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   帝国主義のリビア軍事侵略弾劾!

  北アフリカ・中東の民衆決起に連帯し、世界革命勝利へ

                         国際部




 ●はじめに

 今年一月にチュニジアで、二月にはエジプトで民衆蜂起と労働者のストライキが長期独裁政権を倒した。この二つの勝利が発火点となり、革命のうねりが巨大な波紋となって北アフリカ・中東の全域を覆った。そしてそのうねりは激しさを日に日に増している。
 『戦旗』第一三六七号(二〇一一年三月五日)二面掲載の関連記事は次のように述べている。「チュニジアでは昨年十二月十七日に露天商を摘発された失業中の若者が抗議の焼身自殺を図ったことをきっかけに地方都市でデモが開始。それが首都を始め全国に拡大し、一ヶ月未満で大統領が海外逃亡。民衆の街頭デモの全国的拡大と労働者のストライキが長期独裁政権を打ち倒した。労組の全国組織であるUGTTが反政府デモを組織した。
 ジャスミン革命と呼ばれるチュニジアでの独裁政権打倒闘争の勝利は、北アフリカ・中東の全域に巨大な革命運動の発火点となった。革命の火花は四方八方に飛び火してヨルダン・アルジェリア・モーリタニア・イエメン・リビア・バーレーン・サウジアラビアでの集会・デモに拡大し、独裁政権や王族支配体制の存立基盤をガンガン揺さぶっている。
 エジプトもそうだ。抗議の焼身自殺に始まり、小さなデモ・集会が大きくなるとともに全国各地へ拡散し、弾圧に屈せず連日続いた。そしてチュニジア革命から一カ月も経たない二月十一日にエジプトで民衆の百万人集会・デモと労働者のストライキ及びデモへの合流が独裁者ムバラクを倒した。
 リビアでは政権打倒闘争に対し、治安部隊・国軍・雇われ外国人部隊による機銃掃射や無差別空爆といった虐殺が起こっている。しかしカダフィ打倒の怒りは静まるどころか、かえって勢いを増して全国に拡大し、東部地方の都市では地域住民が武装して国家暴力装置と対峙し都市を掌握するというコミューン的状況も生まれている。
 北アフリカ・中東人民を突き動かしているものは、①失業・貧困・物価高といった生活苦を解決しろという生きる権利の要求、②政治弾圧を止めて言論の自由を認めろ、政党活動を認めろといった政治的自由の要求、③自国政府の親米親イスラエル政策に対する批判・反発というパレスチナ人民連帯の要求、の三つだ。」
 その大部分が自然発生的な民衆革命は独裁政権の軍・警察のみならず、帝国主義や近隣諸国の不当な軍事侵略と対決する局面に入った。チュニジアとエジプトでは国会や憲法制定会議、大統領のそれぞれの選挙日程は決まったが、暫定政権の構成および一連の選挙後の新たな政治体制をどのようなものにするかをめぐって支配階級と労働者階級人民との対立が続き、旧政権打倒前と同じように集会デモが連日起きている。リビアでは反政府デモが無差別空爆を受けるなど殲滅の対象となって約一万人が殺される中で内戦に発展した。その後、英仏米帝が軍事侵略に踏み込み、現在も続いている。バーレーンではサウジアラビア軍とアラブ首長国連邦の警察が侵攻して戒厳態勢をとっている。イエメンとシリアでは数万規模の反政府デモが連日続き、血の弾圧で死者が数百人単位で出ているにもかかわらず政権を退陣の淵に追い詰めている。ヨルダン・アルジェリア・モーリタニア・オマーンにも民主化革命の火の手は広がった。イスラエルでは同国人口の二割を占めるパレスチナ系人民の大規模な反政府デモが起きた。サウジアラビアでもついに集会・デモが起こったが、支配階級は集会デモ全面禁止の戒厳態勢で応えた。それでもデモは四月中旬現在も続いている。イランでの「改革派」の集会デモも起こったが、弾圧によって弱体化している。
 北アフリカと中東の全域が体制変革の激流に飲み込まれ、独裁政権や王族支配体制の存立基盤はいまやぐらぐらに揺らいでいる。が、同時に、それでも血の弾圧は続き、一部の国では解放を求める声が無残に踏みにじられ、民衆が殺されている。
 われわれは北アフリカ・中東で続いている独裁政権打倒・民主主義民衆革命を断固支持し、帝国主義の軍事侵略、近隣諸国の軍事介入、独裁政権の弾圧及び虐殺に反対する。日本の労働者人民は、搾り取られ抑え付けられ虐げられてきた北アフリカ・中東の労働者階級人民に徹底的に連帯し、その自己解放闘争を支持する立場から情勢をとらえ、国際連帯闘争の行くべき道を突き進もう。


 ●1 北アフリカ・中東民衆革命のこれまでの流れ


 ◆①チュニジア

 旧政権打倒後に成立した暫定政権に旧政権の主要閣僚が残ったため、これに反対するデモが全国規模で起きた。その結果、暫定政権の首相が辞任(二月二十七日)。民衆の闘いがブルジョア政治委員会の構成を規定している。三月九日には旧政権与党の「立憲民主連合」が裁判所から解党するよう命じられた。今年七月に憲法制定会議議員選挙が行われる予定だ。

 ◆②エジプト

 旧政権崩壊以後、米帝の支持を受ける国軍が実権を掌握。軍最高評議会が暫定政権の役割を果たし、「四月六日運動」などが構成する「革命青年連合」と接触し、集会・デモで表現される民衆の要求を一部受け入れつつも、変革ではなく改革の道を進んでいる。これまでに議会と大統領の選挙日程を決め、ムバラクを逮捕した。しかし、国軍による施策の不十分性を批判する民衆デモ、さらには労働争議が続いていて、暴力的な弾圧も起きている。
 三月七日には旧政権派の閣僚も残留した新内閣が発足。十九日には憲法改正の是非を問う国民投票が実施され、翌日、賛成多数で承認された。続いて人民議会(国会)選挙の九月実施、大統領選挙の十―十一月実施を軍最高評議会が発表(各二十八、三十日)。また、ムバラク一族の訴追を要求する数万人の民衆デモ(四月八日)に押されて検察当局がムバラクと息子二人に出頭を命じ(十日)、彼らとムバラクの妻を事情聴取し(十二日)、反政府デモへの暴力的弾圧に深く関与した容疑などでムバラクと息子二人をついに拘束した(十三日)。

 ◆③イエメン

 チュニジアとエジプトでの民衆蜂起の影響を受け、政権を批判する焼身自殺が相次ぎ、続いて野党や学生が主導する反政府デモが一月後半に連日行われた。大統領即時退陣が要求スローガン。大統領サレハが次期大統領選(二〇一三年)不出馬と息子への権力継承を行わないこと発表したが(二月二日)、その後、全国各地のデモは数千人から数万人規模へ拡大。警官隊の発砲や大統領支持派デモとの衝突で死傷者が続出する。二十六日には首都サヌア(人口百二十三万人)で八万人、各地で数万人規模のデモ。三月十八日のサヌアのデモは治安部隊および政府支持者らと衝突し、デモ参加者五十二人が死亡、約三百人が負傷した。政権は期間三十日間の非常事態令を発布。この大惨事により内閣が総辞職し(二十日)、サレハが今年中に辞任する意向をしめしたが(二十一日)、議会は憲法停止や街頭デモの禁止を定めた非常事態法を承認(二十三日)。しかし民衆はこれを無視してデモを続行し、四月一日には全国十五カ所で各地数万の過去最大規模のデモを敢行した。湾岸協力会議(サウジなど湾岸産油国六カ国)が、サレハおよび野党連合「合同会議党」に協議を提案(三日)。サレハはこれを歓迎し、副大統領への権力移譲方針を出したが、反政府勢力は拒否して調停案反対の数万人デモを行った(十一日)。これまでにデモ参加者が百人以上殺されている。

 ◆④バーレーン

 シーア派に対する差別撤廃と民主主義導入が民衆デモの当初の要求事項。バーレーンには上下院の議会はあるが、国王が実権を握っており、閣僚の半数以上は王家一族。国民議会(下院)選挙はあるが、諮問評議会(上院)議員は国王が任命。首相も国王が指名する。
 二月十四日、首都マナマと周辺の町村で千人以上の民主化要求デモ。警察の弾圧で参加者二人が死亡。その後、デモ隊がマナマ中心部の真珠広場を占拠したが、警官隊が強制排除して三人死亡(十七日)。国王ハマドが全政治勢力との対話を求めるが、野党「イスラム国民統合協会」(シーア派)は拒否し、軍と警官隊が撤退後に市民数千人が広場を奪い返す(十九日)。スローガンに「王家打倒」が掲げられるようになった。政治犯が釈放され始め(二十三日)、閣僚四人が解任されたが(二十六日)、数百人が国会前を一時封鎖するなど(二十八日)、デモは連日続き、参加者数は増えていった。
 三月には湾岸協力会議が派遣した軍千人(サウジアラビア)と警察五百人(アラブ首長国連邦)が侵攻し(十四日)、ハマドが三カ月間の非常事態宣言を出す一方で治安部隊とデモ隊の衝突で三人が死亡し(十五日)、治安部隊がデモ隊を実力で排除した(十六日)。広場の回りには戦車が配置され(十八日)、ハマドは「混乱は外国勢力の仕業」と発言し(二十日)、クウェートから海軍の軍艦数隻が入港した(二十一日)。サウジとアラブ首長国連邦によるこの軍事侵略以降、野党指導者・人権活動家・医師が次々に逮捕されている。
 二十二日、犠牲者の葬儀が数千人の抗議デモになり、「ハリファ王室に死を」「サウジ軍は撤退しろ」の声が上がった。クウェート政府による仲介の申し出をイスラム国民統合協会は受け入れたが(二十七日)、政府当局は結局同協会の解党手続きを裁判所に申し立てた(四月十四日)。反政府行動の圧殺であり、王制派与党一党独裁体制への移行だ。今も活動家やブロガーの逮捕が続いている。

 ◆⑤サウジアラビア

 三月四日、東部のシーア派住民が政治犯釈放を求めて小規模デモを行ったが、翌日、デモ禁止の国内法を厳しく執行すると内務省が発表。十日に シーア派住民六百~八百人がやはり政治犯釈放要求デモを行うが、治安部隊が発砲。十六日にはシーア派住民らがサウジ軍バーレーン派兵反対デモを行った。四月に入ってもバーレーンのシーア派住民への支援を要求するシーア派住民がデモを行っている。

 ◆⑥オマーン

 二月中旬に民主化運動が始まった。数百人が民主化要求デモ(十九日)、国王カブースが閣僚六人を解任するが(二十六日)、北部の反政府デモに警官がゴム弾を発砲して六人が死亡(二十七日)。三月五日には閣僚二人を解任。四月一日、北部で数百人が失業対策や政治犯釈放を要求する抗議デモをし、治安部隊の弾圧で一人が死亡。

 ◆⑦イラン

 二月十四日、首都テヘランで数千人がデモ行進し、二人が死亡。十六日、犠牲者の追悼デモと政府支持派が衝突。二十日にも大規模デモがあったが、二十四日には改革派指導者が拘束される。三月一日、テヘランなどで数千人がデモを行ったが、その後は治安部隊によって押さえ込まれた模様だ。

 ◆⑧シリア

 三月中旬以降、南部のダルアー市をはじめ各地で民衆デモが本格的に展開。民主化・汚職防止・戒厳令解除などを要求。シリアでは若者の失業率が30%に上っている。「シリア革命二〇一一年」などフェイスブック・グループの影響が大きいとも言われている。デモに対し治安部隊が発砲し、多数の死傷者が出ている。十八日以降ほぼ毎日デモが続き、二十五日には全国で数万人が結集。その後も連日のデモ。二十九日に内閣が総辞職する一方で、大統領派が首都ダマスカスで数万人の集会を開く。翌三十日に大統領アサドが民主化デモを「外国の援助による陰謀」と決め付けた。四月八日のダルアーでのデモに対する弾圧でデモ隊二十四人、治安部隊十八人が死亡した。

 ◆⑨ヨルダン・オマーン

 一月後半以降四月中旬に至るまで反政府デモが継続。弾圧による死者も出ている。

 ◆⑩リビア

 二月中旬に始まった反政府デモに対し政府が軍事弾圧による虐殺で応え、内戦に突入し、それが現在も続いている。
 二月十六日にカダフィ大佐退陣要求デモが始まり、各地に拡大した。反政府派が第二の都市ベンガジを掌握し、首都トリポリでも数千人のデモが起きたが(二十日)、政府がデモ隊を空爆し、無差別銃撃した(二十一日)。以後、帝国主義の介入策動が本格化する。二十六日、国連安全保障理事会が対リビア制裁決議を全会一致で採択。反体制派が国民評議会を結成した翌日の二十八日にEUが対リビア独自制裁を発動。
 三月一日、国連総会でベネズエラ・キューバ・ニカラグアが米国の対リビア軍事介入の危険性を批判。しかし、政府軍の攻勢に押された国民評議会が外国軍の空爆を訴え(三月二日)、フランスが国民評議会を承認(十日)、アラブ連盟による国連安保理に対する飛行禁止空域設定要請の決定(十二日)を経て、国連安保理が「市民の保護と援助物資の搬入を目的とする飛行禁止空域の設定に向けたあらゆる措置を認める」とする対リビア武力行使容認決議一九七三号を賛成十カ国、棄権五カ国(ロシア、中国、ドイツ、インド、ブラジル)で採択した(十七日)。
 十九日、この決議を根拠に米英仏帝を軸とする多国籍軍がアラブ連盟の同意を得た上でリビアへの軍事侵略「オデッセイの夜明け」を強行した。空爆と艦船からのミサイルトマホーク計百二十四発発射。軍事作戦の指揮権が二十三日より米軍からNATOに段階的に移され、三十日に完了した。空爆は今も続いている。二十八日にはカタールが国民評議会を承認した。
 四月一日と七日、多国籍軍が反体制派部隊を誤爆し多数の死傷者が出た。七日、トルコ政府が調停案の骨格を発表。十―十一日にアフリカ連合が調停を試みるが失敗。十三日にNATO主導の「コンタクトグループ(関係国会合)」が初会合。十四日にリビア政府軍がクラスター爆弾を使用したとヒューマン・ライツ・ウォッチが発表(リビア政府は否定)。十五日、米英仏首脳がカダフィ退陣まで軍事作戦を継続するとの共同書簡を発表し、NATO事務総長がこれを支持。これにより帝国主義のリビア侵略の目的がリビアの体制転覆であることがあからさまになった。


 ●2 リビア情勢をどう見るか


 ▼(1)帝国主義のリビア侵略弾劾


 われわれはリビア内戦に対する帝国主義のあらゆる干渉に反対し、米英仏主導の軍事侵略およびその根拠となった国連安保理決議一九七三号を弾劾する。NATOを中心とする多国籍軍はリビアへの軍事侵略を直ちに中止しろ。
 帝国主義のリビア侵略は自国の利益を守るためのものであり、「人道目的」などというのは見せ掛けに過ぎない。イラクとアフガニスタンに対する侵略戦争がまさにそうだったし、今もそうではないか。構図は全く同じだ。世界の石油生産量の2%を占めるリビアに石油業界をはじめ企業をどんどん進出させ、兵器を売りまくって莫大な利益を上げ、その兵器が民衆弾圧に使われることには目をつぶり、カダフィ一族の独裁政治と私服を肥やす仕業を分かっていながら許して実質支持してきたのは他ならぬイギリスでありフランスではないか! ブルジョア新聞ですら「北アフリカの権威主義的体制が欧州南翼の安全保障の防波堤になっていた」「イスラム過激派の台頭を抑え、不法移民の欧州への流入を防ぎ、天然ガス・原油など資源の欧州への配分を保証していた」(『毎日新聞』)と言わざるを得ないほどひどいのだ。米帝とイラクの関係と全く同じ植民地支配の論理そのものだ。自国の大手石油資本がリビアに進出しており、石油権益をカダフィと分かち合ってきた仏英帝は、イラクとアフガニスタンの状況を想起しつつ、「混乱」の長期化によってリビアからたくさんの移民もしくは難民が来ること、および「テロリスト」の根拠地になることを恐れて、早めにけりを付けたかったのだ。英仏帝が今回の侵略を米帝よりも積極的に推し進めた理由はそれだ。実際、英帝キャメロンは軍事侵略を国益に基づく必要な戦争と露骨に叫び、「欧州の境界で破綻国家を受け入れることは断じてできない」と強弁している(三月二十一日)。重要なのはリビア民衆の命ではなく「国益」なのだ。
 それだけではない。英帝は前労働政権時代以来チュニジア・エジプト・バーレーン・イエメン・シリア・リビアへ武器や軍装備を輸出してきた。「リビアに催涙ガスや戦闘用ショットガンなど、バーレーンに狙撃銃や軽機関銃、戦闘機の部品など、シリアに暗号作成・解読用の装備や弾薬、イエメンに防弾着や暗視ゴーグルなどの輸出を許可した」(同・『毎日新聞』)。キャメロンは今年一月のチュニジア民衆蜂起を受け、あわててアラブ諸国への武器輸出許可を取り消したというざまだ。リビア政府軍を強大な軍隊に育て上げてきたのは他のでもない、帝国主義の政府であり軍事産業なのだ。それでも足りず、多国籍軍は「民間人保護のための空爆」とほざきながら「誤爆」で反体制派の民間人を二度にわたって殺しているではないか。帝国主義者こそ死の商人だ。奴らは自国では労働者の生活を破壊し、イスラム教徒の人権を踏みにじって、抗議行動には血の弾圧をいとわない。他国の「人道」とか「人権」とかを語る資格などあるわけないではないか。
 米帝オバマは、責任と費用を分かち合おうという「オバマ・ドクトリン」を唱えて、イラクとアフガニスタンを抱えていて人も金もないからリビアのことは欧州でやってくれと演説した(三月二十八日)。実際、米軍は軍事侵略のはじめの数日間だけ主導し、あとは指揮権をNATOに渡して早々に後方へ退いた。しかし、米帝はその一方、リビア国内でCIAを活動させ、情報収集と反政府派への浸透および管理に全力を挙げている。
 全身が人民の血にまみれた帝国主義者はリビア侵略を直ちに中止し、リビアに対する一切の介入を中断しろ!


 ▼(2)リビア政府による民衆虐殺反対!

 英帝から買った催涙ガスや戦闘用ショットガンを使って、民主化を要求する民衆をなぶり殺しにする血塗られたリビア政府をわれわれは絶対に許さない。非武装のデモに空爆と無差別銃撃を加えて皆殺しにしようとするカダフィとその一族の蛮行に口をつぐむことは共産主義者として絶対に許されない。
 帝国主義との政治的経済的軍事的結託、新自由主義政策の導入と自国および移住労働者人民への搾取の強化、政治的自由の蹂躙と反対活動の徹底した取り締まり、政治の私物化、不正腐敗の蔓延、経済的利益の独占、相互監視体制の構築……現在のリビア支配層の政治は独裁そのものではないか。そこには反帝国主義も社会主義も何一つない。その出発点が王制打倒のクーデターであり、汎アラブ主義的社会主義の理想を掲げた建国であり、パレスチナ人民の闘いに対して大きな支援を続けてきたことは肯定的に評価する。しかし、二〇〇三年の核放棄を契機とした米帝など帝国主義との関係改善さらには癒着化で、リビアは名実ともに帝国主義と運命共同体になってしまった。帝国主義による軍事的恫喝も経済封鎖も孤立化策動もなく、むしろ逆に帝国主義とがっちり手を握り合っていたのだ。国際階級闘争の観点からしても、繰り返しになるが、そこには反帝国主義も社会主義も何一つないのだ。
 リビア政府は民衆虐殺を直ちに中止しろ! カダフィは民衆虐殺の責任を取り退陣して、リビア政府は反政府勢力との話し合いを通じて事態の平和的解決を図れ!


 ▼(3)反独裁民主化闘争と自決権を支持する

 チュニジアとエジプトの民衆蜂起を受けて二月中旬に沸き起こったリビアの反政府民主化デモはほとんど自然発生的なものだった。ところが、敵殲滅の論理による政府の空爆と無差別銃撃によって幼児や老人も区別なく虐殺される血の弾圧を受けた。国軍を離脱した兵士が民衆の隊列に合流して武装化が東部および西部ですすんだが、首都トリポリでの非武装デモはおびただしい流血とともにすぐさま軍事的に鎮圧された。政治デモは各都市での市街戦から全国的な内戦へ転化した。
 反政府勢力は最初の数日間攻勢で、首都トリポリを東西から挟み撃ちにするほど政府を追い詰めた。しかし、政府が反攻し、軍事局面は均衡まで押し戻される。政府を離れた政治家も合流した反政府勢力が二十七日に国民評議会を結成するが、この時点では外国の軍事介入には否定的だった。だが、三月二日には外国軍の空爆を要請。これが十九日の多国籍軍の軍事侵略につながった。その後、帝国主義諸国・国連・アラブ連盟との協議を重ねているが、「正体が分からない」「過激主義者が入っているのではないか」と帝国主義者から警戒されてもいる。
 われわれは国民評議会が帝国主義者に支援を求めた行為を絶対に容認できない。だが、反政府勢力を「帝国主義の傀儡」とレッテルを貼って切り捨てる冷笑主義も誤りだ。彼ら彼女らがそうしたのは、そういう路線だったからか? 違う。生き死にのかかった時に、他に支援を頼める先がなかったからだ。つまり、批判する自由を形式民主主義であれもっている帝国主義足下の共産主義者、労働者階級であるわれわれもふくめた国際共産主義運動の決定的な弱さが生み出した事態なのだ。自然発生性と結びつけず、当面の連帯も支援も全くできていないわれわれの圧倒的な力量不足がもたらした情況なのだ。
 帝国主義の介入と侵略を許さず、リビア政府による虐殺行為を阻止して、リビア労働者階級人民が自らの解放を掴み取る道筋を歩んでいくためにはどうしたらいいか、どうすべきか、何ができるかを、今すぐ見出すことは正直難しい。だが、それでもそれを国際労働者階級の同じ一員として考え抜き、実践していこう。リビア民衆の反独裁民主化闘争と自決権を支持し、労働者解放の道をともに進んで行くために闘おう。


 ●3 革命の先頭に立つエジプトの青年運動

 チュニジアとともにエジプトは独裁打倒に続く民主主義革命の第二段階に入っている。今後それがどのような方向に進んでいるかは階級闘争がどうなるかにかかっている。
 「帝国主義諸国は革命の進行に対し、当該国の支配階級及び軍と緊密に連絡を取り管理して、民衆の諸要求や反政府勢力を一部取りくんで不満のガス抜きを図りつつ、資本主義体制の枠内でのよりましな、より民主的なブルジョア独裁を維持しようと必死に動き回っている。公務員給与や年金の引き上げ、新自由主義政策の一部見直し、政治的自由の一部緩和がそれだ。だが、労働者人民の民主主義的諸要求は既存の政治経済社会体制と早晩ぶつからざるを得ない。自らの解放のためには資本主義の枠組みを突き破らなければならないという、始まった革命を完遂させるという課題が将来必ず浮き上がってくるのだ」(前掲戦旗論文)。
 エジプト民衆蜂起を牽引した二十―三十代の若者たちのグループである「革命青年連合」は、青年ムスリム同胞団、公正と自由青年運動、四月六日青年、青年エルバラダイ支援運動、全国変革会議青年部、青年尊厳党、青年代表者党、未来青年党、青年集会、独立青年、「ブロガーと活動家」、以上の組織によって構成されている。その要求項目は以下のとおりだ。
 ①旧憲法の解体と新議会の形成に続く新憲法の制定、②戒厳令の解除、③暫定政権の再編成と議会選挙および大統領選挙の年齢の引き下げ、④結社の権利、労組結成の権利、言論の自由、⑤労組と学生自治会の法的保障、⑥一月二十五日闘争前後の政治犯の釈放、⑦支配与党の財産と本部事務所の国庫返納、⑧エジプト国家保安省の解体、⑨大学警備員の追放や労組選挙管理法の廃止などの実行、⑩政治的権利の確立、⑪地方自治の確立。
 総じて民主主義を闘い取る、政治的自由を獲得するということが目標だ。経済構造変革の項目はない。先進的な青年民主主義グループは今のところ事実上の暫定政権=軍最高評議会と友好でありながらも要求はしっかり突きつける関係を保持し、それを部分的に実行さえさせている。問題は今年秋の議会および大統領の選挙の結果とその後の闘いだ。国軍の背後には米帝がいて、民主主義を徹底化しようとすれば、また資本主義経済構造の根本的に着手しようとすれば、支配階級およびその背後にいる米帝との激突は避けられなくなる。「革命青年連合」や労働組合がどのように力量を形作っていくのか、今後生まれてくるであろう社会主義者の組織と運動がどのように闘争を準備し実践していくのか。
 「われわれは、北アフリカ・中央の民主主義民衆革命を断固支持するとともに、その只中で社会主義革命の展望を切り開こうと奮闘している社会主義者・共産主義者と連帯・交流し、民主主義革命の社会主義革命への転化を目指す努力を支援していこう。(中略)
 労働者人民が最後には必ず勝つのだという確信を北アフリカ・中東の民衆は血を流し、命をかけて示している。われわれも彼ら彼女たちに続こう。国際連帯―国際階級闘争の前進・日本革命勝利こそが北アフリカ・中東人民への最大の連帯だ。未視の世界革命の勝利に向かって前へ前へ進んでいこう」(前掲『戦旗』論文)。
 プロレタリア国際主義と組織された暴力の旗の下、日本労働者階級人民は北アフリカ・中東の労働者人民に結びつき、ともに闘おう。



 

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