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■寄稿(2009年2月)


   「中国における日本現代哲学への好奇心」

                                                      砂川裕一




  「中国における日本現代哲学への好奇心」の掲載にあたって


 群馬大学社会情報学部教授の砂川裕一氏のご好意で、同氏の講演録『中国の日本現代哲学への好奇心』を掲載する。

 この論文のもとになった講演は二〇〇六年三月に、スロベニア共和国リュブリャーナ大学で行なわれたものである。これは、群馬大学社会情報学部とリュブリャーナ大学文学部との第一回共同研究集会の一環としてなされ、『スロベニアと群馬の架け橋』という論文集にまとめられている。

 この論文によって、日本におけるマルクス主義哲学―廣松哲学が、現代中国においてこのような形で評価されていること、かつ、そのような東アジアでのマルクス主義の動きが旧ユーゴスラビア崩壊後のスロベニアにおいて明らかにされていることを、知ることができる。われわれは、この研究実践そのものに注目し、砂川氏の承諾を得て、本論文を『戦旗』に転載することとした。ここに、砂川氏のご好意に対して謝意を表わす。

 危機に瀕した現代帝国主義を打倒し、変革の扉をこじあける共産主義運動の糧としていきたい。

                           『戦旗』編集局



  ※ ※ ※ ※ ※


 今日は、「中国における日本現代哲学への好奇心」と題してお話しをしようと思います。その中で現代日本の廣松渉というマルクス主義系の哲学者にまつわる日中関係についてお話ししようと思いますが、廣松渉の哲学については、実はこのリュブリャーナで一度話したことがあります。スロベニア共和国が旧ユーゴから独立した約二年後の一九九三年の三月に、ということはこのアジア・アフリカ研究学科ができる前ですが、廣松哲学についての講演をスロベニア市内のツァンカリウ・ドームで一般聴衆向けに行ったことがありました。チトーが率いるひと味違う社会主義体制下にあったとは言え、独立直後のスロベニアの方たちの多くは共産主義やマルクス主義の軛≠ゥら逃れてようやく自由を取り戻したと熱っぽく考えていたようで、そんな人達を相手にしたマルクス研究家廣松渉の哲学≠フ紹介は、「なんで、いまさらマルクスなんだ!?」という、困惑した反応を引き起こしました。礼儀正しい穏やかな皆さんのことですから、遠い日本からやって来たゲストに対して失礼なことは言ったりはしませんでしたが、どう反応していいものやら当惑していたのは確かだったと思います。その時には重盛先生に通訳をお願いして、わかりにくい難解な表現がいくつも出てきて大変なご苦労をおかけしてしまいました。今日はその時の反省を踏まえて、できるだけわかりやすい表現を使って話そうと思いますので、ベケッシュ先生、通訳の方をよろしくお願いします。日本研究専攻の人達はたぶん、日本語のままである程度は理解してもらえるのではないかと思います。

 また、今日の話は、中国と関係させた話にしたいと思います。現代中国で日本のマルクス主義哲学者廣松渉≠ェどのように受け止められているのか、その実情をめぐる一つのエピソードが、現代の日中関係や中国の国内事情の一端を垣間見る手がかりになるように思えるからです。皆さんもご存じのように、東アジアでの日本と中国の関係はなかなか微妙です。その微妙な関係の一端について、日本研究の方たちだけではなくて、中国研究の先生方や学生の方たちや広く東アジアの実情について興味を持っていらっしゃる方たちにも多少の考える素材を提供できるのではないかと考えています。

 前置きが長くなりましたが、早速本題に入っていきたいと思います。



 ●1、南京大学でのシンポジウム


 ちょうど一年ほど前になりますが、二〇〇五年の四月二十三日、二十四日の両日、中国の南京大学で「『ドイツ・イデオロギー』の文献学研究とその現代的価値―第二回廣松渉とマルクス主義哲学国際学術シンポジウム」が開催されました。南京大学のマルクス主義社会理論研究センター、中日文化研究センター、そして哲学部の共催で、廣松版『ドイツ・イデオロギー』の中国語訳の刊行を記念したものでした。中国全土から哲学研究者、マルクス主義研究者、日本研究者など共産党関係者も含めて百名ほど、日本側からも十一人が参加し、日中両国語に堪能な若い研究者による日本語から中国語へ、また中国語から日本語への逐次通訳を交えて様々な発表がなされるというかなり大がかりで充実したものでした。

 そこで中心的なテーマとして取り上げられた『ドイツ・イデオロギー』という文献は、ご存じのように、カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスの共同執筆による未完の著作で、膨大な手書きの資料として残されているものです。すでにロシアやヨーロッパで何度か編集し直され日本でも翻訳出版がされていますが、その編集の仕方に、文献学上また政治的な意図の介入など様々な問題が指摘されてきており、資料としての価値に大きな疑問が持たれていました。しかし、マルクス主義研究においては言うまでもなく最重要文献の一つに数えられており、研究資料としての価値を復元する新たな作業が必要とされていました。廣松渉は日本においてその困難な作業を独力で行い、その成果が廣松版『ドイツ・イデオロギー』として、河出書房新社から一九七四年に出版されていました。

 廣松版『ドイツ・イデオロギー』は、ドイツ語の原文テキストと日本語訳の二分冊からなり、マルクスの文章、エンゲルスの文章、加筆修正部分の筆者やその時期など、文献学的な考証を綿密に行い、それぞれの記述における考え方や思想上の違いを明確に読み取ることができるように編集されています。つまり、『ドイツ・イデオロギー』の草稿執筆段階でのマルクスとエンゲルスの考え方の違いやずれ、書き込まれた時期による考え方の変化など、『ド・イデ』(日本語では『ドイツ・イデオロギー』を『ド・イデ』と短縮形で呼ぶことがあります)における新しい思想の形成過程がつぶさに読み取れるように工夫されている文字通りの労作≠ナす。

 余談ですが、マルクスはすごく字が汚いですね。手書き原稿の写真が日本語版にも中国語版にも掲載されているんですが、とても文字とは思えないような書き殴ったただの線のように見えるほどです。ちなみに廣松さんの手書き文字もあまり読みやすいとは言えないんですが、まあ、人のことはあまり言えませんので、それは措いて、とにかく廣松さんは、このマルクスたちの手書き原稿の写真を入手し、それをもとに解読し編集しさらに翻訳作業を行ったそうです。それだけでも大変な仕事、大変な業績だということができると思いますが、廣松さんはその作業を、マルクス研究そして自らの哲学研究のための重要な基礎作業の一つとしてまずは片づけておくというような位置づけで行ったと聞いています。そういう意味でも、廣松渉という学者の研究のスケールの大きさが違うということも分かっていただけるかと思います。

 中国語訳は、このようにして成立した廣松版『ドイツ・イデオロギー』のドイツ語と日本語の二分冊を合本する形で、ドイツ語テキストと中国語テキストを収め、文献学的な考証の過程が一望できるようになっており、さらに文献学的、思想史的な事項についての訳者註が付される形でできています。この廣松版の『ド・イデ』は、日本では二〇〇二年に岩波文庫版として(ということは、一〇〇〇円もしない値段ですから手に入れやすくなったということですが)改めて出版されています。この文庫版では小林昌人さんという方が補訳と解説をしていますが、中国語版にはこの小林さんの訳注も大幅に取り入れられていて、その分より充実したものになっていると言えると思います。また、そのような中国語訳にドイツ語原文が収められているということで、中国研究、特に現代中国の社会的現状や思想的動向を視野に入れている研究にとっても、広くマルクス研究、マルクス主義研究にとってもまた貴重でかつ重要な資料文献になると言えるように思います。

 ご存じかとは思いますが、マルクス・エンゲルスの著作の中国における翻訳出版は、実は、中国共産党直轄の「中央編訳局」にしか認められていないんだそうです。マルクス主義研究にとって重要な文献である『ドイツ・イデオロギー』を南京大学が翻訳出版することは本来なら許されないわけです。二〇〇五年の廣松版の翻訳出版は、南京大学スタッフの粘り強い努力と交渉を経て、「日本の廣松渉の業績を翻訳・出版するもの」として許可を得た特例だということでした。この特例が認められた背景には、現代中国における社会主義市場経済の推進という社会的現状とマルクス主義との相互関係に関する理論的・実践的研究の関心の在り方と、日本現代哲学の一角を占める廣松渉の哲学に対する中国思想界の視線を読み取ることができるように思います。以下で、その点について、多少の話題を提供してみたいと思います。



 ●2、廣松哲学への現代中国の視線


 今お話しした二〇〇五年のシンポジウムの三年前の二〇〇二年に、廣松渉の著書四冊の中国語訳の刊行開始を記念して、「廣松渉とマルクス主義哲学国際学術シンポジウム」と題された第一回シンポジウムが南京大学で開催されています。このときのシンポジウムには私は参加していませんが、その際の講演記録が「廣松渉哲学研究特集」として『中日文化研究』(これは、南京大学中日文化研究中心と南京大学外国語学院日語系が発行している研究論文集ですが、)の二〇〇二年十二月号に日本語で掲載されています。

 しかし、そもそも、南京大学の関係者はなぜ廣松渉の哲学に注目し、その翻訳出版活動を始めたのでしょうか。中国側の視線は、廣松渉の業績の少なくとも二つの側面に向けられているように思われます。一つは、資本主義国日本の哲学者廣松渉によるマルクス主義研究の水準と内容に対して向けられており、もう一つはマルクス主義者廣松渉が展開しようとした独自の哲学的成果に対して向けられているように思います。あるいはもう少し言い方を変えると、日本人廣松渉のマルクス主義研究を手がかりとして、資本主義国日本におけるマルクス主義研究の独自の在り方とその内実を理解しようとしていると言えるのではないかとも思います。もっと平たく言ってしまえば、アジアの高度資本主義国日本におけるマルクス主義哲学者が提出しているマルクス主義研究の新たな成果を吸収し、資本主義化していく中国におけるマルクス主義的思想の新たな展開の可能性を探る一助としようとしている、ということではないかということです。もちろん事柄はそのような折衷主義的な言い方に収まるほど単純ではありませんが、あえて図式化して言うとそのような見方も成り立つのではないかということです。

 南京大学中日文化センター所長で副学長でもある張異賓(ペンネームは張一兵)氏は、先ほど触れた『中日文化研究』に次のような文章を書いています。ちょっと長くなりますが、中国側の廣松哲学の受け止め方、その姿勢が非常にわかりやすく書かれていると思いますので、引用してみたいと思います。

 「廣松渉は現代日本の著名な新マルクス主義哲学者であり、思想上の大家である。しかし、中国の学界、とりわけマルクス主義哲学の研究領域では、彼は基本的にはいまだあまり知られていない名前である。新科学観、現代西洋哲学、マルクスの批判精神を兼ね備え、かつまた東洋の文化的色彩をも色濃く持つ廣松の哲学思想は博大で深い。一九九四年の廣松の去世後、彼の影響は順次拡大しつつある。私個人の認識としては、廣松哲学を理解することは今日の中国のマルクス主義哲学研究に対して、特別重大な理論的参考価値があるものと思う。なぜなら、現在国内の幾人かの学者は、マルクス哲学を現代西洋のいくつかの哲学思想の研究―とりわけ、ハイデッガーの存在論やガダマーの解釈学―と関連させて一種の「対話」や「確信」という新地平に到達しようと試みているが、私はこの動向に注目しているからである。廣松渉の哲学はこうした理論動向上にある新マルクス主義が成功したまさに典型であろう。我々は他者の成果に学ぶ必要があるだろう。それは成功と教訓を含んでいるのであるからである。」(張一兵「廣松渉:関係主義的存在論と事的世界観(訳者序文に代えて)」『中日文化研究』二〇〇二/十二(P20―37)、P20)

 張一兵氏は一九九〇年代から廣松渉の業績に注目していたということで、南京大学に於いて廣松研究を何とか軌道に乗せようとしていたようです。二〇〇〇年になって南京大学に中日文化研究センター設立の準備が始まり、日本で学位を取った若手研究者を集めることができて、ようやく廣松研究を組織化できたとのことです。その活動の成果が、今日お話ししている翻訳出版につながったということになります。

 もちろん、張氏や南京大学関係者の廣松解釈や廣松理解に対しては、異論もあり得ます。細かい論点についての理解や解釈になればなおのこと、考えの違いもたくさん出てくると思いますが、それは研究上あってしかるべき事柄だと思いますし、今ここで検討する必要もないと思います。

 一般に日本国外においては、「日本の哲学」というと、仏教哲学の流れに属するとか中国哲学の亜流だと考えられる嫌いがありますが、日本の現代哲学の大きな部分は欧米の哲学の流れに属していると言えますし、しかもマルクス主義の影響を色濃く受けています。廣松渉の場合もそうです。南京大学での活動を通じて中国では、日本の現代哲学のそのような潮流を正面から吟味検討しようという機運が生まれていると言えそうに思います。

 もう一度、張氏の同じ文章から廣松哲学全体を評価する文章を引用してみたいと思います。

 「廣松渉の手になるものは本当に難解であった。彼の思想を形作っている主要なものは、現代の自然科学観(アインシュタイン、量子力学、マッハ主義)であり、マルクスの哲学(『ドイツ・イデオロギー』と『資本論』)であり、フッサール・ハイデッガー・メルロ=ポンティの哲学であり、現代の認知科学とゲシュタルト心理学であり、それに日本の文化が加わった複雑な総合体なのである。」(P36)

 この評価についても、人によっては不十分さや歪みにも似たものを感じるかもしれないとは思います。私自身も、この言い方ではやはり不十分というか誤解を招きかねないと思います。しかし、今ここでは、そのような点についての議論は棚上げして、廣松哲学の論域の広さに目を向けておきたいと思います。張氏が着目し、研究・翻訳・出版活動を通して咀嚼吸収しようとしている廣松哲学は、先ほども触れましたように、マルクス主義哲学を軸にした大きな思想的な転換局面を体現するものだということ、また中国側の視線もその点に焦点を合わせようとしてると考えられること、そのような大きな観点に立って考えておきたいということです。

 廣松渉の哲学は、廣松自身の表現でいえば、「実践哲学・価値哲学・歴史哲学・文化哲学にも関わり、人間論・制度論・権力論・規範論から学問論・芸術論・宗教論にまで論域が亘る」(『存在と意味』第一巻「序文」、廣松渉著作集第十五巻、pxi)というほどに広大な論域をカバーしようとするものです。既存の人文・社会諸科学のみならず、物理学や生物学など自然諸科学や精神医学などをも視野にとらえようとします。東北大学の野家啓一さんに倣って廣松哲学全体を一本の樹にたとえるなら、大地に張った頑強な根はマルクス主義哲学、太い幹は認識論と存在論、大きく豊かな枝は言語哲学、社会哲学、歴史哲学、文化哲学、科学哲学などの各論といった風情であると言えます。一人の哲学者がそんなに何でもかんでも扱えるのか、という疑念が生じてもやむを得ないと思います。しかし、実際に廣松の著作を読んでみると、本当にそうなんです。この学科の図書室にも全十五巻の『廣松渉著作集』と全六巻の『廣松渉コレクション』があります。目次やその表現だけでも見てみると、その広がりが分かると思います。

 南京大学で廣松哲学の研究とその著作の翻訳出版活動が始まったのは、張氏が『ドイツ・イデオロギー』の研究をしていた時に廣松渉の名前に目を止めたのがきっかけだったと聞きました。張氏は廣松哲学の根幹部分にまずは着目したということになります。とは言え、その後の翻訳出版活動は、廣松哲学のマルクス主義研究の側面と言うよりは、むしろ廣松渉独自の哲学研究の成果に向けられているようですし、廣松渉の業績全体に視線が向いているように思われます。最初に翻訳が計画された四冊の本は、後期マルクスへの思想的転回を跡づけた『物象化論の構図』(岩波書店、一九八三、『著作集』第十三巻所収)、近代的な「物的世界観」から近代を超える新しい「事的世界観」への謂わばシフトの趨勢を記述しようとした『事的世界観の前哨』(勁草書房、一九七五、『著作集』の各巻に分散して所収)、廣松独自の世界観を展開しようとした未完のライフワーク『存在と意味』第一巻と第二巻(岩波書店、一九八二、一九九三、『著作集』第十五巻、第十六巻として所収)でした。そして、マルクス主義の文献学的な重要著作『ドイツ・イデオロギー』が訳され、今現在、廣松哲学の最初の体系的な表明となった『世界の共同主観的存在構造』(勁草書房、一九七二、『著作集』第一巻所収)の翻訳が進んでいると聞きました。膨大な著作群の中から今触れたような著作を選んでいるということが、廣松哲学の全体に迫ろうとしている一つの証拠でもあると思います。

 先ほどあえて図式化してみるとと言って、こういう言い方をしました。「アジアの高度資本主義国日本におけるマルクス主義哲学者が提出しているマルクス主義研究の新たな成果を吸収し、資本主義化していく中国におけるマルクス主義的思想の新たな展開の可能性を探る一助とする」というような視座に立って、現代中国は廣松哲学を見ようとしている。しかし、より積極的には、マルクス主義哲学を根底に据えながら、西洋哲学や西洋の諸学問、さらには張氏に言わせれば東洋的なあるいは日本的な特質をその独自の哲学の中に織り込んだ「廣松渉の哲学」の総体を読み解こうとしていると言っても過言ではないように思います。もちろん広大な中国のごく一部の研究者の意識にすぎないかもしれませんが、今の中国はそういう思想的な必要性を肌で感じているのではないかと思います。



 ●3、廣松哲学と日中関係


 二〇〇五年のシンポジウムでは、南京大学副学長で南京大学党委員会常務副書記の挨拶に続いて、中央編訳局副局長の王学東氏の挨拶がありました。肩書きからおそらく公式の党の見解とか官僚的な解釈とか型どおりの挨拶などが述べられるのだろうと思っていましたが、王氏の発言はいわば研究者の発言そのもので、廣松渉の哲学への視線とその背後にある現代中国の思想的課題が集約的に表現されていたように思われます。予断を持って人の話を聞くものではないと改めて反省しました。

 王氏は、これまで編集された『ドイツ・イデオロギー』はどれも欠陥があったこと、廣松版の中国語訳は文献学的に特別の価値があること、文献学的研究は基本であるのに中国は遅れていることなどを指摘し、廣松版『ドイツ・イデオロギー』の翻訳出版は今日のグローバル化を分析する上で有意義だとも述べていました。そして、党中央の指示で、四原則のもとに研究を進めているとも語ったのですが、この四原則とは以下のことです。マルクス主義の基本原理を長期にわたって堅持するために必要なもの、新たに生じている豊かさと理論的発展との結合のために必要なもの、教条的マルクス主義理解を打破するために必要なもの、マルクス主義の名を借りた謬見を一掃するために新たに求められるもの、これらをよく弁別せよという四つの指示のことだそうです。

 今触れた党中央による四つの原則的な指示からも十分に読み取れると思いますが、シンポジウムで「廣松版『ドイツ・イデオロギー』の編集上の意義」と題して発表した小林昌人氏は次のように言っています。「卑俗な言い方になるが、社会主義市場経済の途を往く中国は、社会主義=マルクス主義の理念(理論)と市場経済=資本主義の現実との狭間で身悶えしているように見える。旧い理論では立ちいかない。かといって全てを市場=資本にゆだねるわけにもいかない。マルクス主義の新たな可能性が真剣に模索される所以なのではあるまいか。」(小林昌人「報告・『ドイツ・イデオロギー』の文献学研究とその現代的価値―第二回廣松渉とマルクス主義哲学国際学術シンポジウム/中国におけるマルクス研究の新たな動向」、『アソシエ21ニューズレター』二〇〇五年八月号(P11―13)、P12―13)

 この小林氏の受け止め方に私も同感です。今日のお話しの冒頭でも触れましたし、廣松哲学への視線の在り方に関しても触れましたように、中国は思想的にも社会的にも文字どおり「身悶えしている」ように思います。

 その身悶えの中で、多くは欧米や日本への留学組でもある若手研究者を中心に、西欧マルクス主義や西洋現代思想を咀嚼しながら、マルクス主義の現代的再生を模索しようとしており、それを共産党が許容しようとしている、あるいは許容せざるをえなくなっていると言えるのではないでしょうか。そして、そのような学問的、社会的、政治的な動向と視線の先に、日本という思想的土壌においてマルクス主義の文献学的基礎研究に新たな光を当て、西洋現代哲学の咀嚼を踏まえて独自の思想的境地を切り開いた廣松渉の理論を、積極的に見据えようとしているように思われます。

 廣松は、先に触れた『世界の共同主観的存在構造』という本の中で次のような発言をしています。「現代という時代」をどのようなスケールで、どのような角度から捉えようとしているかが端的に読み取れる記述だと思います。

 「思想史的なパースペクティヴにおいて過去を顧みるとき、古代ギリシャの世界観、中世ヨーロッパの世界観、近世(近代)の世界観というように、世界了解の根本的な構えと図式に断続的な変化が存在することに気が付く。おのおのの時代はその内部に相対立し相抗争する諸多の思潮を持つとはいえ、対立といい抗争といっても、それは所詮、当代の地平という共通な土俵上での出来事である。なるほど、微視的に見れば、断続面は必ずしも平滑ではないし、各時代の内部にもそれぞれ幾つかの段階を劃することができる。とはいえ、古代ギリシャの思想はいかにも古代ギリシャ的な、中世ヨーロッパの思想は所詮は中世ヨーロッパ的と呼ばるべき、それぞれ共通な発想法に立脚している。」(講談社学術文庫版、P16、『著作集』第一巻、P13)

 もちろん、こういう言い方をしたからといってヨーロッパ以外の地域の思想史的な特質を無視しているわけではありません。廣松の意図するところは、「古代ギリシャ的」や「中世ヨーロッパ的」という限定詞をいわば「例」として用いることで古代的世界観≠竍中世的発想法≠概括しながら、むしろ、それらに対して対比的に、近代以降における世界了解の構え≠相対化し隈取ることにあると考えられます。さらに続けて、廣松は次のように言います。

 「ここにいう近代的世界了解の構え、すなわち、資本主義時代に照応するイデオロギーという意味でのブルジョア・イデオロギーの地平……、このブルジョア的世界観の地平がもはや桎梏に転じ、破綻に瀕していること(それは単なる西洋の没落≠ネどというものではない!)、さりとて、人びとはまだ、それに代わるべき新しい発想法の地平を、明確な形で向自化しうるには至っていないということ、今日の思想的閉塞情況は、要言すればこれに起因するものであると看ぜられる。/われわれは、今日、過去における古代ギリシャ的世界観の終熄期、中世ヨーロッパ的世界観の崩壊期と類比的な思想史的局面、すなわち、近代的世界観の全面的な解体期に逢着している。こう断じても恐らくや大過ないであろう。閉塞情況を打開するためには、それゆえ、……近代的$「界観の根本図式そのものを止揚し、その地平から超脱しなければならない。」(P16―17、『著作集』第一巻、P14)

 このような考えのもとで廣松は、近代的世界観の地平a総体の哲学的・実践的な乗り超えを企図したと考えられます。小林昌人さんの表現を借りて、中国は「身悶え」しているという言い方を先ほどしましたが、その「身悶え」は、言うまでもなく哲学的・思想的なものにとどまらず、現実の社会の問題、今生きている人々の問題を克服していく上での困難の前での「身悶え」だと考えられます。そして、それは廣松が言う「閉塞情況を打開するためには、……近代的$「界観の根本図式そのものを止揚し、その地平から超脱しなければならない」(今読んだ最後の部分ですが)という主張と重なるようにも思います。中国が廣松に着目した根源的な、あるいは切実な理由もそこにあるのではないかと思います。

 さて、予定していたよりも難しい話、堅い話になってしまったように思いますが、お話ししたかったことは大きく整理すると二つです。一つは、現代日本に廣松渉というマルクス主義哲学者がいて、世界に通ずる大きな仕事を残したんだということ。もう一つは、中国の若手や中堅の研究者たちが大きな興味と期待を持ってその廣松哲学の研究に取り組み精力的に翻訳出版活動を続けており、そしてその活動を中国共産党が許容しようとしていること。そして、政治的にも経済的にも軍事的にもホットな地域である東アジアにおいて、日本と中国を媒介する新たな思想的な靱帯の芽が生まれつつあると予想できること。……まあ、最後の点はちょっと言い過ぎかもしれません。がしかし、日本研究と中国研究の二つを大きな柱とするこのアジア・アフリカ研究学科にとっては、今日お話しした廣松哲学を媒介項とする日中両国の思想的な関係構築の情況は、見過ごすことのできない変化の兆しととらえることができるのではないでしょうか。私は、必ずしも無理な考え方だとは言えないように思いますが、旧ユーゴから独立し、西側を目指す皆さんからはどのように受け止められるでしょうか。

 どうも長時間ありがとうございました。

(付記)本稿は、二〇〇六年三月にスロベニア共和国リュブリャーナ大学で行われた講演用メモを大幅に増補してなったものです。実際の表現とは異なるところもありますが、発言の趣旨は変わっていないと考えています。このような内容の話をするだけの十分な準備も力量も整わないままの発言でしたが、日本研究の立場からの廣松哲学の一端の紹介とその中国での受け止められ方の様相と社会的背景に触れることで、現代中国の抱える困難とその解決へ向けた思想的格闘の一端を垣間見ることができたのではないか、ひいては東アジアの比較文化論的・国際関係論的な視角を哲学という学問的活動に即して縁取ることの可能性をも示唆することができたのではないか、さらに言えば、そのような視角から廣松哲学の可能性についても触れることができたのではないかと考えます。

          二〇〇七年三月

             (群馬大学社会情報学部/大学院社会情報学研究科)


 
 

 

 

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