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  ■日米安保の変質と反安保闘争の課題



 米軍再編に反対する日本労働者階級人民のたたかいは、あらたな段階を迎えている。〇六年米軍再編『日米ロードマップ』を合意した小泉政権から、安倍、福田、麻生そして鳩山とすでに五つの内閣を経、そしてあらたに登場した菅政権と、たたかいは継続し発展している。「普天間問題」に関してならば、橋本、小渕、森の三つの政権を上の歴代政権に加えなくてはならないほどだ。
 一九九六年のSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意による、普天間基地の代替施設の沖縄東海岸(辺野古沖)への「移設」決定から起算して十四年、米軍再編合意からすでに四年が経過している。だがしかし、この日米両政府が重心をかけて進めるこの計画に反対するたたかいは、沖縄民衆のたたかいの発展的継続を先頭に岩国においても、神奈川においても実に粘り強いたたかいが日夜展開されているのが現状だ。
 このような沖縄および「本土」における米軍再編・基地強化に反対するたたかいの勝利のために全力を傾注するとともに、このたたかいに内包される日米安保とのたたかいが日本におけるプロレタリア革命運動の重大な一基軸であることをいっそう明確にしながらたたかうべきときだ。日本帝国主義の労働者階級人民支配の重要な支柱としてある「日米安保体制」の破棄・打破に向けたたたかいを推し進めてゆく上で必要と思われるいくつかの論点をここでは明らかにしてゆく。


 ●T、「日米安保の変質」ということについて

 「日米安保の変質」ということが指摘されて久しい。本年が現行日米安保条約五十年の節目の年であるにしても、文字で書かれている安保条約やその付属文書に即して現在の日米安保関係のあり方を点検してゆくというような方向は日米政府からは当然のごとく出てこない。あまつさえ、本年一月の安保改定五十年における鳩山首相(当時)やオバマの談話、日米安全保障協議委員会(2プラス2)声明においては、むしろ「日米同盟の深化や刷新」ということが呼号されているところである。だが、考えてみればこれは奇妙な現象ではないだろうか。
 無論筆者はここで、条約どおりの日米安保関係への回帰を求めるわけではまったくない。日米安保のゆえに米軍基地があり、そこでの被害や恐怖が日夜基地所在地住民の災厄であるがゆえにこの除去が緊要な課題である。従って日米安保条約・体制の打破は決定的に重要な闘争課題である。のみならず、日米安保の存在が日本の支配層にとってその階級支配の支柱をなしているがゆえに、これを打ち砕くことが労働者階級人民の解放へ向けたたたかいの重要な一階梯をなすものであることも明らかだ。
 その点を前提としながら「日米安保の変質」ということは、反安保闘争において何を課題として浮上させているのかという点をみてゆこう。

 ▼@「安保変質」の経緯

 簡単に日米安保の経緯と変化を述べておこう。一九四五年日帝敗戦と連合国の占領、そこにおける米帝の対日占領政策と現日本国憲法の成立を経ながら、四九年中国革命、五〇年朝鮮戦争開始と「米ソ冷戦」本格化という情勢の下、五一年サンフランシスコ条約と同時に旧安保条約は締結された。沖縄や奄美などの分離と米軍の直接支配継続と一体のものであった。
 その後、自衛隊創設(五四年)を背景に、六〇年に現行安保条約(以下単に「安保」あるいは「安保条約」とする)が旧安保条約を改定するかたちで締結された。帝国主義国家への復活過程にあった日本と「東西冷戦」の一方の中心である米国との関係の最初の再編成であった。日米関係の再編成とはいっても、この間の「密約」の暴露によって明らかとなっているように、それは旧安保の内容を維持するものでもあった。その後の日本帝国主義の本格的確立過程とともにその内容が再編されていったというべきであろう。
 七〇年、安保十年目における同条約十条の「廃棄通告条項」の発効時期や七二年沖縄「返還」は、次の日米関係の再編の節目であった。だが前者に対しては日帝支配階級は安保条約の廃棄などの意思はさらさらなく労働者人民のたたかいを徹底した治安弾圧をもって押さえ込み、後者については巨大な沖縄民衆の「平和憲法の下への復帰」「基地撤去」の声とたたかいを徹底して無視し抑圧し、「本土」における安保・沖縄闘争の高揚を徹底して弾圧することを通じ、日米安保体制の維持・強化とその下での日帝の対アジア侵略反革命戦略の推進という方向において、米軍基地には手をつけることなく沖縄の「返還」合意とそれをも根拠にした日米関係の再編を進めた。「沖縄返還密約」とともにそれは行なわれたのであった。
 七八年日米防衛協力のための指針(旧ガイドライン)は、そのような日米関係を前提としながら「日本有事」に際しての日米軍事協力を定めたものであった。日米の戦争協力体制づくりが始まったのである。その後、八〇年代の日米安保は、日帝独自の軍事大国化とそれを媒介とした日米安保関係の強化および拡大への道(シーレーン防衛論など)をたどることとなる。それ自体、もちろん日米安保の変質や変化を示す過程ではあるが、冷戦体制の継続、米帝の対ソ戦略のもとでの日本の位置、米軍プレゼンスの存続という枠組みの下での日米安保関係の変化であったと総括できる。

 ▼A 96年「日米安保共同宣言」と新ガイドライン

 日米安保関係が決定的な変質を遂げたのは、九六年「日米安保共同宣言」である。ソ連・東欧圏の崩壊と「地域紛争」の激化・頻発などの世界的な政治的変動および経済的なグローバリゼーションの進展を背景として、「安保漂流」と名づけられた日米関係の動揺局面をあらたな質において着地させる試みが日米双方から意図されていた。
 日本の側のそこに向けた意思・方向は九一年湾岸戦争時の日本の位置・役割における軍事的・政治的力量欠如認識(巨額の戦費支出と国際的評価との落差)、九四年朝鮮危機における日米軍事行動の欠陥の露呈(有事体制、民間軍事協力・体制の欠落)、軍事的国際貢献を背景とした日帝の国際的地位の向上意思(「普通の国家論」)などが指摘される。そして決定的にはそのような意思・方向を生起させたものとは、八〇年代以降洪水のごとくに進行した日本資本のアジア侵出と日本の帝国主義的権益の増大である。
 他方、米帝の側からする意思・方向とは、ソ連崩壊とその後の中東湾岸戦争などの経験を踏まえたクリントン政権下での米軍事戦略の変質が端的に示している。そこでは、@新たな脅威として「ならず者国家」を措定し「様々なかたちをとる不安定要因」への対処が戦略の重点とされた。そしてA可能な限りの「同盟国」の軍事力・資金力の動員を図り、B米国がそれらのすべての過程に軍事的指揮権を確保してあらゆる形態の脅威に対処する、というものである。この背景には「冷戦体制終焉」以後の世界における米帝の権益圏のあくなき拡張への欲望がある。と同時に、その政治的軍事的力量にもかかわらぬ経済的力量の相対的低下の現実もまたあった。
 そのような日米帝国主義双方の意思と方向が重なり合うかたちにおいて日米安保関係の再編は、「日米関係は、アメリカの太平洋安全保障政策と地球規模の戦略目的の基盤となっている」(九五年「東アジア太平洋戦略構想」)という米側の認識と意図に主導され、九六年「日米安保共同宣言」において具体化・定式化されてゆく。この日米安保共同宣言は従来からの米軍基地の提供や財政的支援(思いやり予算)の提供の再確認などとともに、「アジア太平洋地域の安全保障」への共同対処、「地球規模の問題についての日米相互協力」などをも謳ったものであった。それはまさしく、安保条約の実質的改定そのものに他ならなかった。特に注目し確認しておくべきは、この実質的な安保の改定、すなわち日米安保の変質というものが、無論唯一の「超大国」としての米帝が保持する世界戦略をベースとしているものにせよ、日帝の側からする必然性や意思が反映されつくしたものでもあるということだ。その点を織り込みながら「日米二国間協力」「アジア太平洋地域での協力」「地球規模での協力」に日帝は自らの意思と利害をかけて踏み込んだのである。この「日米安保共同宣言」は新ガイドラインの策定、これに基づく日本国内の有事法制(周辺事態法、武力攻撃対処法、国民保護法、米軍支援円滑化法等)整備や、防衛省設置などへと「結実」させられ、現在も継続している「米軍再編」へと至っているのである。現在進行している米軍再編『日米ロードマップ』の際の共同発表においても「地域と世界の平和と安定」の下でのまたそのための「日米同盟関係」というフレーズが繰り返されている。

 ▼B「変質」の内容

 それではいくつかの点で、日米安保の変質の内容を見ておきたい。
 何よりも、安保条約で一応は規定しているその地理的範囲は無意味化するに至っているということである。すでに指摘してきたところだが(本紙第一三四三号「米軍再編反対・アジア太平洋民衆連帯の力で日米同盟深化路線との対決を」)、安保条約第六条(極東条項)は、その実際においてははるかに「極東」の範囲を超え出たものとなっている。「アジア太平洋地域の平和と安定」と言い「地球的規模での日米協力」というものが日米安保関係の及ぶ範囲とされているのである。その拡大された範囲において米軍のそして日本の軍事的および政治的一体化が展開されているのである。この点についての日帝の側の動向・経緯をスケッチしておくなら、九二年カンボジアへのPKO派兵を突破口として「国際貢献」の名の下での自衛隊による軍事的国際貢献が著しく進行し、アフガン・イラク派兵、ソマリア沖派兵や現在のアフガンへの政治的および軍事的貢献策が進められている。ひるがえって「地理的範囲」の無意味化された軍事協力体制とは何かという点からこの問題を考慮しておく必要がぜひとも必要だ。それは「国境」を防衛ラインとする意味での「国防」なり「自衛」なりの概念が、「国益」という概念に変化したことを示す。もちろん「国境」の防衛という問題は、「国民国家」体制が維持される以上は依然として国家安全保障体制上の最大課題であることは明らかだ。だが、それをベースとしつつもそれにとどまらない資本制国家・社会の拡張してゆく利益・利害関係を軍事的手段を通じて保持してゆくというのは、まさに帝国主義としての軍事協力関係が展開されているということに他ならない。いま、民主党政権の下で策定されようとしている「新防衛計画の大綱」においては、麻生政権の下で行なわれた作業を踏まえる(北澤防衛相)ということが明言されている。そこでは「専守防衛」という考え方の見直し(放棄)が一つの柱とされていた。「国益」を防衛するという考え方のもとでは、それは必然である。
 「抑止力」のペテンという点も押さえておきたい。専守防衛論の放棄を前提としつつ「国益」を防衛の対象とするとなれば、従来より語られてきた「抑止力」という概念そのものの変化・変質も避けられない。実際、米軍事戦略において「QDR(四年ごとの国防計画見直し)2001」「同2006」などにおいて明記されてきたのだが、その根本的な見直しはそもそもの「考え方」の変化という点に集約される。「脅威ベース」に基づく戦略思想から「能力ベース」に基づくそれへの転換である。少し説明しておく。「脅威ベース」とは、あらかじめ「脅威」を特定し、それに対処するための能力を整え、事前に兵力を要所に配備しておくことをいう。ひるがえって「能力ベース」とは、個別具体的な「脅威」を特定することなく、米国に対する「挑戦者」の「戦い方」を想定し、そこで用いられる「敵」の「能力」に応じて必要な「能力」を備えてゆくという考え方をいう。のちに述べるが、本年二月に明らかにされた「QDR2010」においても、この考え方は維持されるとともにさらに変形されて「国際システム」だの「地球的公共財(の防衛)」だのの記述として盛り込まれている。
 そもそも伝統的な用法での「抑止力」というものは、「敵」が攻めてくる場合を想定し、それに対する反撃によってこうむる打撃とのつりあいを考慮して、前者の行為による利益よりも後者による不利益のほうが大きいと判断させて攻撃を抑止する、というものである。まさに「敵」が具体的に想定されその「能力」が測定可能であり、その「意思」をくじく、という考え方である。だが、上記した「能力ベース」の考え方からすれば「抑止力」概念はどのように規定されるのか。帝国主義的グローバリゼーションの進展、そこでのとどまることのない資本の活動は、伝統的な国家間の矛盾や対立、逆に協力や同盟などの関係以外に、「非国家主体」や環境あるいは天変地異さえも、その活動を阻害するものであるならば「排除すべき要素」「新たな脅威」の対象となる。これらのすべての領域に対応するものとしての軍事力を備えるということが、この場合の「抑止力」ということになるだろう。日々「新たな脅威」を産出してはそれに対応しうる能力を形成するという、まさに「終わることのない」また「敗退することはあっても勝利することのない」軍事思想の産物といわなくてはならない。この思想や戦略での勝利者は、資本であり軍需産業だということだけは確かであっても。まさに日帝はこのような軍事的思想と戦略の下での日米安保関係に大きく踏み込んでいるのだ。小泉政権以来、メディアなどでも連呼されている「日米同盟」というものの軍事的本質とはそのようなものである。ところが、米軍再編を日本国内で押し進める上でのキーワードは「抑止力維持(強化)と負担軽減」である。負担軽減とは実際に進行している事態を見ればそれがまったくのペテンであり、負担強化に他ならないことは明らかだ。では「抑止力維持」はどうか。「普天間問題」をめぐる論議において、沖縄海兵隊部隊が「抑止力」足りうるか、というような論戦が行なわれた。旧政権と同様に鳩山政権はこれに対して「然り」と答え続けた。だが、四月一日付けの毎日新聞が暴露したが、米海兵隊司令官のキース・スタルダーは、沖縄の海兵隊の任務は「北朝鮮の脅威」「中国の脅威」などへの「抑止力」などではまったくなく「北朝鮮の核兵器除去」にあると述べている。沖縄の海兵隊部隊が「朝鮮有事対処」すなわち公然たる朝鮮民主主義人民共和国(以下「共和国」とする)への侵略のための部隊であることを明白にしたのである。要するにいま語られている「抑止力」とは、想定しうるあらゆるケースにおいて、それに軍事力を投入することをもって対処しうる能力の恒常的な形成・配備ということが可能である。恒常的侵略反革命体制というように言い換え可能な考え方であり戦略・作戦概念なのである。

 ▼C「日米同盟」と日帝支配の変質

 以上、日米安保の変質というものの経過とその内容に即して見てきたが、そのことが日帝の国内階級支配やその対外活動とりわけ対アジア地域においてはどのようなものとして具体化するのかについて見ておきたい。
 国内支配体制という面では、日米安保の変質は「臨戦国家」「高度な軍事社会」(纐纈厚氏論考)へと結びつく。資本と軍事との結合した支配体制の創造ということである。それはもちろんかつてのごとくに軍部が大資本と結合しながら国内政治の前面に出てくるというような形をとることはないにしても、資本(大独占)と軍事とが結合し、さらにメディアをもその一翼に組み込みながら形成されてゆく支配の構造にしてその内実なのである。排外主義や差別主義の台頭は、それを促進してゆく絶好の道具立てであり、また戦争国家を内的に支える価値観・イデオロギーの柱でもある。
 関連して、民主主義、国民(人民)主権、平和主義などを柱とする戦後憲法的政治秩序の侵食と破壊はこれと同時一体に進行する。資本の利益を「国益」としてロジックのすり替えがなされるからには、資本の主権・主導こそ合理的であり、政治秩序や手続きにおける制度的保証概念としての民主主義は不要とされるに至る。階級間の格差や市民社会的意味合いにおける「平等」などに保持すべき価値を認めることはない。平和主義は空洞化された「理念」として掲げられるにすぎず、アジア太平洋地域における帝国主義的安定や平和こそがその意味内容と換骨されてゆくことになる。現在様々に現象している諸事態―たとえば排外主義勢力の台頭と行動、朝鮮民主主義人民共和国への敵視・蔑視や先制攻撃論、「普天間問題」の報道で大手メディアによって陰に陽に垂れ流された日米同盟維持・強化の論調などなど枚挙にいとまはない。しかしいまわれわれの眼前で生起している日帝の支配体制の再編や強化という問題こそ、日米安保・安保体制が日帝支配の一支柱を形成しているということそのものなのである。


 ●U、日米同盟との対抗

 「日米同盟」―その深化とか刷新などの言辞にもかかわらず、日米関係の動揺局面は継続している。日本において政権交代が行なわれ、成立した鳩山政権が「対等な日米関係」とか「米軍再編・地位協定の見直し」などを叫んだからということだけがその原因なのではない。鳩山政権の退陣と菅政権の成立がなんらそれ自体で日米関係の修復と改善に結びつくものではありえないことも明らかだ。述べてきたように、現在の日米安保関係がその範囲にしても性質にしてもグローバル化した活動領域において日々活動を続ける資本を本位とした内容における「国益」の発見と拡大およびその防衛を課題とする方向において結合したものである以上、同時にこれを突き崩しかねない要因を不断にその内部に抱え込み続ける以外に選択の余地はない。すなわち、日帝に即して指摘するなら、それは何よりもアジアを中心に侵出する資本の下で搾取・収奪をこうむるアジアの労働者民衆の抵抗闘争である。「安保があるからと言ってアジアで拡大する日本企業の権益を米軍が守ってくれるのか」とする経済同友会幹部の発言はまさに本音だ。日米安保の変質を歓迎する日本の支配層の側からする論理はこのようなものである。だがここでは国内階級支配の問題を中心にするのでこの問題は指摘するにとどめる。国内階級支配の変容という点に絞るなら、これに対する対抗勢力とは日米安保によって直接の「脅威」にさらされ続ける住民・市民であり、また、「臨戦国家」「高度な軍事社会」を批判し否定してやまない労働者階級人民である。日米安保関係の変質に対抗する労働者階級人民や日米軍事基地を抱える地域の住民・市民の存在とたたかいは、「世界の中の日米同盟」などを叫んで対米一辺倒の内外政策に舵を切った小泉政権の発足以来いっかんして基調低音のごとくに、その日米安保関係、日米同盟強化路線への批判と否定として鳴り響いていた。沖縄のたたかい、岩国のたたかい、あらたにこのたたかいに加わった鹿児島徳之島住民などそれは枚挙にいとまはない。「政権交代」、その意味内容の一角を形成した「対米追随一辺倒の外交のあり方」への批判に対する多くの人民の支持や期待は、このことをベースとして形成されたと見ることができる。それが鳩山によって決定的に裏切られたのではあっても、この基調低音が止むことはありえない。
 ところで、こうした日本の労働者階級人民の日米安保関係の現段階に対抗するたたかいをいっそう促進してゆく上で、現時点の米帝の軍事戦略を読み解いておくことは必要である。日帝のまた米帝の動向やその抱え持つ弱点・矛盾を押さえることが反帝闘争の推進と労働者階級人民の解放闘争の進展の上では決定的に重要だからだ。

 ▼@QDR2010、国家安全保障戦略

 この二月、米帝オバマ政権は「QDR2010」を策定し公表した。次いで五月二十七日にはオバマ政権初の「国家安全保障戦略」を明らかにした。そのそれぞれを詳細に分析し紹介するゆとりはない。それらが何を言わんとしているのかという点だけここでは指摘しておく。全体を貫く基調とは、何よりも現在の米国が「戦争を現に行なっている国家」であり何よりも「この戦争における勝利」が最優先事項であることを明確にしていることである。イラクおよびアフガンにおける戦争の勝利が今後の数十年の米国の戦略環境を形成すると位置づけている。兵器の開発や配備、あるいは米軍それ自体の維持や兵士への支援策の充実という目新しい記述はこの点から導かれているものである。それを押さえた上で、これらの米軍事戦略の特徴をあげれば、第一に、「核のない世界」を追求するなどという美名の下で、実際は、変化する世界情勢に対応した新たな核支配体制の再編と戦術核配備の重視へと向かっている。また、核の拡散防止を重要な課題として設定し、そのためには共和国やイランに対しては戦争も辞さないことを明らかにしている。第二に、帝国主義グローバリゼーションの下で、帝国主義支配に反抗するあらゆる要素に対応する軍事戦略への転換や整備を引き続き進めている。第三に、中国やインドなどの台頭に注目し対応方針を述べる。さまざまな協力関係を強めていくことを重視すること、すなわち、インドはもとより帝国主義支配秩序形成の一角に中国を引き込む戦略を重視するということを明らかにしている。とはいえ、中国に対しては他方ではその軍事的力量の増大への懸念を示しつつ「接近拒否環境における攻撃を抑止し打倒する」という目標を明らかにもしている。つまり、中国の軍事力拡大の意図の不透明性や軍事予算の不明瞭性を指摘しつつ、ミサイル開発(弾道・巡航)、潜水艦、サイバー戦、高性能戦闘機などの軍事力増大を「接近拒否環境の拡大」として総括し、これに対抗し打ち破る能力の拡充ということを明らかにしているのである。中国脅威論が前面に出ているわけではなく、むしろ米中の軍事交流の進展と協力関係作りにアクセントがあるとともに、米軍が中国の防衛ラインを突破して攻撃してゆくという文脈でその戦略に書き込まれている点は押さえておく必要がある。第四に、アジア太平洋において日米同盟、韓米同盟を一層強化していくこと、日米同盟、韓米同盟を、地球的規模のものへと高めていくことを従来以上に強調している。米軍再編に関しては「アジア太平洋地域におけるグァムのハブ基地化」「米軍再編『日米ロードマップ』の実施」が明記されている。単独行動主義や先制攻撃論から、同盟国を有効に編成した戦争遂行体制を重視していくということだ。これらを通じて、従来からの米本土防衛を第一義としながら、「核拡散」や「テロ」とのたたかいに重心を置き、「複雑で不確実な安全保障環境」に対処していく能力や機構の構築を重視するとした。
 オバマ政権の下で策定されたこれら一連の軍事戦略が意味することは、米帝国主義と他帝国主義国との力関係の変化、中国やインドなどの台頭、「核拡散」、イスラム急進主義勢力をはじめとした米帝国主義への闘争の激化、帝国主義グローバリゼーションのもとで広範に拡大してゆく「非対称の脅威」に備えていくことを当面の課題とすること、すなわち、オバマ政権にとって切迫する課題は、イラク、アフガニスタンでの勝利、「共和国とイランの核開発の阻止」だとしているのである。そして、ブッシュ時代の単独行動主義から転換し、日本をはじめとする同盟国との軍事同盟の強化、同盟国の役割の増大を求めてくるということにある。

 ▼A米帝の「国益」のあらたな定義

 一章において述べた、「防衛概念の変質」という点が、具体的に現在の米帝軍事戦略上どのようにあらわれているのかという点について少し補足しておく。「米国の国益は国際システムの安全性と柔軟性とに固く結ばれている」、「主要な国益は安全保障、繁栄、普遍的な価値に対する幅広い尊重および共同行動を促進する国際秩序」だとQDR2010では述べている。「地球的公共財」(グローバルコモンズ)という用語も散見できる。この「地球的公共財」の用語で言わんとするところは、グローバル化した経済活動に対して自由にアクセスできることそれ自体や、その基盤を形成するモノや環境のことを指していると思われる。宇宙空間やサイバー空間あるいは海路(シーレーン)などを指しているのであるだろう。米国の軍事戦略はこれらを「地球的公共財」と指定し、他の主体(新興諸国や非国家主体)が当然にもこれらにアクセスすること自体をも、これらの主体がアクセス能力をもつことで国際社会全体に対する圧力となりうること、「不安定化」することを懸念して立てられている。世界銀行の定義によれば「地球的公共財」とは「すべての国、そしてそれ故にすべての人に裨益する」財やサービスのことを指すとのことであり、そもそも「公共財」とは「同時消費」と「非排除性」の両方あるいは一方をあわせもつ財やサービスのことをいう。反対概念は「私的財」。
 米帝はまさに「地球的公共財」と位置づけるモノや環境への特定の主体のアクセスをまさに排除することが「国際システム」の安全性を守ることでありそれを米国の国益だとするのである。要するに「地球的公共財」であるとするモノや環境を自らとその利害を共有する諸国家主体がいわば「私的財化」することをもって自らの「国益」とするのである。まさにとんでもない国益概念の設定でありそれに基づく防衛概念である。このような論理立てからすれば、近いうちに米軍それ自体が「地球的公共財」だと宣言することになるのは必然でもある。まさにこのような不遜で尊大きわまりない思考こそ、それに自らの国家的階級的利害をリンクさせうる「同盟国」以外はすべて敵に回すことになる根源なのである。
 鳩山は、本年一月の日米安保改定五十年に際しての談話において「日米安保条約に基づく米軍のプレゼンスは、地域の諸国に大きな安心をもたらすことにより、いわば公共財としての役割を今後とも果たしていく」と述べた。軍事というものが備え持つ「排除と破壊」という本質を「公共財」とする見識は、まさに「抑止力」というものを学べば学ぶほど身についたものなのであっただろうことは想像に難くない。

 ▼B日米安保関係の強化へ向かう勢力との対決を

 「緊密で対等な日米関係」「日米地位協定の改定と米軍再編の見直し」、さらには「在日米軍のあり方の見直し」をその公約にかかげた鳩山連立政権は八ヶ月で終焉した。鳩山自身がその辞任表明会見でのべたごとく、「普天間問題」および「政治とカネ」がその命脈を断つにいたった問題であったことは明らかだ。だが、語られる「普天間問題」の何が鳩山政権をして崩壊に至らしめたのか。「普天間合意」を受けた「米軍普天間飛行場に関する政府方針」閣議決定への署名を拒否した福島みずほ社民党党首の罷免と社民党の政権離脱が「引き金」となったのは紛れもない事実であるにしても、本質的な要因は、それらを規定した沖縄民衆の声とたたかいであることはまちがいない。他方、米政府の「現行案どおり」とする圧力によって鳩山政権は終焉したという見方もまた事大主義的に過ぎよう。米政府の意向という要素を含んでこの過程を評価するならば、それを政府内部あるいは国会内部において自己の政治信条と意思として語り実践した勢力の存在を指摘しうる。政権与党の内部にもその部分は存在し、自民党や公明党などの旧政権勢力もまたそうだ。加えて、外務省、防衛省官僚どももそのとおりであり、大メディアも同様であった。要するに日米安保関係とその強化こそに利害と存立根拠を置く勢力が、「普天間問題」で浮遊する鳩山をして現行案にいわば強引に回帰させ、すでに焦点化していた沖縄民衆との矛盾を最大化させることを通じて政権の瓦解が導かれたのである。鳩山自身は民主党両院議員総会での辞任表明で「現在の日米の同盟の重要性は言うまでもありません」としつつも「私はつまるところ日本の平和、日本人自身で作りあげていく時をいつかは求めなきゃならない」「日本の平和をもっと日本人自身でしっかりと見つめられていくことができるような、そんな環境を作ること」と語っているように自主防衛論者の立場から日米安保関係のあり方について方向付けを行なおうとしていたのである。だが、それは米政府はもとより、日帝支配層を形成している部分の容れるところではなかったのだ。彼らが「普天間問題」の背後に、増大してゆくばかりの日米安保関係に対する疑問と批判という民衆の意思とたたかいにおびえたことは明らかだ。
 五月二十八日、日米安全保障協議委員会(2プラス2・SCC)は「米軍普天間飛行場移設に関する共同声明」を合意し発表した。「閣僚は、このSCC発表によって補完された、〇六年五月一日のSCC文書『再編実施のための日米ロードマップ』に記された再編案を着実に実施する決意を確認」しつつ「両政府は、オーバーランを含み、護岸を除いて千八百メートルの長さの滑走路を持つ代替施設をキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に設置する意図を確認した」を核心とするものである。普天間基地の沖縄内移設、辺野古新基地建設案は、米軍再編『日米ロードマップ』を「補完」し、普天間基地の機能や訓練の「本土」への分散をも付け加える形で「再確認」されたのであった。この鳩山の辞任を受けて成立した菅内閣においても、この合意を踏襲してゆく事がただちに明言されている。オバマが菅の首相就任決定直後に電話会談を申し入れその点を問いただしたとも報道されている。米政府にとっても「普天間合意」の内容がいまだ工法とか辺野古新基地の位置などの点でなんら具体的でなく「八月末まで」へとその結論が先のばしされていることに危機意識や焦燥をあらわにしているのだ。日米同盟の動揺あるいはこの八ヶ月の間に「亀裂」とも称されるに至った状態は継続する。
 述べてきたようにそれを日米政府に強制しているのはほかでもない、沖縄民衆であり各地の米軍や自衛隊基地所在地の住民であり、それと結びつく多くの労働者人民なのだ。より詳細に、米軍再編やその根拠をなす日米安保関係との対抗という点を見るならば、名護市や宜野湾市首長や議会勢力といった地方自治体の日米政府に対する対抗の構造が見出せる。各地の地元住民勢力においても容認派や反対派の分岐はますます鮮明になっているが、沖縄内における世論調査では圧倒的多数(実に八割強)が「沖縄内移設」に反対を表明しており、反対勢力への支援と助力の気運を押しとどめることは不可能といえる。「本土」の労働者人民の声も数値こそ違えどやはり同様なのだ。鳩山の退陣をもってこれが沈静化することはない。
 見てきたように、日米安保関係の現段階は、九六年日米安保共同宣言を起点として変質を遂げ、それに利害の一致を見る日米支配層を基盤にしながら、いっそうその変質を進めている。このような日米安保関係、「日米同盟」が五十年の節目の年を迎え、「あらたな日米安保共同宣言」も準備されようとしている。粉砕あるのみだ。日米安保が日帝の階級支配の一支柱を形成しているという点をさらに掘り下げながら反安保闘争の切り先をさらに研ぎすまして行かなくてはならない。日米安保と日本労働者階級人民の対抗という点に絞ったがゆえに、日米帝国主義・資本のアジア展開とアジア人民の反帝闘争、それとの連帯と共同闘争がほかならぬ日米安保関係をめぐるたたかいの重要な柱である点は指摘しておくにとどめざるをえない。(完)

 

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