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  ■日帝の「東アジア共同体構想」とは何か

  国際共同闘争で横浜APECを粉砕せよ





 〇八年九月のリーマン・ブラザーズ破綻を端緒とする世界金融恐慌の勃発は、震源となった米帝はもちろん、欧州各国帝、日帝、中国をはじめ、信用収縮と実体経済の停滞・混乱を結果した。G7―G20の国際会議は繰り返されてきたものの、各国の財政負担増大によって危機はさらに深化している。ギリシャの財政危機はEU総体の危機へと連動してきている。
 昨年、政権発足時に鳩山が「友愛」を掲げ「東アジア共同体構想」を打ち上げたとき、その思想・構想の根拠は欧州連合の成り立ちにあった。しかし、そのモデルそのものが今新たな危機の震源になっており、鳩山自身は辞任に追い込まれた。この状況の中で、菅政権は、「東アジア共同体構想」を掲げ続けている。
 本二〇一〇年、APEC議長国−日本の政府とブルジョアジーは、東アジア、あるいは、アジア太平洋における日帝の権益を握りなおすことで、危機を脱する展望を見出そうとしている。鳩山―菅が掲げる「東アジア共同体」とは一体いかなるものとして構想されているのか。ここではっきりと捉え抜き、横浜APEC粉砕の陣形を築いていこうではないか。


 ●第1章 「東アジア共同体」をめぐる対立と論争

 世界恐慌の第二段階というべきEU諸国の財政危機に端を発した金融不安が拡大している。危機が深化する中にあっても、現代帝国主義世界はブロック化への道を選択することはできない。米帝が主導してきた新自由主義―グローバリゼーションの進展によって、帝国主義各国も中国、ロシアも、単独あるいはブロック化して独自権益を維持するなどということは不可能になっている。分かちがたく結びついた貿易、投資、金融の国際関係を維持しつつ、激しい争闘を繰り広げ、このグローバル経済の中において資本の利害、各国財政を維持していく以外にない。
 しかし、だからといって、世界貿易機関(WTO)の下に、全世界規模で自由貿易が貫かれる体制が一挙に整うということではない。工業国か、農業国か、また産油国など資源供給国か。経済規模の違い、工業技術の違い。先進国か途上国か。各国経済の不均衡の理由はさまざまであり、関税をはじめとする規制なしに「自由貿易」ということだけで外交交渉が収まるわけではない。
 だからこそ、本来のWTOの理念からすれば矛盾するはずの、二国間、多国間、地域統合的な自由貿易協定が進められてきたのだ。欧州はEECからEC、EUへとその地域的結合を強め、米帝は北米自由貿易協定(NAFTA)を進めてきた。
 アジアにおいては、日帝資本も、韓国、台湾などNIEs諸国の資本も、中国資本も、世界貿易の規模の拡大の中で再生産され、拡大し続けてきた。巨大な市場―アメリカに輸出し、現地生産をも拡大してきた。一方においては、米国債を大量に引き受けることでドルを支え続けてきた。
 しかし、この循環の中での日帝資本や中国などアジア諸国の資本の再生産が安定して継続すると保証されているわけでは決してない。九七年のアジア通貨危機とその後のIMF介入によって、アジア各国は経済の規制撤廃、経済混乱、経済格差の拡大を強いられた。世界経済が地球規模で連動しているがゆえに、危機も連鎖する。しかし、この連動から逃れた鎖国経済運営を選択することはできない。アジアにおいては防衛的にではあるが、先行する欧州連合、NAFTAに対抗するものとして地域的な結合が、ASEAN、ASEAN+3を軸に模索されてきている。
 世界恐慌のさなかに成立した鳩山連立政権は「友愛」などという理念を掲げたが、外交政策においては「東アジア共同体構想」を掲げた。それは鳩山の個人的な思いつきではない。この世界情勢―アジア情勢の中で、日帝ブルジョアジーや政策担当者の中で論議され準備されてきたものにほかならない。

 ▼1節 アジアをめぐる日米中の確執

 アジアにおける地域的共同体がいかなる範囲で、いかなる内容で形成されていくのかに関しては、平坦な形で論議が進められてきたのではなく、世界的あるいは地域的危機の中で進められてきた。九〇年台初頭、冷戦終結後の東アジアの軍事プレゼンス問題を契機として、あるいは、九七年のアジア通貨危機、また、現在の世界恐慌の中においてである。一国あるいは既存の枠組みでは対処できない状況に対して、ヨーロッパ、アメリカを一つのモデルとしながら、地域的結合にその解法を求めようとしてきたと言える。
 しかし、戦後世界総体を政治的にも軍事的にも経済的にも再編し領導してきた中心国―米帝にとって、新たな地域的な結束は、そこに桎梏が生み出されることを意味し、場合によってはそれを米帝の排除と捉えてきた。米帝は自らの国益のために、これを阻止し、または妨害してきた。
 東アジアにおける地域的枠組みの構想としては、二十年前にマレーシア首相マハティールが掲げた東アジア経済グループ(EAEG)構想〔後には東アジア経済評議会(EAEC)と改称〕がある。具体的には、現在のASEAN十ヵ国と日中韓の十三ヵ国で、明確にEU、NAFTAに対抗する排他的地域ブロックを形成することが構想されていた。しかし、これには、米帝が反対し、米帝の顔色をうかがう日帝は参加を選択せず、成立することはなかった。
 米帝は「アジア太平洋諸国」という枠組みをもって、東アジア諸国だけの枠組み形成に対抗してきた。APEC、APEC首脳会合の定例化は、米帝の利害の貫徹として進められてきたものである。
 東アジア地域の軍事的枠組みに関しても、ASEAN地域フォーラム(ARF)の形成は、冷戦終結後もアジア地域において二国間同盟をもって存在し続ける米軍のプレゼンスを相対化する政治的意味をもっていた。すくなくとも、自民党政権崩壊後の細川連立政権はそういう位置付けをもってARFを重視した。九四年、米帝による朝鮮戦争危機は、共和国に対する戦争重圧であるとともに、東アジア諸国、とりわけ日帝に対して日米安保の再認識を強制するものだった。「ビンのふた」などという軽いタッチではなく、現実の臨戦状況を突きつけて、九六年日米新安保から九七年新ガイドライン、日帝の国内法整備として周辺事態法・有事法制へと進んでいったのだ。
 アジア通貨危機に際して、九七年八月、日本とASEANの非公式蔵相会合において、日帝はASEAN各国と日中韓によるアジア通貨基金(AMF)構想を提示した。日帝が主導して東アジアの通貨危機、金融危機に対応しようとするものだった。当時の日帝は、ASEAN各国に厖大な直接投資を行なっていたがゆえに、日本企業への危機の波及を憂慮し、これへの対応として構想したのであった。しかし、米帝が即座に拒否し、AMF構想を潰した。
 しかし、この構想は形を変えて実現していく。二〇〇〇年五月に合意された、ASEAN+3の枠内での通貨スワップ協定=チェンマイ・イニシアティブである。同時に、この合意以降、ASEAN+3の蔵相会議が半年ごとの開催を定例化していくことになった。
 九七年通貨危機とその後のIMFコンディショナリティは、韓国やASEAN諸国に経済停滞をもたらしたが、一方で危機に対する対応を通して、ASEAN+3の枠組みはより実体化し、公式化してきたのだった。
 中国が〇一年にWTOに加盟し、世界市場における貿易と投資に大きな影響力をもちだしたことによって、ASEAN+3の枠組みの意味も大きく変化してきた。また中国は、ASEAN、韓国などとのFTA交渉に乗り出し、ASEAN―中国FTA(ACFTA)をすでに締結、発効させている。
 このような東アジア地域をめぐる日、米、さらには中国の確執をみてくるとき、昨年(〇九年)十一月に行なわれた米帝オバマのアジア政策演説「東京宣言」の意味も浮かび上がってくるのである。
 オバマは演説の最初に、日米同盟を「安全と繁栄の礎」と提示して米軍が日本―アジア地域に関与する意思を明確にした。そして、アメリカ合衆国を「太平洋国家」であると提起した。APEC、ASEAN、あるいはG20の枠組みにおいて、米帝が軍事、経済に積極的に関与していくことを宣言した。貿易自由化、経済協力問題をそれとして提起するのではなく、軍事同盟問題、朝鮮民主主義共和国問題、中国問題と絡めて提起することをもって、アジア太平洋における米帝(米軍)の存在を日帝支配者どもに再認識させようとしたのだ。
 東アジア、アジア太平洋をめぐる日帝、米帝、中国の確執は、それぞれの利害をはっきりさせ、さらに熾烈に展開されていくだろう。

 ▼2節 日帝の「東アジア共同体構想」

 ◆1項 鳩山が掲げた「東アジア共同体構想」

 昨年夏、自公政権が瓦解し、民主・社民・国民新党の連立で鳩山政権が成立したとき、鳩山は自らのイデオロギー的支柱として「友愛」を掲げた。鳩山の「友愛」は、欧州をモデルとしつつ、その地域的結合の思想的根拠をファシズムと共産主義への対抗だと見るところから着想する鳩山一郎の思想と実践を受け継いだものであった。国内的統合、国境を越えた地域的統合を思考するものの、その思想の根底には反米愛国、天皇制、改憲、そして反共、階級闘争への敵視がある。鳩山は、政権の柱の一つとして「東アジア共同体構想」を掲げ、それを自らの「友愛」の思想から根拠づけようとした。
 〇九年十一月十五日、シンガポールAPEC終了時に行なった講演「東アジア共同体構想の実現に向けて」において鳩山は、「私の東アジア共同体構想の思想的源流をたどれば、私自身が大切にしている『友愛』思想に行き着きます」として、独仏枢軸を核にしながら地域統合をなしてきたヨーロッパにならいつつ、東アジア地域に「機能的な共同体の網を幾重にも張りめぐらせよう」と呼びかけている。
 具体的には、@EPA、FTAの推進による経済協力であり、その枠組みはASEAN+6であるとしている。A気候変動の脅威に対する地域協力。B「いのちを守るための協力」と銘打った自然災害、感染症に関する協力。C「友愛の海」なる海上での軍事協力(海賊対策、緊張緩和)。この四点を掲げている。
 環境問題重視に見えるが、その部分の結語は「日本企業の持つ、すぐれた省エネ技術」を導入せよといっているのであり、「環境技術」の輸出こそ主眼である。また、「自然災害・感染症」問題に関しても、自衛艦を「友愛ボート」として東アジア全域に展開するとしているのだ。端的に言えば、経済、軍事において日帝が主導して東アジア地域を統合していこうとするものであった。
 短命に終わった鳩山・小沢政権においては、この「東アジア共同体構想」の具体化は大きくは進まなかった。鳩山の東アジア演説において、読み取ることができる重要な点は、その地域経済統合をどのように構想したのかということである。経済問題に関して詳細な論議を行なっていないが、「EPA/FTA」と一括しながら、論じているのは自由貿易協定(FTA)ではなく、経済連携協定(EPA)である。次章にみるように、貿易自由化交渉の重要性は確かにあるものの、アジア地域に広域に展開する日帝資本にとって、その経済的利害は、貿易という範疇にとどまるものではなく、むしろ、直接投資の環境を整えることにこそあり、鳩山は日帝ブルジョアジーの利害を正確に反映して、EPAを強調して論じているのであろう。
 もう一点、鳩山は、「東アジア共同体」の範囲を、「ASEAN+6」と提示していることである。東アジアの範囲に関して、ASEANと日中韓(+3)なのか、さらにオーストラリア、ニュージーランド、インドを加えるのか(+6)。また、東アジアという枠ではなく、アジア・太平洋のAPECの枠組みで捉えるのか、という論争を踏まえつつ、+3ではなく、+6で論じている。これは直接には、米帝との争闘として、日帝がどういう枠組みを提示するのか、という問題である。APEC首脳会議終了時の講演ということもあるが、現実には閣僚・首脳会議が密に行なわれるようになっている+3ではなく、+6で構想するのだと、わざわざ強調している。鳩山は「経済協力」という枠のみならず政治、軍事を含む「東アジア共同体」を構想するがゆえに、米帝の批判をはっきり想定していたのだろう。
 米軍基地問題が最大の理由となって辞任に追い込まれた鳩山の跡を継いだ菅政権は、外交政策・軍事同盟問題に関して新たな方針を打ち出していない。ただし、普天間基地問題を、沖縄の基地問題としては何も解決していないにも関わらず、「対米関係」としては「解決」したかのように扱うところに、菅の冷淡でしたたかなところが現れている。これは、民主党が、鳩山政権の基地問題の対応を米帝との齟齬・対立としてのみ総括しているからだろう。
 そのことは菅の所信表明に端的に表れている。事業仕分けを軸にした行政改革と、経済・財政・社会保障の立て直しを柱にし、外交問題は付け足しのようにしてしまった。しかし、その内容においては、「日米同盟を外交の基軸」と確認した上で、「将来的には東アジア共同体を構想していきます」としている。たしかにこれは、米帝への配慮ではあろうが、それでもなお、鳩山の「東アジア共同体構想」をしっかり継続することを宣言しているのだ。

 ◆2項 東アジア共同体評議会(CEAC)

 「東アジア共同体」とは、民主党―鳩山・菅の独占的なスローガンのようにも報じられるが、小泉の新自由主義構想を受け継ぎながら自滅した安倍晋三政権が掲げた「アジア・ゲートウェイ構想」なるものも、日帝が主導してアジア域内の労働力、貿易、投資の自由化を一挙に進める構想だったことは間違いない。安倍、中川秀直はその一環として移民政策を主張し、入管法改悪の道筋をつけたのだ。
 一方で、より具体的に「東アジア共同体」の内容を構築していこうとしているのが「東アジア共同体評議会」なる組織である。同評議会は、会長中曽根康弘、議長伊藤憲一で、二〇〇四年五月に発足した研究団体であるが、国家戦略として「東アジア共同体構想」を具体化していこうというものである。既存のシンクタンクや、大学教授、官僚、企業代表が参加している。日本国内のシンクタンクでありながら、ASEAN+3首脳会議の傘下組織としての「東アジア・シンクタンク・ネットワーク(NEAT)」「東アジア・フォーラム(EAF)」に、この評議会議員を代表団として送っている。韓国、中国などアジア諸国との間で、「東アジア共同体」をめぐる協議を続けている。
 〇五年八月に『東アジア共同体構想の現状 背景と日本の国家戦略』なる報告書を発刊し、本年夏には『東アジア共同体白書』を発行するとしている。
 『白書』の一部はすでにHP上に発表されている。
 〇八年金融恐慌を受けて、東アジア地域においてチェンマイ・イニシアティブの二国間取り決めから多国間取り決めへの進化、またASEANと各国との間で「ASEAN+1」という形で進むFTA/EPAの積み重ね、経済のみならずさまざまな分野での「ASEAN+3」の協力関係を、現状として積極的に評価した上で、以下の論議、主張を行なっている。
 ナショナリズム、リージョナリズム、グローバリズムの対立を超えた「相互補完的共生関係」を主張している。
 東アジアにおける中国の台頭を強く意識している。しかし、中国もグローバルな展開の中に存在し成長しているのだという認識をもって、東アジア共同体の中の「相互補完的共生関係」に入ったと捉えるべきとしている。
 その枠組みとしては、APECでも、ASEAN+6でもなく、ASEAN+3を強く主張する。「中心部としての『ASEAN+3』と周辺部としてのそれ以外の地域的枠組み」という論じ方をする。
 日米同盟は東アジア地域の「公共財」と評価しつつ、一方では、ASEAN地域フォーラム(ARF)を「予防外交」としての意義をもつとしている。
 民主党の主張が突出しているのではない。日米同盟を押さえつつ、日帝の利害としての「東アジア共同体」をいかに構想し、具体化するのか、今やこれは日帝ブルジョアジーの共同の利害なのだ。


 ●第2章 日帝資本のアジア展開の現段階

 「東アジア共同体構想」は、鳩山―菅の現政権の構想として掲げられ、また論争もなされているのであるが、それは日帝資本のアジア侵出と展開を根拠としている。日帝資本のアジアにおける実相を歴史的に捉えておかなくては、その本質は見えない。

 ▼1節 敗戦からアジアへの再進出

 敗戦後、日帝資本が対外侵出を本格化するのは、五〇年朝鮮戦争、五一年サンフランシスコ講和条約の後のことである。しかし、サンフランシスコ講和条約以前においても、日帝資本はアジア貿易の回復をなそうとしていた。大東亜共栄圏を掲げて侵略戦争をなした敗戦帝国主義ゆえに、韓国、中国はもちろんだが、東南アジア諸国とも貿易を拡大できる関係ではなかった。この四〇年代の日帝資本は、東アジア諸国に比べれば侵略戦争ゆえの反日感情が強くはなかったインド、パキスタン、セイロン(現スリランカ)など南アジア諸国に侵出していった。現実には、戦後、英帝が大英帝国自治領・植民地に対する地域開発計画「コロンボ・プラン」を、米帝の出資を根拠にして計画していた。日帝資本は、この計画の下で重工業化を進めつつあったインドへの機械輸出、プラント輸出に、商機を見出したのである。
 朝鮮戦争で全面的に米軍を支援した日本の支配階級は、その戦争特需を戦後復興の足がかりにした。そして、北東アジアの軍事状況を重視した米帝は、日本を資本主義陣営の防波堤と位置づけた。サンフランシスコ講和条約は「対日無賠償を原則」とし、米帝―米軍の下に日本の経済的軍事的復興を促そうとした。しかし、日帝の侵略戦争の被害を直接受けたのはアジア諸国であった。フィリピンなど東アジア諸国の反対によって、最終的には講和条約十四条に「連合国が個別に賠償を希望する時は、その賠償に応じなければならない」との文言が加えられた。
 講和条約に基づいて、五四年のビルマとの賠償交渉をはじめとして、アジア各国との賠償交渉がなされていった。ビルマ、フィリピン、インドネシア、ベトナムに対する賠償は、賠償金としてなされていったのではなく、賠償事業としてなされていった。具体的には、ダム建設=発電所建設や船舶、運搬用機械などである。日本の建設、電機、重機、造船などの企業がこの賠償事業を受注していった。この賠償方式が、その後の日本の政府開発援助(ODA)と一体化した日本企業の輸出、プラント輸出の様式を作り出していったのである。
 もう少し詳しく言えば、日本のコンサルタント会社が現地調査を行なった上で、先に事業計画を行い、日本企業と日本政府の間に入って計画を具体化していく、ということが、この賠償事業の段階からなされていた。のちのODAと日帝企業進出の一体化が定式化されていったのである。日本工営をはじめとする日本のコンサルタント会社は、戦前に軍属として東南アジアに展開していた経験をベースにしていた。表面的手法は変化したように見えても、実は、この戦後賠償から始まったアジアへの輸出は、日帝資本のアジア侵略の復活だったのである。
 賠償でなされた事業の後には、それを継続するものとして円借款事業が展開される。このために、日本輸出入銀行、海外貿易振興会などが設立される。全額政府出資でアジア侵出のための金融を担い、重機械輸出、プラント輸出、電源開発が継続されていった。
 日帝が直接植民地としてきた韓国、台湾との関係は、東南アジアよりさらに厳しかった。六〇年4・19革命を六一年にクーデターで圧殺した朴正熙が政権につくと、日帝は国交正常化交渉を強めた。朴政権は、朝鮮民主主義人民共和国の経済成長に対抗して、六二年に第一次五ヵ年計画を開始した。朴政権はこのための資金を必要としていた。一方、米帝は当時、ベトナム戦争激化の中で、韓国に出兵を要請し、かつ、その資金を日本に負担させようとしていた。朝鮮半島における南北対立、米帝のアジアの同盟国のベトナム戦争動員という利害がからみ合って、日韓条約交渉は進められた。
 六五年に締結された日韓条約は、無償供与三億ドル、有償援助二億ドル、資金協力一億ドルで、十年間にわたって分割供与されることになった。この援助は直接には、農林水産業や鉱工業の振興、また、道路、港湾、水道、ダムといったインフラ整備に使われたが、結果として第一次五カ年計画とベトナム出兵を進めた朴政権への財政支援にもなったのである。日韓条約の借款の一部は、浦項総合製鉄所の建設に充てられた。日帝は借款供与を継続し、富士製鉄、八幡製鉄、日本鋼管などが共同・分担して浦項製鉄所の創立を推進した。これが、日帝資本の韓国侵出の先鞭をつけるものとなった。
 台湾においては、米帝の戦後復興援助が頭打ちになった五〇年代末以降、工業化政策を継続するため、国民党政権が積極的に外資導入政策をとった。外資導入促進のための条例を作り、六五年には高雄に全量輸出加工区、七〇年に楠梓、七一年に台中にも輸出加工区をつくった。これに乗じて、日帝企業は積極的に台湾への企業侵出を開始した。

 ▼2節 直接投資の拡大から戦略的展開へ

 日帝は、戦後復興から六〇年代まで、政府が主導して賠償、借款供与、政府開発援助という形でアジア諸国地域への「資金援助」を行なったが、この資金を根拠に企業が大規模なプラント輸出などの輸出を拡大していったのである。七〇年代以降、日帝資本とアジア各国・地域との関係は大きく転換していく。
 七一年、ニクソン声明による金・ドル兌換停止がなされた。円は一ドル三百六十円から三百八円に切り上がった。その後、スミソニアン体制、変動相場制となったが、現在にいたるまで趨勢的にドルに対して円が切り上がってきたことは、周知のとおりである
 輸出産業は苦境におちいり、日本企業の海外進出がいっせいに始まった。七〇年に九億ドルだった日本の直接投資は、七二年には二十三億ドル、七三年には三十五億ドルに急拡大した。商社が先導して、日本の製造業が海外進出しはじめた。それは、まさに円高による輸出困難を回避するための迂回輸出であり、アジア各国の低賃金労働力を徹底的に搾取することを目的にしていた。
 日帝資本の製造業は、台湾の高雄、韓国の馬山、フィリピン、マレーシア、インドネシア、タイなどアジア各地の輸出工業団地に進出した。通信・輸送などのインフラが整備され、その多くは労組結成が禁止されている。輸出加工区では、全量輸出が義務付けられ、無関税となっている。
 七一年のニクソン声明、七三年の石油危機、一方では七五年の米帝のベトナム戦争敗退という状況の中で、現代帝国主義は七四―七五年恐慌に直面する。日帝資本は、労働運動の抵抗を押さえつけながら、製造業でのマイクロ・エレクトロニクス化、軽薄短小化を進め、いち早く生産力を回復し、工業品輸出で他帝を圧倒していく。結果として八〇年代には日米経済摩擦が拡大し、自動車の対米輸出規制などが行われた。日本の製造業は現地生産に乗り出す。アジア域内だけでなく、北米、ヨーロッパでの現地生産も行なわれていった。
 この動きに拍車をかけたのは、八五年プラザ合意以降の円高の急激な進展である。この事態の中で、「前川レポート」(八六年)、「新前川レポート」(八七年)が出された。「内需拡大」の名の下に低金利―バブル創出がなされ、一方では、日帝資本の直接投資が爆発的に拡大された。アジアNIEs、ASEAN諸国の工業化が推進されるとともに、日本の製造業は、単なる迂回輸出ではなく、戦略的な位置付けをもって、直接投資―生産拠点移転を推進した。
 自動車産業や電機、輸送機器、化学など日帝の機軸産業が、生産拠点をアジア諸国をはじめとした海外に移転していった。これに伴って、自動車、輸送機器、電機などの部品を生産する下請企業の対外侵出も開始される。これは、日本国内での製造業の空洞化を結果することになった。製造業の海外侵出に伴って、金融機関も日本企業の外国為替・貿易金融を取り扱うために対外侵出していった。
 九〇年代以降の日帝企業の海外侵出は、貿易摩擦を回避するための現地生産、あるいは迂回輸出のための生産拠点の海外移転というレベルを超えて、東南アジア地域全体を射程に入れた戦略的な生産体系を構築するものになっていった。
 日本の自動車産業は、部品を輸出して現地で組み立てるという方式ではなく、すでに、多くの日系部品メーカーをアジア現地に作り出してきていた。ASEAN域内での日系部品メーカーは九四年時点で百六十社になっていた。多くは八六年以降に進出したものである。
 その生産・技術供与の内容は、タイではエンジン部品、駆動系、伝導系、操縦系といった高度な技術を要する部門、マレーシアでは車体部品、インドネシアではエンジン部品というように特化していった。日系自動車部品メーカーは、ASEAN域内の自動車部品の相互融通システムを根拠にして進出していた。自動車部品メーカーに限り、同一ブランドでASEAN内の複数国が合意すれば、関税を通常の50%に下げて域内部品調達が図れるというシステムだった。
 ASEAN域内での自動車組み立て拠点の拡大を進めていた三菱自工が、ASEAN各地の部品を相互供給することを構想し、域内の関税低減を求めていた。八九年一月に、三菱自工とトヨタが、BBCスキームと称される相互融通システムの適用を受けた。九〇年八月には日産、九五年にはホンダが、適用を受けた。
 ASEAN域内の経済協力は、BBCからAICOへと進む。AICOスキームは、九五年十二月にASEAN経済担当閣僚会議で合意したもので、輸入関税率を0〜5%程度に抑え、その適用範囲を全産業に拡大していこうというものであった。現地資本を30%以上含むことが適用の前提条件だった。さらに、二〇〇三年をめどにASEAN自由貿易地域(AFTA)が成立し、そこでは共通効果特恵関税制度(CEPT)により輸入関税が0〜5%に下げられた。
 九七年のアジア通貨危機直後には、東南アジアに展開していた日本企業・日系企業も通貨危機に直面した。為替リスクへの対応をしていなかった企業は為替差損に苦しむことになった。アジア各国通貨の下落は、資金返済を困難にした。金融機関の貸し渋りによって資金不足が慢性化し、アジア地域での販売―生産は低迷した。ただし、この時期に倒産、撤退した日本企業は、意外に少なかった。通貨危機の影響を受けながらも、生産拠点としてのアジア各国から撤退することはほとんどなかったのだ。
 現実問題としては、部品供給システムを利用したASEAN域内で「ASEANカー」あるいは「アジア・カー」生産を構想していた自動車産業各社は、通貨危機の影響を強く受けた。しかし一方、電機・電子産業のようなASEAN域外への輸出産業の場合は、むしろ通貨下落を奇貨として、輸出を増大させていた。

 ▼3節 現代帝国主義の資本輸出

 日帝資本、とりわけ、自動車、電機・電子などの日帝の機軸産業の戦後のアジア展開の概観から言えることは、敗戦直後から、日帝資本はその帝国主義としての復活をはかり、戦前・戦中の関係をも徹底的に利用し、かつ、戦後には、米帝のアジア戦略と合致する形で軍事同盟を結んで、アジアへの再侵出を指向してきた。基底には日米安保を据え、表面的には軍事的侵略によらず、賠償から円借款、ODAと、さまざまな手法をもってアジア各国・地域の工業化への基盤整備を進めた。日帝資本は、政府の財政支出によるアジア侵出を、プラント輸出などで請け負うことで成長してきた。次の段階では、直接投資―生産拠点の海外移転としてNIEs、ASEAN諸国を位置付け、アジア各国地域を日帝資本の再生産構造の中に従属的に組み込むことをもって、アジアを権益権としてきた。九〇年代以降は、それを戦略的に位置付け、巨大独占資本から下請部品産業に至るまでフルセット型の日本の産業構造総体を海外移転してきたのである。
 日帝資本のアジア展開は、NIEs、ASEAN諸国・地域から、中国、ベトナムなどにも拡大していった。アジア全域での工業化の進展、資本主義の発展、各国の民族資本の成長、金融市場の発達をも促すことになった。工業国が農業国・資源産出国から収奪するという関係ではなく、直接投資という形で資本輸出を積極的に展開して、国境を越えて資本と賃労働の関係を拡大していく。それを基盤にして、現代帝国主義の支配、そして分割―再分割が進んでいるのだ。
 しかし、その結果として、帝国主義本国では産業空洞化を招いた。一方では、アジア全域での工業化の進展に対応して金融の自由化が進み、それがヘッジファンドなど投機資本の対象とされることにもなった。資本主義の拡大は、資本主義の矛盾にさらされる危険を拡大していくことでもある。アジア各国は九七年通貨危機、〇八年世界金融恐慌において連動していく事態になった。


 ●第3章 地域経済統合と日帝資本の利害

 「東アジア共同体構想」は、その基底には具体的に進む日帝資本のアジア展開があり、他方では、外交・軍事問題としての地域経済統合という問題であるがゆえに帝国主義間の争闘をはらむ。そうであるがゆえに、直接的な経済的利害だけを押し出した論議だけでなく、政治的側面を伴ってさまざまな形の構想が提起されてきた。
 それでも、ブルジョアジーどもが具体的に進めようとしている東アジア各国・地域の経済統合は、自由貿易協定(FTA)であり、経済連携協定(EPA)である。それは、日本、中国をはじめとして、アジア各国・地域の資本の利害、その対立によって、推進され、また、変容されてきている。
 日帝資本の利害を押さえた上で、理念的「構想」ではなく、現実に進む事態をしっかりと捉えていく必要がある。

 ▼1節 現在の東アジアにおけるFTAの意味

 鳩山が「友愛」から提示した「東アジア共同体構想」は、菅の所信表明演説にも言葉としては引き継がれた。現実にアジア各国・地域との関係で、その構想はどのように具体化されようとしているのか。それを論ずる前に、まず地域統合なることがどのように進むものなのかを押さえておく必要がある。
 戦後半世紀をかけて現実に進んできた欧州統合をモデルとするならば、地域統合は、次のような段階を経て進むと考えられている。最初の段階で域内の関税・非関税障壁を撤廃するFTA、次の段階で対域外共通関税を設ける「関税同盟」、さらに域内での生産要素移動に対する制限を撤廃する「共同市場」、そして経済政策の共通化を実施する「経済同盟」、最終的に予算制度や通貨措置の一本化などを可能にする超国家機関が設立される「完全な地域統合」、という段階で発展するというものだ。
 しかし、欧州連合(EU)においてさえ、市場統合、通貨統一にまでは達しながら、経済政策、財政政策は各国政府の下にあって一体化してはいない。ギリシャ財政危機から波及する新たな金融危機は、通貨統一によって金融政策は欧州中央銀行(ECB)に一元化されていながら、財政政策は各国政府が行なうという矛盾が、危機として発現しているということでもある。
 それでも、この欧州での経済統合、そして、一定の政治統合も含んだ地域統合の進展を現実に存在するモデルとして、ASEAN各国、日帝、中国、韓国は地域統合を構想している。そういう観点からすれば、FTAをいかに進めるのかということは、「東アジア共同体」という地域統合の入り口の段階であるといえるだろう。
 ただし、鳩山が論じたように「共同体」という理念が先にあって、その第一段階のFTAとして、現実の交渉が進んでいるというものではない。東アジアにおけるFTA、EPA交渉など地域経済統合に向けた動きは、むしろ、世界全体の経済・政治のせめぎあいの中で、日帝や中国がアジア地域の主導権を握ろうとするがゆえに進められているということが事実であろう。
 一つには、東アジア以外の地域でのFTAの進展が、東アジア諸国の輸出市場を制限する結果を生じさせている。これに対抗するには、東アジア諸国も輸出市場確保のためにFTAを指向せざるをえないということだ。
 二つには、九七年アジア通貨危機は、アジア地域以外からは期待したような支援を得られなかった。IMFは危機から救済してくれたのではなく、むしろ、通貨危機を利用して、IMF=米帝の利害に沿ったコンディショナリティを強制しただけだった。危機の再発を回避するためには、地域内協力が重要であることが認識された。チェンマイ・イニシアティブの強化は、それを意味している。
 三つには、転倒しているようだが、国内改革の推進のためである。国内政策として新自由主義政策、規制撤廃を推進するための手段としての「外圧」にFTAが選択されている、ということがある。
 四つには、東アジア地域においては、日本と中国の主導権争いが、対抗上、FTAを推進する動因になっている。現実には、中国がASEANや韓国との間でFTA交渉を進めたことが、日本もASEANとの経済連携を進めざるをえない状況を生み出している。それはまた、各国とのFTA交渉に積極的に乗り出した韓国と日本との間においても同様である。
 より現実の問題に戻して見てみるならば、日本と東アジア各国・地域との関係は、貿易を主にした関係から、むしろ直接投資をもって現地生産を戦略的に展開する関係になってきていた。日帝資本にとって大きな利害は、日本とアジア各国との貿易障壁がどうかということ以上に、投資環境がどうかということが問題である。第二章にみたように、日本の自動車産業は、ASEAN自由貿易協定(AFTA)によるASEAN域内の関税撤廃に向けた合意を徹底的に利用して、ASEAN内では国境を越えた部品供給システムを作り出してきていた。
 近年、ASEANと、中国、韓国、日本、インド、オーストラリア、ニュージーランドというそれぞれ一国ごとのFTA交渉が進められてきた。生産拠点をアジアに移してきた日帝にとって、ASEANからの輸出ができればいいということではあるが、現在のFTA交渉は、そのような二国間などの狭いレベルを超えて進もうとしている。
 また、FTAということが一言で語られるが、現実には二国間の交渉の結果の協定であり、それぞれの協定によって内容は当然異なる。二国間のFTAが積み重なれば、その地域の自由貿易が達成されるというものではない。各国ごとの国内産業の状況に応じて、保護する領域において、自由化除外規定を設けているのである。したがって、現実に進む二国間FTAの総和がそのまま「地域経済統合」などということにはならない。

 ▼2節 日本経団連の東アジア戦略

 日本経団連は六月十五日、「アジア太平洋の持続的成長を目ざして 二〇一〇年APEC議長国 日本の責任」と題する論文を発表した。
 アジア太平洋地域を「経済水準と経済規模で多様性に富み、貿易面の相互補完性が高い」と評し、それゆえに「経済統合の推進を、この地域の持続的成長を実現するための戦略の中核に位置づけるべき」としている。
 この真意は何か。先進国も発展途上国も存在し、貿易においても投資においても、まだまだ侵出する余地があるという、帝国主義資本の利害の表明だ。「貿易面の相互補完」ということも、実は現在の製造業における、資本と技術の独占による支配と従属の関係ゆえに成り立つことである。
 「持続的成長を実現するための戦略の中核」としての「経済統合」とは、具体的には「アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)」である。そもそもこれは、米帝がアジア地域に関与するために「アジア太平洋」という枠組みでの論議に引きずり込んできたことにある。APEC、APEC首脳会合の定例化であり、APEC参加国による自由貿易圏(FTAAP)を二〇二〇年に構築するという構想である。

 ◆1項 日本経団連のロードマップ

 日本経団連の論文は、この米帝の構想を認めたように見える。しかし、その道筋(ロードマップ)は、米帝とは異なっている。
 米帝―オバマ政権は、環太平洋経済連携協定(TPP)を重要な布石として、FTAAPを構想している。TPPは、シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの四ヵ国の間で〇六年に発効した協定である。オバマ政権は積極的関与を表明し、本年三月に、四ヵ国に米、豪、ペルー、ベトナムを加えた八ヵ国で協定交渉を開催している。
 これに対して、日本経団連の道筋は、ASEAN+3、ASEAN+6でのEPA/FTAの成立を進め、これを核としてFTAAP交渉を進めるというものだ。より具体的には、ASEAN自由貿易地域(AFTA)が関税撤廃を完成させる一五年を目途として、日中韓のFTAを妥結させるべきとしている。そして、この交渉と同時にASEAN+6への道筋をつけていくとしている。
 道筋は違っても結論は同じなどと言えることではない。FTAAPは構想としては掲げられているが、APEC参加国全体での合意というのは易しいことではない。米国を「アジア太平洋国家」と位置付けるオバマ政権が二〇二〇年まで継続するわけではない。成立するとしても、FTAAPがどのような形になるかは定まっているわけではない。むしろ、現時点で具体化していくことが明らかなのは、米帝が関与したTPPの拡大であり、一方でのASEAN+3に向けた交渉の進展である。
 鳩山は辞任したものの、昨年十月、本年五月と、日中韓首脳会議は開催していた。五月の首脳会議は、韓・日が「韓国海軍艦船沈没事件」に関する朝鮮民主主義人民共和国非難を強めたために、報道は政治的問題に終始した。しかし、ここでは、日中韓FTAに向けた論議が進められてきている。そして、この二回の首脳会談と並行して、二回の「日中韓ビジネス・サミット」なる財界の会議がなされている。日本経団連、韓国・全経連、中国国際貿易促進会による会議である。昨年十月の「日中韓ビジネス・サミット」での合意に基づいて、本年五月六日、七日には、「日中韓産官学FTA第一回研究会」がソウルで開催され、その内容は五月二十九日、三十日の日中韓首脳会談に報告されている。いわば、三ヵ国の政府と財界、御用学者が一体になって、日中韓FTAに向けた具体的研究を進めているのだ。そして、少なくとも、日本経団連は、これをASEAN+3でのEPA/FTAへの道程として位置付けているのだ。
 この動向を見るとき、APECは明らかに、日帝と米帝の間で、アジア太平洋地域の貿易・投資の自由化をめぐる争闘の場であるということができる。

 ◆2項 日本経団連が構想する「地域経済統合」とは何か

 ASEAN+3、そして、その土台の上にFTAAPを構想する経団連は、その中身において何を目指しているのか。
 具体的には「ヒト、モノ、資本、サービス、知識・情報、ビジネス環境整備」の分野における協力としている。
 つまり、資本の都合に応じた労働力の国際移動とそのための出入国管理、貿易の自由化の徹底、投資の自由、債券・株式市場の整備、サービス貿易の自由化という、資本の再生産のために国境を越えた活動の規制を撤廃しようというものだ。一方において、知的財産権の保護、ビジネス環境整備としての法制度の整備をあげている。資本が自由に活動しながら、資本の利害に応じて知識・技術は独占する権利を確保しようとする。
=@通貨に関しても言及している。多くを語っているわけではないが、「チェンマイ・イニシアティブの定着化を図り、将来的にはアジア太平洋域内に拡大することを検討すべきである」としている。ドル、ユーロの不安定化の中で、日帝としてはアジア通貨基金構想を再生することを狙っているのだ。
 また、原発輸出を渇望する日帝資本は、「軍事転用」を理由にした制限を乗り越えられる制度整備まで、具体的に主張している。
 東アジア全域を、市場として、労働力市場として、そして投資・投機の場として、あらためて整備しようというのだ。これこそ、現代帝国主義の新たな侵略、支配の構想である。


 ●第4章 階級闘争の国際的結合でAPECを粉砕せよ

 日・米帝国主義と中国のアジア太平洋権益をめぐる主導権争いの場であるAPECに対して、日本の労働者階級人民が問われていることは、アジア太平洋地域の労働者階級人民の利害を対置して国際共同闘争に立ち上がることだ。
 米帝は、その圧倒的な軍事力をもってアジア各国との軍事同盟関係を強め、今、アジア太平洋地域の枠で自由貿易地域を構想することで、その経済権益の拡大を図ろうとしている。日帝が、この米帝と組むのか、それとも、日中韓を軸にした「東アジア共同体」をもって米帝に対抗するのか。この論議は、ブルジョアジーのものであって、労働者階級人民の利害とは相容れるものではない。
 「東アジア共同体構想」が帝国主義資本の利害の下に進むものであることは明白だ。戦前の大東亜共栄圏のごとく、軍事力を前面に押し出した侵略とは異なってはいる。しかし、それは帝国主義資本の資本輸出がその基底にはある。現実の労働者にとって、それは直接的搾取の拡大である。帝国主義資本の海外侵出は、今も侵略そのものだ。
 資本は、ルールに基づいて行儀良く搾取するのではない。直截的に、賃金が安いから海外に侵出するのである。規制撤廃を主張し、外国資本に対する法令を最低限のものに落としこめようとする。労働組合が禁止され、ストライキが禁止され、優遇税制があるところに生産拠点を移そうとするのだ。
 資本は決して民主主義を伝道するものではない。侵出する国が軍事独裁政権であれば、それと結び、場合によっては後押しする。スターリン主義政権であっても同様であり、資本が資本として展開できる自由さえ保障されれば、どこへでも侵出していく。
 それは日本国内にあってもそうだったではないか。七〇年代、八〇年代、日本の工業製品が世界の市場を席巻したのは、低賃金で過重な労働に日本の労働者を動員したからだ。トヨタのカンバン方式やTQC運動は、労働者を徹底的に搾取する様式だったではないか。「安くて性能が良い」日本製品とはまさに、このような日本の資本と賃労働の関係の結果だった。
 日帝資本のアジア展開とは、日本国内で労働者に対して強いてきたことを、アジアの労働者に強制することだ。日本の製造業の生産方法、労働者管理が、資本輸出とともに輸出されてきた。アジア全域で工業化が進み、アジアにおける資本間の競争が激化する中では、日帝資本も韓国資本も中国資本も、同様の労務管理が貫いていくだろう。
 われわれは今、韓国の労働運動との連帯の中で、資本がその搾取と支配を貫徹するために、あらゆる弾圧手法をとるのだという現実を、あらためて突きつけられている。フィリピンにおいては、アロヨ政権が、日系企業の労働組合活動家に対する殺人弾圧を繰り返してきた。中国ホンダ部品工場においては劣悪な労働条件が強制されているがゆえに、会社の弾圧を打ち破ってストライキ闘争が果敢にたたかわれている。
 「東アジア共同体構想」を日帝が具体化しようと、環太平洋自由貿易地域を米帝が推し進めようと、それは日帝資本、米帝資本の利害であり、「共同体」とは名ばかりの、新たな支配と従属の関係が国境を越えて拡大されるということである。
 労働者階級人民にとって「共同体」は、資本とのたたかいを国際共同闘争で進めることによってしか掴み取ることはできない。

 

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