害の医学的モデルの永続化。これは、障害と能力評価に基づいて、より集中的な支援を必要とする人……障害者を障害者手当や社会参加制度から排除することを促進するものである。 (c)「『精神無能力』『精神錯乱』『心神喪失』などの蔑称や、『心身の障害』を理由とする欠格条項などの差別的な法的制限」。 (e)移動支援、身体的支援、コミュニケーション支援など、地域社会における障害者への必要なサービスや支援の提供における地域や自治体の格差」等々である。 (a)はいうにおよばず、(b)の「障害の医学モデルの永続化」という項目は、障害の治癒あるいは個人の適応などを目標にしたものということである。日本においては、自立支援法―総合支援法を貫いて、この医学モデルの障害の規定が福祉サービスを受ける際の要介護認定などの適用の基準にされてきた。これでは、一方において、社会的な観点からの障害者の位置は説明されない。精神障害者などは、こうした観点からの対象化が進まず、福祉サービスの恩恵を受けられないままになってきた。身体障害者であっても、重度の複合障害を持つ場合、重度訪問介護のサービスを勝ち取る道は極めて厳しい。 あくまで、一定のルールのもとに属性としての障害をサービスの観点から振り分け、それから障害者の生活が振り分けられる。福祉サービスによる生活か、何もない生活かということで、そこには、障害者が社会生活するという視点で捉える発想はない。基本的に福祉産業の市場への参画を基準にし、その運用を優先したものだからである。 (c)及び(e)の地域、自治体における地域格差の問題は、障害者差別が法制度的に構造化していることにある。また、福祉サービスの供給自治体が全国の市町村であることが、日本の貧困な障害者政策の根幹にある。 特定の権利 B 特定の権利(第五条~第三〇条)という項目では、次のようになっている。「平等と非差別(第五条)」「一四 委員会は……締約国に対し、次のことを勧告」している。 「(a)障害者差別解消法を見直し、障害、性別、年齢、民族、宗教、性自認、性的指向、その他あらゆる状態を理由とした多重・交差的形態の差別、合理的配慮の否定を含め、条約に従い、障害に基づく差別を禁止すること」とした。これは、権利条約を日本国内における法制度に適用するために便宜上作られた「差別解消法」が全く欺瞞的なものであることを暴露している。 「障害のある女性(第六条)」という項目では、「(a)男女共同参画政策において、障害をもつ女性や少女に対する平等を確保し、……障害関連の法律や政策にジェンダーの視点を主流化すること」とした。 「障害のある子ども(第七条)」に関しては、「(b)障害のある児童が、司法及び行政手続を含め、……意見を聴取され、自由に意見を表明する権利、及びその権利を実現するために障害及び年齢に応じた援助並びに利用しやすい形式でのコミュニケーションを提供される権利を認める」、「(c)障害のある子どもを含む子どもへの体罰を、あらゆる場面で完全かつ明確に禁止し、……虐待や暴力の予防と保護のための対策を強化すること」などを勧告している。 生命に対する権利 「生命に対する権利(第一〇条)」では、「二三 委員会は、障害者が死亡した事例に関する報告について懸念している。 (a)緩和ケアを含む医療処置の非開始及び継続に関して、……障害者の生きる権利の保障の欠如。 (b)障害を理由とする強制入院の状態での身体拘束および化学的拘束。 (c)また、精神科病院での死亡の原因や状況についての統計や独立した調査が行われていないことを懸念している」。 危険な状況および人道的緊急事態 「危険な状況および人道的緊急事態(第一一条)」として、「二五 当委員会が懸念していること」では、災害時における障害者に対する支援制度がほとんど行われていないことを挙げ、「(a)合理的配慮の否定を含む、障害者のプライバシーや非差別の権利に対する防災基本法上の保護が限定的である。 (b)……避難シェルターや仮設住宅へのアクセスの悪さ。 (c)……災害リスク軽減や気候変動の計画、実施、監視、評価プロセスにおいて、障害者団体との協議が不十分であった」などを警告している。 そして、「二六 委員会は、締約国に対し、次のことを勧告する。 (a)防災基本法を改正し、……障害者のプライバシーと非差別の権利、……人道的緊急事態に関連する問題を強化すること。 (b)危険な状況や人道的緊急事態において提供されるシェルター、仮設住宅、その他のサービスが、年齢や性別を考慮した上で、利用しやすく、障害者を含むものであることを確認する」などを列挙している。 人の自由と安全 「人の自由と安全(第一四条)という項目では、「(a)障害者の強制入院を、障害を理由とする差別であり、自由の剥奪に相当するものと認識し、……障害者の強制入院による自由の剥奪を認めるすべての法的規定を廃止すること。 ……拷問及び残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰からの自由」をあげている。 「三三 当委員会は、懸念をもって観察する。 (a)精神科病院における障害者の隔離、身体拘束、化学拘束、強制投薬、強制認知療法、電気けいれん療法などの強制治療、および心神喪失の状態で重大な事件を起こした者の医療と治療に関する法律など、そのような行為を正当化する法律。 (b)精神科病院における強制・虐待の防止と報告を確保するための精神科審査会の範囲と独立性の欠如」などとした。 一九九四年、心身障害者対策基本法が障害者基本法と改められた。これにより、精神障害者は、初めて福祉政策の対象となった。それまで法制度上、精神障害者に対する社会福祉制度は存在しなかった。 また、医療観察法における保安処分攻撃の実態は、まさに「拷問及び残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰」の最たるものであって、委員会は、即時廃止を訴えている。 搾取、暴力、虐待からの自由 「搾取、暴力、虐待からの自由(第一六条)」という項目では、「三五 当委員会が懸念していること」として、「(a)障害のある子どもや女性、……感覚的障害のある人、施設に収容されている人に対する……性的暴力からの保護や救済がなされていない」、 「(c)性的暴力に関連する司法過程における、被害者のための利用しやすい支援サービス、……利用しやすさ、合理的な便宜の欠如」をあげ、次のように勧告する。 「(a)障害のある少女と女性に対する性的暴力と家庭内暴力に関する実態調査を実施し、……あらゆる形態の暴力と闘うための対策を強化し、彼らに利用できる苦情と救済メカニズムに関する利用しやすい情報を提供し、……被害者に救済措置が提供されるようにすること。 (b)障害者自立支援法を見直し、障害者に対する暴力の防止をあらゆる場面で拡大すること、障害者に対する暴力・虐待の調査やその救済のための方策を確立すること」。 優生保護法による強制不妊に対して 優生保護法による強制不妊については、「三八 委員会は、締約国に勧告する。(a)障害者団体と緊密に協力し、旧優生保護法における優生手術の被害者に対する補償制度を改正し、すべての被害者が明示的に謝罪され、適切に救済されるよう、すべての事例の特定、臨時補償、……情報へのアクセスなどの支援手段、申請期間を限定しないことなどが確保されること。 (b)障害のある女性および少女に対する子宮摘出術を含む強制不妊手術……を明示的に禁止し、……あらゆる医療および外科的処置について障害者の事前かつ十分な説明を受けた上での同意を確保すること」とした。 教育の権利 障害児教育に関して、「委員会は、インクルーシブ教育の権利に関する一般的意見を想起し、締約国に対し、次のことを強く要請する」 (a)障害のある子どもがインクルーシブ教育を受ける権利を認識し、すべての障害のある生徒が、あらゆるレベルの教育において、合理的配慮と必要とする個別の支援を受けられるように、……国家行動計画を採択すること。 (b)すべての障害児の普通学校への通学を保障し、……特殊学級関連の大臣告示を撤回すること。 (c)障害のあるすべての子どもたちが、個々の教育的要求を満たし、インクルーシブ教育を確保するための合理的配慮を保証する。 (d)インクルーシブ教育について、通常教育の教員および教員以外の教育関係者の研修を確実に行い、障害者の人権モデルについての認識を高めること」とした。 「法の下の平等な承認(第一二条)」、「人の自由と安全(第一四条)」、「搾取、暴力、虐待からの自由(第一六条)」では、日本における障害者政策が、世界水準から見て、とてつもなく理解し難い、信じられないほどの後進性、暴力性、反動性、差別性が噴出していることを強く述べている。 日本の障害児教育 養護学校義務化の問題に関して、文部科学省のホームページでは、この件に関し「七一年五月の参議院内閣委員会において、文部省設置法の一部改正法案に対する附帯決議の一項目として、養護学校義務制実施の促進が採択された。 文部省は七二年度を初年度とする特殊教育拡充計画を策定し、……最終年度の七八年度までに、全対象学齢児童生徒を就学させるのに必要な養護学校の整備を図ることとした。 この計画を前提に、……七九年度から養護学校教育が義務教育になることが確定した」と誇らしげに掲載している。 七八年に就学猶予、就学免除が原則として廃止され、重度・重複の障害者も養護学校へ押し込まれ、普通学級からの障害児の排除が完成する。 七〇年代中後期、全国で養護学校義務化阻止闘争が闘われた中で、東京では金井康治さんの闘いも行われた(九九年一一月、三〇歳で死去)。 重度脳性マヒ者であった金井康治さんは、七七年から八二年にかけての六年にわたる闘いによって、地元の中学への進学を勝ち取った。このことが障害児の普通学校就学運動にとってどれだけ大きなことだったのかは、様々な形で証言されている。 金井さんは、養護学校から地域の小学校への転校を希望した。それに対する当時の足立区行政・学校・教職員組合の対応は、足立区が区役所前に二億円をかけて鉄柵を立て、学校は、自主登校で門前にいる金井康治さんが校内のトイレを使うことさえ拒否し、あげくには校内に入った支援者を「不法侵入」で逮捕させた(有罪失職)。教職員組合は「障害児が入学すると学校がめちゃめちゃになる」と宣伝し、金井さんを地域の中で孤立させようとした。 地域、行政、教職員総出で、普通学校から障害者・児を排除し、地域から孤立化させようと必死だったのである。 二〇〇一年「特別支援教育」という呼称が採用され、二〇〇六年、学校教育法の一部改悪、二〇〇七年より正式に特別支援教育が実施される。発達障害も含めた対象の拡大が行われ、「盲」、「聾」、養護学校が「特別支援学校」に一本化された。 二〇二二年一〇月五日、岸田政権は、二〇二三年度から五年間の「障害者基本計画」を内閣の有識者委員会に示した。そこでは、今回の権利委員会が中止を求めていた、特別支援学校での障害児教育の中止は盛り込まず、特別支援学校、学級をそのまま別に存続させることを明言している。 岸田政権は、権利委員会の要請に応えるということは、一ミリたりとも考えてはいないのだ。 ●第二章 障害者権利条約をめぐる歴史的考察と、その意義について 国連は、第二次帝国主義戦争の連合国を中心として、あらたな世界秩序を全世界に構築する目的で作られた。その国連で言う「人権」とは、共産主義革命、暴力革命の否定の上に構築される、典型的なブルジョア民主主義である。「障害者権利条約」はそうした理念をもつ世界人権宣言が「障害者には保障されていない」とすることから、その必要性が語られていく。だが一方で、帝国主義戦争による占領、植民地支配の犠牲になった多くの国々では、侵略戦争の悲惨を告発していく動きが活発化していく。この権利条約では、序文の中に「戦争と障害者」の問題に対する態度が明記されている。具体的には「特に武力紛争及び外国による占領の期間中における障害者の十分な保護」という表現であり、これをめぐる論議がこの条約を採択するにあたっての最後の論議になった。 「障害者権利条約」をめぐる各国間の思惑の違いは、この事がはっきりと浮き出たことになる。とりわけ日、米、カナダ、オーストラリア、イスラエルは、権利条約にこめられた障害者に対する保障政策はあくまで、政治と切り離された「人権」の問題の枠の中での「保護」政策という概念として、条約を採択すべきという主張を行なった。これに対して中南米、アフリカ諸国を中心とする各国は、覇権争闘の渦の中での障害者の位置を明確にし、戦争の犠牲としての障害者が十分な補償を受けられない現実を直視し、そのことを文言に明記せよと訴えたのである。圧倒的多数が、日米など五カ国の主張するのとは逆の結論を見い出した(文言を残す一〇二、棄権八、反対五)。 文言を残すように訴えた多くの国は、国連の枠の中という制約はあるものの、帝国主義の戦争攻撃によって障害者の権利が著しく侵害されることを告発したのである。そして、こうした主張が世界の多数派を占めた。 この問題をめぐり、日米など五カ国は、権利条約の制定をめざす基本的なスタンスとして、障害者問題を戦争(政治)と切り離した「人権」の問題として、市民社会の進歩性、利便性を障害者に「保障する」ことが主眼であり、より実質的な実利を持って障害者を取り込むことを意図した。 もちろん障害者自身が、今までそうした進歩的側面を持つ社会の機能的、構造的環境からはじき出されてきたことに対して、「われわれにもそうした現実を享受できる権利がある」と主張すること自体当然である。むしろ障害者の生活、生存権全般が脅かされ、理不尽な現実を甘んじなければならない場合が多い中で、そうした現状を少しでも改善する方向で闘いが取り組まれることは防衛されなければならない。一方そういう取り組みは、差別問題を、制度の決めごとの枠内で解決をはかると言うことであって、そうしたルールの中に障害者自身が身を置くことになる。そこには、必然的に差別糾弾闘争は必要ないし、存在根拠はない。 ノーマライゼイションというスローガンにしても、元々は、一九四〇年代ナチスによるデンマーク占領の後、四〇万人もの障害者断種、不妊手術、数万人がガス室へと送り込まれる、という事態の中で、デンマークにおける親の会の全国組織が結成されたことが直接の背景にあるが、そうした戦争と障害者差別の問題が、抜け落ちた形で、障害者の生活権の問題を語るべきではないのだ。 われわれは、ノーマライゼイションの歴史的根拠を踏まえつつ、障害者の生活権破壊の動きに抗し、地域での自立解放闘争の一つの足がかりとして取り組む必要がある。 そして、改めて障害者の地域での自立解放闘争を、差別糾弾闘争を軸として、おしひろげなければならない。 ●第三章 日帝の、障害者権利委員会に対する態度 精神障害者は、保安処分の実態化としての医療観察法と、精神保健福祉法での強制入院制度をはじめとした差別精神医療体制下にある。精神保健福祉法、総合支援法、医療観察法と連動して、地域、病院、施設、作業所といったところを横断するかたちで監視体制が敷かれている。 一九八三年、報徳会宇都宮病院における患者虐殺―強制入院制度の差別性が、八四年国連人権委員会で告発された。また、八五年五月には国際法律家委員会(ICJ)が、日本の精神科医療の実態を調査するために訪れるなど、宇都宮病院事件は国際問題へと発展していった。今回の権利委員会勧告書は、日本における精神医療体制が、八三年以前も以後も全く変わらず、むしろ差別的体制が打ち固められてきたことをあからさまにしたのである。 日本帝国主義足下にあって、障害者は、労働力の価値が不当に低められ、それが命の価値に直結してきた。それがあたかも社会の常識であるかのように浸透している中で、障害者に対する社会保障制度が、まるで「ありがたいほどこし」であるかのように権力から「与えられる」と思わされる構造がある。障害者にしてみれば、天皇制優生思想の下、差別が貫徹されている上に、社会保障制度が権力の慈悲によってなされると言うまやかしを強制される。障害者に対して徹底した武装解除を強制する一方、労働者人民には徹底した差別排外主義が煽動されるのである。 権利委員会は、「一般原則と義務」という項目のなかで「父権主義的アプローチを伴うことにより、障害関連の国内法および政策が、条約に含まれる障害の人権モデルと調和していないこと」としてこれを批判するが、日帝の障害者政策は、はるかその上をいくのだ。 二〇〇六年、日本において、自立支援法が施行されたが、そのことにより当時、障害者は、福祉サービス料、食費、光熱費など、介護資本、行政から「自己負担分」として収奪される額が、障害者が受け取る工賃よりも遥かに高額になった。年金で得た自分のなけなしのお金から、法外な「自己負担分」を支払って、あらためて安い工賃で過酷な労働をしなければならないという事態になったのである。先の小泉政権は、「三位一体政策」と称して、こうした最悪の屈辱的な階級関係を障害者に強制させた最初の政権であり、障害者総体の階級敵としての日帝の性格を鮮明にした。 二〇〇八年一〇月、憲法第二五条生存権の侵害を盾に、自立支援法違憲訴訟が起こされた。 二〇〇九年一二月八日、閣議決定により、時の民主党政権により、内閣府直属の「障害者制度改革推進本部」が設置された。二〇一〇年一月、国との和解が成立し、二〇一一年「骨格提言」がなされる。 二〇一二年、野田政権は、「制度改革推進本部」で話されたそれらをほとんど無視した形で自立支援法の名前を変えただけの総合支援法を成立させた(翌一三年四月一日施行)。 精神病院に入院中の精神障害者は、この段階においてもなお、福祉サービスの対象外であったが、二〇一八年四月になってやっと初めて、「自立生活援助」という形で「障害者支援施設やグループホーム等から一人暮らしへの移行を希望する精神障害者などについて、本人の意思を尊重した地域生活を支援する」という目的で、たった一つだけ盛り込まれた。 旧優生保護法による強制不妊手術に対する国賠訴訟では、憲法違反という判決にも、国は一切非を認めない。国は、障害者を欺いて、強制不妊手術をおこなってきた。教科書を使って優生思想の「正義」を垂れ流し、国を挙げて差別を社会的に浸透させてきた。好きなだけ障害者を蹂躙しまくってきたのである。日帝は、それらをいくばくかの救済金を支払うことで、一切に蓋をし、幕引きを目論む。 岸田政権は、今回の権利委員会の勧告に一切何にも応えようとはしない。障害による差別ではなく、障害者に対する差別が全面的に横行していることを一切変えようとしない。 岸田政権は一〇月一四日、一括法案の改正案を閣議決定した。その中の一つである精神保健福祉法の改正案では、医療保護入院において、家族が意思表示しない場合でも、市町村長の同意で入院が可能となるなど、強制入院制度がより簡便化されたものになっている。権利委員会の勧告など、全く意に介さない。 ●第四章 われわれの態度について 権利委員会の勧告書は、日帝の障害者政策が、歴史を貫いて障害者総体を差別、虐殺、排除、隔離の淵に追いやることのみを追求し続けてきたものであることを明らかにしている。 権利委員会の勧告書は、一定程度の限界をはらむものではあるけれども、日帝の政策そのものが、あまりにも後進性、差別性、反動性、暴力性を露骨にし、それらを一切変えようとしない中で、それを告発し、変えなければならないとする意図は、根拠があると言わざるをえない。 一方で、踏まえなければならないことは、ノーマライゼイションの捉え方の問題である。 「社会参加と平等」というあり方は、それ自体日帝の障害者政策の差別性を告発する一つの手段として有効である。しかし、このことを障害者総体の解放運動の綱領的な内容として位置付けるわけにはいかない。エンゲルスは、平等について、『反デューリング論』のなかで次のように言う。 「プロレタリアートの口から出される時、平等の要求は二重の意義を持っている。いっぽうでは……甚だしい社会的不平等にたいする自然発生的な反発である。だが、他方ではそれはブルジョア的な平等の要求に対する反発」であると。 日帝の障害者政策において、健全者との甚だしい不平等が明らかに存在し、それらに対する闘いであることは間違いないけれども、「誰もが普通学校へ」というその主張が、例えば聴覚障害者・児のコミュニティを否定するものであっては、「社会参加と平等」という概念は、彼らのコミュニティそのものを否定することにもなりかねず、平等というあり方そのものを根底から問わなければならない。勧告書は、障害のある子どもの教育について「すべての障害のある生徒が、あらゆるレベルの教育において、合理的配慮と必要とする個別の支援を受けられるように、特定の目標、時間枠、十分な予算で、質の高いインクルーシブ教育に関する国家行動計画を採択すること」を要請しているが、このことを注意深く捉えることは重要である。 われわれは、日帝の障害者政策が、天皇制優生思想を根拠に、障害者全体を悲痛な現実に陥れ、差別排外主義を煽動し、侵略戦争へと駆り立てていくありようを断固弾き返さなければならない。 障害者が排除、隔離される政策そのものを断固糾弾していかねばならない。そして、障害者自身の現実の悲惨な在り方が、あたかも一人ひとりの障害者自身の属性である障害にその原因があるかの如く吹聴し、個別の障害者自身にその責任があるかの如く主張する一切を帝国主義の戦争攻撃との闘いとして展開しなければならない。 障害者政策の全体性を歴史的構造的に捉えかえし、障害者の社会性を否定する一切に対して闘い、階級的非和解性を持った社会的障害者解放運動の創造をかちとらなければならない。 |
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