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     9・1 東京

   防災に名を借りた自衛隊の治安出動演習に抗議

     
    



 自衛隊・米軍の治安出動演習

 東日本大震災を期に自衛隊・米軍による治安出動演習が次々と行われている。米軍は「トモダチ作戦」と称する作戦を東日本大震災時に敢行した。この作戦は、沖縄をはじめとする各地で米軍による犯罪、基地被害が多発している中で反感が強まり、反基地闘争が高まるなかで、「トモダチ作戦」と命名したように、宣撫工作として敢行された。今回の作戦では、アメリカ海軍、海兵隊、空軍が連携し、統合軍の形態をとり、作戦には二万四千人の将兵、百九十機の航空機、二十四隻の艦艇が参加した。三月二十五日からは在ハワイの常設司令部組織JTF―519が横田基地へと移動し、統合支援部隊として指揮を執った。
 その実態は、被災地における救援を名目とし、仙台空港の復旧作業に見られるように現地拠点の構築作戦(仙台空港は、復旧作業後一時米軍に占有された)であり、物資の搬送を岩国基地などの全国の基地を中継地点に行うなど、いつでも極東における軍事的な緊張に対する作戦に転用できるものであった。
 また、自衛隊は、ここぞとばかりに「活躍する姿」の広報を行った。野戦場に見立てた被災地における野営や、彼らのノウハウを使った食事や風呂などの提供は、戦地に丸ごと行くことのない自衛隊にとって格好の演習であった。
 こうした作戦により反自衛隊感情が薄れていると判断した自衛隊は、作戦をさらにエスカレートし、東京都内において白昼堂々の行軍を強行した。
 六月三日自衛隊は、九週間にも及ぶ野戦訓練(訓練内容は、即戦力としての精鋭部隊を作るための訓練であり、銃火器を用いた戦闘訓練、緊急脱出訓練等きわめて実践的なプロの殺し屋を養成するものである)の最後として四泊五日の不眠不休の訓練を経て荒川戸田緑地にヘリコプターから降下した隊員十七名が降り立ち、市街地を練馬駐屯地まで行軍するという演習を強行した。彼らは前後に保安隊を引き連れ、顔を迷彩色に塗りたくり小銃を担いで市街地を行軍したのだ。
 さらに自衛隊は、七月十六日反原発集会に十七万人の人が集まったその日に、市谷駐屯地を中心に「二〇一二年度自衛隊統合防災演習」を行った。この日から二十日まで関係省庁、自治体、米軍の約五千人を動員して指揮所演習が行なわれた。代々木公園の上空にも自衛隊のヘリコプターが飛んでいた。
 十六日には、練馬駐屯地から約二百八十名の自衛隊員が夜陰のまぎれて二十三区内へと出動した。小銃は持っていないものの、ヘルメットと迷彩服は着用したままだった。この行動とは別に二十三区各区役所屋上において、通信演習が十六日・十七日に行われた。

 「東京都防災訓練」の軍事演習としての実態

 そして、九月一日、東京では自衛隊・米軍が参加する「防災訓練」が目黒区林試の森・世田谷区駒沢公園を主会場にして行われた。
 ここにおいて、米軍・自衛隊は「活動拠点へと前進させる」作戦を強行した。八時二十分、自衛隊のC1輸送機が羽田空港に飛来した。続いて、在日米海軍のC12輸送機が厚木基地から飛んできた。戦後、住民を追い出して占領米軍によって拡張された羽田空港に。一九五二年に日本に返還されて以来、始めて米軍輸送機が着陸したのである。あのベトナム戦争の時ですら米軍は、チャーター機を使っていた。米軍が運んできた「救援物資」に見立てたダンボール箱は陸上自衛隊員に手渡され、トラック二台に積み込まれ、訓練場に運ばれた。日米共同の作戦は、このような画歴史的な形で強行された。
 当日の訓練は、「震災時の地域住民の自主防災能力を充実させ、地域一体としての防災力の向上を目的とする。また、九都県市の広域連携訓練をあわせて実施する」ことを目的として行われた。ここでいう「自主防災能力」は「自助」、「地域一体としての防災力」は「共助」とも言われている。そしてこれを支えるのが「公助」といわれる自衛隊も含めた防災機関や行政機関であるとされている。つまり、「自分の身は自分で守る」ことが基本とされる。
 自衛隊や米軍の役割は首都中枢の機能を守ることであり、そのため、地域住民の「訓練」にお付き合いするのではなく、自らの主体的な目的のために部隊を動かす先述の七月十六日から二十日まで行われていた「自衛隊統合防災演習」の方に主眼が置かれていた。自衛隊や米軍による派手なパフォーマンスは影を潜めるようになってきたが、しかし、彼らは大事な宣撫工作の機会を見逃さない。高校生と日赤と自衛隊が協力して炊き出しを行った。すでに、この防災訓練とは別に「防災学習」の講師や必修化された武道の指導員として学校教育の場への自衛隊員の派遣が進められている。また、今年の特徴のひとつとして小学生、中学生が学校からこの訓練に動員されたということだ。今までも「消防少年団」や町内会の「青少対」などの形で子どもの動員はあったが、学校を通じての小中学生の動員は初めてである。ここにも石原による教育現場への踏み込みが反映されている。
 また、自衛隊は帰宅困難者輸送訓練として対空ミサイル登載の海上自衛隊護衛艦「やまぎり」で、海上自衛隊横須賀基地まで約百名の都職員などを晴海埠頭から搬送した。また、自衛隊基地から広域防災拠点有明の丘までの物資輸送が自衛隊ヘリを使って行われた。駒沢公園の会場では、警察・消防・陸自・海自そして韓国・台湾から来た消防隊の連携部隊による被災者救助演習が行われた。
 また、自衛隊は、ブースにおいては、防衛白書を使った展示や対テロ訓練・特殊部隊による都市型戦闘訓練のビデオ上映が行われた。「対テロ訓練」と「防災訓練」が自衛隊にとっては同一のものであることを自己暴露しているのだ。
 今回会場となった目黒区には、自衛隊の防衛研究所がある。ここには、プルトニウムが保管され、劣化ウランも貯蔵されている。こんなものがある研究所付近を目黒区は広域避難所にしている。

 自衛隊・米軍参加の「防災訓練」反対訴えデモ

 このような、自衛隊・米軍参加の防災訓練に対して、石原によるビックレスキュー以来一貫して反対行動を取り組んでいる実行委員会は、東京都や自衛隊への抗議申し入れ行動に取り組み、自衛隊による市街地での一連の行動に対して反対行動を組織した。当日は早朝から、私服の妨害をはねのけて監視行動を展開した。また、目黒駅付近をデモ行進し、この防災を名目とした軍事訓練への反対を訴えた。九月一日は、関東大震災時における朝鮮人・中国人大虐殺の慰霊と謝罪の日でもある。時あたかも民族排外主義者が跋扈し始めている。「命を守りたい」という素朴な思いが排外主義にからめとられないようにするためにも、この歴史的事実を見据えたたたかいが同時一体的に取り組まれた。行動は、各監視行動やこの間の取り組みを報告した集会で締めくくられ、引き続き米軍・自衛隊に対するたたかいを取り組むことを確認した。


 

 

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