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■6.16 韓国・ピョントンサを迎え 反対同盟と意義深い交流
  三里塚闘争に強い共感



 六月十六日、東峰の森破壊を弾劾し、暫定滑走路北延伸を強行する国交省―空港会社の攻撃と対決する三里塚現地闘争のあと、ともに現地闘争をたたかったピョントンサ(平和と統一を開く人々)三名を迎えて、現闘・行動隊、学生、アジア共同行動の仲間、そして反対同盟から北原事務局長、鈴木さんの参加のもと、交流会を開催した。

 冒頭、鈴木さんの音頭で乾杯を行なった後、まず北原事務局長が発言に立った。北原さんは、韓国から若者たちが三里塚闘争との連帯のために訪問してくれたことへの喜びと同時に、海軍の軍人として侵略戦争を担った自分自身の過去も含めた日本人の戦争責任への謝罪を語った。「三里塚に来てくれて心から歓迎したい。今日二回韓国の方の発言を聞いたがまったく違和感がなかった。もっとも近い人間だと思った。ありがとう。若い学生が来てくれたことは、大きな連帯をつくっていくうえで大切なこと」「日本は韓国の人たちに大変な罪を犯したことを本当に謝罪したでしょうか? あなたたちのおじいさんおばあさんから日本人の野蛮さを聞かされたと思います。日本人として心から謝罪しなければならない」「私は八十五歳、かつて海軍の軍人だった。差別と偏見の教育をされた人間です。なぜ私が三里塚闘争を農民と一緒にたたかうのか、それは戦争が私に強いインパクトを与えたから。私の隣の戦友が米軍にどんどん殺されていった。米軍が来れば必ず戦友が死んでいった。人間が人間を殺しては絶対にいけない、それが戦争をたたかった私に一番強い印象として残った」「アジアに生きる私たちは六十年前の恩讐(おんしゅう)をこえて本当の連帯をつくろう。そうしなければ人類は滅亡してしまう。近い韓国であってほしい。これからの時代を引き継ぐ若者の連帯をつくっていこう」と、深い含蓄のある力強い未来への希望を語った。

 北原さんにつづいて、鈴木さんが発言した。鈴木さんの発言は、やはり自らの戦争体験、抑留生活の体験にもとづいて天皇制の戦争責任を鋭く糾弾しつつ、三里塚闘争のなかで「用地内」でたたかう農民とどのように連帯してきたのかという確信をつきだす内容であった。「私は抑留生活を三年間やってきた。天皇は満州にいた五十万人の軍人をソ連に差し出した。天皇に騙されたという思いだった。そして天皇制というのは本当に恐ろしいと感じた。仲間は『天皇に殺された』といって死んでいった。日本に天皇制はいらない」と語った。そして成田用水による切り崩し攻撃や菱田廃村化攻撃のなかで一軒だけになっても営農を続け農民として三里塚闘争をたたかい続けている確信についてふれ、「用地内の人がどんな思いでたたかっていることか。どんなことがあっても農業を続けていきたいと思っているはずだ。用地内の人たちと同じ苦しみを味わいながらたたかっていきたい。用地外だから移転していいということはない。そういう気持ちがあったから粘り強くたたかってこれたと思う。たたかいは一人の人間を強くしてくれる」というゆるぎない確信が明らかにされた。

 二人の話を受けて、ピョントンサの活動家の方は、「本当に低空で飛ぶ飛行機に驚いた。韓国のメヒャンリ(梅香里)のことを思い出した。三里塚の農民の話を聞いて本当にピョンテクの農民に似ていると思いました」と農民の人権を踏みにじる空港を糾弾し、三里塚闘争への強い共感を明らかにした。また「今後日本のたたかう人々との連帯を強めていきたい。日韓民衆連帯を強めアメリカのアジア覇権に反対するたたかいを進めていきましょう」とアジアにおける米軍再編を日韓共同闘争によって粉砕していこうという熱い連帯が表明された。

 その後、限られた時間のなかで、三里塚闘争の歴史や日本における米軍再編とのたたかいなどについて質疑が行われた。短いながらも内容豊かな充実した交流会を持つことができた。


 

 

 

 

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