共産主義者同盟(統一委員会)

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  ■読者からの手紙     

  上原成信さんを招き講演

  自らの半生交え沖縄解放闘争の歴史ひもとく





 三月十三日に沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック元代表の上原成信さんのお話を聞く機会がありました。主催は反戦・反天皇を闘うグループ南風です。
 上原さんは一九四四年、旧制中学卒業後、就職のために上京したそうですが、当時は沖縄が戦場になるとは夢にも思わなかったとのこと。「沖縄戦では、いつどこでかも不明ですが、父親が逃避行中に亡くなった。軍学校に進学していた同期生は助かった一方、一期下・二期下の後輩たちは学校でまとめて戦場に動員され、戦死者が多い。生まれ育った町には、池や、高台に神社もあったのに、戦後まっ平らにされ、那覇軍港として米軍に占領され続けている」など。東京にいた上原さん自身が、直接・間接の被害者だそうで、改めて、沖縄の方にとって沖縄戦は、無縁ではいられない大きな`しこりa・反戦の原点だと思いました。
 参加者から、「原爆や沖縄戦の被害の実態が知られだしたのは、戦後随分経ってから。沖縄から密航してきた人から初めて話を聞いた。珍しかった」との指摘もありました。
 沖縄差別について。「学校では『ヤマトの文化』を教えられ、長い間沖縄の意思や文化は抑え込まれてきた。米軍政下で沖縄の文化が鼓舞激励され、復活したとも言える。沖縄民謡をろくに知らない一方で、沖縄民謡を聞くと懐かしさで涙が出ることに気付き、改めて沖縄文化に向き合った。戦前は特に、日本語が十分に話せないとひどく差別された」。また「在特会の差別を見ていると、差別は日本の文化ではと思います」との耳の痛い発言までありました。`I'm not Japanese. I'm Okinawan.aと語る上原さんからは、現在に至るまで続く沖縄の米軍支配とともに、琉球処分以来の沖縄差別への怒りを感じました。
 普天間基地を撤去させる闘いの現場は、今や、政府のある東京だと、毎週金曜日に取り組まれる首相官邸前行動の呼びかけもありました。いける方は是非ご参加を!
 上原さんはかつて、労組執行部で活動していたそうで、「昔はどの労組も、労働者の世の中にしよう。革命しようというのが根底にあって、労組が反戦運動に関わるのは当たり前でした」との話も印象的でした。組合運動をしている参加者も多く、この領域でももっとお話しを伺いたかったのですが、時間が足りず、あまり伺えなかったのは残念です。
 八十歳を過ぎてもなお闘いの先頭に立つ上原さんから学ぶことはまだまだありそうです。

                             (首都圏労働者)

 

 

 

 

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