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 ■『戦旗』第1643号(9月20日)6面

    使用済み核燃料中間貯蔵施設の

  上関町への建設を絶対に許すな

  

九州・山口地方委員会  


  中国電力(以下、中国電)は、八月一日「上関地点における使用済み核燃料中間貯蔵施設の設置に係る調査・検討について」を公表した。八月二日には 上関町長を訪問して、使用済み核燃料の中間貯蔵施設を関西電力(以下、関電)と共同で上関町の中国電の所有地内に建設することを調査・検討すると申し入れた。
 このニュースは、突然の発表としてたちまち全国をかけ巡った。しかし、この問題は突如浮上したわけではない。二〇一九年九月に上関町議会の研修計画が当初の川内原発から東海第二原発に替わり、周辺自治体の動向聞き取りと乾式貯蔵施設の視察へと変更された。また、その年の一〇月二四~二五日、上関町議会議員が東海原発に行き、使用済み核燃料乾式中間貯蔵施設を視察。二〇二一年一一月一八~二〇日、青森県六ヶ所村とむつ市に建設した使用済み核燃料乾式中間貯蔵施設を視察。二〇二二年五月二五~二七日、東海原発の乾式中間貯蔵施設の二度目の視察をおこなっている。
 この過程で、二〇二一年一二月に、原子力推進のための雑誌として知られる『エネルギーフォーラム』に使用済み核燃料最終処分場文献調査を山口県上関町が「現在は調査に前向き」との政府高官の発言が載ったり、業界紙『北陸政界』に、関西電力の使用済み核燃料中間貯蔵施設で、県外立地の可能性として山口県祝島を名指しした記事が載ったりしていた。
 八月二日の中国電の発表からたった一六日目の八月一八日、上関町の西町長が調査の受入れを表明した。議会では「行政報告」という形で議員の意見表明のみで質疑も議決も無く、住民への説明も一切されなかった。それどころか抗議に駆け付けた地元住民を警察権力を導入して排除するという暴挙さえ行なった。
 中間貯蔵施設を巡っては、国から調査中は一年で最大一億四〇〇〇万円、その後は知事が設置に同意すれば二年間で最大約二〇億円が交付される仕組みだ。
 西町長は「あくまでも『調査』の受け入れであり、『建設』への同意ではない」とうそぶいている。中国電は施設の完成時期、貯蔵容量などを「未定」と説明。町の同意を得た上で地盤調査に着手し、半年ほどかけて一〇カ所程度でボーリング調査し、建設可能かを確かめるという。
 『戦旗』紙上でもこの間何度か触れてきたが、今回の中間貯蔵施設建設問題の背景を簡単に振り返っておこう。
 破綻している「核燃料サイクル」に固持する国の方針に従えば、使用済み核燃料は全量再処理することになる。しかし、肝心の青森県六ヶ所村の再処理施設は着工から三〇年を経ても未だ稼働していない。そのため、行き場の定まらない使用済み核燃料が原発敷地内で際限なく増え続け、それをなし崩し的に固定化することを原発立地自治体は危惧してきた。すでに、全国では二〇二二年末現在でその容量は八割近くになっている。原発敷地内の使用済み核燃料貯蔵庫が満杯になってしまうと、そもそも原発の運転ができなくなる。とりわけ原発依存度の高い関西にとっては死活問題となってきた。
 原発が多数立地する福井県は、関電に再処理を待つ使用済み核燃料を一時的に保管する「中間貯蔵施設」の県外立地を一九九〇年代から求めてきた。にもかかわらずこの間立地場所は定まらなかった。二〇一七年、大飯原発三、四号機再稼働への同意を求めていた関電の岩根社長が、西川知事(いずれも当時)に「二〇一八年中に具体的な計画を示す」と時限を切った。当時の世耕経済産業相も国として積極的に取り組むと約束し、その結果、福井県は大飯原発の再稼働に同意した。翌二〇一八年、関電は望み通りに大飯原発を再稼働させた一方で、約束していた中間貯蔵施設の候補地を示せず知事に謝罪。「二〇二〇年を念頭にできるだけ早く具体的な地点を示す」と期限を先延ばしにしていた。
 さらに関電は、運転開始から四〇年を超える老朽原発三基(高浜一、二号機、美浜三号機)の再稼働への同意を福井県に求めた。新たに就任した杉本知事はそれに対し、中間貯蔵施設の候補地提示が「(同意の)議論を始める前提」と明言していた。つまり中間貯蔵施設の候補地の具体的提示が再稼働同意の条件になっていたのだ。しかし、関電は中間貯蔵施設の候補地は一向に示すことができなかった。
 そうした中、二〇二〇年一二月という締め切り直前になって、電気事業連合会が青森県むつ市の中間貯蔵施設(東京電力と日本原子力発電専用の施設)の共用化案を突如として発表した。これに対し関電の森本社長(当時)も「積極的に参画したい」と発言し、中間貯蔵施設問題に決着をつけようと目論んだのだ。しかし、むつ市の宮下宗一郎市長(当時。現青森県知事)は「むつ市は核のごみ捨て場ではない」と共用化を拒絶。結局、関電は二〇年中に候補地を示せず、再び謝罪に追い込まれることとなった。
 翌二〇二一年になって森本社長は「むつ市の中間貯蔵施設の共同利用も選択肢」「二三年末を最終期限として中間貯蔵施設の場所を確定できなければ運転四〇年超の三基を停止する」と福井県に説明し、最終的に福井県は三基の再稼働に同意した。「約束を果たせなければ原発を止める」という退路をたった形で、関電は老朽原発再稼働への道を開いたのだった。
 一方、今年六月の知事選で当選した前むつ市長の宮下知事は、むつ市の中間貯蔵施設の共用化を拒否する姿勢を崩していない。こうした中から中国電と関電の共同による上関への中間貯蔵施設建設案が浮上してきたのだ。
 現在、原発を再稼働させていない中国電は、使用済み核燃料の保管場所問題に直面しているわけではない。新規制基準に適合した島根原発二号機(島根県)は事故対策工事中で稼働時期は未定。建設中の三号機は審査が始まったばかりだ。島根原発の使用済み核燃料プールは容量の三割ほどの空きがある。しかし、将来も含めても中国電は「単独での建設や運営は難しい」と財政的問題も抱えていることを表明している(今年三月に関電、中国電、九電、中部電四社による電力カルテル問題によって中国電は約七百億円の課徴金が課せられている)。
 こうした中で過疎化にあえぎ地域振興策を求める上関町と崖っぷちに追い込まれた関電が中国電を巻き込んで今回の上関町への強制誘致に踏み込んできたのだ。当然にも国、電気事業連など原発推進勢力が大きくかかわっていることは自明のことである。
 上関町では、上関原発の計画が浮上してきた一九八二年以来、祝島の島民を先頭に四〇年以上にわたり原発の新設を阻止し続けている。そして、中間貯蔵施設建設という新たな攻撃がかけられてきた中で、祝島島民を先頭とする上関町の人々とともに上関原発と中間貯蔵施設建設阻止をひとつの闘いとして闘わなければならない。
 中間貯蔵施設建設を阻止することは「核燃料サイクル」政策の息の根を止めていく闘いであるとともに、原発そのものの稼働を阻止していくことに直結する重要な闘いだ。八月一八日の臨時町議会には一〇〇名を超す住民が駆けつけ、警察の弾圧をはねのけて、西町長への弾劾・追及の闘いを最後まで闘い抜いた。
 「中間貯蔵施設を誘致してお金をもらっても、決して町おこしにはならない。逆に、町は衰退する」(清水町議)。
 「われわれは四〇年苦しんできているので、冷静さをもって誘致反対を訴えていく」(山戸町議)。
 上関原発建設に反対している町議は四〇年にわたる闘いで守り続けてきた上関の豊かな自然に誇りをもち、それを生かした生活ができる町づくりを目指して闘い抜く決意を明らかにしている。
 八月二四日、岸田政権は、全漁連を始めとして海外からの批判もまったく無視して福島第一原発の放射能汚染水の海洋放出を強行した。福島第一原発事故から一二年。エネルギー基本政策の転換によって原発回帰へと踏み出した岸田政権との闘いに全力で決起しよう。
 原発再稼働阻止! すべての原発を廃炉へ! 老朽原発再稼働阻止! 原発新設阻止! 中間貯施設蔵建設阻止! 岸田政権打倒へと突き進もう。



 


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