共産主義者同盟(統一委員会)

 

■政治主張

■各地の闘争

■海外情報

■主要論文

■綱領・規約

ENGLISH

■リンク

 

□ホームに戻る

  ■2010年 3・8国際女性デー

 グローバリズム下の女性支配と少子化政策

 


 一月末、鳩山民主党政権の「子ども・子育てビジョン」が閣議決定された。民主党の目玉政策である「子ども手当て」が注目される。中学卒業まで毎月一律二万六千円の「子ども手当」を支給し、少子化対策と合わせて景気対策とするという。「子ども手当」は昨夏の選挙戦では、政権交代の気運を大きく押し上げた要因のひとつだった。給食費が払えない、就学旅行に行けない、進学をあきらめる、産めない結婚できないという切実な問題を抱える多くの女性と男性が「よりましな民主党政権」に期待をし、民主党に投票したのである。
 日本社会の貧困は質量ともに拡大し続け、女性は労働者階級の底辺で生活を支えている。民主党政権は、「子ども手当」のほか、保育園待機児童の解消、悪名高い障害者自立支援法や後期高齢者医療制度の廃止など、「貧困」に対する民生の手当てで、政権の特色を示そうとしている。その中心が少子化対策だ。これによって、女性としての属性「産む性」が自由に自己決定できるようになるだろうか。
 少子化対策の本質を見極めなければならない。


●1章 女性の貧困と少子化

 女性差別問題は階級抑圧問題であり、女性解放はプロレタリアート解放問題であるということが、現在ほど目に見える実態をともなってはっきりしていることはない。
 女性はさまざまな形で分断され、その生涯のうちでもいろいろな役割を割り振られてきた。父親の良き娘であること、より良い結婚相手であること、母・教育者であること、介護者・地域社会の奉仕者であること。また、若い労働者として職場の花であり潤滑油であること、優秀な事務員であること、サービス業の前面で活躍すること、育児介護看護などケア労働の主力であること。主婦として家政を取り仕切りながら、工場パートや売り子として家計補助のため働くことなどなど。これらが「女性らしさ」「女性のやるべきこと」とされてきた。
 このさまざまな役割の焦点は、子どもを産み育てることである。資本主義社会では女性は個別家庭内で子を産み育て、次の搾取される労働者をたくさん準備することを求められているからだ。資本の秘密は労働力の搾取と、次代の労働者を無償で育成できる家族制度にある。
 これまで、その時々資本に都合のよい女性像が押してつけられてきたが、基本的には若い時に勤め、結婚出産で退職し中高年で家計補助労働に出るというM型ライフサイクルが続いてきた。保育は家庭で行うことを基本として、「保育に欠ける児童」に対してのみ保育所入所が「措置決定」された。こうした社会的制約の中女性はさまざまな家庭役わりを担いながら、たくましく社会参加もしてきた。女性、教育、環境、反戦平和など、女性の立場からの社会運動も作ってきた。何処へ行っても女性差別の壁はあったが、うまくたたかい、現実的勝利を切り開くこともあった。
 グローバリズムはこの少しの女性の社会的余裕を叩き潰したのである。M型ライフサイクルは、前提として男性の安定雇用があって成立していた。それが破壊された。女性は男性の代替え労働力として、不安定雇用と低賃金の競争者として利用された。貧困に大きく傾斜していく推進軸を担わされたのである。
 労働者階級の貧困は深刻で、それは女性差別によって増幅し大きな矛盾となって女性に襲いかかっている。貧困と女性差別は、ついに子どもが産まれないという事態を進行させた。合計特殊出生率は一九七三年の二・一四からなだらかに低下したが、八五年から九〇年代は傾斜を強め、二〇〇五年の最低記録一・二六に至る。
 昨年九月、民主党政権になり厚生省は初めて「貧困率」(〇六年一五・七パーセント)を発表した。貧困率というのは、一人あたりの収入額を多い順から並べ、真ん中の人(〇六年、二百二十八万円)の半分に満たない人の割合を言う。つまり、今回は年収百十四万以下ということだ。日本の「貧困率」はOECD加盟国三十カ国でメキシコ・トルコ・アメリカについで四番めに高いのである。この「貧困率」は相対的貧困率ではあるが、数字が高いほど格差が激しいということであり、また、絶対的貧困に陥る人たちも多いことを表している。
 いくつかの指標を見てみる。
 二〇〇八年で自殺者は十一年連続で増え続け、OECD国で自殺率が男女とも、ワースト二位である。生活保護受給世帯は二〇〇二年が五八・六万世帯だったのが高齢化もあって二〇〇七年には倍の百十万世帯になり、国民の十二パーセントが受給者となっている。
 格差と貧困の進行、さらに女性の貧困は深刻だ。
 高齢女性の貧困率は、けた外れに高い(単身六十五歳以上だと五十二パーセント)が、女性は二十歳以上のすべての年齢で男性より高い。しかも、この五年間で男女差が急速に拡大していることも見のがせない。
 貧困率の高さは「子どもの貧困」の多さでもある。子どもの七人に一人が貧困といわれている。厚生省の発表では、子どもの貧困率は一四・二パーセントだ。教育現場では、修学旅行の不参加や給食費の滞納、クラブ活動の停滞、中学生からのアルバイト、進学できないなどが増えている。夜間高校が満杯になっている。母子家庭の貧困率は実に六十六パーセントである。
 母子家庭の母はダブルワークを余儀なくされ、朝ごはん抜きの子どものために、学校の教員がおにぎりを用意するなどの事例が増えている。母子家庭については小泉政権時に生活保護の母子家庭に支給される母子加算(児童扶養手当)の削減が図られた。自立の努力をしていなければ削減、五年を過ぎれば半分に減額されるなど、子どもを支援するのでなく「母親の自助努力」を強制するものとなった。離婚は自己責任で関係のない子どもにも、そのつけが回されるというわけだ。見せしめ的な女性いじめだ。
 女性の貧困は、差別低賃金と非正規雇用率の高さ、そして家庭責任の押し付けによって生みだされている。常用雇用のパートなどを含む、事業規模三十人以上の事業所の統計で女性の賃金は男性の五十二パーセント(二〇〇七年)だ。正社員の調査では六十五パーセント。許し難い差別賃金だ。働く女性の五十三・六パーセントが非正規不安定雇用のパートや派遣・契約社員だ。育児休業法ができても実際上出産退職が多く、育児や介護で女性の平均勤続年数は正規雇用で八年余にすぎない。
 女性はその「産む性」を選択実現することができない。食べていくために働き続けなくてはならない。雇用は安定しないから、たとえパートナーと共働きになってもワーキングプアであれば、「産めない」。女性は属性を剥ぎ取られ男性と区別のない労働者となって、かつかつ生きているのが現状だ。女性だけでなく若者が、男性もが、不安定雇用にさらされ展望を失った。特別な展望でない、安定して働き結婚して子どもを持つという展望が失われたのである。格差と貧困が再生産され連鎖していくことが、目に見える実態となった。教育文化から排除された子どもは、雇用も限定され、結婚からも排除される。この傾向は厚労省の調査でもはっきりしている。「貧乏人の子は貧乏に」のコースしかないならば、子を育てることに希望はない。
 未婚化が進み、少子化は止まらなくなった。生涯未婚率(三十五〜四十四歳の未婚率)は一九七五年で男女ともに五パーセントだったのが、二〇〇五年は男性二十五、女性十五パーセントであった。この年齢層全体の八人に一人が、親と同居するパラサイトシングルでもある。同年の合計特殊出生率は一・二六で最低記録を更新、この年、日本の人口は減少に転じたのである。
 特殊出生率はOEDC加盟三十カ国で、貧困率と同じく四番目の低さだ。実際に子を持つカップルの平均子ども数は二・一人を超えているのだが、未婚女性の増加、産めない女性の増加がこの数字となっている。二〇〇五年調査でも子を持たない理由の八十パーセントが「経済的問題」となっている。同じ調査での「理想の子ども数」は二・六人なのにもかかわらずである。産みたくても産めないということがはっきりしているのだ。
 これまであげてきた、数字はすべてリーマンショック以前のものである。二〇一〇年の現在、すべての指標がさらに悪化しているのである。
 財界資本は、一九九五年の経団連「新時代の日本的経営」で非正規雇用を打ち出し、派遣法の全面適用などを導いてきた。この年より非正規雇用が増え始め、出生率は最後のカーブを下り始めた。資本はグローバル経済で勝ち抜くため弱肉強食の「自己責任」イデオロギーを、小泉政権によってばら撒き、あらゆる保護・規制を取り払った。解雇・リストラと派遣法の全面解禁で、労働者の権利は剥奪され資本のやりたい放題の存在になった。財界―政府は自らの生み出した矛盾、少子化の対策に必死だ。民主党政権も同じ使命を掲げている。


●2章 福祉の市場化

 では、彼らの少子化対策とはどういうものか。少子化対策とは実は、労働者階級の家族対策であり、「産む性」という属性を持つ女性対策なのである。資本はとにかく子どもを手に入れたいのだ。出生率を上げたい。女性が産むように導きたいのだ。しかし、そのための社会的コストは支払いたくない。というより、グローバリズムという大規模な競争下では支払うことができない。
 日本経済が高度成長を遂げた一九七〇年代、それまでの企業戦士を支える専業主婦(三食昼寝つきと揶揄された)からパートタイム(最初は言葉通り、短時間だった)などのこま切れ雇用で家計補助労働をすることが「仕事と家庭の両立」として女性の肩に負わされた。一九七〇年代初頭という女性解放運動の高揚を逆手にとった政策だった。
 以来、資本は「仕事も家庭も」女性に負わすための雇用政策、家族政策、福祉政策を続けてきた。女性保護規定の廃止とひきかえに男女雇用機会均等法を制定、一部のキャリアウーマンと大多数の事務職女性の固定化というザル法で「平等」を標榜した。そして、専門職の自由なはたらき方のためということで労働者派遣法を解禁した。その後の改悪、業種の解放は女性にとって決定的だった。男女共同参画法では、「男性も、家庭・地域・育児に参画する」ことを奨励した。
 いつも、女性の声に応える風を装い、「社会参加」「生きがい」などの美名で、女性の労働力を安価で引き出すための政策と法だった。実際は「仕事も家庭も家計も子どもも」女性の努力のみに負わせてきたのである。なにか社会的問題が起これば、すべて女性にせいにする。母親の育て方がどうの、家庭責任の放棄、女性の職場進出のせい、女性の高学歴のせいなどなど。少子化政策も、またさらに女性に要求するものではないか。疑わずにはすまない。
 一九八九年の合計特殊出生率「一・五七ショック」以来。少子高齢化は止まらず、搾取する労働者が減りつづけていることに資本家たちはあせった。少子化と高齢化が一緒にやってくるのは悪夢である。
 高齢化に対してはゴールドプラン・新ゴールドプランで大々的に高齢化問題をキャンペーンし、介護保険制度の導入(一九九七年)を行い、介護の市場化を図った。福祉から市場への大きな流れが創られ、のちに、障害者自立支援法などにも同じ論理が使われた。少子化対策も同じ時期に、基本的路線が確定された。
 九四年のエンゼルプランにはじまり、二〇〇三年の新新エンゼルプラン、続く「子ども・子育て応援プラン」が次々に策定された。これらは少子化の原因を、若者(特に男性)がひ弱になり自由でいたいために晩婚化し、子どもを欲しがらないと若者のせいにした。したがって、その対策は@若者をたくましく育て、自立させる。体験授業で心身を鍛える(二〇〇三年には、大田誠一衆議院議員が少子化についての討論で「集団レイプする人はまだ元気があって正常だ」と驚くべき差別発言を行った。大田はこの「たくましい若者」を念頭に発言したのだ。大田は辞職しなかったばかりか、麻生内閣で農相になった)。A生命の大切さと家庭の役割を教える。そのため「子どもはかわいい」と感じるよう「本当の赤ちゃんを教室に連れてきて、抱かせる」などの教育をする。そして、B仕事と家庭の両立のための「多様な働き方」、保育所の増加 C子育て支援、拠点をつくる。地域で若い母親に声をかけ支える。という四項を重点施策としてきた。
 このように責任を若者に押し付け、説教と啓蒙で家族制度イデオロギーを強要するものであったから、十五年にもわたる政策も成果は上がるはずもない。
 ここに至って、資本は「少子化対策の総合的な対応」を迫り、とりあえず保育所不足解消のため、小泉政権の「待機児童ゼロ作戦」に続く「新待機児童ゼロ作戦」で保育の市場化に踏み出した。小泉政権の「待機児童ゼロ作戦」による保育所の民営化と保育所認定基準の規制緩和によって、二〇〇八年には公立と私立の数がすでに逆転している。認定外保育所や「認定子ども園」など幼稚園の参入が増え、かつ子どもの数は減ったのに待機児童は増加している。出産後の女性が働かなければ食べられない家庭がそれだけ増えているからだ。
 少子化対策の主軸は保育所問題となったのである。二〇〇八年の「新雇用戦略」の「女性」の項目でも、「待機児童をゼロにして、出生率の回復をめざす」「仕事と家庭の両立支援」となっている。保育所に余裕があれば、出生率が回復するという。その為に基準を下げ、市場化し増やすのだ。
 昨二〇〇九年、経団連は「少子化対策についての提言」を行い、保育を@地域密着型のサービス産業として育成 A質の良いサービスには、追加費用の徴収ができるようにする B保育者に、専門的訓練はそれほどいらないとした。同じく昨年、政府の少子化対策特別部会が第一次報告をおこなった。そこで、めざす新保育制度は@保育の必要性と量を国が認定する A保育時間の上限量を段階区分し、それに応じた公定価格(補助金+保育料)を決める B保護者は、決定書を持って保育所を探し、契約するというものだ。
 介護保険と全く同じである。「利用者本位の保育制度にする」とは保育を事業化する、自由な市場にするということだ。質量ともに金次第になるのである。
 二〇〇〇年にはじまった介護保険のその後を、さらってみよう。当初は、家族が居ても介護保険で介護を頼むことができる、家族女性の無償の介護から社会的介護へなどと宣伝された。介護労働は有償のヘルパーの仕事となった。しかし、開始すぐに問題はあらわれた。認定の問題と払える金の問題で、制度開始前の福祉事業で受けていた介護が削られるという問題が起きた。認定数が高くても、一割の負担金がなければ、利用できない。逆に、金さえ積めば制度以外のサービスを業者から買えるのだ。派遣ヘルパーも、こま切れ労働で到底自立できる賃金は稼げない。体の好い有償ボランティアだ。そして、相変わらず女性の仕事とされている。さらに数度にわたる改悪で、認定のハードルが高められ、食事代・居住費(いわゆるホテルコスト)などが別枠にされ全額負担になるなど、困難な人ほど金次第になった。介護保険から放逐された人は、結局家族が介護することになる。制度ができてからも、老老介護や介護にまつわる事件事故が無くならないのである。一方で介護市場に乗り出した企業は成長を遂げている。ニチイ学館や、ワタミなど畑違いの大手業者が、家政婦派出業などの伝統的な業者をけちらして覇者となっているのだ。
 保育の市場化は、経団連の提言にあからさまなように、「サービス産業として」育成するという。利益確保のシュミレーション片手に保育が行われる。付加価値を付けて、認定外別枠の保育も提供できる。差別化・区別化などで競争も十分予想される。金を積めば追加サービスも受けられる。長時間保育、夜中の保育も必要なら行われる。保育の質も金次第になり保育を買うことができない人もでるだろう。行政による措置入所ではないから、そういう一部の子どもは貧困のままに放置されることになる。また、保育者も現行の資格保育士から、簡単な資格に代えられる可能性が高い。事故が増えることも予想される。
 このように、財界―政府の少子化対策は保育所政策に絞られているように見える。保育所が質量ともに保証されてしっかり働きキャリアもかさねることができ、経済的な余裕も望めるなら、たしかに少子化は止めることができるかもしれない。希望の子ども数は二人以上なのだ。
 しかし、この展開は望めそうにない。保育の市場化の問題だけでない。保育所が増えても、一方の雇用の確保がない状態ではどういうことになるのか。
 雇用については改善しようとは、考えてもいない。経団連は二〇〇七年、「ワークライフバランスに関する基本的考え方」を発表。いろいろ述べているが、要は少子高齢化の中で国際競争に勝つためだということだ。彼らは、@国民の意識改革が必要、「家族の日」を活用する。保育支援をするA労働力の減少に対して、優秀な人材を確保することは経営上の重要課題B生産性を上げるために生活ニーズに応じた「働き方」を労使でつくるとしている。これを受けて、同年、政府・資本・労働団体(連合)・地方自治体が「ワークライフ憲章」を制定した。いらい、盛んにワークライフバランスなる言葉が諸所で使われているが、これがくせものである。
 ワークライフバランスなる言葉がでてきたのは、一九九九年の男女共同参画基本法である。この法は、男女の平等、男女の人権の尊重、男女の共同参画を立法趣旨にしている。目的は「男女平等法」であり、本来女性差別を解消してゆく法のはずである。ところが、この法は女性に対する暴力を取り上げた点(のちにDV法が成立)以外は「男女平等」法たるものは何もなく、もっぱら少子化に「男女ともに」対応しようとするものである。ここで、ワークライフバランスなる言葉が使われるのである。
 「男女ともに仕事と生活の調和を図る社会」をつくるのだという。男女の役割分担の固定化をやめ、長時間労働をやめ、男性も地域社会のボランティアをできる社会などと、美しい言葉で理念をうたっている。男性は結婚の出会いのためにも趣味のグループに出る、子育てに男性も参加せよなど少子化対策につなげている。しかし、そのための時間を「多様な働き方」で労使協調してつくりだすというのだ。企業にとってのみ自由な「多様な働かせ方」である。男も場合によっては「主夫」して、労働者家庭を維持せよということなのだ。同じ年、労働者派遣法がほぼ全業種解禁となったこととセットの政策なのである。
 男女共同参画社会とは子どもは四六時中預けることができるから、男女とも、どんな悪条件でも「多様な働き方」で働きなさいということである。「多様な働き方」「メリハリのある働き方」とは、短時間労働・季節労働、派遣労働、ダブルワーク、トリプルワークなどなどのことだ。
 実際、自民党政権末期の「子ども、子育て応援プラン」では、夜間・休日保育、ショートステイ、病後保育などありとあらゆる保育を作ろうとしている。「ニーズに合わせたサービスの提供」ということだが、労働者の子どもは長時間の質の悪い保育でたらいまわしにされて育つということになる。保育の市場化と、さらなる多様な労働が悪循環となり、労働者階級はそこから逃れる道がなくなる。
 このように、少子化対策とは、資本が要求する女性像(労働者家庭像)を表しているのであり、ワークライフバランスという名の新たな奴隷制度の要なのである。
 基本的な路線はここにあり、現在も変わっていない。


●3章 民主党政権の欺瞞的女性政策

 経団連は、民主党政権成立後も、ワークライフバランスと待機児童ゼロの保育所増設を提言しているのである。
 このように、これまでの流れを見てくると、民主党の「子ども手当」は事の本質を蔽い隠し、目先のニンジンでとりあえず出産を選ばせようとする、だましの政策になっているのだ。
 民主党政権によっても「福祉の市場化」、ワークライフバランス政策という差別欺瞞政策はなんら変わらない。「子ども・子育てビジョン」は「子ども手当て」「高校無償化」だけとりあげられているが、「待機児童ゼロ作戦」その他は自公政権をそのまま受け継いだものである。自公政権時のエンゼルプランその他にある、「生命の大切さの教育」だの「家庭の日」だの、同じだ。これまでの少子化対策に「子ども手当」を付け加えたものである。
 「子ども手当」については、政権内からさっそく「財源からいうと満額は無理」という発言が相次ぎ、鳩山が「実現をめざすのが政府だ」と火消しにまわった。さらには、自ら「給食費未払いの家庭には、子ども手当てから差し引いて支給することを検討」と、「保護者の非常識」論に与した発言を行い、子ども政策が「安心して産み育てられる社会の実現」のためでなく人気取りでしかないことを白状した。さらに、菅財務大臣は消費税増額の論議をうちあげ、「財源」を法人税をそのままに大衆増税に求めることをちらつかせている。
 「子ども手当」は公約通り満額支給されれば、確かに生活支援になる。これまでの児童手当は一万円から五千円へと定額でかつ差がつくが、今度は二子三子めも同じ額である。
 「子ども手当」は所得制限がなく、すべての中学生までの子どものいる家庭に支給される。かわりに、手当てを受ける世帯の扶養控除は廃止となるが、高所得世帯は、これまで所得制限で児童手当は受けなかったので、ほとんどまるまる増収となる。余裕があるから二人目三人めも可能である高所得世帯にとっては、大きな収入増となる。
 政権では、「子ども手当」の景気対策としての効果も、期待している。消費にまわり、一兆円の効果を期待している(菅直人財務大臣)。
 このほか、出産一時金の五十五万円への増額、また、高校の授業料の実質無償化が追求されることになっている。
 これらの手当ては、財源問題がついてまわる。当初は大きな息継ぎとなっても、福祉の市場化と消費税増税が待っている。少子化はとどめることはできない。出産にこぎつけても、教育費は授業料だけでない。体操着や教材、部活動の費用、修学旅行や卒業積立、そして塾費用は少子化で値上がりをしている。公立の中学生で入学準備費用が二十五万円強、一年間の教育費が四十八万円という数字が文部科学省から出ている。大学進学を望むなら、さらに準備をしなければならないからだ。
 もう一つの目玉である保育園待機児童の解消については、ずっと追ってきたように経団連等財界の意向に沿った自公政権時の政策をそのまま引き継いだもので、民主党の本質が「もう一つの保守党」であることを暴露するものである。女性政策、少子化対策からみると、「よりまし」であるどころか、全く同じ奴隷制度を進行させようというものだ。
 公約である派遣法改正についても、女性の安定雇用への願いを裏切るものだ。製造業派遣の原則禁止をうたいながら、常用型派遣は例外にする。派遣が切られた場合、派遣元が雇用を持続する保証が全くないことは誰でもわかる。これは欺瞞だ。また、登録型派遣禁止の例外は女性にとって大問題である。例外の専門二十六業種の中身は、本当に専門的な業種の量は一部に過ぎず、ほとんどが女性の派遣によって担われている業務だ。電子機器の操作(単調な入力業務が多い)、案内・受付、ファイリング、経理、添乗員、調査、OAインストラクター、テレマーケティングなどだ。二十六種の総業務量の内、電子機器の操作は四割も占めている。その他を合わせて、これら女性がほとんどの業務は総量の三分の二を占めている。女性にとって、「改正」はじゃじゃ漏れのザルだ。また、マニュフェストで言っていたところの「派遣先の責任」についても、引っ込めた。骨ぬきだ。
 派遣法「改正」は、女性派遣の実態をなんら改善するものではない。悲惨な女性労働、女性の非正規雇用は変わらないのである。
 民主党政権の求める女性像、少子化対策は自公政権と本質は変わらない。したがって、「子ども手当」と保育所の規制緩和―市場化増設で、これまでの施策と同じく少子化が解消し出生率が改善することはないだろう。
 資本は一つの終末を迎えている。グローバリズムは、資本の安定的支配を破壊しつつ進んでゆく。まさに、自ら墓穴を掘り続けるしかないのだ。日帝資本は少子化に対して、移民政策など労働力確保のための悪あがきも行うだろう。国際資本は、女性労働力だけでない、国際的な労働力の流動化を進め、いっそうの低賃金競争をたくらんでいる。だが、世界中の労働者階級はされるがままではない。過酷な支配は、最後の国際的な階級闘争を押し上げることになるだろう。
 見てきたように「少子化対策」は、腹立たしく許し難いものだ。女性差別に満ち満ちている。結局のところ、資本にとっての「産めよ増やせよ」なのだ。民主党政権も「安心して産み育てられる社会」をかかげているが、中身は同じだ。保育所を増やすから、綱渡りで働けということだ。
 女性が子どもを産むことを、自由に自分で決められる社会の実現は共産主義にある。資本による搾取、家族制度と私的所有を打破しない限り、女性の「産む性」は解放されない。そして、男性も、人間も解放されない。
 「産めない社会」に対する女性の怒りは大きい。女性は資本の奴隷を産むのではない、階級の未来、人間の未来をつくる新しい人間を産むのだ。労働者階級にとって、子どもの育成は、子どもを私所有し個別家庭の満足を追求するものではない。階級の若い戦士を迎えるという喜びに満ちた社会的な仕事のはずだ。男性にとっても、「子どもを産む」こと、共に育てることは重要な社会的活動のはずだ。現在、女性が置かれている状況、「産む性」が抑圧されている状況に無関心でいることは済まされない。女性労働者の現状、女性と子どもの貧困の現実からもう一度、この社会の批判をする必要がある。
 未来に希望を持てる、階級闘争の前進をつくりださなければならない。階級の未来、人間の解放の未来が見えれば、労苦があっても子どもを持ち、たたかいを前進させるだろう。労働者階級の「少子化対策」は、階級闘争の前進の内にある。

 

当サイト掲載の文章・写真等の無断転載禁止
Copyright (C) 2006, Japan Communist League, All Rights Reserved.