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 ■フィリピン 第25回KMU・ISA報告(上)

  国際反帝労働者連帯掲げ成功






 先日、フィリピンKMU(五月一日労働運動センター)の主催する第二十五回ISA(国際連帯会合)が行なわれた。AWC日本連が派遣団を送ったが、その一部メンバーに対し、フィリピン入管当局は入国拒否・強制送還の措置を下した。国境を越えた反グローバリゼーションや反戦など国際共同闘争が高揚する今日、帝国主義と各国の反動政府はその分断と弾圧を強めている。我々は、労働者・被抑圧人民の国際連帯の実際的闘いを、断固推進する。それは「万国の労働者よ、団結せよ」を復権する闘いである。東アジアにおける反帝民族解放―社会主義革命の拠点的活動を推進するKMUなどフィリピン人民の決死の闘い。そこでは、米日欧帝国主義や中、台、韓からの多国籍企業などの侵出や米軍常駐によって、強搾取・貧困化と殺人的軍事弾圧が人民に襲いかかっている。反帝・プロレタリア国際主義に立ち、フィリピン人民の闘いを支援し連帯しよう。第二十五回ISAについて報告する。



 ●1章 第25回ISAの概要、入国拒否・強制送還との闘い


 開始から四半世紀を数える今年のISA。「帝国主義の危機、略奪、戦争に抵抗せよ!労働者階級の反帝国際連帯の二十五周年を組織しよう」のテーマで、フィリピンをふくめて十七カ国・地域、海外からは約五十名が参加した。豪州からはAMNU(製造業労働組合)、CFMEU(建設森林鉱山電力労組)など。米国からはUE(電気ラジオ機械労働者合同労組)など。また、ニュージーランド、カナダ、ドイツ、ベルギー、スペインからはフィリピン連帯委員会や労組活動家。在欧州トルコ労働者連盟、ネパール労働組合総連盟、インド労働組合連盟、コロンビア食品産業労連、台湾の労働運動支援。香港、マレーシア、韓国からも来ていた。公式のスケジュールは、四月三十日/オリエンテーション、五月一日/マニラ・メーデー、二日/カ・ベル没後一周忌の追悼、二日十五日/ISA本会議、六日/マルクス主義・フォーラム、七日―九日/地域エクスポージャーであった。

 この国際連帯会合の特徴は、現下の世界恐慌事態と帝国主義による各国労働者への攻撃について報告するとともに、各地の労働運動の反撃の経験を交換しあうところにあった。その活動成果をもって、労働運動における反帝闘争と国際連帯・国際共同闘争を推進することにあった。

 ところが、AWC日本連から参加した派遣メンバーに対し、フィリピン入管当局の入国拒否・強制送還攻撃が発生した。不当極まりないこの事態に、当該メンバーは軟禁されながらも、KMU側に連絡を取り続け、抗議し、徹底的に入国とISA参加を求めて闘った。KMUや国会議員によって、第二空港ターミナル前で抗議と交渉が粘り強く行なわれた。フィリピン入管当局は、「フィリピン社会の公益に反する」「ブラックリストに載っている」という極めて曖昧で一方的な言いがかりを繰り返すだけであった。そして、トランジットの待合室で拘束された当該メンバーには、食事も出されず、弁護士などとの接見もできず、基本的人権は抑圧され続けた。二十五時間後、入管職員・空港警備の約二十名が無理やり、暴力的に、日本行きの航空機へ連行した。

 この入管の弾圧は、アロヨ政権の反人民性・反民主主義、そして軍事的暴力性を満天下に示すものである。〇一年のアロヨ政権登場以降、フィリピン人民運動への殺人的暴力的弾圧は激化した。千人近い、労働運動や民衆運動の活動家たちが虐殺された。国連人権委員会アルストン書記官が調査し告発したように、国軍が関与し、数千名規模の拉致・拘束・強制失踪・拷問、そして超法規的殺害が繰り返された。これは米帝のグローバルな「対テロ戦争」路線を原因として生まれている。米帝はイラク、アフガニスタン、さらにソマリアへの「対テロ」侵略戦争を激化させ、イスラエルのパレスチナ攻撃を支え、朝鮮半島など東アジアへ戦争重圧を強め、加えて反米帝・民族解放闘争の活発なコロンビアやフィリピンで内乱鎮圧作戦を進めている。米帝と同盟する日帝も、自衛隊派兵を強行し、昨年の反サミット弾圧など、人民の国際共同闘争を激しく弾圧してきた。バヤンの抗議声明は、この弾圧にはバリカタン(米比軍事演習)が政治的に関係していると暴露し非難した。フィリピン反動当局と米日帝によるアジアの反米軍・反帝闘争への弾圧の一環なのである。米兵による〇六年のスービック強姦事件では被害女性ニコールさんが告発し、犯人は一審で歴史的な有罪判決となった。だが、米軍駐留協定(VFA)の下で、米兵犯罪者は米大使館に匿われ、被害女性へのバッシングのなかで控訴審では無罪判決にひっくり返った。レイプ犯の米兵はフィリピンを出国した。帝国主義の階級利害が入管を貫いている。入管による分断と弾圧と徹底的に意識的に闘い、プロレタリア国際主義を実力で推進することである。引き続き、アロヨ政権の入管弾圧に抗議・追及し、これを粉砕しようではないか。



 ●2章 マニラ・メーデー、米大使館抗議に一万人決起


 五月一日、「労働者の日」、フィリピンでは休日となる。フィリピン労働者人民の現状もまた厳しい。フィリピン人世帯の80%が一日二ドルで生活している。マニラ首都圏の一日の最低賃金は、六人家族の一日の生計費八百五十八ペソ(約二千円)の半分に足りない三百八十二ペソ(約九百円)である。年間の平均失業率は11・3%。労働力人口三千四百九万のうち、四百十万人が失業し、七百十万人が不安定雇用にある。インフォーマルなセクターに40%の労働者が働く。一日に四千人が海外へ出稼ぎに行き、そのうち女性は70%をしめる。KMUは、この間、一日につき全国一律百二十五ペソ(約二百九十円)賃上げを要求している。また世界金融恐慌のなかで、失職した労働者には、月一万ペソを六カ月間支給する緊急対策を政府に求めている。

 アロヨ大統領は、なんと、アギナルド国軍司令部基地にて、メーデーの演説を行った。彼女は、フィリピン人移住労働者による送金が国の経済を浮揚させていると海外在住労働者を持ち上げた。彼ら彼女らの送金基金が国の希望を支えていると賛美し、フィリピン経済はグローバル危機から回復し経済成長が続いていると大嘘を言い放った。また中東に二十万の雇用機会があると言って、海外出稼ぎを奨励し、開催中の雇用フェアーでも八万人の雇用機会が準備されていると。そしてなによりも、居並ぶ国軍兵士へ大統領への忠誠を呼びかけ、国家防衛のために、献身的精神を発揮し人民の手本になることを訴えた。

 外資導入と大土地所有制のもとで、人民を低賃金・無権利に叩き込み、窮乏化させ、多くの相対的過剰人口を構造化する、フィリピンの寡占特権階級の一員であるグロリア・アロヨ。彼女は労働力輸出政策と軍隊による統治を臆面もなく正当化した。しかもアロヨは、エレクトロニクスの多国籍企業に労働者の最賃を半年間半額化できると約束した。

 KMUとISA派遣団は、この日、朝から、オーストラリアとコロンビアの労組活動家が準備したメーデーメッセージを討議し作成する。午後、マニラ市内の四箇所の集結地点から、ボニファッシオ公園のメーデー中央会場へデモ行進した。先頭には、KMU、バヤンなどのリーダーや、政党比例代表で国会議員となったアナクパウイス政党(勤労人民党)のマリアーノさん、ジョエル・マルグンソットさん、ガブリエラ女性党のリサ・マサさん、ルスさんたちが大きな赤い横断幕を持ってデモ行進した。「全国一律百二十五ペソの賃上げを行え」「首切りをやめろ、雇用確保」「アロヨは辞任しろ」「米軍駐留協定(VFA)を破棄せよ」「米軍はすぐに出て行け」「帝国主義打倒」などのスローガンが並び、シュプレヒコールが叫ばれた。

 メーデー中央集会では、KMU議長カ・ボン、バヤン書記長カ・レト、マドリーガル上院議員、KMU副議長カ・リト、バヤンムナ事務局長サンチャゴなどが相次いでアピール。KMU首都圏地域本部議長カ・ロイの強い怒りのアピールが印象に残る。彼は、国内産業で進む大量解雇をやめ、マニラでの家々の強制立ち退きを中止せよと訴えた。「家と雇用は、政府により保障されねばならない。不十分な雇用政策のために、貧困と失業が増えている。三千三百億ペソ(約七千五百九十億円)のでたらめな景気刺激策。ひどい雇用フェアー。労働力輸出政策の激化。これらをやめろ。国内産業の支援や適切な社会給付と社会保障政策を行なえ。マニラのあちこちで、再開発で労働者の家が撤去され、生活苦が広がっている。すでに十万世帯が強制撤去の被害を受けた。貧困ゆえに未成年者の多くが集会デモに参加しているではないか」と。〇六年四月、半導体の供給過剰でフィリップの支社が労働者をレイオフした時、彼は解雇された。二年前、軍関係者に拉致され殺されかけたが、逃げて生き延びた。

 メーデー中央集会の終わり近く、ISA代表団が登壇し、メーデー・メーセージ(別紙、資料一)を読み上げた。午後六時から、夕闇のなかで、松明に火を点した大群が、米大使館へ抗議デモに出発した。ISA部隊も加わった。怒りを燃やす、勇壮な松明デモ。メーデーの反米デモは夜遅くまで繰り広げられた。



 ●3章 ISA25五周年のこれまで


 二十五年の節目となるISAの経過について、KMU国際部長テス・デオキノが本会議で話した。「国際労働者連帯と反帝闘争の団結を強めるために振り返り、前に進もう」というスピーチ原稿の要旨を記す。

 「二十五年前の一九八四年四月二十三日―五月三日、KMUはマニラでISA第一回を『労働者への経済危機とその影響』のテーマで主催。七カ国(日本、米国、カナダ、アイルランド、ノルウェー、ニュージーランド、タイ)から国際派遣団三十三名が参加。マルコス独裁による止むことのない攻撃を受けるKMU誕生から四年目の事だった。何百人ものKMU労働者が逮捕、拘留、拷問、サルベージ、拉致、殺害された。このはげしい労組弾圧、政治抑圧のなかで、ISAは、フィリピンの原則的労働組合センターとしてのKMUを認め、国際支援をあつめる目的で立ち上げられた。二年後の一九八六年、ピープルズ・パワーと呼ばれた最初のエドサ蜂起を通じて、二十一年間のフェルナンド・マルコス独裁支配が打倒された。それはフィリピンの真の変革と民主主義を求める人民の切望から生み出された。

 ISA 派遣団、海外の労働組合の友人、支援者は、フィリピン人民の闘争を活発に支援した。フィリピン大使館や領事館の前に立ち、抗議のリーフレットを配り、署名運動を立ち上げ、請願書を集め、フィリピン政府に抗議文を送り、フィリピン情勢について話すフォーラムを組織し、フィリピン労働者の状況と闘いを知らせていく活動を大衆的に組織し、各国でKMUツアーを行った。

 一九八六年五月一日、ISA国際派遣団は、労働援助相談協議会(LACC)のもとで、歴史的な共同参加のメーデーを目撃した。KMU、WFTU傘下の連盟、TUCPなど、主要な労働団体が一堂に参加。フィリピン大統領が初めてメーデーに参加し、労働リーダーの隣に坐った。この国の民主主義の回復について、多くの希望と興奮があった。しかし、その希望は、あまりに短い命だった。一九八六年十一月十三日、KMU議長ロランド・オラリア(カ・ランド)と同僚運転手カ・レオナールが拉致され、翌日、アンティパロ市の草むらに死体で発見された。野蛮な殺人は、ファシズムの復活を証明し、エドサ蜂起によってもたらされた「民主的空間」の仮面を剥いだ。この野蛮な殺人は、この国における成長するファシズムへの巨大な国際的非難を引き起した。カ・ランドとカ・レオナールの葬儀に際しては、百万人の民衆がマニラ首都圏を行進した。同時に、海外で抗議行動・追悼儀式・請願などがフィリピン大使館に向かって行われた。このとき、クリスピン「カ・ベル」ベルトラン書記長がKMU議長に就任した。翌年一月二十二日、土地改革を求める農民の平和行進がメンジョーラ虐殺といわれる銃撃の暴力的抑圧に遭う。フィリピン人民運動の前進に国際社会が注目するなかで、一九八七年四月二十三日〜五月二日のISAでは、「真の自由と民主主義のための労働者連帯を強化しよう」のテーマで、豪州、米国、カナダ、日本、イタリア、フランス、英国、ノルウェー、ニュージーランド、アイルランドなどから、六十二名の国際派遣団が参加した。カ・ベルは、「私たちの国の権力の劇的な変化に全世界が注目して一年以上経つが、フィリピン労働者階級は搾取の束縛から未だに解放されていない」と発言。アキノは、進歩的合法的な団体や個人を標的とする武装自警団分隊を配置し、低烈度紛争を執行した。労働者は、飢餓賃金による人間らしい生活への権利を否定され続け、労働力柔軟化(雇用破壊)政策を課せられた。

 一九九〇年代の十年間、労働者への思想的攻撃が吹き荒れた。私たちは旧ソ連の消滅や東欧諸政権の崩壊を目撃。その時、湾岸戦争が起こり、日本の軍事力の復活、いわゆるアジアの龍である台湾や韓国の急成長、ユーゴスラビア戦争、欧州でのネオ・ファシズムの台頭があり、そしてアラブやイスラム諸国では原理主義が成長した。

 米国が「新世界秩序」を宣言。米国とその同盟諸国、旧ソ連とその衛星諸国という二極化から、世界は資本主義諸国による経済的政治的軍事的な支配とその勢力範囲へと再分割された。一九九〇年―「労働組合の諸権利のために団結し闘おう!外国の介入を終わらせよう」、一九九一年―「新しい労働組合運動にむけて真の組合主義を」、一九九二年―「人民の諸権利のための労働者連帯闘争を前進させよう」、一九九三年―「国際労働者連帯を前進させ、帝国主義に反対せよ」と、ISAは続けられた。

 一九九二年第九回ISAで、カ・ベルは言った。「冷戦後の新時代のなかで、……国際関係と連帯の結合について、進むべき方向や運動を確立すること、それを現在始めるべきだということに皆が同意するでしょう。それは、わたしたちが獲得したものを守り、同時に労働者階級の利益を前進させること、これを行うだけのことなのです。」

 国内では、フィリピン労働組合運動も諸分裂から免れなかった。一九九三年、腐敗したリーダーが、一連の論争後、KMUから追放された。辞めた彼らはBMPを形成し、すぐに資本家との協力者の性格を明らかにした。労働者グループにおいて、屈服派と抵抗派の分裂、便宜的団結と原則的団結の分裂がゆっくりと現れた。一九九四年、他の改良主義者の組合と協力したBMPは、御用労組TUCPと合同し、労働者団結幹部会(CLU)を形成した。CLUは団結の誓約に署名し、当時の大統領フィデル・ラモスのフィリピン発展計画(MTPDP)の枠組みに参画し、産業平和を強め、労働生産性の増大をねらった社会調和を公式に取り入れた。社会調和は、CLUとフィリピン商工会議所(PCCI)、フィリピン経団連(ECOP)によって署名され、ラモス大統領から認証された。

 一九九〇年代中頃、戦闘的なフィリピン労働者は、活発に、グローバリゼーションと貿易自由化に反対した。私たちが中部ルソンのクラークやスービックの米軍基地をたたき出したのも、その時期だった。当時、フィリピンの進歩的人民運動は、GATT―WTOに反対し、元米大統領ビル・クリントンのマニラ訪問とAPECに反対し、抗議行動を高揚させた。



 ●4章 21世紀のISA、国際反帝労働者連帯の推進


 世紀が代わり、IMF―世界銀行―WTOが広めた自由化、民営化、規制緩和の新自由主義政策の攻勢は、地球規模の生産力の比べようも無い大規模な破壊をもたらした。労働者の悲惨さは、大規模な労働力柔軟化(雇用破壊)政策のもとで、実質賃金の連続的低下、失業と解雇の急上昇、雇用の不安定化などが進むなかで、予想できないほど高くなった。

 米国は、「対テロ戦争」を発動し、テロリズムと軍事侵略に訴えた。労働者はテロリストとみなされ、超法規的殺害を含む、あらゆる人権侵害を受けた。労働組合の諸権利を破壊する最悪の諸事件が、フィリピンとコロンビアで見出せる。

 社会的諸条件の劣悪化は、人民をして、反帝民族解放闘争のあらゆる形態の行動へ決起させた。各地の労働者が、労働者の諸権利と利益を守ろうとし、資本家の攻撃に反対する重要な大衆的諸行動に立ち上がった。この再び開始された労働者主導の反帝国主義の立場は、同志クリスピン「カ・ベル」ベルトランが初代議長に就いた二〇〇一年の国際人民闘争連盟(ILPS)の編成に貢献した。ILPSは、四十カ国、二百十八大衆組織で設立された幅広い反帝国主義の大衆団体である。

 ここ十年間、独占資本主義や反動の他の全ての形態との闘争において、再び活力が高まり始めている。世界の多くのところで、雇用、賃金、民主的諸権利を守る労働者運動が更新した力を獲得した。何千もの労働者たちが新自由主義グローバリゼーション、自由貿易協定、侵略戦争に反対して、集会・デモをした。

 今日、私たちは、世界大恐慌と予想されるグローバルな経済金融危機の大規模な影響を経験している。

 世界中の働く人民は、困苦する人民の支出で最大のグローバル企業を救済する諸政府に反対して、大規模な抗議を遂行している。抗議とストライキは、労働者の上に資本家が課した労働政策と労働諸条件の悪化に対抗して、世界中で起こっている。ロンドンで、ギリシアで。欧州、アフリカ、アジア、ラテンアメリカのいたるところで起こっている。

 強められた国際労働者連帯だけが、帝国主義と独占資本の継続する諸攻撃に反対し、対抗することができる。私たちが反帝国主義労働者戦線を築き、帝国主義の略奪と戦争を打ち負かし、唯一の代替案である社会主義を前進させ、団結した人民の国際反帝国主義運動へ活発に参加することは避けられない。

 今日、私たちがここにいるのは、国際反帝労働者連帯を祝うためだけではない。より重要なのは、もう二十五年、いや百年以上かかっても、帝国主義と反動の全ての形態と闘い続けることを堅く誓うことである。本当に、人類の明るい未来は、社会主義のもとで可能となる。ありがとう、あなたたち全てに戦闘的挨拶をおくる!国際連帯万歳!」。

                        (ISA報告・下に続く)


 
 

 

 

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