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 ■10・11 三里塚

  
反対同盟との学生交流会開かれる





 十月十一日の三里塚全国総決起集会・デモの後、赤池物流配送センターにおいて、学生交流会が開かれた。反対同盟事務局長・北原鉱治さんを招き、沖縄から集会に駆けつけた豊見山雅裕さんも合流した。

 全国から三里塚に集まった学生二十数名は、十日は丸一日、援農にとりくんだ。「三里塚に来るのが初めて」という学生が多い。集会とデモをやりきった熱気そのままに、交流会に進んだ。

 交流会は学生戦線でたたかう仲間の司会で、ざっくばらんに始まった。北原さんは「今日の集会、どうだった?」と学生たちに問いかけつつ、自らの若い頃を振り返った。「私の青春時代は、恋愛など考えられなかった。私は海軍人として、南方に移動する陸軍を護衛した。米軍の攻撃を受けるし、明日生きられるかもわからない、そういう時代だった。ところが今、君たち学生も生きるのがたいへんな時代になってきた。みんな、将来の夢が描けているか?」そう問われて、考え込む学生の姿も見られた。

 続いて北原さんは、沖縄との出会いを語った。「沖縄の全軍労から、事務局長として招かれたが、渡航許可が降りなかった。『危険分子』とみなされたんだね。その後、欺瞞的な『沖縄返還』で許可証は不要になったけど。沖縄の問題を考えるとき、ヤマトンチューが沖縄に対して何をしてきたかを考えないといけない。沖縄はいつも本土の犠牲になってきた。だから、三里塚は沖縄との連帯、そして反戦を掲げている」。

 この話を受けて、豊見山さんが語った。「全軍労のたたかいはすごかった。牧港青年部がB52出撃阻止をかかげてストライキし、米兵に囲まれながらたたかっていた。私は当時高校生だったが、十七の高校で一万人がデモにたちあがった。デモに行かないと『何で行かないの?』と逆に不思議がられる、そういう時代だった。それで三里塚のたたかいに学ぼうと、当時、北原さんが招かれたのだと思う。いま辺野古は、船やカヌーで基地建設を実力で阻止し続けている。私自身、基地建設のためにきた調査船とぶつかりそうになり、『あわや激突』と新聞で報道されたこともある」と、豊見山さんは沖縄のたたかいを実に生き生きと語ってくれた。そして「私にとって三里塚は、志を同じにする人々が出会う場所。三里塚と連帯する沖縄の運動を、これから新たにつくっていく」と決意表明された。

 こうしたお話を聞きながら、三里塚にはじめて参加した学生たちから率直な感想が次々に寄せられた。

 「いま空港問題は話し合いで解決したと言われているけど、あれだけの機動隊を見たら全然解決していないと思った」「国のやっていることは幼稚なガキ大将のようだ。暴力と金権で口封じをするなんて許せない。しかも国は過ちを認めていない。私はどこかで警察を信頼していたが、弱い立場の人々を取り締まっているのを見て、それは幻想だったと裏切られた思いがしている」「この国って一体なんだ。異様な検問とか、法治国家といえない」「成田は日本の玄関と思っていた。ところが来てみて驚いた。異常な数の機動隊や公安刑事がいた。でも農家の人たちは、飛行機の離発着で家も揺れているのに、丁寧に農作業していて感動した」「飛行機の爆音を聞いて口惜しい思いがする。あの飛行機に乗っている人たちは、この現実をどれだけ知っているんだろう。でも自分も知らなかったら、普通に飛行機に乗っていた」。警察権力に守られた空港の異様さと農民いじめを目の当たりにした驚きや怒り、そして権力と対照的に、農民が大地に根を張って生活し続けていることへの共感が口々に語られた。

 学生から北原さんに対し、「空港反対のほかに、国に対して何を求めているんでしょうか」と質問が出た。北原さんは「空港問題が出る前は、日本は民主主義になったと言われて幻想を持っていたよ。でも、政府内定から二週間足らずで、一方的に閣議決定。こんなことやられて、黙っていられなくなった。かれら自身が憲法を壊したということ。だから、民主主義を取り戻すたたかいでもある。反対運動のはじめの頃は、全村が反対に立ち上がった。でもなかには、土地を売る条件を上げるために反対した人々もいた。残ったのがいまの私たち。カネやモノより大事なものが、あるんじゃないだろうか」と答えた。民主主義を取り戻すたたかい――三里塚闘争の原点がここにある。

 そして北原さんは、学生たち一人ひとりに訴えかけた。「自分が動かなければ、世の中は変わらない。世の中は複雑だが、真実はひとつ。真実を通そうよ。三里塚は、君たちの未来のためにたたかう」。

 終始笑いのたえない和やかな雰囲気のなかで、三里塚そして沖縄のたたかいを肌で感じることができた、すばらしい交流会だった。

 
 

 

 

 

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