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     6月12-14日 鹿児島

   川内原発再稼働阻止!三日間の行動を貫徹

   
九電支社、川内原発前で抗議
    



 現在は全基が運転停止をしている日本の原子力発電所。この中で最も早く再稼働するのではないかと言われているのが、鹿児島県薩摩川内市にある九州電力川内原子力発電所である。その理由は、今年三月十三日に原子力規制委員会が川内原発一、二号機の最優先審査を決めたからだ。
 各地の原発が再稼働の申請をしている中で、なぜ川内原発が「最優先」審査されるのか。それは、鹿児島県が「自民党王国」であり、県知事の伊藤が再稼動の積極的推進派だからだ。鹿児島県議会や薩摩川内市議会では自民党が多数派を占めている。このようなことから、原発再稼働に対する地元住民の反発が小さいと「原子力ムラ」は見ているのだ。だが、それは「原子力ムラ」の勝手な思い込みにすぎないことを、鹿児島県内の九十の反原発団体が主催して開催された「六・十三県議会『再稼働させない』行動集会」は満天下に示した。
 翌日の鹿児島県議会闘争に先駆けて六月十二日夕方、首都圏はじめ東日本各地から集まった百三十名の部隊がさっそく鹿児島県庁へと向かった。
 鹿児島県庁前では、記者会見と前段独自集会が開催された。首都圏や福島のほか、泊、滋賀、富山、伊方、大間などから仲間が参加した。広瀬隆さんや木田節子さんが発言した。木田さんは「自分の息子は原発作業員」「わたしも普通の市民だった」「鹿児島でもし事件が起きたら、わたしたちのような普通の市民が声をあげるはず」「自分たちはたまたま先に原発難民になっただけ。事故になったら国や電力会社に棄てられる」と訴えた。県議会議員からは翌日からの本会議を前に松崎議員があいさつした。原子力規制委員会の「適合性審査」後、ただちに地元自治体としての承認を狙う伊藤・鹿児島県知事と六月本議会にむけた闘いを翌日に控え、絶対に議会での承認を許さないという固い決意を参加者全員で確認し、夜の深まるのも忘れ交流が行われた。
 六月十三日、梅雨の晴れ間の太陽が照りつける空の下、八時前に鹿児島県庁前に集合し、この日に開会される鹿児島県議会の傍聴券の抽選に並んだ。県内参加者を優先することになり、県外からは二十名ほどで傍聴を行った。傍聴団と並行して、鹿児島県庁前で集会が行われた。集会開始の時点で平日にもかかわらずアジア共同行動日本連(AWC)をはじめ、鹿児島県内、全九州、全国から七百名が結集した。県議会議員は、発言順に遠嶋春日児(県民連合。薩摩川内市選出)、松崎真琴(共産党)の各氏があいさつし、福島や薩摩川内市の住民も訴えた。福島県大熊町から会津若松市に避難した被災者の方は「原発事故直後から原因不明の皮膚炎や肝機能障害に襲われた。家族全員が鼻血を流した。漫画『美味しんぼ』の鼻血描写は事実だ。放射能に汚染されていない鹿児島のきれいな空気を吸って涙が出た。この自然を再稼働で破壊してはならない」と語った。その後、玄海、水俣、大分、熊本、宮崎、浜岡、伊方、志賀、福井などの原発をかかえる地元や周辺で反対運動を続ける住民団体が続いた。その後、釜日労、再稼働阻止全国ネット、全労連、川内原発訴訟弁護団らがリレーアピールを行った。また、ドイツの反原発団体からの伊藤知事宛公開書簡も読み上げられた。途中、県議会の会派(自民党、県民連合、公明党、共産党、無所属)と知事への要請団が県議会へと向かった。同時に十万人を超える署名提出行動も行われた。
 昼に向けて参加者が続々と増え、最終的には千名を越えた。
 昼食をはさみ、午後からは第二部として県知事や県議会各会派 への要請行動の報告と東京から駆けつけた鎌田慧さんたちが発言を行った。
 集会後、九州電力鹿児島支社へ抗議行動が行われた。鳴り物に合わせてにぎやかに声を張り上げ、「再稼動反対」「いのちが大事」とデモしながら九電へとむかった。九電鹿児島支社の建物を包囲する形で抗議行動が行われた。九電は、社員や警備員を配置し抗議行動に敵対したが、これに対抗して再稼動絶対阻止の声が響きわたった。
 夕方からは、鹿児島市の繁華街・天文館で七十名を超える大情宣が行われた。鹿児島でも金曜行動が行われているが、地元の方に「毎回反応がよくて元気が出る」といわれたが、確かに道ゆく人たちの反応もよく二時間で四千枚以上がまけた。話し込む人や「署名はありませんか」と聞いてくる人がいたり、高校生や若い女性の反応がよいのが印象的だった。地元では、再稼動にむけた審査のトップに川内原発が決まった頃から反応が特によくなってきているとのことであった。 鹿児島県の伊藤知事は記者団に対して、原発事故が起きた場合を想定した三十キロ圏内に住む要援護者の避難計画を「作らない」と明言した。これまでも伊藤は「要援護者の避難計画は再稼働の要件ではない」と繰り返し述べてきた。この姿勢に、事故が起きたら社会的弱者を見殺しにするということか、と多くの地元住民が怒りをあらたにしている。
 十四日は、朝九時すぎより川内原発ゲート前での抗議行動が闘われた。前日の闘いから引き続き二百二十名が参加した。この日の抗議に恐れをなした九電は、原発に近接して設置している「PR館」を突如として「臨時休館」にするという暴挙に出てきた。これは、この間の「PR館」への抗議にも警戒したものだ。また今回、鹿児島県警を大量動員し、車止めやバリケードフェンスを張り巡らし、一切正門前での抗議を受け付けないという暴挙に出たのである。抗議部隊は、こうした暴挙、弾圧を許さず断固としてゲート前での抗議闘争へと決起した。冒頭、広瀬隆氏や鎌田慧氏をはじめとした記者会見がゲート前で行われた。記者会見には地元新聞社をはじめとして多くのマスコミが参加し、全国の原発再稼動の行方を左右する川内原発の地元をはじめとした全国の闘いと決意に注目した。最後にかごしま反原発連合有志の岩井哲代表ら各団体から再稼働しないよう求める瓜生道明・九電社長あての申し入れ書を総務課長に手渡した。
 三日間にわたる抗議闘争は、ここで再稼動を許すならばドミノ式に次々と再稼動のラッシュが続くという強い危機感のもと、ここで絶対に阻止すると誓った全国の仲間の総結集により闘いぬかれた。地元の薩摩川内市では八割の住民が原発の再稼動に反対している。大飯原発の差し止め訴訟において画期的判決が勝ち取られた。こうした闘いの成果を集中して今夏・秋の再稼動を絶対に阻止しよう。全国から川内原発現地闘争へと総決起しよう。



 

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