共産主義者同盟(統一委員会)






■政治主張

■各地の闘争

■海外情報

■声明・論評

■主要論文

■綱領・規約

■ENGLISH

■リンク

 

□ホームへ

     6・2 沖縄

    米兵女性殺害事件に怒り!

        追悼・抗議集会開く



 
 「彼女は私だったもしれない……」米海軍兵による女性殺害事件に抗議し、被害者女性を追悼する「米海軍兵による女性殺害緊急追悼・抗議集会」が、六月二日、北谷町(ちゃたんちょう)ニライセンターで開かれた。主催実行委員会の呼びかけで、当日は追悼の意を込めた黒色基調の服などを身につけた約五〇〇名の参加者で、ホールは埋め尽くされた。
 四月一三日、北谷町で米兵による女性殺害事件が発生した。米兵は、名護市辺野古にある米海兵隊キャンプ・シュワブ内に居住していた在沖米海兵隊第三海兵師団第三偵察大隊所属の米海軍三等兵曹で、女性殺害後自殺した。
 またしても起きた米兵による女性殺害事件を満腔の怒りで弾劾する。三年前、二〇一六年四月二八日に起きたうるま市での元米海兵隊員の軍属による名護市出身女性殺害事件の悲しみが癒えない中での事件だ。絶対に許せない。
 しかも、事件の概要が明らかになるにつれ、怒りが増幅してくる。被害者女性は、加害者米兵による性的暴行やストーカー行為が繰り返されることに対して米軍に訴えていた。米軍は被害女性への接近・接触を禁止する軍事保護命令「ミリタリー・プロテクティブ・オーダー(MPO)」を出していた。それにも関わらず、キャンプ・シュワブ司令官は当日の外出許可を出していたのだ。また、沖縄「県」警もこの間の経過を把握していたのだ。まさに今回の事件で、米軍、「県」警も同罪だと徹底弾劾しなければならない。
 また事件発生を受けて玉城デニー知事は在沖米軍トップのエリック・スミス四軍調整官に直接抗議、また、「県」議会、北谷町長や北谷町議会でも抗議を行ったが、「リバティー制度は99・9%順守されている」(米軍)、「捜査中」(沖縄防衛局、外務省沖縄事務所)と、他人事のようにしか対応しない日米両政府にも怒りが高まった。
 集会は冒頭、被害者女性を追悼する黙祷で開始された。呼びかけ人の瑞慶覧功(ずけらんいさお)県議、亀谷長久(かめやちょうきゅう)北谷町議会議長、高里鈴代「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表、糸数慶子参院議員がそれぞれ登壇し、米兵による女性殺害に強く抗議した。
 特に今回の事件は、事件事故のたびに繰り返される「綱紀粛清」「再発防止」「教育の徹底」が空文句であり、米兵らの勤務時間外飲酒、外泊などを規制する「リバティー制度」が二月に大幅緩和されて以降、米兵による飲酒事故が多発する事態とも重なり、日米地位協定の抜本的改正が必要だと訴えた。
 また、野国昌春(のぐにまさはる)北谷町長、玉城デニー知事も発言した。その中で、玉城知事は改めて「日米地位協定の抜本的改正、基地の整理縮小、辺野古新基地阻止への不退転の決意」を表明した。
 集会後半は、市民からの訴えが続いた。まず、沖縄戦で家族を失った悲しみを歌った沖縄民謡の名曲「艦砲ぬ喰ぇー残さー」(かんぽうぬくぇーぬくさー)を唄うコーラスユニット『でいご娘』の長女である島袋艶子(しまぶくろつやこ)さんが発言した。島袋さんは、現在、地元北谷町栄口区の自治会長を務めるが、「艦砲ぬ喰ぇー残さー」を作詞作曲した父・比嘉恒敏(ひがこうびん)さんや母親を米兵の飲酒事故で亡くした経験を持つ方だ。彼女は、事件後残された幼い兄弟姉妹の苦悩を語り、今回の事件と重なる思いを語りかけ、残された被害者女性の幼い子どものケアと人権問題としての基地問題への関りの重要性を訴えた。
 さらに各方面から九人の市民が登壇しリレートークを行なった。米軍人・軍属による事件被害者の会の方は、民事訴訟での加害者米兵責任の徹底追及と、完全な米軍基地撤去が根本解決策であると強調した。島ぐるみ会議名護の女性は、「コザ暴動のような怒りを示そう。政治の力を強めよう」と訴えた。登壇した各自が、繰り返される米軍事件事故への怒りと、「彼女は私だったかもしれない……」という当事者意識をもって基地撤去へ進もうと訴え、会場から共感の拍手が響きわたった。
 集会は最後に、「何の再発防止策も講じることのできない日米両政府へ強い憤りを持って抗議するとともに、規律を守れない米軍には自国へ撤収してもらい、沖縄に暮らす人々の『こころ』と『命』を尊重できる日米両政府であることを強く求めます」とする「声明文」を採択した。具体的には、日米両政府へ「被害者遺族への謝罪と適正補償」「被害者遺族の保護と継続的なケア」「事実究明、全容公表、再発防止策」「米軍兵の基地外行動規制強化と実行の徹底化」を求め、また沖縄「県」にも「被害者支援窓口設置」を要求した。
 このように、相次ぐ米軍事件事故は、沖縄への構造的な差別軍事支配の現れである。参加者は、戦後七四年目、「復帰」後四七年を迎える「基地・沖縄」の現実を絶対に許さず、被害者女性の哀悼と残された幼い遺族への思いを胸に、人権を守り、基地撤去―日米地位協定抜本改正への熱い決意の下、本集会を閉じた。



 

当サイト掲載の文章・写真等の無断転載禁止
Copyright (C) 2006, Japan Communist League, All Rights Reserved.