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     4月5日 沖縄・名護市

   辺野古埋め立て申請を断じて許さん!

   
怒りの市民1300名余が緊急抗議集会
    


 

 四月五日、名護市民会館中ホールで「~子どもたちの未来のために~辺野古埋め立て申請の撤回を求める緊急市民集会」が開かれた。折からのドシャブリの大雨で当初の中庭からの会場変更となったが、開会前から市民が続々と結集、集会が始まっても人波は途切れることもなく、隣のエントランスやホール外にも人があふれ、最終的には千三百名余以上の結集となった。名護市民の怒りは最高潮に達している。
 三月二十二日、日帝―沖縄防衛局は突如として「県」北部土木事務所に現れ、わずか一、二分で段ボール箱五箱を運び入れ立ち去った。しかも受付窓口である維持管理班のある二階ではなく、庶務班の三階に持ち込んだのだ。持ち込んだ直後に、「県」本庁から「今から提出に来るようだ」との電話が入るというような抜き打ち「提出」劇だった。
 今回の突然の「提出」劇について、防衛相・小野寺は「名護漁協協同組合との合意ができ、速やかに提出した」と居直った。この抜き打ち的な手法は、あの二〇一一年十二月二十八日未明にアセス評価書を「県」庁守衛室に運び入れたのと同様、まさに沖縄人民を欺く徹頭徹尾反革命策動である。
 そうした新たな情勢の中で、市議会議長を実行委員長とする集会実行委員会が組織された。そして超短期の準備戦に突入し、立て看板、横断幕が市内要所に設置され、宣伝カーが市内くまなく広報を展開、合わせて地域ビラ入れも貫徹され、緊急市民集会が準備された。
 当日は大雨で参加者の出足が危ぶまれたが、名護市民の怒りは天をも衝く怒りと闘いの決意あふれる集会となった。
 開会宣言を、副実行委員長である辺野古・命を守る会代表の西川征夫氏が行った。西川氏は「抜き打ち的な政府による辺野古埋め立て申請は、市民・県民を愚弄するもので絶対に許せない。稲嶺ススム市長の頑張りは、今や県民の総意となった。この風は私たちの辺野古区においてもさまざまな流れを起こしている。さらに大きな風をつくろう」と熱烈に訴えた。
 集会実行委員会を代表して発言した比嘉祐一名護市議会議長は、「もはや辺野古に新しい基地を造ることは不可能だ。私もかつては日米安保のためには移設やむなしとの考えだったが、オスプレイ配備強行にみられるように日米安保のために沖縄県民はさらなる基地負担を強要されている。辺野古埋め立て申請を許さず撤回をかちとろう」と大いなる檄をとばした。
 次に、次代を担う名護高校一年生の渡具知武龍君が発言にたった。彼は、辺野古対岸の大浦湾を望む瀬嵩区に一九九七年名護市民投票の年に生まれ、新基地建設で揺れてきた名護の歴史そのままの人生を歩んできたのだ。開口一番「平和を願う心に大人も子どもも関係ない。美しい海を埋め立ててまで人殺しのための基地を造ることが正しいのか。いつどんな時も僕らは大人の行動をみている」と訴え、会場をゆるがす大歓声と拍手が起こった。
 さらに仲村善幸名護市議が「オール沖縄の声と闘いをつくり鼓舞してきたのは稲嶺ススム市政とそれを生み出した名護市民の力だ。私たちに後退はない。埋め立て申請という新たな状況下で、われわれ名護市民の力が再び試されようとしている。今一度名護市民は心を一つにしてがんばろう」と訴えた。
 会場全体が湧き上がる中、稲嶺ススム名護市長が登壇した。稲嶺市長は「私は『辺野古の海にも陸にも新たな基地を造らせない』をかかげ市長に当選した。そしてその信念を一貫して貫いてきた。普天間基地の移設というが、辺野古の新基地には普天間にはない軍港があるように、基地の負担軽減など嘘っぱちだ。名護市民・沖縄県民の心はもはや決して揺るがない。強権的な政府のやり方を絶対に許してはならない。ともに辺野古新基地反対の声をあげていこう」と並々ならぬ力強い決意を表明した。
 稲嶺市長の熱い決意が会場中を包む中、集会宣言が採択され、怒涛の勢いで団結ガンバローを三唱して集会は閉じた。
 辺野古新基地建設阻止闘争は新たな段階に突入した。この十七年間の一切の成果をかかげ辺野古決戦に断固勝利しよう。



 

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