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  ■6・23 沖縄
 
岸田糾弾に包まれた
 6・23沖縄戦「慰霊の日」反戦行動





 長梅雨が明け灼熱の太陽が降り注ぐ六月二三日、第二次帝国主義戦争敗戦から七七年目、「復帰」五〇年目の沖縄戦「慰霊の日」を迎えた。糸満市摩文仁の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」(沖縄「県」主催)が開かれた。
 コロナ禍で式典規模が縮小され、遺族や一般参加者の入場が制限される中、三年ぶりの首相参列を強行するため、平和祈念公園内外は静粛な「慰霊」追悼を逆撫でする警察権力による参加者の強制排除警備態勢が敷かれた。
 怒り心頭だ。会場入り口では、首相岸田に対する辺野古新基地建設阻止闘争を闘い抜く有志呼びかけの抗議集会が展開された。白バイに先導され強行突破を図る岸田を乗せた車列に、沖縄戦犠牲者の無念さと怒りをこめて断固たる糾弾のシュプレヒコールが浴びせられた。
 式典で玉城デニー知事は、「基地のない平和の島」を求めた「復帰」だったが、今なお米軍基地の集中による基地負担が強要されていると指弾、日米地位協定の抜本的改正、普天間基地の運用停止、辺野古新基地建設断念を訴えた平和宣言を発した。初めての意見公募を反映した宣言であり、文字通り沖縄の声なのだ。
 一方、岸田は挨拶で「今なお米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいております」と他人事のように述べると、会場外から「帰れ」コールが湧き上がり、再び怒りのシュプレヒコールが突きつけられた。式典会場横では遺骨混じりの土砂を辺野古新基地に使わせないと、ハンスト決起した沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松代表も心を一つにしている。
 また例年、旧日本軍司令官・牛島と参謀長・長の自決を賛美するため「黎明の塔」への「慰霊行軍」参拝を「私的参拝」と称して強行していた自衛隊だが、ロシアによるウクライナ侵略を口実にした「台湾有事」での琉球弧ミサイル軍事基地化・強化への怒りが高まる中、組織的「参拝」の事実を隠蔽するため、今年の「慰霊行軍」を断念に追い込まれたことも判明した。
 このように、6・23反戦行動はあらゆる領域において、岸田自公政権の戦争遂行・改憲攻撃を粉砕する総決起として勝ち取られた。

 


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