共産主義者同盟(統一委員会)

 

■政治主張

■各地の闘争

■海外情報

■声明・論評

■主要論文

■綱領・規約

■ENGLISH

■リンク

 

□ホームに戻る

『戦旗』第1363号(2011年1月1日)



  戦争と貧困、排外主義を打ち破り

  プロレタリア革命の前進を!

  労働者人民の解放めざす革命的労働者党の建設を




 すべての同志、友人諸君、『戦旗』読者のみなさんに対し、共産主義者同盟(統一委員会)の二〇一一年方針を提起する。
 われわれは、東アジアにおける新たな戦争の危機の中で、憤怒をもって二〇一一年を迎えなくてはならない。昨年十一月二十九日から黄海で米韓合同軍事演習が強行され、続いて十二月三日から日米共同統合演習が始まった。この二つの演習には、横須賀基地から出撃したジョージ・ワシントンをはじめとする在日米軍が参加し、主導した。朝鮮民主主義人民共和国に対して極限的な戦争重圧をかけ、いつでも朝鮮侵略反革命戦争に突入しうる日米韓の臨戦態勢が急速に形成されている。同時に、全面的な資本主義化を進める中国スターリン主義への軍事的制動が明確に意図されている。
 米帝、日帝は、深化する恐慌を侵略反革命戦争で突破しようとしている。経済的力においては衰弱した中心国―米帝は、戦争を主導することで世界を編成する力を護持しようとしているのだ。
 〇八年恐慌の深化は各国の財政危機、保護主義の激化として表れており、貿易・投資・通貨・FTAをめぐって対立を深めている。いまや、銀行の破綻ではなく、国家財政の破綻の危機が、資本主義世界総体を震撼させている。新自由主義グローバリゼーションの破綻は明白だが、現代帝国主義は後もどりすることはできない。恐慌の深化によって縮小する世界経済の中で、延命をかけた資本は搾取と収奪を徹底的に強めている。労働者人民にすべての矛盾をおしつけている。非正規化、失業、生活破壊が劇的に進んでいる。加えて、帝国主義資本は多国籍資本化を一段と進めている。FTA、EPAを手段として、海外侵出を改めて大規模に強行しつつある。
 しかし、恐慌と戦争の危機、閉塞する社会の中で、労働者階級人民はただ絶望に打ちひしがれているのではない。戦闘的階級的労働運動が、反基地闘争―反戦闘争の前進と結合が、差別と排外主義に対する反撃が不屈にたたかい抜かれている。そして、これらのたたかいの国境を越えた結合が始まっている。労働者階級人民の自己解放闘争の前進は、瓦解しつつある資本主義を越えて、新たな社会の展望をつかもうとしている。世界恐慌の深化の中でこそ、社会主義―共産主義への道を切り拓くことが強く求められている。われわれはブントとして、この責務を果たしていく。真の革命的労働者党建設を頑強に推し進め、プロレタリア革命を最先頭でたたかい抜いていく。
 二〇一一年の革命党と日本革命運動の課題について、『戦旗』第一三六三号と第一三六四号で明らかにしていく。全体は七章で構成されている。本紙、第一三六三号では、第一章 世界情勢、第二章  国内情勢、第三章 党建設方針を掲載する。次号、第一三六四号で、第四章 政治運動方針、第五章 労働運動方針、第六章 青年運動方針、第七章 学生運動方針を掲載する。




 ■第1章 世界情勢

 帝国主義の世界的危機と国際階級闘争の前進




  ●1 恐慌の深化


 二〇〇八年九月のリーマン・ブラザーズ破綻にはじまる金融恐慌から二年余、現代帝国主義は世界恐慌から抜け出すことはできず、先延ばししてきた危機のさらなる深化に震撼している。かつて七〇年代、七四―七五年恐慌後には、サミットにおいて、米帝経済が低迷する中で西独帝・日帝の経済成長が世界経済を牽引するという論議があったが、〇八年以降の帝国主義各国経済がいずれも急激に落ち込む中では、経済成長を続ける中国、インドのような新興国を取り込むべくG20を位置付け、ここに帝国主義は自己の延命の道を探ろうとしている。
 とりわけ、中国は「社会主義市場経済」を掲げた社会総体の資本主義化を急激に進めてきており、WTO加盟、資本主義各国とのFTAの推進、IMFの出資比率の拡大などを進めてきた。中国は、政治体制としては中国共産党スターリン主義の一党支配を護持しながら、経済的には全面的に現代帝国主義世界体制に積極的に組み込まれていくことをもって、その国力を強大化しつつある。
 帝国主義各国にとって中国は、拡大する市場であると同時に、資本輸出先である。リーマン・ショック後においては、ブラジルなどは恐慌のあおりを受けたが、一方で、中国、インドは成長率を若干落としつつも経済成長を続けている。
 戦後の帝国主義世界の歴史的な流れをみれば、中心国―米帝による一元的な世界支配から、七四―七五年恐慌を通してのサミット(G5―G7)による支配、そして、〇八年恐慌以降のG20での世界経済調整へと進んできた。それは、ドルの傾向的な減価が基底にあり、中心国―米帝の世界支配の弱化を意味している。資本主義の全地球規模での展開が、アジア、ラテン・アメリカ、中国やロシア、旧東欧諸国など新興国を巻き込んで無秩序に拡大してきた結果なのである。
 無秩序な生産と投資、投機を繰り広げてきた現代資本主義は、この危機と混乱の世界の変動をこそエネルギーとして恐慌の淵からの再生をなそうとしている。しかし、それは全世界の労働者人民に大規模な失業、耐え難い貧困をさらに押し付けるものである。
 二〇一〇年において、恐慌はいかに深化してきたのであろうか。

  ▼(1)財政赤字の拡大と危機の先延ばし

 二九年恐慌に匹敵しうる規模で始まった〇八年金融恐慌は、実体経済にも拡大し、その経済危機の底が未だに見えない状況にある。帝国主義をはじめとする世界各国は、中央銀行が公定歩合を引き下げる一方、政府が巨額の財政出動をもって、資本主義そのものの救済をなそうとしてきた。その結果、二九年恐慌の深化とは異なって、金融機関の連鎖破綻はかろうじて阻止し、また、三〇年代米帝の25%を超える失業率という状況までは至っていない。莫大な公的資金を投入しての恐慌対策は一定程度危機をくい止めているかに見える。
 しかし、それは、二九年恐慌とは異なった形で大きな矛盾を資本主義各国に突きつけている。莫大な財政支出ゆえの財政赤字が、各国の国家財政を信用危機に追い込んでいる。
 きっかけとなったギリシャの国家信用危機は二〇〇九年十月段階でギリシャ現政権が旧政権の財政赤字の数値操作を公表したことから始まった。欧州連合(EU)は、財政赤字をGDPの3%以内に抑えることを義務付けている。ギリシャ旧政権は財政赤字をGDP比4%と偽っていたのだが、実は13%に上るものであった。この事実判明によってギリシャ国債の格付けは引き下げられ、ギリシャ国債の利回りは急騰し、デフォルト(債務不履行)の危機が現実化した。最終的には昨年三月から四月にかけて、ユーロ圏十六ヵ国を中心にした国際的な金融支援によって救済することになった。総額三百億ユーロの融資を、ユーロ圏が三分の二、国際通貨基金(IMF)が三分の一負担することで合意した。
 ギリシャに関しては旧政権の放漫でペテン的な財政が強く影響した事態だったが、金融恐慌下にギリシャ危機が発現したことによって、財政赤字拡大による国家デフォルトの危険が現実の問題として突きつけられた。ソブリン(国家的信用)危機と称される各国財政の償還への不安は拡大した。欧州において、財政が急激に悪化しているポルトガル、アイルランド、イタリア、スペインなどが問題とされ、ギリシャと同様の事態が懸念された。これが国際的な金融問題となった。
 昨年十一月には、アイルランドの財政危機が顕現し、EUとIMFは救済融資を決定した。欧州の財政危機はこれから、さらに深まろうとしている。
 ユーロ圏にあっては、金融政策は欧州中央銀行(ECB)によって統一的になされるが、財政政策はGDPの3%規制があるものの各国政府の独自政策となっている。金融危機に際しての公的資金の投入において、財政赤字の拡大、不均衡が生じてきたのは当然の帰結であった。一方においては、金融危機の進展の中で、投機資金が行き場を失って、相対的に「安全」な国債に向かったことも、国債バブルというべき事態を生み出す原因となっていた。
 EUがギリシャを切り離すことなく救済したのは、このような危機の連鎖を断ち切るためだった。しかし、これはユーロ圏各国の財政危機を欧州全体で抱え込むということになった。共通通貨ユーロの信認の問題に直結し、ユーロは下落した。
 二年前、金融恐慌に直面した帝国主義各国は、G7では全世界を動員することができず、新興諸国を巻き込んだG20において危機への対応をなそうとした。〇八年の第一回G20は「世界経済の成長を回復し、世界の金融システムに必要な改革を達成するために協働する」「緊急かつ例外的な措置の努力を継続する」とし、翌〇九年四月の第二回G20は総額五兆ドルの財政政策を「前例のない規模の経済刺激策と協調で合意」と発表していた。それで、本当に恐慌を脱したのか? 大規模な「景気対策」をとれば好況に転ずるなどというものでは決してなかった。
 巨大独占資本は、雇用を削減して収益を上げようとしてきたが、さらなる経済の収縮を結果しているだけだ。失業率は高率のままだ。賃金は引き下げられ、民生に結び付く需要はますます収縮している。各国中央銀行が公定歩合を下げても、有効な投資は拡大していない。
 帝国主義各国は、眼前に進行する金融機関破綻の危機に対処してきたにすぎない。リーマン・ショックの原因となったグローバルな金融の自由化に対して、抜本的な規制をなしてはいない。ITバブル崩壊の危機から、実体経済の根拠なく金融的に作り出された住宅バブルとその証券化、それを拡大し続けた金融投機資本そのものを根本的に規制しようとはしなかった。「景気対策」と称して低金利―ゼロ金利政策を続けることは、むしろ、絶命しかけた投機資本に息を吹き込むことでしかない。
 そして、G20諸国の世界規模での莫大な財政投入の結果が、欧州諸国をはじめとして全世界が直面する財政危機なのである。

  ▼(2)ドル暴落の危機に直面

 二〇一〇年、欧州の財政危機ゆえにユーロが下落、また、米国経済の不安定によって、相対的に「安定」と見られた通貨―円が選択され、円高が急進した。ユーロの下落によって、ドルがユーロに対して減価しない状況になっており、ドルの信認が保たれているかのように見られている。しかし、実は金価格は上昇し続けている。投機による金価格急騰はもちろんあるが、根本的にはドルが実質的に減価しているのだ。
 中間選挙を前にしたオバマ政権は、経常収支の改善のために、円高ドル安をむしろ積極的に放置してきた。一〇年九月、日本政府と日銀は単独介入を強行したが、米国議会は為替問題で中国とともに日本を非難した。まさに「通貨戦争」の様相を呈してきた。
 十月に開催されたG20財務相・中央銀行総裁会議において、ガイトナー米財務長官は「中国が現在やっているように、通貨が過小評価されている国は、市場で決定される為替制度に向けて前進を続けるべきだ」と主張した。発表された共同声明は「人民元」を名指しするものではなく、「根底にある経済の基礎的条件を反映し、より市場で決定される為替レートシステムに移行し、通貨の競争的切り下げを回避する」という文言になっている。これは、経常黒字を拡大する中国に対して、人民元切り上げを求めるものでもあるが、一方では、ドル安政策を制動する意味もふくんだものとなった。ガイトナーは記者会見では「米国は強いドルを支持する政策をとる」と強調した。基軸通貨国―米帝のドル安政策に批判があることをはっきり意識したものだった。
 後にも見るように、基軸通貨ドルは今や、サミット―G7という帝国主義間の「協調」体制をもって維持していくものですらなくなっている。ロシア、中国、インド、あるいは産油国を巻き込みながら、かろうじて国際通貨―ドルを維持し、世界経済の「統一性」が保たれている状況なのだ。


  ●2 現代帝国主義世界の分裂と対立

 〇八年恐慌以降の世界は、通貨問題だけではなく、新たな対立をはらみながら危機を深化させている。オバマが構想したように、G20が世界規模の経済危機に立ち向かっていく国際協力の場であるというのは今や幻想である。むしろ、G20も、帝国主義をはじめとする各国の利害対立を明確にした争闘の場となってきているのだ。

  ▼(1)帝国主義をはじめとする各国の保護主義

 昨年十一月のソウルG20首脳宣言は、「通貨安競争の回避」「輸出規制など、いかなる保護主義的措置も是正」を確認した。また、横浜APEC閣僚会議においても「保護主義排除」の論議がなされ、APEC首脳宣言は「保護主義を抑えるため、新たな輸出制限やWTOと整合のとれない措置を二〇一三年まで控える」ことを確認した。
 これは、G20やAPEC参加国首脳が保護主義反対で一致したというよりも、〇八年恐慌以降、世界各国がさまざまな保護主義政策をとり始めた実態があるがゆえに主要議題となったということだ。
 米帝オバマ政権の景気対策には、「バイアメリカン条項」(アメリカ製品使用義務付け)や「ハイヤーアメリカン条項」(政府の支援を受けた金融機関の雇用は米国人優先の義務付け)が規定されていた。イタリア、フランス、中国は、経済危機の中で国内大企業が外国投資家に買収されることを阻止する法的措置をとった。ロシアは、自動車や鉄鋼製品の関税を引き上げた。カナダは、外国製の太陽光パネルの販売制限を行なった。
 これらの事実は何を意味しているのか。新自由主義グローバリゼーションということの本質は、帝国主義が新興国・途上国に侵出していくために帝国主義側の基準を押し付けることであるが、帝国主義は恐慌に直面するや即座に保護主義をとったのだ。自国の大独占資本が破綻の危機に陥れば、「自由」など唱えていられなくなるのだ。
 その上で、米帝ガイトナーが主張する経常収支の数値基準こそ、新たな保護主義である。昨年十月のG20財務相・中央銀行総裁会議において、ガイトナーは貿易不均衡の標的としての中国に対して通貨切り上げを要求しただけではない。米国は韓国と共同で、「経常収支の黒字幅と赤字幅を国内総生産の4%以内とする」なる数値基準を提案した。GDP比4%なる「基準」は、ドイツの経常黒字が4%であることを考慮した上で、経常黒字が8%に至る中国を標的にした、政治的代物である。中国はこれに反発し、「経常収支の数字は市場の活動の反映である」と応じた。
 この論議の一方で十一月三日、米連邦準備制度理事会(FRB)が追加金融緩和を決定し、急激なドル安、新興国へのドル流入が始まった、通貨安措置をとる米国への批判が強まる中で、ガイトナーは十一月のソウルで「数値基準」に固執することはできなかった。G20首脳宣言は、不均衡是正の指針について「二〇一一年前半に財務相と中央銀行総裁が議論する」と、決着を先延ばしした。
 「自由」を主張してきたアメリカ帝国主義が「数値基準」での貿易の規制を主張し、中国スターリン主義が「市場活動」を根拠に規制を批判する。G20におけるこの転倒した議論こそが、〇八年恐慌下の資本主義世界の危機と混乱を端的に表わしているだろう。

  ▼(2)世界を政治的に編成する力の減退

 しかし、この米帝の力の減退の一方で、ユーロがドルに代わって基軸通貨となる可能性は大きく減退している。政治的に言えば、ドイツ、あるいは独仏枢軸が欧州連合をまとめあげて、米帝に代わって全世界を再編することはできない、ということだ。
 それはギリシャ、アイルランドの財政危機などを直接の要因としたユーロの下落ということだけではない。欧州連合は現在、その内部において不均衡と対立をはらんで、さらなる経済危機の震源になる可能性を強めているからだ。
 昨年のギリシャの財政危機への対応において、EU独自で対応するのか、IMFも参加した解決策をとるのかで、EU内部で対立が起こった。ギリシャ問題をEUのみで対応すれば、今後も予想される財政危機に際しても、EUのみで対応していかなければならず、具体的には域内の経済大国ドイツが莫大な資金供給を負うことになる。ドイツがIMF支援を求めたのだった。
 財政問題だけでなく、欧州各国の経常収支においても、ギリシャ、スペイン、イタリア、アイルランドなどは赤字が拡大する一方で、ドイツ、オランダは経常黒字を拡大している。ドイツはいち早く賃下げを行って国際競争力を強めてきた上に、昨年のユーロ安によって輸出が増大し、大幅な貿易黒字となっている。危機が深刻化する中で、欧州内での経済格差が広がり、政治的対立にもつながる問題となっているのだ。
 世界各国が貿易と通貨をめぐり保護主義に進み、その保護主義政策をめぐって国際会議は対立する。このことが、即座に現代帝国主義世界の分裂―ブロック化に直結している訳ではない。国際通貨基金(IMF)、世界銀行、世界貿易機関(WTO)は機能し、国連安保理常任理事国はその軍事的位置を護持してはいる。しかし、〇八年恐慌下で進展する事態が、帝国主義世界体制の歴史的変遷においていかなる意味をもっているのかをはっきりと捉えなくてはならないだろう。
 一九七一年のニクソン声明をもって金―ドル兌換停止して以降、米帝一国の経済力を根拠としてドルを基軸通貨としてきた米帝一極支配は大きく揺らいだ。七四―七五年恐慌を通して、サミットと財務相・中央銀行総裁会議G5(その後のG7)をもって、帝国主義七ヵ国が国際通貨体制を軸にした世界市場の統一を維持してきた。一方においては、米帝、英帝、仏帝と、ソ連(ロシア)、中国の国連安保理常任理事国(=核兵器独占国家)が軍事的世界覇権の「調整」を行なってきた。
 米帝は、必要に応じて侵略反革命戦争にも踏み込み、経済的凋落を軍事的覇権で補いつつ、世界を政治的に編成し続けようとしてきた。しかし、ブッシュ政権が戦端を開きながら終結することもできなくなったしまったイラク、アフガニスタン戦争の失敗は、米帝の力の減退を全世界に認識させるものとなった。
 オバマは、イラク、アフガニスタン戦争の終結と、未曾有の〇八年恐慌という事態に直面した。サミット―G7と米帝の軍事的覇権のみで世界を編成することからの転換を企図した。それは、国家的戦略をもって急激に資本主義化を進める新たな経済大国―中国を含みこんだG20の枠組みである。いまや、基軸通貨ドルは、中国、ロシアを含んだG20をもってしか維持できなくなっている。現代資本主義がロシア、中国を呑み込んだということでもあるが、事態の本質は、米帝を中心国とした現代帝国主義の歴史的な凋落である。

  ▼(3)中国の現在的位置と、東アジア

 中国は、その国内総生産(GDP)において〇九年に四兆九千八百四十七億ドル、日本に次ぐ世界三位となり、一〇年には日本を凌駕する勢いの経済成長が続いている。莫大な貿易黒字となっている中国の外貨準備高は二兆六千四百八十三億ドルとなっており、世界一位である。中国は、生産と貿易の規模においてだけでなく、WTOに加盟し、また、IMFを通してドル基軸通貨体制を支える重要な一国となっている。そういう意味において、資本主義大国となっている。
 昨秋のG20財務相・中央銀行総裁会議においては、「通貨戦争」という問題が強く浮かび上がっていたが、実は、別に重要な決定がなされていた。それはIMF改革に関する合意であり、具体的には新興国・途上国への出資割り当ての見直しであった。この見直しによって、中国の出資比率は現在の六位から三位に浮上し、米国、日本に次ぐ位置になった。この出資比率はIMFでの発言権に直結しており、現代帝国主義世界の通貨体制において中国が帝国主義各国と並ぶ重要な位置を占めるということを意味する。
 これは、中国が〇八年金融恐慌以来一貫して主張し、周到に準備してきたことだ。〇九年三月に周小川(中国人民銀行総裁)は「国際金融システムの改革」と題する論文を発表し、ドルのみが国際通貨として通用している現状の危うさを論じ、国家から独立した通貨としてIMFの特別引き出し権(SDR)を国際準備通貨とすべきという主張をした(詳細は『戦旗』第一三二八号)。G20においては胡錦濤やメドベージェフが国際通貨体制の変革を主張した。これらの論議を発端にして、IMF改革論議が前倒しされることになった。中国は、〇八年恐慌がドルの危機に進む可能性を冷徹に見据えているのだ。
 アジア太平洋圏における貿易・投資の自由化をめぐって、中国はASEAN+3をベースにして、アジア・太平洋全体への拡大ということを構想している。中国は、ASEANをはじめとしてアジア各国とのFTAを進めてきたことを根拠に、米帝と対峙しつつ自国の権益圏拡大をなそうとしている。
 昨年はじめに日本経団連はASEAN+3、+6を基盤にした東アジア共同体構想の推進から経済危機脱却を展望するビジョンを発表していた。菅政権は、日米同盟強化を基盤とした米帝との関係強化以外に外交的展望を見出せず、米帝の主張する環太平洋パートナーシップ(TPP)の論議をAPEC直前に始めて、結論をだすことができなかった。民主党の「東アジア共同体」構想はかすんでしまっている。中国の東アジア政策、アジア政策、また、対米関係の方が重みを持って進んでいる。


  ●3 帝国主義への抵抗闘争

  ▼(1)米帝の戦争戦略―イラク、アフガニスタン、朝鮮半島

 中心国―米帝はその経済的力の弱体化ゆえに、戦争を発動して世界支配を貫徹しようとしてきた。しかし、米帝の圧倒的な軍事力も反米抵抗闘争を鎮圧することができず、侵略反革命戦争の泥沼化へとのめりこんでいる。オバマ政権も戦争を終結させることができず、一方では、臨界前核実験を強行し、米帝国主義としての伝統的世界支配の手法に突き進んでいる。そして今、アジア支配の軍事的貫徹を見すえて、新たな朝鮮戦争重圧に踏み込んでいる。
 「責任ある撤退」を掲げてきたオバマ政権は昨年八月三十一日、イラクからの「戦闘部隊の撤退」を行い、十一月末には「完全撤退」するとしている。
 昨年三月に行なわれたイラク国民議会選挙は、アラウィ元首相が率いるイラキーヤが九十一議席、マリキ首相の率いる法治国家連合が八十九議席、イラク国民同盟(シーア派勢力)が七十議席、クルド同盟が四十三議席という結果になった。スンニ派を支持基盤とするイラキーヤが第一党となったものの、簡単に連立協議は進まず、八ヶ月もの連立協議を経て十一月になって新政権が決まった。マリキ首相が続投し、挙国一致体制を形成することで合意した。
 オバマが宣言したとおりに米軍のイラク「完全撤退」がなされるのか。この連立協議の過程においても、武装勢力による攻撃はおこっている。十月三十一日にはキリスト教会が襲撃されて五十人以上が死亡した。十一月二日にはシーア派地域で六十人以上が死亡する攻撃があり、八日にもシーア派聖地などでイラク人、イラン人が数十人死亡する爆弾攻撃が起こっている。現実には、イラクでの戦乱は続いているのだ。
 オバマ政権は、イラク挙国一致体制の成立と米軍「完全撤退」をもって、「対テロ」戦争の主戦場をアフガニスタンに移そうとしている。
 昨年十一月のNATO首脳会議は、欧州MD計画とともに、アフガニスタン政府への治安権限委譲の「ロードマップ」なるものを合意した。NATO首脳とアフガニスタン・カルザイ大統領の間で確認されたのは、アフガニスタンの治安権限を二〇一四年までにNATOからアフガニスタン軍に移すというものだ。しかし、アフガニスタンにおいては、タリバンが勢力を回復してきている。権限委譲は「戦闘の状況などを見極めて慎重に進める」というものであり、ロードマップ通りに進める確約はない。さらに、アフガニスタン国際治安支援部隊(ISAF)の撤退は別としており、ISAFの撤退については決められてない。
 この一方で、米国防総省は十一月十九日、タリバン掃討強化のためとして、アフガニスタン南部に戦車十四両を一一年一月に投入すると発表した。アフガニスタンへの戦車投入は旧ソ連軍の侵攻以来のことであり、「侵略者」の象徴と捉えられることは間違いない。
 昨年十一月二十三日、軍事演習を名目にした韓国軍による発砲に対して朝鮮民主主義人民共和国軍が延坪島に砲撃し、両者のあいだで砲撃戦となった。軍事的緊張が高まる中、米軍と韓国軍は十一月二十八日から十二月一日まで四日間にわたって、黄海で合同軍事演習を強行した。日米軍事同盟の下、横須賀基地から核空母ジョージ・ワシントンがこの演習に参加し、共和国と中国に軍事的重圧をかけた。
 ブッシュ政権の始めた二つの侵略反革命戦争は、国内の分裂と対立を激化させ、戦乱を泥沼化させてきた。オバマ政権がなしていることも帝国主義としての侵略反革命戦争であり、反米勢力に対する殺戮なのだ。今、朝鮮半島をめぐって強まる戦争重圧は、同じ軍事的手段で帝国主義の世界支配を貫こうとする攻撃である。
 日帝は、周辺事態法、武力攻撃事態法を発動して、朝鮮戦争重圧に荷担しようとするだろう。日帝の参戦を絶対に阻止する反戦闘争こそ、日本労働者階級人民の責務である。

  ▼(2)反米諸国の闘いとその結合

 米帝―オバマ政権は昨年十一月の横浜APECにおいて、例外ない関税撤廃を目指すTPPを拡大することをもってアジア太平洋地域全体に貿易自由化を拡大する方針で臨み、日帝―菅政権はこの提起に揺さぶられて右往左往した。TPPは〇六年にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの四カ国で締結、発効したものだが、米国、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアが参加を表明し、交渉が進んでいる。日本、中国などがこれまで地域的枠組みとしてきたASEAN+3、ASEAN+6に対して、米帝やニュージーランドが米州諸国も含みつつ環太平洋という枠組みを対置しているように見える。
 しかし、米帝にとって権益権というべき米州諸国において、反米諸国が一定の力をもち、それを軸にして独自の地域的枠組みを形成しつつあることをはっきり見ておく必要がある。
 ベネズエラとキューバを軸にして〇四年に創設された米州ボリバール代替構想(ALBA)には現在、ボリビア、ニカラグア、エクアドル、ドミニカ、アンティグア・バーブダ、セント・ビンセント、グレナディーン諸島が加盟するまでになっている。米帝とIMF・世銀の介入、支配を排除して、ALBA諸国間での貿易と投資が促進され、エネルギー資源や食糧の安定供給が確保されている。また、キューバから医師、教師が派遣されることによって保健・衛生と教育についての協力も進んでいる。帝国主義の新自由主義政策に対して、ALBA諸国間での協力と地域的自立が進められている。
 〇九年四月のALBA首脳会議において、地域共通決済通貨スクレについての合意がなされ、一〇年にはベネズエラとキューバの間の貿易決済にスクレが使用され始めている。ユーロのような規模で流通する通貨になるかどうかはわからないが、少なくとも、ドルを媒介にした貿易―国際関係を乗り越えていこうとする試みが開始されているのである。
 ALBAは、キューバ、ベネズエラなど明確に反米諸国が軸になって、米帝の支配からの脱却を目指して推進されているが、それ以外にもラテン・アメリカにおいては反米・非米の地域的枠組みが形成されつつある。
 九一年にアルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイによって形成された南米南部共同市場(メルコスール)は、ベネズエラ、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビアが加盟し、南米全域に広がる経済統合となっている。
 また、ボリビア、コロンビア、コスタリカ、エクアドル、ペルー、ウルグアイ、ベネズエラの七カ国によって南米準備基金(FLAR)が形成されている。加盟国の拠出金をもって、国際収支赤字国に信用供与、融資をおこなうものだ。これは、過酷な融資条件(コンディショナリティ)を課すIMFの影響力を排除するためのものである。FLARは、加盟諸国間で為替相場、通貨、金融政策の協議を行う場にもなっている。
 〇八年五月には、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラ、ペルー、ボリビア、コロンビア、エクアドル、チリ、ガイアナ、スリナムの南米十二カ国の臨時首脳会議が開催され、南米諸国連合(ウスナール)設立が合意された。ウスナールは、貿易や金融、エネルギー、インフラ整備などの経済協力とともに、社会政策、教育、軍縮、核兵器問題などの政治問題においても国際協力を行なうことを設立条約で明記している。
 ALBAをはじめとするラテン・アメリカ諸国の独自の地域的枠組み作りの動きは、米帝がめざす北米自由貿易協定(NAFTA)の米州全体への拡大という意図に反して、米帝の支配から脱却して経済、政治の運営をなしていこうという意思を明確に打ち出している。米帝の間近で、その植民地支配、米海兵隊を尖兵とした侵略反革命戦争を被り続けてきた米州諸国が、団結した反撃を開始しているのだ。


  ●4 排外主義と保守主義の台頭

 米帝が主導したイラク戦争、アフガニスタン戦争を軸とした「対テロ」戦争を引きずりながら、〇八年恐慌に突入した現代世界は、国家間の対立を深めながら、各国内部においては排外主義・保守主義が急激に台頭するという事態に直面している。
 米国では昨年四月、アリゾナ州が独自の移民法案を打ち出した。その骨子は「身分を証明できる書類を持たない移民は犯罪者とみなし、警察に捜査権限を与える」という強権的なものだ。この法案に対しては、他の州が非難し、オバマも反対を表明したが、アリゾナ州はこれを維持しようとしている。
 九月五日には、ロサンゼルス市で警官がグァテマラからの移民男性を射殺した。六日には抗議行動が起こり、七日には抗議する群集が警官隊と衝突して、二十二人が逮捕された。
 昨夏、ニューヨークにおいては、〇一年9・11攻撃を受けたニューヨークの「グランド・ゼロ」付近にイスラム寺院が建設されることに対して、反イスラムの排外主義的反対運動がおこった。この反イスラム運動の中で増長した保守系キリスト教会牧師が「九月十一日にコーランを燃やす」なる発言を行い、イスラム系諸国が反発した。それは、米軍アフガニスタン駐留軍司令官が「イスラム感情を逆なでし、米軍の安全を脅かす」と批判するほどだった。
 米国ではこの排外主義の台頭と同時に、「ティー・パーティ」(茶会)なる保守主義の反オバマ運動が急激に拡大した。オバマ民主党政権を批判する茶会運動は、昨年の米中間選挙において、共和党と結びつきながら、保守主義をかかげる候補を当選させた。茶会運動は、表面的には「財政保守主義」として医療保険制度改革や富裕層増税に反対する運動だが、参加者の多くは宗教保守勢力である。かれらは、オバマを黒人、社会主義者、「ムスリム」として中傷している。移民流入問題に対しても「断固とした措置」をとるべきという排外主義的主張をもっている。
 欧州では、失業率の高まりとともに移民労働者への差別、排撃が拡大している。それは、政府の反イスラム政策として表れている。昨年、パリ市は「公営プールでのイスラム水着の着用禁止」なる条例を制定した。また、ベルギーは昨年「イスラム系女性の顔を隠すベールの着用禁止」という法を制定した。このようなベール着用禁止は、スペイン、イタリア、イギリスの一部にも拡大している。ベルギーとフランスでは、イスラム系住民が大規模な抗議行動に立ち上がっている。
 フランス・サルコジ政権は昨年八月、ロマ人七百人をルーマニアとブルガリアに強制送還すると発表した。フランス政府はこれまでもロマ人の「自主的帰還」を進めてきていたが、今回のような強制排除は初めてだ。サルコジ政権は「不法移民のキャンプ撤去」だとして強行した。九月四日には、サルコジ政権の暴挙に対する抗議集会・デモがパリを中心にフランス全土で行なわれ、十万人が参加した。ロマ人追放反対の抗議行動は、ベルギーやポルトガルなどフランス以外の欧州各地でも取り組まれた。
 ドイツにおいても、今再び民族排外主義が強まっている。ドイツは戦後、トルコなどからの移民を積極的に受け入れ、全人口の20%近くが移民とその子孫という社会だが、経済危機に直面して移民制限の主張が強まっている。与党・キリスト教社会同盟党首ゼーホーフは「異なる文化圏からの移民はもう必要ない」と主張し、メルケル首相も「多文化共生社会は失敗した」と発言している。極右政党・ドイツ国家民主党(NPD)は、この排外主義拡大の状況を議会進出=勢力拡大の好機と捉えている。
 恐慌の深まりの中でブルジョアジーは、その凶暴性を包み隠すことなく労働者に襲いかかり、権利を奪い、搾取を無制限に強めている。ますます閉塞する社会で排外主義が高まり、労働者をここに動員する攻撃が強まっている。日本における排外主義の劇的な強まりも、この世界情勢の中で起こっていることなのだ。民主党―菅政権は、日本帝国主義を体現するものとして、釣魚諸島の「領有権」を主張し、日米安保の範囲を位置付けなおして日米合同演習=戦争準備に着手している。
 朝鮮半島情勢の緊迫化の中での日米軍事同盟の強化は、戦争情勢激化を推進することである。あろうことか、菅政権はこの戦争情勢激化と連動させて、朝鮮学校の無償化除外を継続しようとしているのだ。これと呼応するかのように、右翼集団が反中国など排外主義デモを組織している。同時に、在特会に端的な右翼集団は、在日朝鮮人民、在日外国人に対する排外主義襲撃に手を染めている。
 新自由主義グローバリゼーションが、モノ、カネ、ヒトの移動の「自由」を進めてきたことの結果が、貧困と格差と排外主義の激化だ。帝国主義は恐慌の中で、グローバリゼーションの矛盾を、戦争と排除という極めて残虐な手段で「解決」しようとしている。そうであるからこそ、排外主義との対決は、プロレタリア国際主義の最重要の課題なのである。


  ●5 国際階級闘争の前進と社会主義の新たな胎動

▼(1)恐慌下、政府と資本に対する闘い


 九月二十九日、ベルギーのブリュッセルで、EU諸国の緊縮財政措置に反対する大規模なデモが行われた。欧州労働組合連合が呼びかけた「欧州統一行動」であり、ブリュッセルでの中央行動をはじめとして欧州十三ヵ国で共同行動がなされた。この日、欧州委員会はEUの財政ルールである「安定成長協定」を改定し、財政規律維持のための制裁強化案を提示した。それは、EU各国政府に政府債務の削減を義務付け、規定の債務削減に違反した場合はGDPの0・2%の制裁金を科すというものである。ギリシャ危機から広がった財政不安の中、欧州各国は財政再建―緊縮財政路線に突き進んでいる。
 〇八年金融恐慌に際して、米欧の住宅バブルに投機し続けて破綻に直面した金融機関をEU諸国も公的資金を投入して救済してきた。そして、G20の合意の下に財政出動をもって恐慌の深化をくい止めてきた。しかし、国家財政破綻の不安が広がるやいなや、緊縮財政路線を打ち出して、労働者人民に矛盾を転化し始めたのだ。
 欧州各国は、欧州委員会での緊縮財政路線の下で、二〇一一年予算の策定に入っている。欧州諸国が今とろうとしている緊縮財政とは、公務員給与削減や付加価値税率引き上げなどの増税である。各国で緊縮財政政策が具体化するのに対して、労働者階級人民の抗議行動が欧州全域で開始されている。
 スペイン・サパテロ政権は、公務員給与の5%削減、年金支給額引き上げ凍結、解雇コストを減らすことを目的にした労働市場改革案を発表した。労組はこの政策すべてに反対して二十四時間ゼネストに踏み切った。ポルトガルも、公務員給与の5%削減、年金支給額引き上げ凍結、付加価値税を2%ポイント引き上げて23%にする、などの緊縮財政策を発表した。ポルトガルでも十一月にゼネストが呼びかけられている。フランス・サルコジ政権は、「年金財政健全化」と称して、最低退職年齢を六十歳から六十二歳に引き上げる年金改革を打ち出した。フランスの労働組合は九月、十月連続してデモ、ストライキに立ち上がっている。
 欧州各国は昨年十一月、緊縮財政政策として教育予算の削減を打ち出してきた。英国政府の学費三倍値上げの方針に対して、ロンドン、マンチェスターなどで連日数千人の大学生がデモに立ち上がり、大学を占拠し、街頭で警官隊と衝突している。イタリアでは教育費削減によって教師不足が起こっており、ローマで数千人の学生がデモに立ち上がっている。

  ▼(2)中国における日帝企業足下の労働争議

 昨年五月から六月にかけて、中国広東省などの日系自動車部品工場などを中心に労働争議が多発した。ホンダ、トヨタなどの日系企業、合弁企業で、賃上げ、待遇改善を求めてストライキがたたかわれた。広東省は自動車・自動車部品工場が密集しており、労働者間の連携もある。五月十七日にホンダの自動車部品工場でストライキがおこると、五月下旬から六月にかけて、他の自動車部品工場や、東芝(電機)、ブラザー(工業用ミシン)などの工場にまで争議が拡大した。
 中国の経済成長は、日本、ドイツ、アメリカなどの外国資本の導入、合弁会社の設立を通して急激に進んできた。中国は、他のアジア諸国における外資導入とは異なって、外資の参入に対して、業種や資本比率に関して様々な制限を行なって、国内産業を保護してきた。一方で、急激に成長した自動車産業、電機産業においては、合弁企業化することで帝国主義の資本と技術が大規模に移転されてきたのである。
 しかし、帝国主義の工業技術は、ものづくりの技術であるとともに労務管理の技術なのであり、工場労働の徹底した合理化である。しかも、生産が急拡大する中国の自動車産業においては、残業や休日出勤が常態化していた。急成長する中国経済と、そこへの侵出に延命をかける帝国主義資本の下で、徹底的に酷使されてきた労働者の決起として、中国の労働争議はある。

  ▼(3)社会主義政党の誕生と成長、国際的結合

 世界恐慌の下で拡大する貧困と格差。鬱屈する社会において台頭する民族排外主義、保守主義。帝国主義は侵略反革命戦争への衝動を強め、戦争準備に傾斜している。この閉塞する状況を根底的に打ち破るのは、世界各国で開始された労働者階級人民の決起であり、これを統合し、プロレタリア革命への展望を指し示す革命的労働者党の形成とその成長である。ソ連邦―東欧圏の崩壊、中国スターリン主義の全面的な資本主義化への転落の中で、階級闘争の前進を基盤として世界各国で社会主義政党建設は改めて進みつつある。
 上に見たラテン・アメリカ諸国における地域的枠組みは、キューバ、ベネズエラ、ボリビアなどの反米諸国を軸にして進みつつある。それぞれ独自の内容を持ちつつも、労働者階級や先住民族の利害を掲げて社会主義的政策を選択し、国内外において政治的力を獲得してきている。
 米帝足下においても、「社会主義と解放のための党」(PSL)に端的なように、そのプロレタリア革命の内容において排外主義との対決、ラテン・アメリカ諸国の革命運動との結合をはっきりと基底に据えた社会主義政党が成長しつつある。
アジアにおいては、フィリピン共産党(CPP)が反帝民族解放―社会主義革命の路線を堅持してフィリピン人民の先頭に立ってたたかっている。帝国主義の資本輸出は、これまで第一次産業を中心にしていた諸国の工業化を進展させ、大量に労働者を生み出してきた。一方では、食料や工業原料となる第一次産品価格を安く抑えてきた。新自由主義政策の地球規模での展開は、帝国主義資本のこのような侵出をさらに進めるだけでなく、金融投機資本の流入流出をもって収益を掠め取っていく。米帝のアジアにおける軍事的覇権は、この帝国主義資本の搾取と収奪の構造を護持するものである。CPPをはじめとするアジア各国の革命党は、帝国主義の現実の攻撃と日々対決しているのである。
 また、韓国においては昨年、社会主義労働者政党建設共同実践委員会(社労委)が発足した。抗日闘争を歴史的な出発点としながら、軍事独裁政権の国家保安法体制の下で共産主義運動が弾圧されてきた韓国にあって、八〇年代後半以降の労働運動の高揚の中で、労働者党建設は繰り返し模索されてきた。社労委は、明確に社会主義を掲げた階級政党を建設していくことを目指して発足した。韓国では現在、新自由主義政策の下で膨大な労働者が非正規化されている。この攻撃に対して、非正規労働者を軸にした戦闘的な労働運動が再生しつつある。この戦闘的階級的労働運動と社会主義政党の結合こそが、韓国階級闘争を強力に推し進めていくであろう。
 〇八年金融恐慌は、保護主義と財政危機へと、その矛盾を深めている。財政危機の矛盾は労働者階級人民に転化され、極限的な生活破壊が強いられている。帝国主義は対立を深めながら、侵略反革命戦争への衝動を強めている。そして、帝国主義国内では排外主義と保守主義が激化している。しかし、破たんした新自由主義の先に、別の資本主義がある訳ではない。この時代にあってこそ、革命運動の前進と革命的労働者党の建設が強く求められている。
 国際的団結をもってプロレタリア革命を推し進め、現代帝国主義を根底的に打ち破っていこう。労働者階級人民の自己解放をかちとるべく、ともにたたかっていこう。




  ■第二章 国内情勢

  貧困と格差、戦争と排外主義攻撃と対決し
  反戦闘争、労働運動の前進かちとろう




 この章では、現在の日本国内の経済・政治情勢の特徴について述べ、このなかでわれわれに要求されている政治的任務について提起する。


  ●1 長期不況を脱しえない日本資本主義

 一九九一年のバブル崩壊以降、日本経済は長期にわたる低迷状況にある。二〇〇八年九月のリーマン破たんを契機とする世界金融恐慌は、日本経済の状態をいっそう悪化させた。リーマン・ショックの当時においては、「日本の金融機関は基盤が安定しており、日本は世界金融危機の影響をそれほど受けることはない」などの楽観的予測も流れていた。しかし、金融危機が実体経済に波及し世界恐慌に転化するにおよんで、日本経済の落ち込みは先進資本主義諸国でもっとも深刻なものとなった。IMFによれば、日本のGDP成長率は〇八年にマイナス1・2%、〇九年にはマイナス5・2%を記録した(昨年七月発表)。二年連続マイナス成長となったのは、日本以外の先進資本主義国ではイタリアのみである。
 円高・株価下落・デフレがつづくなか、〇八年以降、日本経済の停滞感はいっそう強まっている。こうした事態をさして「失われた二十年」ということばが、いまや日本社会にすっかり定着した。
 日本資本主義が世界第二位の経済大国の地位を誇ることができた一時代は終焉した。たしかにいまだ日本は「経済大国」である。減少しつつあるとはいえ日本は経常収支の大幅黒字国(約十三兆円・〇九年)であり、世界一の債権国(対外純資産二百二十六兆円・〇八年末)でもある。だがそれらを可能にしてきた経済成長の条件は急速に失われつつあるのである。
 「失われた二十年」はさらに次の十年へと引きつがれていく可能性が高い。いずれまた成長の時代がやってくるという「成長神話」は崩壊しつつある。このもとで隠されてきた日本における資本主義の矛盾、階級矛盾がますますあらわになり先鋭化していくことも避けられない。日本支配階級は、みずから生み出した諸矛盾を労働者階級・人民に強引に押し付けようとする動きを強めている。搾取・収奪の強化が途切れなくつづき、「貧困と格差」がさまざまな形態をとって広がりつづけている。
 失業と非正規雇用の拡大、リストラ・解雇と賃下げ、長時間労働のまん延、過重労働による労災・健康被害の多発などが労働者階級を襲っている。新卒者の就職率は低下し、第二の「ロスト・ジェネレーション」が出現すると予測されている。農家や中小・零細企業が苦境に立たされている。日本の農業就業人口はこの五年間で22・4%減少し、二百六十万人となった(昨年十月・農水省発表)。農業の衰退、公共事業削減、規制緩和、地場産業の低迷、あるいは大都市一極集中のもとで地方経済の疲弊がつづいている。そして地方・都市部を問わず、福祉・医療・年金・介護・教育制度のさらなる劣化、生活保護世帯の増加、自殺者十二年連続三万人超などの事態をともないながら社会の荒廃がとめどなく進んでいる。「明日の生活は今日より良くなる」という幻想は崩れ去り、人々の不安感が社会の深部から強まりつづけている。


  ●2 日本資本の生き残り戦略

 日本資本主義が停滞状況を脱しえないでいるのは、直接には次の二つの要因があるからだ。第一は国内市場の縮小である。少子高齢化と人口減によって、今後、国内の消費水準が低下しつづけていくことは避けられない。労働者階級・人民の貧困化がこの傾向にさらに拍車をかける。賃金水準が低下し(〇九年には民間企業従業員の年間給与は前年比二十三万円減、下げ幅は過去最大となった)、雇用不安・将来不安が強まっていけば人々の消費意欲が減退していくのは当然である。「失われた二十年」とはデフレの継続であり、その主原因のひとつが、消費者である労働者階級・人民の貧困化―商品購買力の低下にあることもまた明らかである。だが日本のブルジョアジーは「賃上げによる内需拡大」や「所得再分配による景気回復」などの政策をとろうとはしない。むしろブルジョア階級は、社会のなかにぼう大な貧困層が形成されていくことを放置し、あるいはこれを意識的におし進めることでさらなる利潤を追求しようとしている。
 「失われた二十年」をもたらしたもう一つの大きな要因は、日本資本の国際競争力の低下である。資本の運動がますます世界化していく時代は、資本間の競争がグローバルに激化していく時代でもある。新旧の資本が世界市場を舞台にして激しい競争をくり広げている。昨日の市場の覇者が、今日も勝者でありつづける保証はどこにもない。日本資本の場合、かつては世界市場で圧倒的なシェアを占めてきた造船や粗鋼などのいわゆる重厚長大型の産業部門で、また相対的に新しい産業である電子部品、半導体、太陽電池パネル、パソコン、薄型テレビなどの諸部門で市場占有率を低下させている。日本最大の基軸産業と言える自動車産業においても市場競争はいっそう強まり、日本の自動車メーカーは苦戦している。日本企業は国際的な競争において劣勢を強いられている。
 「日本経済産業新聞」(昨年七月二十七日付)は、「二〇〇九年の世界シェア二十六品目のうち日本勢が首位についたのは合計六品目」「〇八年と比べて一品目少なくなった。米国は八品目、韓国は五品目……」と報じている。日本資本は韓国や台湾資本、あるいはBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)など新興国からの急速な追い上げに直面している。
 日本のブルジョアジーは大いなる危機感をもって現在の事態をとらえている。経済の停滞は次の新しいより大きな危機を呼び起こしていく可能性がある。それは日本の国際的地位・威信も低下させていく。旧来の成長の条件が失われたなかで、新たな資本蓄積の道をどのようにして切り開いていくかが日本の総資本にとって死活問題となっている。
 日本最大の財界団体・日本経団連は、民主党鳩山政権が迷走をつづけていた昨年四月、「豊かで活力ある国民生活を目指して~経団連 成長戦略二〇一〇」と題する文書を発表した。「成長戦略二〇一〇」は、その名のごとく、長期低迷状況にあえぐ日本経済の立て直しをはかろうとする日本ブルジョアジーの包括的・戦略的な政策提言である。その内容は狭義の経済領域にとどまらず、教育、社会保障、保育、科学・技術、医療・介護、環境・エネルギー、あるいは観光、農業、税制など広範囲におよぶ。ここには「基本的な経済政策」として次の「三つの柱」があげられている。すなわち、「企業の国際競争力の維持とさらなる強化」「新しい内需の創出と成長力の強化」「柔軟性とセーフティネットを兼ね備えた労働市場の構築」である。力点は「経済のグローバル化の進展」のなかで「自国企業の競争力」をいかに高めていくかという点におかれている。そしてこの国際競争力の強化という観点から、今後の日本社会のあり方、制度・政策の内容が論じられている。中心戦略として打ち出されているのが「アジア経済戦略」である。それは「アジアとともに成長する日本」あるいは、もっとあからさまには「アジアの需要獲得」などと表現されている。世界最大の米国市場の収縮、日本国内市場の縮小が確実視されるなかで、日本独占資本はアジア・新興国市場に展望を求めていく以外になくなっていることを、これらは如実に物語っている。
 「アジア経済戦略」の要は、アジア・新興諸国に商品だけでなく資本を輸出し、日本企業の生産拠点をいっそう拡大していくことにある。日本独占資本の海外進出の動きは、一九八〇年代の中期に本格的に開始された。この時期、それは急速に進行した円高がもたらした為替差損を回避するという性格が強いものであった。現在の日本資本の動向は、それとはやや様相を異にする。今日の、とくにアジア・新興諸国への日本の資本輸出は、最初からいわゆる「地産地消」型の進出をめざしている点に大きな特徴がある。海外に工場を建て、そこで生産した商品を迂回輸出や日本への逆輸入に回すだけでなく、その多くを現地の市場で販売しようというものだ。このとき独占資本にとって、円高は決してマイナス要因とはならない。資本は円高を海外進出の武器として積極的に利用している。日本企業の海外生産比率は上昇しつづけている。これらは日本独占資本の多国籍企業化が、新しい段階に入りつつあることを示している。
 日帝資本もまた他の帝国主義・巨大資本と同様、貿易・投資の自由化、貿易障壁・投資障壁の撤廃をアジアの他の国々・地域に強く要求している。前出の経団連文書中の「アジア経済戦略」の項では、「アジアにおけるEPA―FTAの空白解消とFTAAPの実現」がうたわれている。昨年十一月に開催された横浜APEC(アジア太平洋経済協力会議)では、このFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)構想を推進していくことが大きな課題となった。横浜APEC首脳会議では、「より強固で深化した地域経済統合を促進する共同体」をめざすことなどを盛り込んだ首脳宣言「横浜ビジョン」が採択された。「自由貿易圏構想」「地域経済統合」と言えば聞こえはよいが、それで潤うのは一部大独占であり、これと癒着する資本進出先の反動勢力だけである。自由貿易圏構想を先取りするかたちで民主党政権下でも、アジア地域への原発輸出、鉄道・水道設備などインフラ輸出を促進していこうという動きが政府・企業一体となって展開されてきた。そして他方では、こうした資本の動きと連動して、日本国内では製造業における産業空洞化、農業切り捨てをさらにおし進める農産物輸入自由化、あるいは低賃金外国人労働力の移入などが進んできた。
 日本独占資本の活動はよりグローバルな性格を強め、進出先の政治・経済・社会により深くコミットするものとなっていく。日本資本の海外進出は、これまでより以上に強圧的・侵略的性格を強めていくということだ。現にアジア地域への日本資本の進出の拡大は、フィリピン・トヨタの事例などに示されているように、進出先で、現地の労働者・労働運動への抑圧・強化をもたらしている。昨年は中国で、ホンダをはじめ数多くの日系企業の工場において、低賃金と過酷な労働条件に抗議するストライキがいっせいにわき起こった。このとき日本資本が示した態度は、労働運動忌避とストライキへの敵対であり、「問題を起こせば工場を移転するぞ」という脅しであった。だが個別資本の力にはおのずと限界がある。独占資本は自分の工場での労働争議をなんとか自力で押さえ込むことはできるかも知れない。しかし「規模がもっと広がったらどうするのか。資産の接収にまで事態がいたるようなことはないのか」、資本の心配事には限りがない。生き残りをかけて「アジア・新興国シフト」に進まざるをえない日本資本は、こうして自己の海外権益をあらゆる危険から防衛することを自国政府にますます強く要求するようになる。昨年十月、中国各地で広がった反日デモにさいしても、その一端ははっきり示された。


  ●3 自公政権を上回る菅民主党政権の反動性

 このような日本ブルジョアジーの階級的利害を、何のためらいもなく代表しようとしているのが菅民主党政権である。昨年六月、「普天間問題」と「政治とカネの問題」で追いつめられた民主党政権を救済するべく、鳩山に代わって新たに菅が首相に就任した。民主党は政権の「顔」を変えることで危機的な事態の乗り切りをはかった。菅の登場によって、民主党は支持率の「V字回復」を実現した。だがそれは一時的な現象にとどまり、その後、民主党支持率はむしろ急落していった。そうなった理由は二つある。一つは、大きな期待を抱かせて成立した鳩山民主党政権に対する人民の側の失望が、あまりに深く大きかったからである。二つは、代わって登場した菅政権の、徐々に明らかになっていったその内容が、鳩山政権に比べてさえ、あまりにもひどかったからである。
 鳩山と同様、当初は菅もまた、人民の苦悩に寄り添うかのような姿勢や理念を示していた。菅は六月の首相就任会見で、「最小不幸社会」をめざすと述べた。つづく所信表明演説では、「社会的排除や格差が増大」する現実についてふれながら「『一人ひとりを包摂する社会』の実現」などと主張していた。その後、こうした理念の表明は影をひそめ、しだいに疑念を抱かれていったのは、菅政権はその言辞とは裏腹に、旧自公政権よりもっと悪質な政権ではないのかということであった。
 少なくとも鳩山前政権は、財界や官僚、そして米国とのあいだに一定の距離をおこうとする姿勢を示していた。菅政権はそれらを振り捨て、前鳩山政権の種々の公約(〇九年衆院選マニフェスト)を白紙にもどし、公然と財界・官僚・米政府に迎合していく姿勢をあからさまにし始めた。首相就任後ただちに菅は財界との関係改善に着手し、消費税率を10%に引き上げると公言した。そして初の所信表明演説に、経団連「成長戦略二〇一〇」の内容を大幅に取り入れたのである。
 菅は小沢・鳩山らの「国民生活第一」路線を否定し、「経済・財政・社会保障の一体的立て直し」をかかげて、緊縮財政・増税路線に立つことを明確にした。対外路線においては、菅は小沢・鳩山が主張していた「対等な日米関係」論をしりぞけて親米・日米同盟最優先の立場を明確にした。六月の所信表明演説では、日米同盟を「国際的な共有財産」とまで規定し、その変わらぬ重要性を強調した。そこには、日米安保体制はグローバルな軍事同盟に変えられていくべきであり、日本は米帝の力の後退を軍事的にも補っていくべきであるという危険な志向が内包されている。
 だがこうした菅の主張に対して、小沢・鳩山らのそれが「よりまし」で擁護されるべきものであるとはとうてい言えない。たしかに小沢は反米・親中国派とみなされて米帝からも危険視され、政治生命を危うくさせるほどの大きな圧力を受けてきた。しかし小沢は日米同盟を破棄することを主張してきたわけではない。小沢らの「対等な日米関係」論の真意は、日本企業の利益を拡大する「アジア・中国重視」「東アジア共同体構想」のために日本は米国とは一定の距離をおくべきであり、また米軍に全面依存しなくともすむ独自軍事力を保有せねばならないという点にあるのだ。また小沢が主導してつくられた民主党の「国民生活第一」路線について言えば、それが一定の民衆的支持を受け、民主党を政権につけたひとつの要因であったことは事実である。だがその政策内容は、子ども手当や高速道路無料化などにみられたように、ポピュリズム的・マヌーバー的であり、政策としても整合性を欠くものであった。それらは、生活苦や生活不安にさいなまれる人々を取り込むためのいわば「手当て」であり「宣撫」にすぎないものであることは、すでに鳩山政権成立以降の短い過程のなかでも明らかになったことである。
 七月の参議院選挙において民主党は大敗した。菅はその責任を問われたが、九月の民主党代表選において小沢を破り、ふたたび政権の座についた。代表選を乗り切ったのちの菅政権は、全体としてはさらに「右」に傾斜しつづけた。菅政権は、法人税の引き下げ、国会議員定数の削減、派遣法抜本改正の先送り、「高校無償化」からの朝鮮学校排除、TPP(環太平洋パートナーシップ)への参加などの策動に加え、米軍再編―沖縄・辺野古新基地建設推進、自衛隊沖縄配備の飛躍的増強、武器輸出三原則の緩和、非核三原則の見直しを含む新防衛計画大綱の策定、天安艦沈没事件を口実にした朝鮮民主主義人民共和国への敵視政策の強化、釣魚諸島略奪策動と反中国の排外主義宣伝など、戦争国家化を推進する反動的・反人民的政策を進めてきた。菅民主党政権の諸政策は大ブルジョア階級・国家官僚(外務省・財務省・防衛省など)の意向を大きく反映するものとなり、「菅政権は自民党政権と何も変わるところがない」と評されるようになった。いやむしろ、菅政権は自公政権時代を上回るような悪政をごり押ししていると言うべきである。そして十一月下旬から一気に緊迫化した朝鮮半島情勢を受けて、菅政権は米帝の軍事展開を支えつつ臨戦態勢に突入した。
 つけ加えれば、こうした反人民的な菅政権を積極的に支えているのが、民主党最大の支持基盤である連合指導部である。かれらは多国籍企業と一部上層労働者の利益を代表する帝国主義労働運動派にほかならない。連合指導部は民主党政権の内容を直接規定している。
 いずれにせよ菅政権が日本帝国主義・総資本の利益のみに顔を向け、さらに右へ右へとシフトしつづけるならば、それは確実にみずからの命取りとなっていくだろう。


  ●4 二大政党支配下の階級闘争

 世界恐慌情勢の深化、中心国・米帝の後退と中国の台頭、日本経済の長期停滞という大きな情勢のなかでは、自民党政権であろうと、民主党政権であろうとブルジョア保守政権が不断の動揺や行きづまりを強いられるのは避けられない。小泉政権以降の「五年で五回の首相交代」という事態はそれを象徴している。短期政権がつづいているのは、単に「政治家の資質」のせいではない。保守政権の側は自民党であれ民主党であれ、結局、労働者人民の側に忍従を強い、生活の展望や希望を奪うような政策しか打ち出せなくなっているのだ。保守政権によってブルジョア階級の利害の追求があからさまに行なわれれば行なわれるほど、それだけ人民の側からはいっそう大きな反発が生み出されていく。それがこの数年現出しつづけてきた事態である。安倍、福田、麻生、そして鳩山の「四人の首相」は、何よりも政権政党に対する労働者人民の不満や批判の高まりのなかで「政治家としての資質」を問われ、首相の椅子から降りることを余儀なくされてきたのである。小泉政権以降、〇七年七月の第二十一回参議院選、〇九年八月の第四十五回衆議院選、そして昨年一〇年七月の第二十二回参議院選と三回の国政選挙が行なわれてきた。これらの選挙において共通しているのは、いっこうに改善されることのない現状に対する労働者人民の不満と怒りが選挙結果を深く規定してきたということだ。この趨勢・動向はいまなおつづいている。新首相・菅が、就任直後の「消費税発言」によって有権者の怒りを買い、つづく参院選での民主党大敗の責任を取らされるかたちで、あやうく「五人目の首相」となる寸前まで行ったのはつい半年前のことである。そして菅政権の内閣支持率は九月をピークに下降しつづけている。
 しかし、たとえ政権政党に対する労働者人民の怒りが爆発し、「一票一揆」が政権交代をもたらすような事態になったとしても、それは人民の側のほんの初歩的な勝利を意味するにすぎない。このかんの三つの国政選挙においてそのことは明確に示された。結果として人民の憤激は、自民・民主の二大政党間での、いわば票のやり取り・融通と、政権のたらい回し・首のすげ替えのうちに集約されてきたのである。〇九年に麻生自民党政権が行きづまると、同じブルジョア政党である民主党・鳩山が「古い政治からの脱却」をかかげて有権者を引き付け、鳩山政権が人民の失望を買うと、今度は民主党の内部から「市民運動出身」の菅が新首相に就任する。階級としてのブルジョアジーの側は、政権交代によって決定的な打撃を受けなかった。政権の入れ替わりはあたかも演出された政治ドラマであった。そうした政治劇のくり返しを通して、日本資本主義・日本帝国主義の利害は貫徹されてきた。その結果、労働者人民の生活の困難、社会の荒廃は大きく改善されるどころかむしろ悪化し、独占資本のみが巨大な利益をあげつづける社会構造がさらに堅固になるという事態を招いてきたのである。
 二大保守政党政治はこの数年間、日本的特徴をもって実現されてきたとみることができる。日本の二大保守政党政治は米国やイギリスのような安定性を欠いてはいるが、それなりに機能してきたということである。自民・民主の両党がこのかんの国政選挙で獲得した議席総数は全体の八割から九割を占めている。社民党・共産党の左翼野党勢力は、さらに減少していく傾向にある。
 比例区定数の削減などによって、少数政党を議会から排除しようとする攻撃もますます強まっている。このような動きには断固反対せねばならない。だが社民党・共産党が根本的な点で誤りをおかしていることも見過ごすわけにはいかない。人々に深い苦悩を強いているのは資本主義(帝国主義)そのものであるのに、かれらはこれとたたかうことを人民に呼びかけず、その改良や強化を党是とすることで、みずから墓穴を掘っていると言わねばならない。
 支配階級は、人民の深い怒りが時々の政治劇と二大政党政治のもとに集約されていくことを望んでいる。それはある程度までは成功してきた。しかしそうした状況が単純に続いていくとは考えられない。そもそも、二大政党制は人民の広範な政治参加を可能にするシステムとはならない。逆にそれは議会政治を一部の人間に独占させ、多くの人々を政治そのものから疎外し排除しつづける。圧倒的多数の労働者人民と議会・国政のあいだには深い溝がつくられる。その裂け目からは労働者人民の巨大な怒りが噴出していく可能性が常に存在する。被支配階級の大多数に一片の希望さえ与えることができなくなった、ほかならぬブルジョアジーの政治と支配そのものが、階級闘争を不断に生み出し、その発展を可能とする条件を拡大させずにはおかない。
 二大政党が国政を支配する状況のもとで、この閉塞的状況を突破するような階級闘争の新しい動向・諸要素、さまざまな大衆運動・社会運動の前進・発展が生まれている。資本主義社会変革の主体として労働者階級(下層)はその数を増加させ、貧困の深まりのなか、資本主義こそが矛盾の根源ではないのかという意識も徐々に広がっている。いま必要とされているのは労働者階級の団結であり、団結した階級による力強い階級闘争である。階級闘争こそが、真の意味で労働者人民に生きる勇気と将来への展望をもたらす。もはや資本主義は大多数の人民にとってはあらゆる意味で桎梏でしかなくなった。階級闘争の発展は、資本主義に代わる新しい社会(共産主義)の内実を準備し、その展望をも切り開いていくだろう。これを促進していくために、われわれは国家・資本とたたかう労働者人民の現実の諸闘争の先頭に立つ。
 二〇一一年こそ日本階級闘争の大きな前進の年としていかねばならない。われわれは全国のたたかう労働者・人民・学生に、次の三つの闘争を日本階級闘争の攻防の環として戦略的に重視し、ともにたたかうことを呼びかける。
 第一は、日米帝国主義による朝鮮戦争発動策動と対決し、全国反基地闘争のさらなる発展をかちとることである。沖縄反基地闘争・沖縄解放闘争の不屈の前進のなかで、全国反基地闘争は日本の人民闘争の中軸的位置を占めつつある。十一月沖縄知事選では、普天間基地の「県外移設」を突如として主張し始めた仲井真が僅差で当選した。しかし、仲井真に「県外移設」の主張を強制した沖縄人民の反基地の確信の深さには何ひとつ変化はない。沖縄を先頭とする全国反基地闘争は米軍再編、日米安保強化、日本の戦争国家化とたたかう最大の戦場である。その発展は日本階級闘争の再生の鍵を握っている。朝鮮戦争前夜とも言える状況下で、われわれは戦争阻止をかかげてたたかい、沖縄・岩国・神奈川をはじめとする全国反基地闘争の高揚、そしてそれらの固い結合を、全力をあげて実現していかねばならない。
 第二には労働運動の階級的発展のためにたたかうことである。労働者階級(下層)の窮乏化のなかで、全国で労働者たちの止むにやまれぬ闘争が広がっている。階級闘争の発展にとって労働組合と労働運動の持つ意義がいっそう高まってきている。日本の労働者階級が社会主義革命の主体として成長していくために、労働組合・労働運動のなかで着実な活動が組織されていかねばならない。とくに中小労組の全国組織と地域ユニオン運動を強化していくことが重要である。
 第三には、排外主義との闘争、国際主義をかかげた闘争を推進していくことである。民主党菅政権下で、差別主義・ナショナリズムとむすびついた排外主義の扇動・育成の攻撃がかつてない規模で強められている。「在特会」や「頑張れ日本!全国行動委員会」(会長・田母神俊雄)など排外主義集団の活動が活発化している。排外主義は労働者の結びつきを分断し破壊する。これとたたかうことなくして、階級の団結も階級闘争の発展もありえない。労働者階級人民が国際主義の精神をもって武装していくこと、これが排外主義と闘争する最良の道である。反帝国主義闘争をアジア人民の国際共同闘争として推進してきたわれわれの数十年の蓄積と成果を、いまこそ発揮してたたかうべきときである。
 二〇一一年、全国のたたかう労働者・人民・学生は、全国反基地闘争、階級的労働運動、被抑圧人民・被差別大衆の自己解放運動、学生運動、反帝闘争の拠点・三里塚闘争などをはじめとする全国のさまざまな戦線で、精力的・献身的にたたかいぬこう。




  ■第三章 党建設

  革命的労働者党の建設に勝利し、
  プロレタリア日本革命の道を切り拓こう


  ●1 21世紀初頭における労働者党建設をめぐる状況


 二十一世紀の初頭、資本主義と帝国主義の世界体制は大きな変容を遂げて、よりグローバル化し世界秩序の再編成に向けて激動し、危機の様相を深化させている。労働者階級と被抑圧人民の生存と生活の様式はこの再編と危機に伴って、一層過酷で深刻なものになっている。戦後の六〇~七〇年代ベトナム、インドチャイナ民族解放革命戦争の前進や、九〇年前後のソ連・東中欧のスターリン主義体制の崩壊に比すべき世界体制の動揺と再編が、現在、激烈に進行しているのである。資本主義、帝国主義は歴史的に行きづまり、危機の突破を労働者階級、被抑圧人民の犠牲、搾取と収奪の一層の強化によって進めようとしている。労働者階級と人民にとって資本主義と帝国主義が自らの生存と生活にとって極めて敵対的なものでしかないことが一層明らかになっている。現状は労働者階級と被抑圧人民を主体としたプロレタリア革命によってしか打開できないことは明らかだ。実際、二十一世紀に入って、労働者階級人民の抵抗運動、反政府闘争は全世界で拡大してきている。たたかう主体は九〇年代―前世紀末に落ち込んだ自らの解放の理論、解放の思想の解体的状況を乗り越えて、いま、共産主義、社会主義、プロレタリア解放、人民解放、民族解放などの自己解放の理論や思想、概念を運動の現実に根差して復権する動きを拡大させている。新たな革命と解放のための基軸をもってである。わが同盟はブントとして、この現代の資本主義世界、帝国主義世界の危機的様相を批判し、これを打倒するべくたたかい抜いてきた。革命の総路線を明確化して実践してきた。また共産主義、社会主義の革命理論の創造の活動を、現実の労働者階級人民の解放運動に根差して進めてきた。わが同盟は、あくまでも「現実の階級への形成を進める」というブントとしての綱領的立場を最大の党派性にして、粘り強く活動してきたのである。現在、中南米を始めとしてアメリカや韓国、フィリピンなどの東アジア、ヨーロッパ諸国など全世界の至る所で資本主義、帝国主義に対抗し、新たな社会、社会主義、共産主義を求める運動、活動が活発化している。日本においても様々な努力があると評価できる。
 しかしこれらの運動の現在には大きな陥穽があることも事実だ。それは主体のこの様な運動の形成の他方で、しかしながら、これらの労働者人民の活動が革命党、労働者党の建設に十分に結び付かずにあるというプロレタリア革命推進における重大な事実にほかならない。
 とりわけ日本においてはこの傾向は極まっていると言わなければならない。反資本主義、反帝国主義の運動や理論の今日的な形成、拡大という一方の状況がありながら、しかし他方では、資本主義や帝国主義を打倒するための革命党や労働者党の建設、組織の建設に関する領域の活動ははなはだ不活発であり、立ち遅れている。この党建設、革命党、労働者党の建設の活動の弱さが、現在の労働者人民の運動の発展や解放理論の創造を大きく阻害しているのは間違いない。
 日本において、スターリン主義政党、宗派組織がはびこり、そしてサークル主義的現状に甘んじる諸集団があるという今日の党派状況、党建設の現実を、革命的労働者党の建設によって革命的に打破していくことが、わがブント、現代の共産主義者に問われる第一級の課題なのである。
 革命党、労働者党が求められている理由は、現下の階級情勢と大きく関連している。
 今日の民主党と自民党の二大政党制の中で、労働者階級人民は自らの要求を絡めとられつつ、しかし結局裏切られ、既成のブルジョア政治に翻弄され、展望や希望を解体されている。その結果、旧来の自民党政治を修正しようとした「小沢」派への幻想をすら生み出してる。社民党や日共は結局、二大政党制に揺さぶられ、じり貧化している。国家権力(官僚、警察、軍隊)、巨大化した多国籍資本、大マスコミ資本、またブルジョア政党(日米同盟派)、帝国主義労働運動派(連合指導部)などの体制擁護派は連動、結束して、労働者人民の抵抗運動、生活と権利の防衛行動に対して、これを攻撃し「戦争と貧困」の政策を拡大させている。明確に階級秩序を再編し、グローバル化した世界資本主義、帝国主義と多国籍資本の競争と淘汰の時代に身構えようとしているのだ。
 結局は社、共の様に、議会に抵抗をゆだねていくのではことごとく敗北していく。あくまでも現場の人民の抵抗運動を拠点に、たたかいを永続化させて、国家―政府の「戦争―貧困」の総路線を打ち破っていく人民の解放運動の存在が人民の未来を切り開いていく可能性をもっている。またそのために運動と結び付く強固な革命的労働者党の存在が事態打開の要なのである。人々の希望もここから生まれる。資本主義の廃止と共産主義社会の建設への展望を明らかにする党の存在が、人民の運動の継続をよりいっそう保証するのである。労働者階級、被抑圧人民を代表する政党、つまり、ブルジョア政党に力と綱領で対抗する労働者党の存在がいまほど求められている時はない。人民の運動を集約し、運動を活発化させ、政治的に要求を実現させていくことができる党、既成の政治体制を革命的に打破できる労働者党が求めれらているのだ。階級諸層からの脱落分子とでも規定できる排外主義集団、ファシスト集団の運動を粉砕・解体するためにも革命的労働者党の存在意義は重みを増している。
 また、労働者階級、被抑圧人民の革命党、労働者党建設への立ち上がりのエネルギーが日本の現状では、疎外され、解体させられていることだ。日共や宗派が「階級の解放」「階級への形成」といったプロレタリア革命の目的領域を欠落させて、階級への外在的指令―引き回しや自己組織の同心円的拡大―人間的同一化を目的化して、結局、階級を解体する運動のセクト的分断と囲い込みに終始し、その結果、労働者人民のいわゆる党や組織の存在に対する否定と反発が構造的に生み出されてしまっている。また口先では党を承認する諸グループも、結局は、強固な党組織を建設することに反対してサークル的現状で満足してしまっていたり、また一部は党や組織を初めから否定し、階級の運動をすべてとするサークル主義が蔓延してしまったりしている。もちろんこの中でも、真剣な労働者党、革命的労働者党の建設の動きも存在し、実際、組織の統合や再編として表われているのも確かである。
 わが同盟はブントとして、日本におけるこの党建設の現実を革命的に打開していく決意だ。労働者階級人民は決して党や組織を永遠の彼岸としているのではない。ましてや必要ないものとしているのではない。問題は「階級への形成」を現実的に推し進める労働者政党の核が不在、もしくは極めて小さいことであり、ここを越えるならば、労働者階級人民は党建設に立ち上がるのである。
 いま、共産主義者や活動家に問われていることは、現実を見据え、労働者階級人民の解放運動の不可欠の要である党の建設、組織の建設を現代プロレタリア革命の必須の一基軸課題として正面に据え、論議と運動を起こし、活動を強めることである。党建設の課題を全人民的課題へと押し上げていくことである。共産主義者や活動家が、解放運動を推進する主体の課題の問題として党建設を浮上させ、一般的な党建設の停滞した現状を革命的に打破していくならば、革命運動の前進に決定的な力を与えることができるのである。
 現在、全世界では韓国やフィリピン、あるいはアメリカ、そして中南米などで、共産主義、社会主義を目指す党派の建設の活動が展開され、そのための再編が先駆的に実現されている。依然として停滞と低迷が続いている日本にあって、日本の左翼戦線、新左翼潮流の中でわが同盟はブントとしての責任において、この現実を打開していく。立ち遅れている革命的労働者党の建設の現実に正面から向き合い、組織を作り続けていく覚悟である。サークル化し宗派化し分散化と低迷の状態に落ち込み、マイナス化する党建設に関する現状の流れを、打ち破るために全力で努力する。労働者階級人民の解放の不可欠の課題としての党建設の問題を全人民の課題にするために努力する。


  ●2 マルクスの政党論、組織論の現代的実現の意味と意義

  ▼1 労働者階級の自己組織化の二形態と労働者党建設、
        革命的労働者党建設


 現代の共産主義者による革命的労働者党の建設、プロレタリア革命党の建設にとってマルクスの党建設に関する提起はきわめて重要である。
 世界の激動と再編成、労働者人民の抵抗運動の拡大、新たな共産主義運動、社会主義運動の始まりなどの情勢にあって、共産主義者が革命党、労働者党を建設していくことは重要性を増している。なにゆえ現在、党、党派の建設(それも組織の実体をもった建設)がとりわけ重要な政治課題になるのか。
 それは第一には党建設とは労働者階級が自己を解放するために活動する二つの組織化の内容の不可欠な一つであるという点である。このマルクスの規定の現代的な捉え返しと現代的な実践が、現在、決定的といえるほど大きな意味を持っているということだ。
 すなわち現状では、階級の運動や団結については多く語られ、実際にも展開されているが、労働者階級の自己組織化としての党建設、革命党建設、労働者党建設に関しては軽視され、無視されている傾向が強い。党建設といえばスターリン主義党、宗派組織、俗化されたサークルなどが例証化されて、前提的に否定される傾向が強いのである。問題は労働者階級の自己解放の運動、活動と党建設が直接結び付くこと、マルクス的にいえば政党への組織化が直接結び付くこと、この基軸点をしっかりと理論的、組織論的に押さえていくこと、また実際の労働者階級の自己組織化としての政党建設を貫徹していくことである。
 労働者階級は自らの階級への組織化(もちろんこの過程は主要には自覚した集団としての共産主義者によって担われる)と並んで政党への組織化を実行すること。これは共産党宣言においてマルクスが政党、党に関して規定した有名な命題である(宣言の他の文節では、主体が共産主義者―複数形―となって展開され、政党、党とはなっていない)。この自己組織化の過程をしっかりと実現することによって初めて、労働者階級はプロレタリア革命を成立させることができる。
 マルクスによれば、労働者階級が自己組織化において階級への形成という部門だけを展開したとしても、それは自らの自己組織化の一部門でしかない、労働者階級の全的な組織化ではないということだ。階級の運動が展開されても、それは、労働者階級自身の全的組織化、また政党への組織化に結びつくわけではないのである。実際、歴史的、経験的にいって、労働者階級はイギリス労働党やドイツ社会民主主義党という労働者政党を階級の運動、組織、労働組合や諸運動体とともに作り上げてきた。
 共産主義者は労働者階級が生み出す自己解放に向けた自己組織化の活動や運動の基盤全体の上に、またその一部門である政党建設の活動、運動の基盤の上により積極的、意識的担い手として全体的組織化、また政党的組織化を進めるのである(そして、この共産主義者による意識的、積極的活動によって革命的労働者党が成立するということは、もちろんである)。逆に言えば、政党への自己組織化が実現されなければ、労働者階級は自己を全的に組織化することはできない。それは国家、政府をめぐる権力問題に着手することができないことを意味する。労働者党の建設、革命的労働者党の建設によって、初めて自らを全的に、すなわち政治、経済、社会の全分野で自己を解放していくことができるのである。

  ▼2 労働者階級の団結と団結体づくり

 第二には、共産主義者が労働者階級の団結形成と団結体の建設にむけて、革命的な活動を創造することの意義が現代的な意味を持って問われているという点である。すなわち、マルクスは労働者階級の主体の措定において労働者階級は団結する存在であること、また団結できる存在であることを明確化した。労働者階級はこの団結の力で抵抗運動を開始し、ブルジョア国家権力や資本家階級を打倒して新たな社会を作り出していくことができる。
 無産階級は資本家や小ブルジョア、封建貴族や地主などの有産階級とは区別され、団結し、ここを拠点にして、抵抗して階級的利害を貫いていくと同時に社会の編成を成し遂げていくのである。この団結の力は抵抗の諸組織、運動、すなわち階級の面にのみあるのではない。労働者階級の政党の建設、またこれを基盤とする革命党、労働者党の建設にも貫かれる。労働者階級は団結以外に自らの抵抗や解放の術を持たないが、この団結の一つに党の結成がある。
 そして、この団結とは単なる意識関係にあるのではなく団結体として実体化されるものであり、とりわけ政党、労働者党という場合は組織として形成される。重要なことは、マルクスは労働者階級の政党への自己組織化という提起において、労働者階級の団結は実体化された団結体、すなわち政党、労働者党として現れるということを含んで展開していることだ。団結体、組織体の建設、団結体、組織体としての結束を欠如させるならば、それはたとえ政党を語ろうとも運動に終始するしかない。
 たとえば党の存在を共産主義、社会主義の研究や階級の運動の分析、理論活動や階級への方針提起、運動のヘゲモニーの形成などに一面的に落とし込めれば、そこでは団結体、組織体としての党は確立しない。共産主義や社会主義の研究、党派の綱領、思想、理論の創造、また対抗社会の構想などを深めれば、ただちに党が建設されるというわけではない。また運動、たたかいなどの社会的、経済的、政治的諸運動、党派の路線の推進がただちに党建設に結実化するわけではない。基本的に革命的労働者党とは単に保持する思想、理論や任務の体系の確立とその実践にのみ制限されてあるわけではないのである。
 これを共産主義者の党活動の主体的内面から接近すれば、結社を作ること、組織を作ることを意味する。共産主義者は一つの目的として党を作るが、その場合、何よりも規約や規律をもつ組織体を作ること、党的な勢力の拡大に努力していくことが重要となる。また他の労働者党と異なって、既存のブルジョア体制を突破する革命性、思想、綱領、路線、その永続性、戦闘性、献身性において革命的労働者党を生み出していく。


  ●3 スターリン主義、宗派主義、サークル主義を乗り越えよう

  ▼1 ブントの歴史と〇四年統一委員会結成の意義、
        この間の同盟活動


 わが同盟は〇四年にブント統合を実現して、日本における新しい党建設のたたかいを開始した。六〇年代、七〇年代の階級的高揚期に連動して第一ブント、第二次ブントは労働者人民の反政府闘争、反戦闘争、階級と人民の運動を積極的に牽引し、多くの地平と教訓を作りあげた。しかし革命党、労働者党建設という点から見ると、ブントはその後、四分五裂し、現実的な階級的規定力を失う事態に落ち込んでしまった。分裂―分派闘争にはそれなりの理由と根拠があったが、しかし本来の党の建設というレベルからして極めて限界に満ちたものだった。主要な分裂の根拠の軸はブント全体を覆う極端な「政治過程論」主義や運動主義、戦術主義の限界を示したものではあったが、同時により重要な問題として、党建設をそれとして独自に対象化し蓄積するという組織建設の観点の欠落があったことは明らかである。
 もちろんブントが切り拓いたところの六〇年安保闘争や六〇年代後半のベトナム反戦闘争、全学連再建、反戦青年委員会、八派共闘の形成、七〇年安保―沖縄闘争などの反戦、反政府闘争、広範な共闘関係の形成は、日本の階級闘争に重要な意義と地平を生み出した。これらの成果の意義は現在でも確認できる。また二次ブント崩壊以降、ブント各分派は、被抑圧人民の解放闘争や国際連帯闘争、階級的労働運動などにおいてたたかいを切り拓き、多くの地平を生み出してきたのも事実である。
 ブントは一貫して階級の運動の前進、階級の形成を現実的に進め、日本の階級闘争に寄与してきたのである。ブントは意識性、国際性、戦闘性、献身性をもって労働者人民の運動の発展を目指してきたし、スターリン主義―日共、宗派―革マルなどの疎外物の敵対を乗り越えて運動し活動してきたのである。六〇~七〇年代、確かに、ブントは日本の革命運動・階級闘争に多くの事柄を刻印してきた。しかし八〇年代後半から九〇年代にかけての階級的高揚期の後退に伴って、ブントの党建設は全体的に後退し、分散化やサークル化が進行した。問題は「階級の運動」に立脚し続けながら革命党、労働者党を確固として建設していくことであった。
 〇四年、わが同盟は共産主義者同盟(統一委員会)として再結成された。事実上のブントの再建である。わが同盟はあくまでも、ブントの党建設を継続して、基本的にはスターリン主義型党建設、宗派型党建設、サークル型党建設といった誤った組織づくりを排除して、一つの新たな出発点を獲得したのである。基本的にはブントの自己改革としての党建設である。
 過去のブントの綱領上の雑炊性を反省し、綱領の原則的部分には「プロレタリアの自己解放」を明示し、現代的にはプロレタリアと被抑圧人民を革命の主体とした自己解放綱領として対象化すること、そして綱領を戦術や路線とは明確に区別して独自に作り出していくことであった。また路線的には、現実の階級、人民の運動にしっかりと結び付き、帝国主義を打倒する総路線を明確化して実行することである。さらに組織的には、組織軽視の過去のブント的傾向を打ち破って、党の規約に基づく党運営、会議建設を進めることであった。これが〇四年ブント統合の基本的な意味である。
 そして〇四年以降の活動において、わが同盟は綱領上において、資本主義批判、帝国主義批判、国際共産主義運動の分析、さらに階級論と階級形成論の深化などを進めてきた。路線上においては、アジア共同行動(AWC)を支持する運動など国際活動の展開、階級的労働運動推進、沖縄や岩国の反戦反基地闘争、三里塚闘争や被抑圧人民の解放運動、学生運動などを総路線の体系において貫徹してきた。そして、党組織の実体建設については全国党、単一党として自己を確立させつつ、同盟大会の原則的開催などの規約に基づく組織づくりを実行してきたのであった。その結果、二十一世紀の二〇一一年の現在にあって、わが同盟は革命党、労働者党建設の方向において、着実に確実に前進してきたと表明できるのである。
 もちろん、われわれは、一次ブント、二次ブントの復活を目指して、全国党派として、また、労働者階級や被抑圧人民の全諸階層の党派として自らを建設してきたが、道半ばである。この間、階級、人民の運動において多くの活動の地平を作ってきたが、これもいまだ限定的なものであることを自覚している。ブントの弱点であった党の建設の領域を、規約に基づく組織の運営と組織活動の実現によって克服し、組織としての力を獲得してきたが、いまだ不十分であることも自覚している。わが同盟自身、〇四年からの直接的な党建設は七年程にすぎない、その歴史は短いし、いまだ多くの途上性を持っている。しかしわが同盟には取り組むべき課題が主体的に設定されており、変革の可能性は大きく開かれている。

  ▼2 スターリン主義党、宗派組織、サークル組織の陥穽

 ここで改めてブントがたたかってきた党建設の誤った傾向を確認していこう。日本の階級闘争における党建設は、しかし、大きな桎梏を抱えている。それはスターリン主義型の組織―日共や宗派型の組織―革マルなどが依然として大きな勢力としてあり、たたかう党派に敵対し、人民の解放運動に制動を加えていることだ。またサークル主義型組織にあっては党建設への人民の立ち上がりを疎外し党建設の努力を冷笑し足を引っ張っているし、人民の運動の戦闘的発展を常に押しとどめている現状である。もちろんこのスターリン主義型、宗派型、サークル主義型の党組織なるものの批判によって、直接的にわが同盟の党建設が前進するわけではない。批判だけの反対派根性に終始する所からは積極的なものは出てこないのは確かである。しかし実践的にはこれらの諸集団には、決して陥ってはならない対決するべき組織論がある。五九年ブント結成以来の党建設をめぐる歴史的な党派闘争がある。
 スターリン主義型は、日本では日共が典型である。
 スターリン主義党、日共は民主集中制、民主主義中央集権制というそれ自身、どの様にでも解釈できる組織論を掲げている。しかしその内実は基本的に官僚主義、上意下達の行政命令の体系に終始している。反対意見の抹殺、反対派の除名を一貫して繰り返している。基本的には党員の権利、民主主義的意見表明とそこでの合意形成が組織論的に排除されている。党のドグマ、「理念」を実現する手段として、党と党員が物理的関係と化している。過去には大規模な党内粛正が繰り返されてきた。
 宗派型は、日本独特のものであり典型は革マル派である。
 黒田の理論は党を「永遠の今」や共産主義の母胎として位置付け、自己目的にするところにある。党を階級の指導や階級の解放と断絶させるところにある。党の拡大が共産主義の前進になるという宗教組織の様な組織論にある。共産主義者の主体性が強調されるが、それは母胎への人間的同一化のためにすぎない。その結果、現実には極めて排他的、閉鎖的、セクト的な存在となる。また極端には他党派解体が最大の任務になっていく。
 サークル型、これは様々な傾向があるが、基本的には組織の中央集権制や統一性といったものを否定して、党の中の個人やグループを主体とする組織論である。現在は「社会フォーラム」系の全体に持てはやされている。もちろん党組織なのか階級組織なのかの区別を曖昧にして実際は語られる。ネット型組織論、リゾーム型組織論など自由な連合の組織というものである。過去においてはゲリラ型、パルチザン型組織論などがこの系譜にはあった。分派の連合としての党という観念もこの傾向にある。極端には党員を主権の基礎にした組織論すらある。党員の主権という問題に関していうならば、もちろん党員個人が権利と義務をもち党内民主主義に基づいて党組織を作り出していくべきことは重要である。問題は、党組織建設において組織的指導の基盤の形成の観点が無視されて党員の権利と自由のみが語られ、組織の出入りの自由が組織論の基礎におかれてしまうことである。
 日本においてブントが結成されて以降すでに五十年以上が経っている。スターリン主義党、宗派組織、またサークル組織などは、決して日本革命運動を牽引する党派として機能したことはない。しかし現実には大きな桎梏としてある。ブントの党建設の本質的な党派性、目的性を実際に革命的労働者党の建設に転化できるならば、現状を打開していくことは十分に可能である。われわれは現代の共産主義者として困難な日本における党の建設に向けて中身を創造してたたかわなくてはならない。

  ●4 労働者階級人民の解放のために、
        ブント建設に全力で決起しよう


 二〇一一年わが同盟は、現在の緊迫した階級情勢の中で帝国主義国家権力、民間反革命運動に対抗してたたかう党を全力で作っていく。たたかう組織、たたかう人民の運動への弾圧、逮捕や起訴、投獄あるいは暴力、デッチあげ攻撃など国家暴力の発動によって、現在の資本主義体制の維持はかろうじて成り立っている。とりわけ、たたかう組織(政党、労組など)への計画的な攻撃を打ち破れるか否かは、今後の労働者人民の解放闘争の帰趨を決するのである。たたかう党派への攻撃、労働組合への弾圧、沖縄人民、三里塚農民への弾圧は激化している。わが同盟は革命党として現在の国家権力の弾圧を打ち破って党組織を着実に作り上げていかなければならない。また在特会などの民間反革命運動を解体し人民の運動の前進を勝ち取るためにわが同盟の活動を強化していく。反革命の嵐とたたかう党を作っていくことが、二〇一一年のわが同盟の何より重要な課題である。
 そして原則的に次のような観点からわが同盟を建設していく。
 その第一は、労働者階級と被抑圧人民の自己解放運動の推進のために、わが同盟を強化していく。労働者人民の「階級への形成」は、労働者党にとっての何よりの任務である。労働運動、反戦闘争、反基地闘争、国際連帯闘争、沖縄闘争、三里塚闘争、被抑圧人民の解放運動、学生運動の先頭に立ってわが同盟はたたかう。労働者階級、被抑圧人民の団結形成、団結の強化のために、同盟としての活動内容を創造し、階級と人民の内部から運動の前進を成し遂げるべく、わが同盟自身の変革を追求していく。とりわけ労働運動を構築し発展させていくための同盟の活動、力を創造するために全力をあげる。
 第二は政治権力、民間反革命の暴力支配に対抗し反弾圧をたたかい抜いて、また運動と組織を自衛し抜くために、わが同盟を建設していく。階級闘争の最先端では暴力と武装、実力をめぐる問題は大きな意味を持っている。体制の暴力装置に革命派が屈すれば、運動は後退し、人民の変革の機運は大きく砕かれる。わが同盟はこの攻防において国家権力に対峙する実力を形成していかなければならない。運動のスタイル、活動のスタイルを常に変革していく。
 その第三は「政治権力の獲得」、国家と社会を編成する運動を前進させるために、わが同盟の力を一層蓄積していく。労働者人民諸階層の自己解放運動を押さえつつ、広範な労働者人民による共同と共闘による新しい社会や国家を建設していく現実的ヘゲモニーをわが同盟が作り出していくことが重要である。この自由な民主主義的な政治的空間を、わが同盟が政党として、他の信頼できる政治集団とともに作り上げていくことは重要である。分裂といがみあいの現状を打破していける、わが同盟の一段の発展が必要である。多くの大衆組織、大衆運動ではこういった共闘の空間は既に形成されている。これを政治的に高めるために政党の力が必要なのである。
 その四は二〇一一年、何よりもわが同盟は労働運動と青年運動の発展のために、同盟の組織の飛躍をかけてたたかい抜く。非正規労働者、失業者など多くの労働者、青年が貧困のどん底に落とし込められている。これを階級の団結の力で突破することが問われている。わが同盟の変革と飛躍をこの分野でもしっかりと実現していく。



 

 

 

当サイト掲載の文章・写真等の無断転載禁止
Copyright (C) 2006-2007, Japan Communist League, All Rights Reserved.