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     7・12 千葉

   第三回樫の木まつり
    市東さんの農地守り抜く決意固める

 
 七月一二日、「第三回・天神峰樫の木まつり」が三里塚芝山連合空港反対同盟の主催で開催された。「用地内」天神峰に反対同盟を先頭に、地元住民や労働者・学生・市民一四〇名が集まった。
 一二時三〇分、市東さんの南台の農地に結集。新型コロナウイスルの感染拡大によって、成田空港は航空機の減便・欠航が相次ぎ、B滑走路は閉鎖されたままだ。天候は梅雨の合間の晴れ模様で、少し汗ばむほどの初夏といったところ、航空機の騒音がない中で鳥のさえずりが聞こえる。B滑走路とそれを覆うフェンスさえなければ、本来実り豊かな広大な農地だったところだ。
 デモ出発前に、打ち合わせが行われた。はじめに東峰の萩原富夫さんがあいさつに立った。萩原さんは、B滑走路の航空機の離発着による騒音が日常だったのが、B滑走路の閉鎖によって、一変して騒音がない日常になり、市東さんの体調がよくなり、「あらためて騒音がもたらす健康被害の重大さを実感する」と発言した。
 つづいて、野戦病院の大熊さんが発言に立った。大熊さんは、三里塚の裁判の現状を報告した。七月一六日に新やぐら裁判が千葉地裁である。四月に東京高裁に異動した裁判長内田博久が「職務代行」としてわざわざ東京から戻ってきて、開廷と結審を目論んでいることを弾劾した。そして九月二日に東京高裁である請求異議裁判控訴審への結集を呼びかけた。
 打ち合わせの最後に、決戦本部長の太郎良陽一さんによる団結ガンバロー三唱をし、デモ行進に出発した。機動隊による執拗なデモ規制をものともせず、意気高くデモ行進を貫徹した。
 デモ終了後の一時半過ぎ、市東さん宅離れに集まり、宮本麻子さんの司会で交流会が開始された。
 はじめに萩原さんが、コロナの影響で飛行機を利用する人がいない。「いくつか海外の航空会社は倒産している。成田空港会社が破綻の状況に陥りつつあり、空港廃港の状態に近づいている。そのような状況で、市東さんの農地を奪おうとするなどあり得ないことだ」と発言し、「今こそ三里塚の反転攻勢に打って出よう」と訴えた。
 つづいて、動労千葉、市東さんの農地取り上げに反対する会、空港周辺の騒音直下に暮らす地域住民の発言が行われた。
 途中、趙博さんのミニ・コンサートが行われ、コンサート終了時に反対同盟からスイカがふるまわれた。
 その後、参加した支援の各大衆団体から連帯発言が行われた。首都圏から参加した二期阻止全国共闘の仲間が発言に立った。まず、久々に現地闘争に結集した意義を明らかにし、航空機の減便・欠航で滑走路閉鎖状況にも関わらず第3滑走路計画を進めようとしていることを批判し、市東さんの農地強奪阻止の裁判闘争を闘う決意を明らかにした。そして、六月アジア共同行動を全国で実現した報告をし、一一月岩国行動の方針を語った。さらに、同日東京で、沖縄集会に取り組んでいることも明らかにした。
 まつりの終盤で、くじ引きが行われ、反対同盟のTシャツ・缶バッジや野菜が景品として渡された。
 交流会の締めくくりに、市東孝雄さんが「B滑走路閉鎖で飛行機は飛んでいません。いずれ空港会社側からの攻撃が来ます。それまでに力を蓄えるために、今日はやって良かった」「これからのためにがんばって、三里塚闘争をますます強化していこう」と決意のあいさつをした。
 最後に、太郎良さんが九月二七日に成田市内で三里塚全国総決起集会を開催することを呼びかけた。団結ガンバローで、三里塚闘争勝利の決意を打ち固めて交流会を終えた。



 

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