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   ■8・20-21 山口

 AWC夏期合宿 岩国で盛大に開催される

 住民と交流、座り込みにも参加

  


 合宿は、まず、AWC日本連の共同代表の白松哲夫さんの開会のあいさつで始まった。白松さんは、「この一ヵ月間で私が一番怒りを感じたのは、菅下ろしの中で民主党の中で最初に首相に名乗りを上げた輩が、侵略戦争を起こした『A級戦犯の人は、戦争犯罪人では無い』と公然と言い放ったことだ。これは、新たな侵略戦争の道を歩もうとすることと同義だ。マスコミは、このことを報道しもしない。東北の震災で、多くの人々が生きていく事に呻吟している時に、『がんばれ、日本』と挙国一致に向けた反動の嵐が吹き荒れようとしている。この戦争への動きを岩国基地の大強化と闘っている岩国市民や、上関原発反対運動を三十年闘っている住民と共に止めていく」と話された。
 続いて、岩国の住民投票を活かす会代表の方から発言を受けた後、鹿児島大学の木村朗先生の講演に移った。木村先生は、「米軍トモダチ作戦の意味と加速する日本『再占領』? 米軍再編下での岩国基地と馬毛島の連動」と題して、3・11以後の日本がそれ以前の日本には戻れない事態に直面している事を、9・11以後のアメリカの姿と比較しながら、分かりやすく話された。また、この機に乗じて厚木基地に日米統合の司令部が実際に置かれ、その下で、十万人の自衛隊と米軍一万八千人が災害出動し、朝鮮有事を想定した「トモダチ作戦」を行ったこと。特に、米軍の放射能特殊部隊と秘密裏に行われた合同訓練は注目すべきで、福島第一原発の汚染水を海洋に投棄するように指示したのもアメリカからの要請であることと考え合わせると、米軍による「再占領」ともいうべき事態が進行していることを示唆された。特に興味深かったのは、福島県民の三十年間に渡る被曝の影響調査は、広島・長崎へ原爆投下した後に米軍が行ったABCCによる被爆者の資料収集を彷彿とさせるもので、民衆の側に立った援護ではないと指摘されたこと、また、この東北太平洋沖大地震と福島原発の事故で自衛隊の半分以上が非軍事民生部門に派遣されたのに防衛上何の支障も無かったという事だ。いっその事、自衛隊を災害救助隊に変えれば良いという木村先生の提案には納得した。馬毛島については、これまでも石油備蓄基地、レジャーランド、自衛隊レーダーサイト、使用済み核燃料中間貯蔵施設など様々な利用構想が打ち出されてきた。そして、今回、米軍原子力空母ジョージ・ワシントン艦載機の厚木基地からの岩国基地への移転に伴うFCLP(陸上離発着訓練:夜間離発着訓練を含む)の馬毛島での恒久的な利用計画が出て来ている。つまり、一市三町(西之表市、中種子町、南種子町、屋久島町)は言うに及ばず、沖縄や岩国や横須賀と連携しながら、この問題の本質をみていかなければならないし、米軍再編そのものをストップさせ、全ての基地を撤去させていく事が必要だ。木村先生は、本質的には、日米安保条約を解消していくことが必要で、その事を抜きに日本の「属国化」とも言うべき状況を変える事はできないと話された。
 次に被爆二世の会より上関原発建設阻止行動の報告を受けた。上関原発建設に反対し祝島島民が約三十年間闘い続けていることは反原発運動を行っている人の間では有名だが全国のマスコミはあまり取り上げてこなかった。しかし3・11以降、多くのマスコミがこぞって祝島の闘いを取り上げるようになった。報告ではまず、二十分のDVDを視聴した。祝島島民らがまさに体を張って田ノ浦(上関原発建設予定地)を守っている姿が映し出される。「わたしらぁは戦後のものの無いときも祝島の山とこの海で生きてこられた。この海を子どもや孫らに残さんにゃあいけん。海を守るのに命を賭けちょるんじゃ」祝島の人が中国電力の作業員や海上で阻止行動を見張る経済産業省の船に向かって叫ぶ。祝島島民の平均年齢は七十歳を超えるという。DVDでは今年二月以降の闘いを中心に活動の内容が紹介された。実際はそれより前から緊迫した状態が続いていたことをパワーポイントで説明される。そして祝島や田ノ浦がどれほど素晴らしい場所なのかが紹介された。二井山口県知事は工事の中断を中国電力に求め、田ノ浦の公有水面埋立免許については延長を認めないと発表した。埋立免許は二〇一二年十月に切れる。祝島島民らの阻止行動のおかげで埋立工事はほとんど進んでいないため、延長しなければ埋立は完了しない。埋立ができなければ原発を建てることもできない。「延長を認めない」ということは、上関原発建設が建てられないことを意味する。しかし喜んではいられない。この知事は状況によっていくらでも発言を変える。上関原発建設反対運動と共に知事発言を撤回させない運動をしていく必要があると提案された。
 その後、夕食をはさみ、岩国市民との交流会が開かれた。岩国から運動の中心を担う方々が来られた。その方々の発言の中で印象に残ったのは原発関連の施設で働いたことのある方の発言だ。「わたしも子どもや孫のためになると思って働き出したが、途中で恐いものだと気がつき辞めた。核は人間が制御できるものではない」その発言をお聞きし、原発で働く労働者も一緒に巻き込んで反原発運動を行っていきたいと強く感じた。
 翌日は二十一日。「愛宕山を守る会」では一のつく日(一日、十一日、二十一日)に愛宕山で座り込みをしている。この座り込みは愛宕山地域開発跡地の米軍住宅化に反対するため昨年八月二十一日から開始された。昨年は晴天でテントの中は非常に暑かった。今年はその全く逆で大雨。テントの中にも雨が降り込むほどだ。そのような状況の中、約七十人が集まった。集会の冒頭「愛宕山を守る会」より、AWC首都圏、AWC関西、AWC九州・山口、AWC日本連、あすじゃがそれぞれ紹介され発言の場を得られた。それぞれの団体は持ち場で行っている米軍再編反対運動について語った。木村先生は、「馬毛島と岩国の反対運動は連動している。一人一人が声を上げることが大事だ」と発言された。その後、戦争体験者の話や歌が続いた。集会が終わりに近づくにつれ雨も小降りになる。最後に「愛宕山を守る会」が「今日の土砂降りは私達の闘いの厳しさを象徴しています。しかし今、晴れてきたように私達の闘いは勝利するでしょう」と発言され、山口県知事に愛宕山開発地の現地視察を求める要請文を届けることが発表された。
 集会終了後、米軍基地北側にできたパブリックアクセスロードの見学に行った。全長約四百メートル(内百五十六メートルが地下通路)、車道と歩道がある。基地側は目隠し塀と鉄条網で遮られている。利用には細かい規定がある。各自において、自らの行為に伴う事故や器物破損等に責任を負うこと。釣りはしないこと。デモおよび集会はしないこと。夜十時~翌朝四時半までは利用禁止。有事の際は閉鎖、等々。そもそも基地の沖を埋め立てるまでは市民は海沿いまで行き来できていた。埋立によりそれが阻害されることになったので、パブリックアクセスロードを作った。にもかかわらず以前はできていた釣りはできない。おかしな話である。
 二井知事は、愛宕山を視察して欲しいという岩国市民の願いは無視し、九月十六日、米海軍横須賀基地(神奈川県逗子市)の池子住宅地区を視察した。そして「(治安面ついて)それほどの不安はないと感じた」と述べている。二井知事は岩国に住むわけではない。無責任な発言に怒りが沸く。
 十一月には「岩国行動二〇一一」が開催される。韓国や沖縄、岩国、神奈川などと連帯し軍事基地も戦争も原発もない平和な社会を作っていこう!

                          (AWC山口会員)



 

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