共産主義者同盟(統一委員会)







■政治主張

■各地の闘争

■海外情報

■声明・論評

■主要論文

■綱領・規約

■ENGLISH

■リンク

 

□ホームへ

   
 ■1・22 千葉
 

 市東さんの南台農地を守ろう

 千葉地裁デモ&耕作権裁判


千葉地裁デモ

 一月二二日午後、千葉地裁で耕作権裁判が開かれた。市東さんの南台農地をめぐり一七年に及んだ本裁判は、最終局面の証人調べを迎えている。
 裁判闘争に先立ち、千葉中央公園で三里塚芝山連合空港反対同盟呼びかけの集会と千葉地裁へ向けたデモが取り組まれた。
 正午から、反対同盟事務局の太郎良陽一さんの司会で集会が持たれた。
 はじめに、反対同盟事務局の伊藤信晴さんが、以下の趣旨で発言した。イスラエルによるパレスチナ人大虐殺など、すさまじい戦争情勢の中で、市東さんの農地をめぐる決戦は今まで以上に重要な闘いとなっている。反対同盟は、農地死守・実力闘争の原則で五七年間闘い抜いてきた。地域住民の生活を破壊し、軍事使用をもくろむ空港機能強化の攻撃と対決する闘いの決定的環として耕作権裁判闘争がある。本日は市東さんの耕作する農地の位置をめぐるものであり、特に重要だ。千葉地裁デモ、傍聴闘争を全力で闘いぬこう。
 つづいて、動労千葉、関西実行委、市東さんの農地取り上げに反対する会が、それぞれの立場から闘いの決意を語った。
 最後に、司会の太郎良さんがまとめの発言を行った。太郎良さんは、自民党国会議員の裏金問題にも現れているように、裁判所、警察、空港会社がグルになって、人民の生きようとする権利を潰そうとしている。こんな世の中を変えていこう。そのためにわれわれは三里塚闘争を闘っている。太郎良さんは、「裁判闘争に勝利し、市東さんの農地を守り、世の中を変えていこう。市民の皆さん、共にこの腐った世の中を一緒に変えていこう」と呼びかけた。
 「市東さんの南台の畑を守り抜くぞ!」「耕作権裁判闘争に勝利するぞ!」「空港機能強化策粉砕!」と、全体でのシュプレヒコールで気勢を上げた後、千葉地裁へ向けたデモに取り組んだ。
 デモ後に、成田空港拡張に反対する署名の裁判所への提出行動が行われた。


●耕作権裁判傍聴闘争

 一月二二日に千葉地裁で耕作権裁判があり、反対同盟法対部だった元永修二さんが証人台に立った。一九八〇年代に強まっていた強制収用攻撃を阻止するために南台農地の耕作状況について八七~八八年に同証人が市東東市さんに聞き取りをして八八年三月一九日に完成した報告書(元永メモ)をもとに証言が行われた。
 「小作地の件について」と題された同メモは、南台農地の住所、土地所有者として藤崎政吉、小作者として市東東市・石橋正次・根本庫之助・鈴木勘一を挙げ、そして南台農地の地図が示されている。長方形の農地は北から南へ四段に区切られ、一段目と二段目がやや狭く、三段目と四段目がやや広い。さらに、一段目が約4対3、三段目が約55対45の地点で左右に区切られている。市東家は戦前、まず三段目東側の土地二反歩、その後、二段目の土地二反七畝を小作した。アジア侵略戦争敗北後の農地解放の対象から外れ、地主の藤崎から借りて耕作する小作の状態が続いた。石橋との土地の交換を経て、メモ作成当時は一段目と二段目の合計五反五畝を耕作しているが、本来は二段目と三段目東側が小作地だ。
 小作料は、一九七五年頃までは年末に支払った。同年以降、「地主藤崎の方で『無理しなくていいよ』というようなことで支払っていなかったが、それを改め」、八三・八四・八五年の三年分を八五年に「支払い受領された」。八六年・八七年ともに「年末に支払っている。領収書もある」。
 小作権の登録については、一九五〇年に遠山村農地委員会が発行した農地賃貸借契約書が存在し、これを元に成田市農業委員会が八五年に「登録をなした」。「その内容は、〔成田市天神峰字南台〕四一番の土地一町四反一四歩のうち四反七畝となっていて、四一番の土地の中のどの部分か具体的に特定されていない。」
 続いて、「地主が公団〔現空港会社〕に売売却するための必要な要件」として同メモは次のように指摘する。「農地であるため、農業委員会が発行する農地法三条許可書の添付がなければ講壇に地主が売り渡すことはできない。成田市農業委員会は、小作県設定がなされた農地であることを確認済みであるから、小作人の印鑑証明書付きの同意書を提出しなければ手続き上許可書は出せない。」また、市東さん以外の人間の小作地の売却も、市東さんの本来の小作地「についての場所確認の同意書を全小作人より提出されない限りは農地法三条許可書は発行されない。」つまり、「四一番の土地すべてが公団に売却できないということである」と結論付けている。
 反対同盟弁護団の質問に対する回答で元永証人は、小作料の支払いなどで自分が地主の藤崎宅に十数回行った、藤崎も公団も小作地の売買のためには市東さんの立会即ち同意が必要であると認識していた(「藤崎は八八年一月一九日に『ポイントは市東の立会の件だな』と言った」)、と述べた。さらに、二〇一一年に葉山弁護士らと藤崎宅を訪問した時、市東さんの家を訪ねたのかという問いに藤崎は「藁ぶきの家に行ったことしかない」と語り、空港会社が示した市東さんの「同意書」にある署名の時に市東さん宅は新築されて瓦屋根になっていたので、「藤崎は同意書に関連して市東さん宅には行っていない」という心証を得た、と述べた。つまり、同意書の署名は取れていず偽造、ということだ。また、用地交渉記録がないという空港会社の主張はあり得ないもので、交渉に当たった元空港公団職員の前田と法理が、公共事業なのに裁判所に出てこないのはおかしいと原告の空港会社を厳しく批判した。
 元永メモが現在進行中の耕作権裁判のためにではなく、それと無関係に作成されたものであるという点も併せ、元永証人の証言は、市東さんの小作地を含めた南台農地を、小作権者の同意(市東さん)と確認(他の小作権者)を経ないままに地主藤崎が当時の空港公団(現空港会社)に売却することはできない、違法行為であることを決定的に明らかにした。
 空港会社側の反対尋問は、何を聞きたいのかが全く分からない的外れの内容で、傍聴席からの批判と失笑を買いまくった。
 裁判後の報告会でも、市東さん、元永証人、弁護団の発言は裁判に勝利できるという確認に満ちていた。
 今後の公判は二月一九日(支援者)、三月一八日(市東孝雄さん)だ。反政府闘争の最前線である三里塚闘争の勝利のために、耕作権裁判を傍聴し、市東さんを支え、連帯しよう。
(三里塚現地行動隊)

 


Copyright (C) 2006, Japan Communist League, All Rights Reserved.