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■5・14―15 沖縄 「復帰」を問う5・14行進―5・15大会で 「基地・沖縄」の現実を糾弾 「復帰五〇年」を迎え、五月一四日、5・15平和行進が、同実行委員会(事務局・沖縄平和運動センター)主催で開催された。コロナ禍の影響で三年ぶりの実現となったが、日程・人員・コース制限の下で、「本土」労組等の参加者を含め一〇〇〇人が参加した。 宜野湾市民会館での出発式であいさつした比嘉京子県議(実行委員会共同代表)は、基地沖縄の現状が政治的な強制の結果だと糾弾、「復帰」の内実を検証しよう、と呼びかけた。梅雨空の小雨降る中、行進団は三グループ編成で出発。普天間基地第3ゲート(野嵩ゲート)、キャンプ・瑞慶覧の在沖米軍司令部(在沖四軍調整官事務所)ゲート前、さらには、かつての琉球米軍司令部のあったライカム交差点を経て、一九七〇年12・20コザ暴動決起の現場である園田交差点からゴヤ十字路、嘉手納基地第2ゲートを経て、沖縄市民会館隣の八重島公園までの約九キロを歩き、米軍基地撤去などを訴えた。5・15平和行進団は、途中大音量で妨害を企てた右翼反革命も敵対も毅然として粉砕、到着式の最後には、山城博治前センター議長のガンバロー三唱で、勝利への新たな決意の拳を突き上げた。 翌五月一五日、五〇年前と同じ土砂降りの雨で朝を迎える中、新装なった那覇市・那覇文化芸術劇場「なはーと」で午前、「復帰五〇年/5・15平和とくらしを守る県民大会」(同実行委員会)が開かれた。こちらもコロナ対策で、初の屋内集会、人員・時間制限の下、一〇〇〇人が参加した。 冒頭、上原邦夫実行委共同代表(沖教組委員長)が主催者挨拶をおこない、「台湾有事」を煽動し、沖縄の日米軍事基地強化・演習激化が急ピッチで進んでいる現状を糾弾し、「沖縄を再び戦場にしない、させない」と闘いの強化と連帯を訴えた。 集会では、平和行進報告や玉城デニー知事からのメッセージ、藤本泰成平和フォーラム共同代表、イハ洋一参議院議員・新川秀清嘉手納爆音訴訟原告団長からの連帯あいさつ、さらには北海道・東京・広島・長崎からも発言を受けた。 集会では「基地のない沖縄、平和な日本、戦争のない世界をつくるため力を尽くそう」と訴える大会宣言を採択した。最後に仲宗根哲共同代表(自治労沖縄副委員長)の音頭で、「コロナ自制」でプログラムになかった団結ガンバローを唱和し、「復帰五〇年」目の5・15を締めくくった。その勢いに応えるかのように、集会後は雨雲を吹き飛ばし薄日が差す天候となった。 |
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