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■9・30 千葉 三里塚・耕作権裁判 市東さん、弁護団の最終弁論 空港会社の不正を徹底追及 千葉地裁デモ 九月三〇日午後、千葉地裁六〇一号法廷において、市東さんの南台農地をめぐる耕作権裁判の口頭弁論が開かれた。成田空港会社による証拠隠しや文書偽造などの不正の数々が顧問弁護団の追及によって暴き出され、裁判は一八年もの長期間に及ぶこととなった。 この日の裁判闘争は、市東孝雄さんと反対同盟顧問弁護団による最終意見陳述であり、これをもって一審は結審となる。 裁判闘争に先立ち、正午すぎから千葉市中央公園において集会が開かれた。 はじめに反対同盟事務局の萩原富夫さんが、以下の趣旨で闘いの基調を提起した。 政府が「ここに空港を作るから出ていけ」と言われてから五八年が経ち、その間に農地が少しずつ奪われて行き、農地は確かに少なくなったが、その農地が成田空港の完成をいまだに阻み続けている。 現在、空港会社は「新しい成田空港」構想を打ち出しているが、その本質は、中国に対する軍事的包囲網の形成であり、琉球弧をはじめとした日本全土の軍事要塞化の一環だ。反対同盟は、結成当初から成田軍事空港反対をかかげて闘ってきた。 市東孝雄さんは、航空機の爆音や排気ガスに耐えながら、「代々受け継いだ農地を守る」という純粋な思いで日々闘っている。空港会社は市東さんを「不法工作者」だと言いなして裁判を起こした。市東さんは確かに小作者だったが、耕す者にこそ権利があり、地主が勝手に土地を売ることはできないというのが農地法の基本精神だ。だから、農地を耕し続けることは全く合法的な権利であるはずだ。 だが、空港会社はこれを悪用して、市東さんの農地を奪い取ろうとしている。千葉地裁がこの市東さんの「耕す権利」を認めるかどうかに一切がかかっている。 法の精神に則って判決を下すのであれば、市東さんが勝利することは間違いない。しかし、この国では農民や労働者の権利はまったく無視されてきている。裁判所もしょせんは役人であり、政府・自民党と一体だ。国の都合で反動政策がどんどん推し進められている。戦争に向かって突き進む自民党政治に対して、反対同盟は、今後も戦争絶対反対を貫いて闘い抜いていく。 萩原さんの熱意ある発言に、参加者は盛大な拍手で応えていった。 つづいて、動労千葉、関西実行委、市東さんの農地取り上げに反対する会が、それぞれ連帯のアピールを行った。 最後に司会の反対同盟事務局・太郎良陽一さんが、「千葉地裁は私たち反対同盟の訴えに繰り返し敵対してきたのであり、一切の幻想を持ってはいない。本日の裁判闘争を千葉地裁と対決し、昨年二月一五日の強制執行にやり返す闘いの突破口として臨んでいこう」と語り、集会をまとめた。 最後に、「市東さんの農地を守り抜くぞ!」「空港の巨大化を許さないぞ!」「市東さんの農地を守り抜くぞ!」とシュプレヒコールをあげて集会を終えた後、千葉地裁へ向けたデモに出発した。沿道の市民に対して、裁判闘争への注目と支援を呼びかけていった。 デモ終了後、参加者は傍聴闘争に参加すべく千葉地裁へと向かった。 耕作権裁判、最終弁論 九月三〇日に千葉地方裁判所で耕作権裁判の最終弁論が行われた。 最後の意見陳述は被告の市東孝雄さんと三里塚弁護団だけが行い、原告の空港会社は行わなかった。極めて異例だ。二〇〇六年に空港会社が市東さんを相手取り、「不法占有」している南台の畑を明け渡せ、と訴えたこの裁判の一八年間の総括に当たる最終弁論について、結論は最初から出ている、だから必要なし、というわけだ。成田治安法を合法と言い放った元千葉地裁判事を弁護人に据えた国策企業と、それを天下り先にして官民癒着する国土交通省=国家権力の傲慢この上ない態度を看過するのは罪だ。満腔の怒りを込めた鉄槌をその頭上に何度も何度も振り下ろすのでなければならない。 法廷の傍聴席が満席となる中、まず市東さんが口火を切った。その陳述の要旨は次の通りだ。 私は天神峰で生まれ育った。家が貧しかったので、高校には行かずに家を出て働いた。四八歳の時に仕事を辞め、農地を絶対に売り渡さない、農民として生きて行く、と決意して家に戻った。 父が南台の畑の買収に応じるはずがない。証人台に立った元空港公団職員の法理が、上司から報告書を書くように指導された、と証言した。(空港公団の後身の)空港会社は事実を隠しており、その主張は信じられない。証人の元永さんが一九八八年に作成したメモは証拠として重要だ。私は、今年三月に証言する前、うちと同じく南台の畑を藤﨑から賃借していた石橋家の人々に会って話を聞いたが、Aの土地は市東さんの土地だ、会社の主張は間違っている、と話した。藤﨑は父だけでなく私からも小作料を受け取った。これまで、会社の不誠実な態度をずっと見てきた。父が署名・捺印したと会社が主張する同意書と確認書は偽造されたものと確信している。 会社が私を訴えた日の翌日、マスコミに「不法耕作農民」と書かれ、土地明け渡し請求書が届いた。しかし、政府・公団は一九九〇年代に収用裁決申請を取り下げ、さらに、成田シンポジウムで「強制収用は今後二度としない」と誓ったはずだ。それなのに、二〇〇〇年代に私に対して土地強奪のための二つの民事裁判を起こした。汚いやり方だ。南台の農地を守り抜く決意だ。 今、会社は空港用地を二倍に拡張しようとしている。これは周辺住民を騒音地獄に叩き込むものだ。空港拡張計画は無謀なものだ。大騒音をまき散らし、また、巨大な軍事空港に転換させるものだ。同計画は直ちに中止すべきだ。 私は無農薬有機野菜を作っている。そのために南台の農地の土づくりを、有機肥料のすき込みなど、何年もかけて行ってきた。農地は自分の命に等しいものだ。農民を犠牲にする政策は間違っている。成田空港の国策は「国民」を苦しめるものだ。成田空港の廃港と農地死守を私は訴える。裁判官の皆さんに、良心に従って判断することを望む。戦争のない平和な社会を作る判決を出してほしい――。 続いて、弁護団の陳述が弁護人全員の分担により以下の内容で行われた。すなわち、市東さんの農地強奪策動が農地法違反であること、同意書と確認書が偽造されたものであること、会社が市東さんの耕作地とみなした土地が別人の耕作地だったこと、市東さんの耕作地の賃借権の時効が成立してその所有権が市東さんに生じていること、同意書と確認書での市東東市さんのものと空港公団が主張する署名と捺印に関する会社側の鑑定がでたらめなこと、会社が交渉記録を隠蔽し、東京高裁と千葉地裁がその提出を命令したのにもかかわらずこれに従わずに提出を拒否していること、総じて、会社の訴えは無効であること、以上だ。 裁判長齊藤は最後に、市東さんと弁護団の最後の意見陳述書が四百ページを超えるものであり、また、これに対する会社の反論も聞く必要があるとして、判決期日は「追って指定する」と告げた。これもまた極めて異例だ。 公判が終わって裁判所近くの千葉県教育会館で行われた報告会で市東さんは、「判決はどうなるかは分かりません。期待はしていません。これからも、どんな判決が出ようと、今までと変わらず、頑張ってやっていきます。」と述べた。 耕作権裁判の勝利判決を勝ち取ろう。不当判決を許すな。農地強奪を粉砕する態勢を作り上げよう。一〇月一三日三里塚全国総決起集会に結集しよう。 三つの裁判闘争は今後も続く。一〇月二五日午後一時半開廷の団結街道裁判の公判では市東さんの本人尋問がある。空港拡張差し止め裁判は一二月二四日午前一〇時三〇分開廷だ。傍聴闘争に集まろう。 (統一委員会行動隊) |
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