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     5・13 京都

   沖縄県人会呼びかけの集会に700人に
 




 五月十三日、「普天間基地の撤去を!辺野古新基地建設反対!沖縄に連帯する京都のつどい」が開催された。会場となった円山野外音楽堂には約七百人が結集した。
 今年の京都での沖縄連帯集会の特徴のひとつは、沖縄県人会が呼びかけるかたちでこの集会が開催されたことである。琉球舞踊や三線の弾き語りの後、呼びかけ人からのあいさつに立った京都沖縄県人会の大湾宗則さんは、復帰闘争を振り返りつつ、「復帰後の四十年間、基地の現状は変わっておらず、それどころか普天間基地へのオスプレイ配備など、さらに基地が強化されようとしている」と指摘した。そして、沖縄出身者の交流と親睦が中心だった京都沖縄県人会が一九九五年の米兵による少女暴行事件以降、少しづつ変わってきたとこの日の集会に至る経緯を説明した。そして、「沖縄と『本土』の人々が手を取りあって運動を広げていこう」と呼びかけた。
 この日の集会のメイン講演は元沖縄県知事の大田昌秀さんによるものだった。大田さんは鉄血勤皇隊の少年兵として動員された沖縄戦での経験について語り、「沖縄戦の問題と基地問題は切り離して考えることはできない」と訴えた。また、沖縄の人々が当時望んだ「平和憲法のもとへの復帰」が「日米安保のもとへの復帰」とされてしまった現実を直視し、「『本土復帰』以後の四十年間とは沖縄にとって何だったのか、『本土』にとって沖縄とは何だったのか、を問い返していく必要がある」と結んだ。
 さらに、「ヘリパッドいらない!住民の会」の高江の伊佐育子さんが登壇して、高江でのヘリパッド建設に反対するアピールをおこなった。京都出身の伊佐さんが結婚を契機に沖縄に移住し、その後の二十年間の生活のなかから感じ取ってきた基地反対の思いをベースにして、突如として降りかかってきた米軍ヘリパッド建設策動に対して、家族や周りの住民たちとともに立ち上がってきた経緯と闘いの現在が切々と語られた。
 集会の最後に、「私たちは、沖縄の人々と連帯し、日米両政府に対し、普天間基地の即時閉鎖・返還を求めるとともに辺野古新基地の建設に断固反対します。さらにオスプレイ配備に反対します。東村高江でのヘリパッド建設に強く反対します。基地のない沖縄、日本をめざすことをここに決意します」という集会宣言が採択された。その後、集会参加者は琉球国祭り太鼓によるエイサーに送られて、京都市街へのデモ行進に出発した。



 

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