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   ドゥテルテ政権と対決する
   フィリピン革命運動への連帯を


 

 ドゥテルテ政権による強権支配と民衆弾圧は、年を追うごとに強まっている。とりわけ、二〇一七年一一月から一二月にかけてドゥテルテがフィリピン民族民主戦線(NDFP)との和平交渉の打ち切りを発表し、フィリピン共産党(CPP)と新人民軍(NPA)を「テロリスト組織」に指定すると宣言して以降、民族民主主義勢力に対する弾圧が強まり続けている。これに対してフィリピン革命運動は、「全面的抵抗」を掲げてドゥテルテ政権の攻撃と真っ向から対決している。

 ●1章 拡大するフィリピンの軍事化

 すでに三年半におよぶフィリピン南部・ミンダナオ島での戒厳令は、その後二度にわたって延長され、その期限が今年一二月で切れる。しかし、ドゥテルテ政権はその再延長をちらつかせている。
 そもそもミンダナオでの戒厳令は、ISとつながりを持つとされたイスラム武装勢力の掃討を口実に布告されたものである。しかし、その戦闘は数ヵ月のうちに終了している。いまや長引くミンダナオでの戒厳体制の真の狙いが、ミンダナオにおける革命運動―民族民主主義勢力の鎮圧にあることがますますはっきりとしてしている。そしてまた、戒厳体制の中で、先住民族ルマドや労働運動活動家などに対する弾圧、政治的殺害が拡大してきた。
 フィリピンにおける軍事化は今日、ミンダナオを越えて拡大している。昨年一一月、ドゥテルテ政権は「覚書命令第三二号」を発した。これは、「不法な暴力とテロ行為を抑制する」という口実で、ネグロス島、サマール島、ビコール地方に国軍と警察を増員配備するというものである。以降、とりわけネグロス島において農民や人権活動家に対する超法規的殺害が拡大し、今年三月にはネグロス島で一日のうちに一四人の農民が国軍と警察によって殺害されるという事件が起こった。国軍と警察は彼らは「新人民軍(NPA)のメンバーだった」としてこの超法規的殺害を正当化し続けている。
 ドゥテルテはさらに、昨年一二月には「大統領令第七〇号」を発出した。これは「地方での共産主義者の武力紛争を終わらせる」ためにドゥテルテを長とするタスクフォースを設置し、「国を挙げたアプローチ」で取り組むというものである。その枠組みの下で、一方では地方での国軍による軍事作戦を強化し、他方では合法的な大衆団体に「共産主義者のフロント組織」というレッテルを貼って大衆運動活動家を弾圧するという手法が拡大している。
 新民族主義者同盟(BAYAN)は次のように述べている。「大統領令第七〇号の実施はすぐさま、自らが耕す土地のために闘う農民、鉱山会社や木材会社の収奪と闘う先住民、弁護士、宗教者の殺害をもたらした。それはまた、でっち上げの容疑での和平交渉担当者や人権擁護活動家の勾留、活動家に対する犯罪者視、ジャーナリストや研究者など政権を批判する人々に対する嫌がらせ、いわゆる『共産主義テロリストの脅威』を抑えるために大学内に軍隊を配置するという恫喝、労働組合の権利のために闘う労働者や居住の権利のために闘う都市貧民のコミュニティーに対する嫌がらせをもたらしている」。
 また、ここにも触れられているNDFPの顧問メンバーらのでっち上げの容疑での逮捕・勾留は、和平交渉の打ち切り宣言以来、何度も繰り返されてきた。今年一月には、NDFPの和平交渉担当者の一人に対する暗殺事件さえ起こった。また、今年八月末には、マニラ地裁がマルコス独裁末期の一九八五年に起こったとされるでっち上げの殺人事件の容疑でホセ・マリア・シソン氏ら三八人の逮捕令状を発行している。すでに亡くなっていたり、シソン氏をはじめ弾圧のために当時収監中だった人物を含むデタラメなものである。
 こうした中で、ドゥテルテは今年九月、あらためて「共産主義者に対する全面戦争」を宣言している。

 ●2章 フィリピン革命の前進に連帯を

 しかしながら、このようなドゥテルテ政権による攻撃と弾圧の拡大にもかかわらず、それはフィリピン革命運動の前進を押しとどめるものとはなっていない。
 NDFPとの和平交渉の打ち切り直後、ドゥテルテと治安当局は二〇一九年中盤までにNPAを打ち負かすと語っていた。しかし今ではそれをドゥテルテの大統領任期が終わる二〇二二年六月までとトーンダウンさせている。ドゥテルテ政権のこの新たな目標も、実際には実現不可能なものである。
 CPPは昨年一二月に、NPAは今年三月に、それぞれ創設五〇周年を迎えた。
 CPPはドゥテルテ政権発足直後に成立した停戦期間を活用して、二〇一六年一〇月から一一月にかけて非公然に第二回党大会を開催し、党建設の歴史的総括を行い、当面する情勢に即した党の任務を鮮明化し、新たな指導体制を確立した。
 五〇年前に数十人の兵士とわずかな銃火器で出発したNPAは、報告によれば、今日ではフィリピン全八一州のうち七〇州・七〇〇市町で活動し、フィリピン国軍と対峙する一二〇以上のゲリラフロントを有するまでに成長した。ドゥテルテ政権による抑圧は、より多くの人々、とりわけ青年たちをNPAの活動へと決起させている。
 同時に、NPAは政治的軍隊であり、農村部における組織者集団である。「武装闘争を遂行しつつも、NPAと農民大衆は、農民、女性、子ども、文化活動家の大衆組織を設立・強化し続けている。これらの組織は平和と秩序とコミュニティーの防衛に役立つよう自衛委員会を建設している。……これらはみな、政治権力機構および人民民主主義政府の基本単位となる村落やより広い範囲での革命委員会の形成の根拠となる。農民大衆組織は、NPAに支援され、党の農地改革に関する革命的指針に沿って農地改革闘争を遂行し続けている。……政治権力機構の支援の下で、子どもや大人のための読み書き・計算プログラム、診察・保健キャンペーン、生産増強、文化活動など、人民の福祉に取り組む大衆活動が行われている」(CPP中央委員会論文・一九年三月)。
 フィリピン人民の革命運動を防衛し、その前進に連帯していくことは、日本を含む帝国主義本国の革命運動、労働者人民の闘いの重要な国際主義的任務の一部である。ドゥテルテ政権と対決するフィリピン革命運動への連帯をさらにいっそう強化していこう。



 

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