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 新たな希望 二〇一九年の課題と闘い(全文)
  
レナート・レイエス・ジュニア(BAYAN事務局長) 翻訳 高橋功作
〔翻訳にあたって:フィリピン民衆団体の連合組織である新民族主義者同盟(バヤン)の事務局長レナート・レイエス・ジュニア氏がフェイス・ブックで発表した文章を二回に分けて紹介する。フィリピン人民の置かれた状況と闘争課題を理解する一助になれば幸いだ。(高橋功作)〕


 二〇一九年という年はフィリピン人民にとって最も厳しい一二か月間に他ならなかった。様々な戦線で政治的抑圧がかつてないほど激しくなっていくのを私たちは目撃した。攻撃は残忍かつ危険なもので、私たち全体の反撃の決意が問われた。現体制が選択し維持している新自由主義政策が続き、停滞するフィリピン経済は新たな困難にぶち当たった。二〇一九年は人権、国家主権、民主主義、法の支配が攻撃にさらされた。フィリピンの闘う人民はこうした中で、現場に立ち、目覚ましい前進をなしとげ、圧政を跳ね返し、人民のための勝利を刻印した。

 ●1 ファシズム攻撃を跳ね返す

 二〇一九年は最悪の人権侵害が起こった。ネグロス島での殺人と大量逮捕、東ビサヤ地域での国軍の軍事作戦、ミンダナオでの戒厳令の継続、マニラで捏造された容疑と逮捕、麻薬との戦争における超法規的殺人、学問の自由と団結する権利と表現の自由とに対する赤狩りおよび弾圧がそれだ。政府機関である「地方武装対立終結特別委員会」は醜悪な指導部を持ち、「反乱鎮圧」の名の下で反対意見への弾圧を指揮した。この「国を挙げての取り組み」は、官僚全体が反乱鎮圧に従事する「兵器化」と軍事作戦を必要とした。
 「ネグロスを守れ」の声は拡大して、超法規的殺人、大量逮捕、いやがらせ、軍事作戦に直面しているネグロスの人々に連帯する活動を人権活動家が行った。ネグロスの勇気ある人々は圧政に抗して立ち上がっているが、同島で起こった一連の暴力的な攻撃に抗して示された国内外の連帯活動が支えたことも大きい。たくさんの人々がでっち上げの容疑で今なお監獄におり、サガイの九人、ベン・ラモス弁護士、トト・パティガス、アンソニー・トゥリニダッド弁護士をはじめ殺された多くの人々の正義は未だに回復されていない。
 一〇月三一日にネグロスの活動家組織の合法的な事務所が家宅捜索されて、未成年者を含む五一人が逮捕された。これはフィリピンの現代史における活動家に対する最悪の大規模政治弾圧の一つだ。逮捕された人々の大多数は結局、確かな証拠がなかったり、又は保釈金を払ったりして、保釈された。だが、捏造された容疑や証拠で投獄されている人々も多数いる。同じ頃にマニラでも活動家五人が逮捕されたが、その逮捕令状とネグロスの家宅捜査令状は同じ裁判官が承認していた。
 激化する攻撃に直面する中で人民はこれに抗して大衆行動を起こし、虐待されている人々への注意を全国的に喚起し、連帯を作り上げ、人権を守れという声を拡げていった。国軍のついた嘘は、合法的な活動家の事務所の家宅捜索に使われた偽の捜査令状の作成を含めて結局暴露された。連帯派遣団が立ち上げられて、  多くの被逮捕者の保釈を実現するに至った。
 マルコス元大統領の戒厳令が施行された日である九月二一日と国際人権デーの一二月一〇日には圧政と独裁とに反対するスローガンを書いた横断幕をデモ隊が掲げた。ドゥテルテのファシズム体制の下で悪化する人権状況に全国で数千人が抗議し参加した。人権が侵害されたすべての被害者の正義回復を求める闘いは二〇二〇年も続く。

 ●2 バトって誰?

 先の総選挙で初当選したバト・デラ・ロサ上院議員が八月、未成年者数人が失踪してフィリピン人民軍に入隊させられた模様だと主張しながら、複数の大学で若い活動家を標的にした独自のマッカーシズム=赤狩りの陣頭指揮をとろうとした。しかし、そんな行方不明者は存在せず、その主張がでたらめであることが明らかになった。反対意見を非合法化して学校での学問の自由と活動を攻撃することが実際の目的だった。バトの企みは暴かれ、学生たちは抗議行動と全国縦断キャラバンで反撃した。
 学生活動家を攻撃する演説をバトが行って一週間が経った後、極悪犯罪で有罪となり注目を集めた在監者の早期釈放に関して上院が実施した徹底的な調査において彼は調査対象になった。バトは以前、法務省矯正局の局長を務めており、その監督の下で例外的な仮釈放が実行されていた。

 ●3 主権を守れ!

 二〇一九年の第二のスローガン的課題は西フィリピン海だった。排他的経済水域での主権を守り、現体制のかいらい性を弾劾する運動は愛国勢力の広範な団結を作り出した。フィリピンの主権を中国が侵害することへの抗議が続いた。四月九日、漁船のMVベンゲル号が沈没した一二日後の六月一二日、ハーグ条約記念日である七月一二日、ドゥテルテの所信表明演説に合わせた最大の対中国抗議行動などだ。大衆の圧力に押されてドゥテルテは同演説で中国と西フィリピン海の問題に言及せざるを得なかった。

 ●4 労働弾圧

 二〇一九年には労働者のストライキがいくつか行われ、そのほとんどが雇われチンピラと国軍の暴力的な攻撃にさらされた。注目すべき闘いは、スミフル、スーパー8、ペプマコ、カブヤオとラグナにあるヌートリアジア、ニッシン・モンデ、リージェント・フーズの労働者だ。最大の共通点は、非正規職化、団結の権利、団体交渉、劣悪な労働条件だ。
 労組弾圧は今年に入ってますますひどくなり、警察権力が介入してピケットラインを破壊し、スト中の労働者を逮捕した。最悪の弾圧はヌートリアジア労働者にかけられた。ストライキは暴力的に攻撃され、指導部が逮捕されて数か月間収監された。同様の暴力がパシッグにあるリージェント・フーズの労働者のストライキにも浴びせられ、労組指導部と支援が逮捕された。その時にちょうど折よくパシッグ市長のビコ・サットが介入して、獄中にいた労働者を安全に保釈させた。
 スト中の労働者に対する攻撃は、労働者の権利を踏みにじる企業の商品への不買運動を促進した。ペプマコ、ヌートリアジア、リージェント・フーズの製品に対する不買運動は今も続いている。


●新たな希望
 二〇一九年の課題と闘い(下)


 ●1 選挙闘争

 国会比例選挙区に登録した進歩的な政党と候補者が国家機関の全体重をかけたファシズム的攻撃に直面したので、選挙闘争としては厳しい年だった。体制側はまた、自分たちの候補者が勝利できるための手段として相当な人的物的資源を投入した。〔進歩政党の〕バヤン・ムナ(民衆ファースト)は、下馬評では圧倒的に不利だったにもかかわらず三議席を獲得し、比例選挙区登録政党の中では第二党になった。ACT(教育労働者)、ガブリエラ女性党、カバタアン(青年学生)は各一議席を確保した。農民への攻撃が続く中、アナクパウィス〔労働組合ナショナルセンター「五月一日運動」(KMU)と全国農民組織「フィリピン農民運動」(KMP)を基盤とする政党〕は次回の選挙では必ず良い結果を出すはずだ。五月一七日には千人以上の人々がフィリピン国際会議場に向けてデモを行い、ドゥテルテ体制下での選挙詐欺に抗議した。

 ●2 コメ危機

 今年は米作農家数百万人がコメの自由化及び大量輸入の影響に翻弄されて厳しい状況になった。フィリピンは世界最大級のコメ輸入国という特徴を備えることになり、地域によっては籾米価格が一キロ当たり九ペソに下落した。コメ輸入規制緩和法を廃止するように求める請願書に五万人以上の農民が署名して、農業全般にわたる公的な蹂躙がはっきり感じ取られた。これによって、ドゥテルテが政府に対して国内農家から籾米をもっと買うように命じることになった。しかし、コメ輸入の実質的停止と緩和法の廃止とのための手続きを政府は突然中止した。

 ●3 公共交通の危機

 公共交通の利用者は二〇一九年、バヤンが指摘した「公共交通の危機」から被害を受けた。電車は故障が相次ぎ、ジプニーの段階的廃止が推進中で、長時間の通勤・通学のせいでマニラ首都圏の労働者・学生の生活の質は悪化し続けている。国内の公共交通の整備が遅れに遅れて問題になっているという現実は、大統領府報道官サル・パネロの通勤通学に関する離れ業(commute stunt)をもってしても覆い隠せなかった。交通に関して大衆が必要としている課題について民営化政策はうまく対処できなかった。この問題は二○二○年も続く見通しだ。

 ●4 仮釈放制度と忍者警察

 仮釈放制度に関する徹底した調査の副産物である「忍者警察」の問題でフィリピン国家警察は今も最悪の危機に直面している。市長のアントニオ・サンチェスをはじめとする凶悪犯罪有罪確定者の仮釈放は、仮釈放制度の例外的措置について上院が徹底調査を指揮することにつながった。前法務省矯正局長のバト上院議員ですら、自らの監督下での釈放について責任を追及された。腐敗した官僚制度で起きている多くの出来事よろしく、同制度は金で買われたのかもしれない。
 フィリピン国家警察の主要な調査機関である国家警察犯罪捜査隊の前室長で現バギオ市長のベンジャミン・マガロンが、一連の捜査過程で「忍者警察」問題を提起した。これが、他ならぬフィリピン国家警察長官オスカー・アルバヤルデに焦点を当てた捜査の新段階につながった。非合法麻薬の流通に手を染めていた人物の庇護にフィリピン国家警察長官が関与していたのだ。アルバヤルデは辞任を許されたが、後に非公開で罷免された。ドゥテルテは今に至るまで後任者を指名していない。フィリピン国家警察を二〇二二年まで指揮するよう自治大臣エドゥアルド・アノに命じている。
 また、麻薬との全面戦争はデタラメであることが明らかになった。残忍な麻薬戦争によってもたらされた超法規的殺人の犠牲者数千人に対する正義の回復を多くの遺族が叫んでいる。

 ●5 水の危機と民営化の危機

 マニラ・ウォーターと契約している家庭が突然断水になった三月七日は、水の危機の始まりとして刻印された。マンダルヨン、パシッグ、サンファンの街頭で給水を待つ人々の長い列ができた。マイニラッドでも断水で同じような事態になった。
 水道事業は一九九七年に民営化されたが、またもや供給不足に陥った。民営の水道事業者は幅広い大衆の怒りを買ったが、それは、エルニーニョ現象への備えを怠り、事業拡大に対応できる新たな水資源の確保に失敗したからだ。水道料金値上げの提案は広く反対された。
 結局、水道事業契約が徹底的に調査され、それが民衆にとって負担になり、かつ、ひどく不利なものであることが暴かれた。水道事業の民営化と負担になる契約はもラモス政権時に導入されてアロヨ政権時に拡張されたが、大統領府と法務省の声明はこの問題に対する左翼の見解の正しさを証明する内容だった。ドゥテルテですら、事業民営化認可問題に関して論議した十二月三日にこのことを不承不承確認した。
 断水は続いており、ひょっとすると二○二○年の夏以降まで常態化するかもしれない。民衆は民営化の見直しという結果を期待している。政府は今こそ水道事業を公営に戻すべきで、政権の「お友達企業」に売り渡してはならない。私たちは二○二○年もこの問題を運動として取り組むべきだ。

 ●6 ミンダナオ戒厳令の終了

 二年以上続いたミンダナオ戒厳令が十二月三十一日深夜に終わる。戒厳令施行期には軍・警察による人権侵害と嫌がらせが数多く起こった。農民と先住民族への超法規的殺人、軍隊による地域共同体の蹂躙、少数民族であるルマッドの学校閉鎖、大量逮捕とでっち上げ裁判などがそれに含まれる。
 ミンダナオは現体制による内乱鎮圧作戦の矢面に立ってきた。民衆の抵抗は続いている。最新の世論調査によるとミンダナオ住民の65%が二〇一九年中に戒厳令を終了させることを望むと回答した。

 ●7 和平交渉の継続!

 二〇一九年の終わりに一番歓迎すべき前進は、フィリピン政府とフィリピン民族民主統一戦線の間で和平に向けた努力が再始動したことだ。水面下で両者の接触があり、一五日間の相互休戦が実行され、信頼を築くための方法が模索された。
 和平交渉は、武力対立の根本原因に対処するための実質的合意を案出することでフィリピン人民の利益につながる。また、民衆に対する現政権のファシズム攻撃に抗する効果をもたらす。
 和平交渉再開の知らせは多くの人々、中でも平和活動家に歓迎された。和平交渉を支持する決議に、実に一三○人もの国会議員が署名した。平和の破壊者と戦争屋どもが和平交渉を妨害しようと蠢いたが、にもかかわらず、政府内の平和のための委員会(panel)の再建、および、ビングボング・メディアルデア官房長官が同委員会に含まれるという肯定的な前進が明らかになった。和平交渉に参加すべきフィリピン民族民主統一戦線和平交渉顧問団を含む政治犯全員が釈放されるよう圧力をかける必要がある。
 平和を破壊しようとする連中は和平交渉中断のための陰謀の種をまくのに熱心だ。連中の言う「地方限定の和平交渉」の実現をスローガンにすることを欲してもいる。だが残念ながら、マスバテでフィリピン人民軍が大量投降したらしいと連中が先日流したデマは嘘であることが直後に発覚した。和平交渉の再開は、「地域限定の和平交渉」と「全国家的対応」が失敗したことを証明している。

 ●8 新たな希望

 映画『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』の主人公ジン・アーソの金言を引くと、「抗拒は希望の上に築かれる」。暴政と抑圧への抵抗は、よりよき世界、よりよき人間社会は実際に可能だという希望が燃料源だ。私たちの希望はまた、被抑圧大衆の回復力と疲れを知らない実践からエネルギーを得ている。再度確認しよう。最も抑圧され虐げられている大衆こそが勇気とは何かを私たちに教えているのだ。
 新たな希望、そして、人民とより良き未来のために闘うのだという固い決意を胸に、私たちは二○二○年を迎える。




 

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