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   ■韓国労働運動―「解雇は殺人だ!」

      双龍自動車労働者の闘いは終わっていない

        


 
 韓国の金属労組双龍自動車支部が「解雇は殺人だ!」というスローガンを掲げて決死の工場占拠ストライキを開始してから、まる四年が過ぎた。AWCは今年三月に台湾で開催された年次全体会議(CCB)で、今も続く双龍自動車の労働者に連帯・支援する決議を挙げた。この機会に、双龍自動車労働者の闘いの今をまとめてみた。

 ▼1 8・6合意を反故にする双龍自動車と韓国政府

 二〇〇九年五月二十二日、双龍自動車大量整理解雇計画の全面撤回を求めて、双龍自動車労働者は日々働いてきた工場を占拠するストライキに突入した。ストライキは七十七日間におよび、数次に渡る会社・警察の突入、ライフラインまで遮断するスト鎮圧過程で投入された警察特攻隊との文字通りの戦争を経て、スト参加組合員九百七十六人中52%が整理解雇、48%が無給休職(一年後復職)という「労使大妥協」に合意する形で、労働者たちは八月六日、七十七日ぶりに工場を出た。中国上海自動車が技術だけを盗んで法定管理を申請し「食い逃げ」を決め込む中で提出された大量整理解雇案の全面撤回と総雇用を求めた七十七日間工場占拠ストライキの全過程とその評価は、韓国のハンネ出版から出た双龍自動車支部七十七日ストライキ闘争白書「ヘゴヌン サリニダ(解雇は殺人だ)」(二〇一〇年一月)に詳しい。同じくハンネ出版から、もう一つの闘争主体であった双龍自動車家族対策委員会の闘いを記録した「ヨンドゥセク ヨルム(薄緑色の夏)」(二〇〇九年十二月)が出版されており、また昨年夏には、韓国の人気作家コン・ジヨンの初ルポルタージュ「双龍自動車物語 ウイジャノリ(椅子取りゲーム)」が発表されて話題を呼んだ。
 アジア共同行動(AWC)日本連絡会議では、ストライキ中の二〇〇九年七月二十五日付で「警察権力行使の即時中止、暴力的で殺人的な弾圧の即刻中断、警察権力・武装ガードマンの撤退、一方的な大量解雇の撤回」などを要求する李明博大統領宛の抗議文FAX送付を呼びかけ、続いてストライキが終結したその場で連行・逮捕された双龍労働者への激励の手紙送り運動を組織した。またその後三年間服役することになるハン・サンギュン委員長をはじめ労組活動家たちが収監された刑務所への激励面会も行なってきた。二〇一〇年六月アジア共同行動では双龍自動車整理解雇者特別委員会のイ・ヨンホ議長を招請して、映画「あなたと私の戦争」の上映と合わせて各地で講演集会を行い、その年のAWC日本連夏期訪韓団は平澤の双龍自動車工場前に開設された双龍自動車支部の新組合事務所を訪問して工場占拠ストライキ参加労働者たちと交流もした。また、昨年のAWC夏期訪韓団など機会あるごとに、双龍自動車労働者の闘いの現場を訪問して交流してきた。
 七十七日ストライキが終わってから、会社側は会社の意志を労働者に強制する100%御用労組の企業内労組をでっち上げ民主労総から脱退させた。工場内では非人間的な労働強化が労働者に強要され、工場外では機械化されたチェックゲートが新たに設置された平澤の双龍自動車工場正門で工場を追われた金属労組双龍自動車支部の組合員が、出勤闘争を展開した。無給休職者への一年以内の復職の約束はいつまでたっても果たされず、不当な無給状態を強制するなど会社側が8・6合意の内容を何一つ履行しないまま、双龍自動車は二〇一一年初めにふたたびインド・マヒンドラ社に捨て値で売却された。法定管理が終了し双龍自動車の経営が正常化されたにも関わらず、解雇者の復職はもちろんのこと無給休職者の職場復帰さえも実現されなかった。
 双龍自動車労働者との約束を履行しないのは会社だけではなく、韓国政府・政界も同様だ。大規模整理解雇を可能にするための不正な会計処理が行なわれたのではないかという疑問に対して、双龍自動車支部労組は一貫して双龍自動車整理解雇問題に関する国政調査を要求してきた。しかし韓国政府は、昨年十二月の大統領選挙時の人気取りとして双龍自動車への国政調査をすると約束しておきながら、朴槿惠政権が成立するやその約束を反故にして一貫して国政調査要求を無視している。マヒンドラの社長は、整理解雇問題を解決せよという要求を無視し、国政調査を強要するなら投資はしないと恫喝している。

 ▼2 労働者にあ押し付けられる「死の行進」

 二〇〇九年四月八日、双龍自動車が総労働者数七千百七十九名の37%にあたる二千六百四十九名の大量整理解雇案を発表したとき、一人の双龍自動車非正規職労働者が自ら命を絶った。それが一番目の死だった。以降、問題解決が長期化するなかで、全部で二十四人の双龍労働者と家族が問題解決を見ることなく、自殺、またはストレス性疾患によって生活を破壊された末に亡くなっていった。とりわけ二〇一一年末から二〇一三年初頭にかけてのわずか一年二ヶ月の間に新たに六人の双龍自動車の労働者とその家族の死が相次いで発生し、これによって双龍自動車問題は大きな社会問題となった。二〇一一年十一月八日に十八番目の死者(整理解雇者ではないいわゆる「生き残った者」の自殺)が発生し、そのわずか二日後の十一月十日には七十七日間ストライキに参加した後に希望退職に応じた双龍自動車労働者の妻の死が「十九番目の死」として報じられた。工場を離れた多くの労働者と同様に家も車も売って双龍自動車工場のある平澤を離れたこの家族は夫が別な地方に日雇い労働に行っている間に妻が亡くなり、子供たちは起きてこない母親を心配して遠方の父に電話をしたが、電話機の故障でようやく連絡がついたのは二日後であったという。この悲惨な死の知らせに、「二十番目の死者を出すな」と双龍自動車支部の労働者は平澤の双龍自動車工場前に「希望テント」を設置して「ともに生きよう」と訴え続けた。その後も「死の行列」は止まず、二〇一二年一月には五十六歳の希望退職者が二十番目の犠牲者となった。彼は整理解雇対象者となり希望退職に応じたが、会社側は整理解雇を強要しておきながら現場が人員不足に陥るや再度彼を呼びつけ正規職で再雇用してやると約束し、にも関わらず当該部署で教育が終わったとたんに契約を解除した。この労働者はその後日雇いで生計を維持しながら鬱病、アルコール依存症になったという。その後も二月十三日には、整理解雇で退職後、糖尿病治療をきちんと受けられず合併症にかかった労働者が亡くなった。三月三十日には、十五年勤務した果てに整理解雇対象者となり七十七日ストライキに参加して最後まで希望退職を拒否したが解雇者となった三十六歳の男性が自宅マンションから投身自殺した。十月八日には同じく糖尿病の合併症によって労働者が死亡したが、彼は兄弟三人すべてが双龍の労働者で全員希望退職という形で工場を離れている。さらに今年に入り一月八日には双龍自動車工場で労働者が自殺を試みて脳死状態になった後に死亡している。

 ▼3 労働者に苦難を強いる整理解雇の実態

 こうして二十四人が無念の死を遂げた。が、双龍自動車支部は、死者の数だけでなく、一人一人がどのような苦境に置かれた結果の死であるのかを知ってほしいと繰り返し訴えている。亡くなった人々は、正規職、非正規職、希望退職に応じた者、解雇者、無給休職者、その家族たち、そして整理解雇対象者ではなく工場に残った現役の労働者までさまざまである。整理解雇対象者となり希望退職に応じた労働者は、その後の再就職活動のなかで双龍自動車出身であるという理由だけで再就職に失敗した。無給休職者は、給与は支払われないが会社に籍があるため求職活動をすることができず、日雇い労働者や代理運転などで辛うじて生計を維持するなかで自殺や病死に追い込まれた。双龍問題の中で資本側は、労働者を整理解雇名簿に載った人(「死んだ者」)と、載らなかった人(「生き残った者」)に分けて分断しようとしたが、増え続ける双龍自動車労働者と家族の死の行進は、整理解雇対象者となって工場から追い出された者だけでなく、「生き残った者(非解雇者)」にとってもその後の双龍自動車工場がどれほど生き難い場所であったのかを如実に物語る。一つ、また一つと増えていく焼香場に掲げられた顔のない遺影が、語れないままにこの世を去らねばならなかった整理解雇の実態を伝え、その責任を資本と政府に取らせねばならない。

 ▼4 労働者・市民・学生が支援、皆で守り抜く仮設焼香場

 二〇一二年に入って二十二番目の死者が出たことを契機に、ソウル徳寿宮大漢門前に双龍自動車労働者の死を悼み整理解雇問題の一日も早い解決のために国政調査を行なえという対政府要求を掲げたテント焼香場が作られた。その時から多くの労働者・市民・学生たちが入れ替わり立ち替わりテントを訪れ、食糧や支援物品を持ち寄って双龍自動車支部の労働者とともに双龍整理解雇問題の解決を要求して闘い始めた。十月八日に二十三番目の死者が出たときは、この大漢門焼香場で双龍自動車支部キム・ジョンウ現委員長がハンストに突入し、一ヶ月半に及ぶハンストを闘った。テントの数も増えすっかり街の風景のなかに定着して多くの労働者・市民・学生たちの日々の拠り所となっていたテント焼香場に対して、区当局は「美観」を口実に数次に渡る撤去攻撃をかけた。今年三月の放火事件によるテント全焼、四月初めのテント焼香場への行政代執行によって跡形もなく破壊された後に当局は巨大な花壇を設置したが、ふたたび集まった人々によってビニールを張った仮設の焼香場が再建され、今も労働者・市民・学生たちが仮設焼香場を守り続けている。

 ▼5 双龍自動車国政調査を実現させ問題解決めざす

 平澤の双龍自動車工場前では、十五万ボルトの電流が流れる工場そばの送電塔での高空ろう城闘争を闘うハン・サンギュン前支部長たちの闘いが継続されてきた。七十七日間ストライキを主導したハン・サンギュン双龍自動車支部前委員長は、三年の実刑判決を受けて長期獄中闘争を闘い、昨年八月四日に満期出所したが、大漢門焼香場で一ヶ月半の長期ハンストを続けた現委員長を引き継いで、昨年十一月二十日から非正規職労組副支部長ら二名とともに送電塔での高空ろう城闘争を開始した。途中、一名は体調悪化で高空ろう城を中断せざるをえなかったが、ハン・サンギュン前委員長らの高空ろう城は半年に渡って継続された(この報告を書いている五月九日、二名は健康悪化のためろう城を中断し百七十一日ぶりに送電塔から降りた。ハン・サンギュン前委員長は、「双龍自動車問題の解決のための送電塔に登ったが一歩も前に進めないまま降りることになって残念。朴槿惠政府と国会は双龍自動車国政調査を通じて非正規職、整理解雇問題を解決せなばならない」と引き続き国政調査を実現するために闘うと決意を語っている)。
 このような闘いが継続されるなか、双龍自動車は今年一月ようやく無給休職者四百五十五名の三月工場復帰を発表した。しかしそれ自体が国政調査を求める世論の高まりの中で国政調査を逃れるための方便であり、四年近くにわたって放置しつづけたことへの一言の謝罪もない。その後二ヶ月近くに渡る会社の教育課程では、七十七日間のストライキの記憶を消すための洗脳教育が行なわれ、工場復帰が遅延させられた期間の当然会社が補償すべき給与の支払を求める賃金請求訴訟の取り下げ強要と、将来いかなる民事刑事訴訟も起こさないという覚書の強要が行なわれたと労働者たちは証言している。労働者に対する「赤狩り」そのものである。
 二〇〇九年七十七日工場占拠ストライキから四年、二十四人の犠牲者を出しながらも、正規職と非正規職が団結してともに闘い、「解雇は殺人であり、整理解雇を強行すれば資本と政権は手痛い反撃を受ける」ことを身をもって全世界に知らしめた双龍労働者の闘いは今も終わっていない。引き続く注目と、持続的な連帯行動を呼びかける。



 

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