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     3月12日 京都

     原発のない社会をつくろう

          反原発京都集会  円山野音に2100人


 

 福島原発事故の発生から五カ年にあたり、京都では三月十二日に「バイバイ原発3・12きょうと」と題する集会・デモが開催された。集会会場となった円山野外音楽堂には約二千百人がつめかけた。
 この日の集会・デモは、三月九日の大津地方裁判所による高浜原発三・四号機の運転差し止め仮処分決定の直後に開催された。集会は「市民の粘り強い行動が司法を動かした。関西電力や国など原発推進派はこの決定を覆そうとしているが、今こそバイバイ原発、再稼働反対の声を大きく上げていきましょう」という開会あいさつに大きな拍手が起こるなかで始まった。
 集会ではまず、避難者からの訴えとして、福島県南相馬市から京都府木津川市に避難している福島敦子さんが、事故当時の様子を振りつつ「原発のない日本の未来を創りたい」と発言した。原発賠償京都訴訟の原告団の一人でもある福島さんはまた、「避難の権利」の実現のため、京都でも勝利をつかみたい」と訴えた。続いて、福井の原発群に近い京都北部からのアピールとして、「原発なしで暮らしたい丹波の会」の児玉正人さんがアピールした。児玉さんは、大津地裁の仮処分決定の意義を語りつつ、この判決をさらに確実にしていくために、頑張っていきたいとその決意を述べた。
 さらに、元TBS局員で宇宙飛行士だった秋山豊寛さん、原発問題に関わり再生可能エネルギーの研究をしている朴勝俊(パクスンジュン)さん(関西学院大学教員)のスピーチが続いた。
 秋山豊寛さんはTBS退職後、福島で農業を営んでいたが、3・11福島事故に直面し、京都に避難している。秋山さんは福島事故は人災であり、官民一体となった犯罪だと指摘しつつ「世代を結んでたたかいを強めていこう」と訴えた。朴勝俊さんは「電力自由化について」と題するスピーチで、電力自由化を活用すると同時に、原発に代わる具体的なエネルギー政策、経済政策を構想することが重要だと訴えた。
 これらのアピールに続いて中川敬さんとリクオさんによるライブの後、集会宣言が採択された。
 集会宣言では、「原発のない社会をつくろう」「国のエネルギー政策を、再生可能エネルギー普及・原発ゼロに転換させよう」「高浜原発三・四号炉をはじめ、すべての原発の再稼働をやめさせよう」「四十年超の老朽化した高浜原発一・二号炉、美浜原発三号炉は直ちに廃炉にさせよう」「福島原発事故によって奪われた健康と生活を、国と東電に補償させよう」の諸点が共通の要求として訴えられた。
 その後、集会参加者は市役所までのデモ行進に出発した。繁華街を進むデモ行進には海外から観光に訪れた人々を含んで沿道からの大きな注目が寄せられた。
 大津地裁の高浜原発運転差し止め仮処分決定にもかかわらず、安倍政権はあくまで原発再稼働を推進しようとしている。これを許さず、再稼働阻止・原発廃炉に向けたたたかいをさらに強めていこう。
福島第一原発事故から丸五年が経過した三月十一日午後六時三十分より、新橋駅前にある東京電力本店前において、経産省前テントひろば・たんぽぽ舎呼びかけの合同追悼・抗議行動が取り組まれ、五百十名が参加した。
 東電本店前では前日の十日にも、三百名の結集で合同抗議行動が取り組まれている。
 十一日当日の行動は、午後五時からの経産省前抗議行動に引き続いて開催された。夕方まで冷たい雨が降り続き、その後も寒風が吹きつける厳しい寒さの中、多くの人々がこの合同抗議行動に参加した。東電本社前の歩道は参加者によって埋め尽くされ、あふれた抗議行動参加者は車道をはさんだ反対側歩道に集結した。
 司会の呼びかけで「東電は責任を取れ!」「柏崎刈羽の再稼動を許すな!」「汚染水止めろ!」などのシュプレヒコールが次々と東電本本店に向かって叩きつけられ、通算三十回目となる東電前抗議行動は開始された。
 はじめに和太鼓の演奏が行われた後、呼びかけ団体代表のテントひろば渕上さんが「東京電力の責任が問われているにもかかわらず、五年たった現在でも何ら実行されていない。こんなことを許してはならない。皆さんがんばりましょう」とあいさつした。
 次に、ルポライターの鎌田慧さんは「東京電力は自分たちがどれだけ大きな罪を犯したのか、それを釈明する必要があります。脱原発は時間の問題です。絶対に私たちは勝利します。がんばっていきましょう」と述べた。
 つづいて福島県双葉町の前町長・井戸川克隆さんは、東電本店に向かって「私たちの人生には原発事故で避難生活するなどという計画などありませんでした。あなた方はいつまでこんなむごい生活をさせておくのですが。私たちの土地に放射能のゴミはいりません。このビルの中に持っていきなさい」と福島住民としての怒りをぶつけた。
 さらに作家の落合恵子さんは「3・11から丸五年のこの日に約束しましょう。もう一度怒りをかき集め、もう一度希望をかき集め、もう一度人としての勇気をかき集め、声を上げ続けましょう。私は現政権が許せない。ここで変わらなければこの国は終わってしまう。子供たちのために、今を生きている大人の責任として声を上げ続けましょう」と発言した。
 横須賀「よろずピースバンド」の演奏や、カンパアピール、そして東電本店への申し入れ書が読み上げられ、警備員に手渡された。東電本店は様々な団体の申し入れに対して、一度たりとも広報や渉外などの担当社員を出したことはない。この態度からも、いかに東電が人民無視の無責任企業かが分かるというものだ。
 その後、たんぽぽ舎の山崎さんが、いまだ全く収束していない福島第一原発の現状について報告した。さらに、反原発自治体議員・市民連盟の結柴さんは「四月一日からの家庭用電気自由化で、原発由来の電気供給を拒否する運動を全国の住民と結びついて作り上げたい」とアピールした。
 次に福島原発告訴団副団長の佐藤さんは、事故当時の東電社長・副社長三名の強制起訴をかちとったことについて、「これからが本番。裁判は十年かかる。十年戦争をみんなの力で勝ち抜いていきましょう」と熱く語った。
 つづいて、日本音楽協議会(日音協)の歌と演奏が披露された。日音協は最後に辺野古現地で歌われている「座り込め」を選曲して演奏した。アコースティックギターに合わせ、参加者全員が心を一つにして熱唱した。
 さらに、火炎瓶テツさんの、安倍政権や東電に対する激烈な怒りのアジテーションとコールにつづいて、原発さよなら千葉の山口さん、核と被ばくをなくす世界フォーラム2016、再稼動阻止全国ネットワーク、脱被曝実現ネットなどが次々に発言した。
 その後、薩摩川内で反原発運動を続ける方が作った替え歌「ドンパン節」を全員で合唱し、最後に「東電は責任を取れ!」「再稼動反対!」などのシュプレヒコールの唱和でおよそ二時間の抗議行動は締めくくられた。



 

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