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     10・3 沖縄

   オスプレイ反対!名護市民大会に1000人
 
         


 
 
オスプレイ配備強行を断じて許さない!十月一日の強行配備を受けて怒りの「オスプレイ配備に反対する名護市民大会」が十月三日夕方、名護市役所広場で開催された。9・9「県民大会」以後、市町村単位での大会は南風原町に次いで二番目。オスプレイ飛来後の大会としては初めてである。
 夕方六時、大会は開始された。会場はあっという間に労働者・市民で埋め尽くされた。市民大会決定から数日の準備期間で周知への心配もあったが、実数一千名を超える参加者となった。稲嶺進市長はこの日、市内各地を巡回し大会参加を呼びかける街頭宣伝行動を展開したという。また市長は連日早朝、普天間基地野嵩ゲート前の座り込み行動にも参加して、先頭で配備阻止の抗議行動を展開してきた。名護市民の怒りの強さは稲嶺市長を後押ししているのだ。
 神山敏雄市議会副議長の開会宣言につづき登壇した稲嶺進市長(大会実行委員長)は、開口一番「オスプレイ配備強行は、戦後講和条約で日本の独立の代わりに沖縄を米軍支配下に切り捨てた構造的な沖縄差別と同根だ」と日米両帝国主義による沖縄差別軍事支配を弾劾した。そして配備後初の市民大会を成功させ、各市町村大会への号砲として、日米両政府への波状的な抗議行動を展開し、オスプレイの撤退まで頑張ろうと戦闘的な檄を発した。まさにそうだ。名護市民は辺野古への新基地建設を阻止するためにもオスプレイ配備を断固阻止する決意を改めて確認した。
 次に玉城義和「県民大会」実行委員会事務局長(名護市区選出「県」議)が登壇した。玉城事務局長は、「9・9県民大会」の成功を一過性のものとしないためにも、オスプレイ撤退まで創意工夫した闘いを展開しようと訴え、「県民投票」や署名活動などを提起した。また、糸数慶子参議院議員も駆けつけ、連帯のあいさつをおこなった。
 続いて決意表明だ。女性を代表して比嘉サダ子市婦人会会長が、沖縄戦を生き抜いてきた崎浜秀徳市老人クラブ連合会副会長が、それぞれの立場からオスプレイ配備強行に抗議し、「もはやお人よしの沖縄人ではダメだ、もっと立ち上がろう」と毅然と訴えた。
 さらに、高江小中学校卒業生の名護高校三年の又吉朝太郎くん、辺野古移設容認の立場を名護での生活で見直したという名桜大学三年生の与古田健伍くんがそれぞれ登壇した。「高江での低空飛行の恐怖は忘れない。若者があきらめずに声を出そう。団結しよう」「守礼の邦の沖縄人は人殺しの手伝いをしない」等とアピールし、会場からは声援と指笛、拍手が響き渡った。
 各代表の決意は会場全体のものとして共有された。その上で古堅宗正市区長会副会長より「大会決議案」が提起された。「名護市民・沖縄県民はこれ以上の基地負担を断固として拒否する。そして市民・県民の声を政府が無視するのであれば、我々は、基地反対の市民・県民の総意をまとめ上げていくことを表明するものである」と全基地閉鎖への戦闘宣言を発したのだ。満場の拍手で決議は採択された。大会はオスプレイ配備撤回、普天間基地閉鎖・撤去を求めて、意気も高らかに団結ガンバロー三唱で閉じた。
 名護においては、市議会が三度目となるオスプレイ配備反対の抗議決議を全会一致で採択したにもかかわらず、また沖縄の自治体首長などが一斉に拒否する中で、九月二十七日のオスプレイ「体験搭乗」に、辺野古誘致派市議五名がノコノコと岩国でのオスプレイ試乗に出かけ、「快適だった」と政府・防衛省、米軍の太鼓持ちを務めるという茶番劇を演じた。名護市民大会の大成功・大爆発は、これらの辺野古誘致派の策動も糾弾し、木端微塵に打ち砕いたのだ。

 

 

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