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  ■ネグリの「帝国・マルチチュード論」は
        21世紀の革命の理論たりえるか(下)


                                      上杉 信行




 ●一章 ネグリの階級論、階級形成論と
               マルクス階級論、階級形成論


 既に『戦旗』第一三二四号において、ネグリの階級論とマルクスの階級論の異なりを見てきた。それはネグリのマルクス批判が一面的な、狭いものであるということだった。
 ネグリのマルクス批判、これは、マルクスにおいては、直接的生産過程における労働―工場労働の担い手に限定された者を労働者と規定する「階級論」なっているが、自分はこの労働者規定の狭さを越えて、広く生産する者、働くものを労働者とするという「階級論」である。彼は、現代のグローバル資本主義の趨勢となった非物質的労働という「工場外」の労働の担い手を、現代世界の構成と変革の基軸的、積極的主体として位置付ける。そしてこの労働者、生産者を過去の「プロレタリア」と区別して「マルチチュード」と規定する。この様な主張であった。ネグリは「階級論」で「工場労働」以外の労働を「社会化された労働」「非物質的労働」という具合に、区別だてして規定し、この労働をより社会を創造する力のある労働だとして突き出し、ここに労働者、生産する諸層、主体の変革の力、革命性を見いだし、ここに現代の革命の可能性を理論化した。彼は現代の労働の形態と内容の諸変化、つまり精神労働と肉体労働の分裂の高度化、対立や指揮、監督労働と指揮される労働の分裂や対立の拡大、労働力の生産、再生産を対象とする労働(サービス労働)の拡大、あるいは労働者上層と下層への社会層としての分裂と対立の深刻化、さらには資本制的生産とは区別されるべき被抑圧の人民、少数者、抑圧民族と被抑圧民族への分裂と対立の拡大など、これらの一切の諸変化の現実をこの「非物資的労働の優位性の確認」に流し込み、収斂させるのであった。
 だがマルクスは労働者をたんに「直接的生産過程」「工場労働」の担い手に制限して規定していたわけではない。資本主義的生産の直接的生産過程において搾取される労働者を典型としつつ分析し、資本と賃金労働の対立の根拠を明らかにしたのである。労働者の存在を資本家による搾取の観点から分析し規定した。しかし同時にこれを可能する社会関係(人口や世界市場、国家など)を前提とするものであった。とりわけ労働者―人口や世界市場は論理的前提であったのだ。労働、労働者の変容は、決して排除されていない。ネグリが強調する労働力の生産、再生産過程を担う労働の位置の拡大、サービス産業の形成について、マルクスは家族や小共同体への資本の進出の角度からする分析視覚を確保しているのである。
 二十一世紀の現在、確かに、グローバル資本主義の発展にともなって家族や生命、また第三世界の隅々まで資本主義的関係が入り込み、自然的な制約にある諸社会(家族や共同体)は資本主義的な解体と、再編にさらされている。資本と賃労働の関係がいわゆる財の生産の領域から労働者、人間を直接の対象とするサービスの生産の領域に拡大している。ここには労働の拡大と変容があり、また労働者の拡大が進行している。古い共同体、自然的紐体は資本主義的に取り込まれ、規定され、再編されている。しかし、ネグリが言うように、工場労働者の数や位置が減ぜられたのではない。財を生産する労働の上に、あらゆる形での労働が生み出され、その担い手の部分が拡大しているということなのである。
 また資本主義社会の拡大、発展、とくに帝国主義の段階に移行してから(もちろんそれ以前からもあった)、被抑圧民族と人民が独自の位置を持って歴史に登場した。これは資本主義的搾取とは異なる位相で展開される。差別分断、民族抑圧実態である。帝国主義段階での被抑圧人民、民族の位置を現代世界を変革する「革命の主体」として積極的に「階級論」「被抑圧民族、人民論」を積極的に展開したのは、レーニンであった。ネグリの階級論の提起は、マルクスとレーニンこの範疇を越えるものではない。
 さらにネグリが、マルクスの「階級論」「プロレタリア規定」は「経済的主義的規定、受動的、非主体的規定」に落ち込んでいるとする攻撃、批判は全く当たらない。マルクスはプロレタリアの措定において、その重要な側面に「自分たち自身が団結してたたかう力を持っていること、自らを解放する力を持っている存在」であることを明確に打ち出している。スターリンは確かに労働者を「生産する主体」に限定し「政治的、社会的能力は基本的にはぎ取られ」、そのために「党に指導されなければどう仕様もない存在」などという敵対的なイデオロギーを撒き散らした。しかしマルクスは全く反対なのである。搾取や抑圧に団結の力をもって対抗し、ここを根拠に自己解放を貫ける存在と措定している。


 ●二章 ネグリの階級形成論とマルクスの階級形成論

 ネグリはマルクスの「社会的労働」の概念を拡大し、物質的労働と非物質的労働の価値の優劣を論じ、ますます非物質的労働が比重を占める社会の拡張こそ革命の条件の成熟だと主張する。そこにおいて彼は、非物質的労働がその性格上、多様性、特異生を持ち、共通性、共的性格を強めているとする。多様性や特異性の尊重と民主主義の強化こそ課題だと言う。そしてこの主張はたんにこの「階級論」のみに止まらず、階級形成論の領域においても貫かれている。ネグリは階級の運動、自己変容、異種混合などを強調し、階級の形成の領域に踏み込み論を立てる。
 ネグリは、階級の在り方において、組織原理として多様性と特異性がたんに「ある」のではなく、自己変容と異種混合化、異種交配によって「なる」ものだと主張するのである。彼は抵抗運動論において過去の蜂起やゲリラ戦を批判し、ネットワーク型の運動を評価し、その中での最も重要な原則として「民主主義と自由」を掲げる。ネグリはマルクスの階級論を批判するだけではなく、ここでは、マルクスやレーニン、毛沢東などを抵抗運動の仕方において批判し、自らの階級形成論、闘争論、自己解放論を展開する。

 ▼1 マルクスの階級形成論

 プロレタリア革命論の中における階級形成論はマルクスにとって極めて重要な領域でもつものであった。マルクスはプロレタリアの革命性を存在論的に規定しつつも、同時にその運動的展開、組織展開を「団結論」の中で明らかにした。「哲学の貧困」で展開されている団結に関する規定はプロレタリアの階級形成の本質を明確に示したものである。すなわちマルクスは「労働者は資本家とのたたかいで直接的利益を求めて団結するが、闘争を通して労働者と労働者は団結を強め、この団結が労働者相互にとって直接的利益より重要になってくる。労働者は、また労働者相互の関係は、その様に変革されていく。団結が高め上げられていく」ことを明らかにした。マルクスは存在論として、身分性をはぎ取られる、生産手段の所有から排除される、あるいは資本家に搾取されるという賃金奴隷の規定や団結し自らを解放できる存在であるなどの階級規定を行っているが、これとは明確に異なる次元で階級形成論を明らかにしたのである。つまり資本家との実際の闘争の歴史、実際の運動に切り込んだところでの、プロレタリアの革命性について考察し明示した。労働者が生み出す団結、結束というものが労働者階級解放の根源的根拠、エネルギーであり社会的な主体性の源なのである。もちろんマルクスは労働者の団結について、一つの職場や工場に限定されたそれを云々しているのではない。マルクスは共産党宣言で「現実の利益のなかにあって未来の利益を代表する」運動、「直截には民族の枠内にある運動をすすめつつ民族の利害を越えた国際的な」運動を共産主義者の任務の問題として提起しているが、実はこの観点は、共産主義者のたんなる立場や願望、持ち込みを意味するものではなく、実際に労働者がこういった運動を開始すること、また実際に運動が開始されことを意味している。未来の利益、国境を越えた利益に基づく労働者階級の自己解放のひとつの運動だということだ。つまりマルクスは労働者の団結は労働者相互の信頼、結束、創意などの諸内容を持って作られていくものであることを示し、一工場から産業別、地域別、労働者全体に、また国境を越えて国際的に発展していくことを示した。
 またマルクスは党宣言で労働者の団結ついて「階級への形成、ブルジョア支配の転覆、政治権力の獲得」という団結の発展した内容を展開をしている。労働者階級の団結はなんら神秘的なものではない。労働者相互の団結の形成とは労働者の搾取と抑圧に対する反抗抵抗、すなわち、資本家とのたたかいである以上、搾取、抑圧の現実が解明されなければならない。最も抑圧された階級としてのプロレタリアの抑圧に対する抵抗、反抗が団結を生み出していくのだ。またこの労働者の団結は、マルクスがいうまでもなく、ブルジョア的秩序、ブルジョア的社会に対し対抗するプロレタリア的な秩序や社会を内包するものを持っている。さらに、ブルジョア政府の打倒―プロレタリア政権の確立という社会を編成する政府を目指すことを内包している。これはプロレタリアの自己解放の運動と組織の中に体現されていく。もちろん団結はブルジョアジーとのたたかいの中で敗北し、再団結していく過程を繰り返すが、自己解放の完遂に向けて永続的に高め上げられていく。

 ▼2 抑圧の現実への対抗としての団結、ネグリの軽視

 ネグリは差異性や特異性に富む存在などとして諸社会集団を規定するものの、その肝腎の中身についてはほとんど展開しない。社会集団のそれぞれの差異性、その関係性の尊重というものが打ち出されるだけで、社会集団そのものの運動、また社会集団の運動の関係としては問題が立てられない。ネグリは、階級の形成、労働者の運動が作り出す革命的な中身について無関心なのである。彼の思想は階級が団結し何かを生み出していくことを解明していくところにあるのではなくて、その団結を構成する主体や個人(の関係)がいかにあるか、結論から言えば、民主主義的に自由にあるかという側面に全てが収斂されていく。なぜそうなるのか。
 ネグリの思想的欠落の第一の問題は、階級、社会的諸集団が現在の資本主義社会、帝国主義世界の中でいかなる抑圧を受けているのか、抑圧に対する主体の反逆の現実、反逆の根拠としての抑圧の中身を素通りする点にある。マルクスが団結論で明らかにしたのは、抑圧に対する抵抗の中で労働者は労働者相互の団結を生み出していくということであった。しかし権力、資本の弾圧や攻撃は激化していく、それ故に、労働者のたたかいは要求を掲げて展開され、この要求をも越えて発展していく。この過程は労働者の結束の確立と再編、また、他の労働者集団との階層や国境を越えた労働者との団結を巡っての確定と、不可避の再編また再団結として表れる。労働者階級の解放にとって、こういった抑圧と団結、たたかいの独自性や革命性について接近する思想こそ労働者階級にとって、極めて重要なものなのであるが、ネグリはこの点で欠けている。抑圧の内容は例えばIT産業のソフト開発技師と介護労働者では、その抑圧の中身が決定的に異なるのである。マルクスは最も抑圧された階級の革命としてプロレタリア革命を措定した。最も抑圧されて部分こそ解放の主体なのだ。労働者階級の団結とは現在的には正規雇用と非正規雇用の分断、管理労働と現場労働の分断、大企業労働者と中小企業労働者の分断、失業者の存在やまた移民労働者、第三世界の労働者の存在に対して、資本とたたかいつつ同時に分断や対立を打ち破って力を獲得していくことなのだ。それゆえに最も抑圧された部分の生活の改善、要求の実現が排除される運動は、必然的に団結を低め、腐敗していく。
 ネグリは「自分は哲学者であり実践家ではない」、現実の階級闘争や運動を評価する立場にないとしている。しかし、工場労働―労働組合を狭い排他性の組織であるとか蜂起やゲリラ戦における統一性に関して民主性や自由が十分でないなどの批判を繰り返しているのだ。ここに彼の階級形成論や運動論がある。

 ▼3 階層、社会集団の解放運動と
           これを越える連帯と団結 ネグリの欠落


 労働者の解放運動の発展は同時に他の労働者集団(階層)や他の社会集団、被抑圧人民や被抑圧民族との連帯を大きな課題とする。しかもこの連帯とこれを通した団結の形成とは、一つの制限された労働者の集団における抑圧からの解放の角度から一般的には生み出されない。それぞれの社会集団にはそれぞれの解放運動の中身があり、ここの利害、要求が明らかにされ、それぞれの連帯活動があってはじめて、団結の内容を確立させ、再確立させていくことができる。
 ネグリにおける思想的欠落の第二は、彼の内容が、この労働者階級の内部の連帯の論理や労働者と被抑圧人民の連帯の論理が基本的に欠如しているところにある。ネグリは、例えばマルクスの「ルン・プロ」規定、民族運動の評価、失業者規定、女性運動など、いわゆる「労働者階級」以外の社会集団に対する否定的な規定や階級の階層の多様性、特異性などの無視と単一化に反発を示し、批判している。階級の集団の多様性を意義を認めていないと断定している。しかしこの批判は階級形成論的に見た場合、全く、当たっていない。マルクスは常に国境を越えた労働者階級の団結を排外主義的な対立を越えて実現することを重視していた。また民族抑圧問題に関してはポーランドの独立運動やアイルランドの独立運動を支持した。大国、帝国主義が他民族の支配によって成立し、本国の労働者が支配の権益によって支えられていることを明確にし、労働者の民族独立運動への支持と連帯を立場を表明したのである。もちろんマルクスは自らの段階では、労働者を主体としたプロレタリア革命の立場を堅持した。階級論はそうであった。しかし階級形成の内容から、実際の抑圧からの解放を目指す運動を支持し、連帯する排外主義と決別する内容を明確にしたのだ。
 レーニンはこのマルクスの立場をすすめ帝国主義の戦争、植民地支配と最悪の惨禍に対して国境を越えた労働者の連帯と団結(戦争反対)を強調した。労働者上層と労働者下層の分裂と対立の基盤を解明し、下層の解放運動を重視する連帯と団結の原則を提示した。さらに彼は労働者階級と被抑圧民族の連帯、労働者階級と被抑圧人民(女性など)を帝国主義的特権の放棄、抑圧者の側の権益の放棄、そして被抑圧民族、人民の解放運動への支持と連帯という形で明らかにしていった。ここに排外主義とたたかうことが労働者階級の階級形成の重要な軸になっていることを明示した。例えば「分離の承認」「同権の確立」の主張など。また、さらに、レーニンは後期においては、階級形成論を拡大、豊富化して被抑圧民族や被抑圧人民、被差別大衆の解放運動の革命性を明確にし、プロレタリア革命を担う主体として、これら人民の存在を労働者階級と並ぶ形で位置付けつつ、同時に、プロレタリア革命に向けた階級形成の論理を追求したのである。レーニンにとって、被抑圧民族や被抑圧人民の自己解放運動の推進、階級形成、団結形成の確立、再確立の内容は革命論にとって一つの基軸を成している。
 この様なプロレタリア解放運動の常識とでもいえる歴史がネグリの中ではすっぽりと削られているのである。もちろんマルクスのアジアの民族の抵抗運動、都市貧民の運動の規定やレーニンの障害者などの被差別者の解放運動の規定など誤った部分ー歴史的限界―は多々ある。しかし労働者や被抑圧人民の解放の道、自らの階級、階層、社会集団としての団結の形成、その発展に対する彼等の接近の立場は明らかだ。

 ▼4 国家、社会建設と階級形成について、ネグリとマルクス

 国家、社会の建設と階級形成という点に関して、ネグリはマルクスと対立を深める。
 「階級への形成」と「政治権力の獲得」をマルクスはプロレタリア革命の重要な条件であることを、思想―綱領的に常に強調した。もちろん階級への形成とはブルジョア、資本とたたかい団結を作り出し、また他の労働者階層、諸社会集団との連帯を作り出し、団結をより発展させていくことを意味している。資本や国家に対抗して一つの運動と組織として階級的実力を形成していく。この対抗は資本制社会下における労働者の直接の要求をもってする団結であるが、同時に、資本制社会やブルジョア国家の秩序や規範、価値観、支配イデオロギーを打ち破り、労働者相互の団結による新たな社会の創造を常にその内側に持っている。これは被抑圧人民の解放運動、団結形成においても同様である。
 マルクスは階級への形成を政治権力の獲得―すなわちプロレタリア社会の建設を意味する―と切り離して段階を設定しているわけではない。労働者階級が現存ブルジョア社会に対抗して、労働者階級が主体となって、新たな社会を建設していく、社会を編成していくことを階級形成、団結は常に一重要要素として持つのである。国家の打倒、体制の変革は労働者階級が自らの社会を作り出して自己を解放することにとって不可欠なのだ。
 ネグリの思想の第三の問題は、マルクスの国家、体制、秩序に対する対抗としてのプロレタリアの団結の意味について常に捨象し、国家を獲得し社会を編成することを団結内容から排除していることにある。なぜそうなるのか。かれは、帝国、グローバル資本主義の下における、様々な社会集団の抵抗について確かに価値あるものとして評価する。だがそれは多様性や特異性の尊重というシェーマから言われるに過ぎない。肝腎の抑圧に対する抵抗や対抗する団結が多様性の中身として明らかにされることはない。自己解放の中身がないのだ。また多様性に満ちた社会集団、階級、階層、民族が資本制的、帝国主義的支配秩序、差別分断や排外主義的集約(現にある)に対抗して、自己変革を伴う連帯と団結を打ち固めていくことや、あるいは、国家や支配階級を打倒して民族的、世界的枠組みで新たなプロレタリア解放の社会の建設を多様性に満ちた労働者階級と被抑圧民族、人民が成し遂げていくと言う解放の概念が欠落しているのである。階級形成論的に見た場合、ネグリは帝国やグローバル資本主義を前提にした、批判の欠如したところでの、諸社会集団の抵抗運動を形式化して評価するところにとどまっている。結局、ネグリの主張する「多様性」や「特異性」の意義を低めていくことになっている。
 彼の思想はロシア革命の革命権力批判、ゲリラ、蜂起の軍事組織批判、工場労働者の労働組合批判など、統一性、単一性批判に軸がある。内容は統一性批判、単一性批判の形式だけといっていい程である。これは彼が理想化するアメリカ革命、フランス革命を民主主義の角度から美化しながら、「構成する権力」と「構成された権力」をふり分けて、権力として確立すれば腐敗するというテーゼから導き出されている。社会集団、共同体、コミューン、個人などの抵抗運動は評価するがこれが一つの権力として形成されることに反対するというテーゼである。もちろんプロレタリア権力の確立後の「永続革命」を主張する側面も確かにあるが、むしろ、権力から「逃避せよ」とか「移動せよ」などということが一面的に強調される以上、プロレタリア革命、権力の樹立、社会の建設については否定的であるといえるだろう。そうである以上、階級の団結への信頼は根本のところで生み出せないのである。もちろん結果として資本や帝国に親和的になってしまうのである。もちろん労働者の団結、階級形成にとって内部構成における民主主義は重要な要素であり、とくに直接民主主義を基礎とする団結は、人民の解放にとって大きな位置を持っているのは言うまでもない。だがそれは労働者階級や被抑圧人民が権力を獲得し、新しい社会の建設に挑戦していくこと、プロレタリア的団結やプロレタリア的秩序を形成し社会を編成していくことを否定するものではない。労働者人民が権力を確立し自らを現実的に解放していくことを何等否定するものではい。


 ●三章 コミューン、ソビエト的団結とネグリの民主主義への一面化

 労働者階級、被抑圧人民の諸集団にとって、資本主義、帝国主義とたたかい、対抗して団結し、この団結を拠点に更なる抵抗運動を拡大、発展せていくことは自己解放にとって最も重要な課題であり、さけて通れない不可欠の課題である。労働者人民の階級形成とはプロレタリア革命の根本を成す。この団結は確かに、プロレタリアが権力の樹立後の社会が先取り的に実現されているとか、価値意識が物質化されているなどということはできない。権力の樹立後の社会建設には労働者、諸階層、諸集団の社会参加や権力への参加、あるいは経済の建設など具体的な課題とこれに対する諸政策が必要なのである。これらは政権の確立の後にこそより具体的で緊急のものとして表れる。
 だが労働者階級人民の資本制社会の内部での抵抗運動、とくにその内部で形成される団結は資本制に対応する諸要求、諸政策、諸綱領をもっている。戦争の廃止、暴力の廃止、搾取の廃止、差別の廃止などである。これらは確実に労働者人民の権力と社会の建設に貫かれる。それゆえ、逆に、労働者人民の権力、社会を現在時点でいかに措定して行くのかという課題は極めて、大きな意味を持つ。
 なによりも、パリ・コミューン、ロシア・ソビエトの経験をプロレタリア権力の形成、プロレタリア社会の建設の観点から纏めることは重要であるだろう。ネグリも確かに、このコミューン、ソビエトの意義については一定認めている。
 ソビエトの意義は、レーニンも明らかにしている様に、労働者階級、被抑圧人民、農民や兵士などの被抑圧階級、階層がそれぞれの団結を持って(要求を掲げて)、ロシアのツアリー政権の支配と秩序、資本家生産の拡大、農地の封建的地主制に対して反乱したところから生まれた。そして二月革命を経て十月プロレタリア革命をソビエトの武装蜂起によって達成した。この人民の運動、組織は基本的には蜂起の機関であり、労働者人民の政治への参加、社会への参加、生産への参加をもって労働者人民の新たな社会を建設していこうとするものであった。この社会建設は実際、ヨーロッパ革命が敗北する中で、凄まじい困難に直面したが、ボルシェビキ党は、人民の政治参加、文化、生活の改革、生産の組織化などの全分野で粘り強い政策を展開していったのである。例えば政府や行政のシステムの建設とそこにおける代表選出の課題、旧来の専制的、ブルジョア的なものに対抗した新たな文化や生活の創造、また生産システムの確立と労働者の参加―そこにおける決定権の問題などなどである。すなわちソビエトとは旧社会の内部で形成された、被抑圧の階級、階層、社会集団の団結、解放運動をそっくり受け継ぎつつ、これを再編して新たな社会主義社会の建設を目指すものであった。したがってそれは常に、全社会、すなわち政治、経済、文化―生活を人民の力で革命的に生み出していこうとするものであった。
 ここでの問題は、ネグリはこういった階級の運動の継続と権力の獲得による再編、新たな団結の創造という課題に、民主主義の角度から一面的にアプローチし、教訓を云々することにある。彼によれば「労働の社会主義的組織化が結局は労働の資本主義的組織化と同じシステムと体系になる」、つまり管理、命令型になると言うのだ。「共産主義者の代議制という夢は幻想に終わった」「議会制民主主義、代議制民主主義から直接民主主義へ」、「十八世紀に回帰せよ―絶対的民主主義の確立のために」こういった思想が結論として展開される。確かに生産の民主化や女性の解放などの部分には触れてはいるが、ここからの教訓はない。政治の統一的な執行、社会、文化、生活のプロレタリア的改革、連帯と共同、あるいは経済(生産)の中身の確定や全国的組織化と自主管理、自主生産の有機化などの諸課題が現実には大きな問題なのである。民主主義対管理主義の視覚への一面化は、労働者の政治と生産、生活の内容の変革と創造には決してならない。
 コミューン、ソビエト的団結をわれわれ、現代の共産主義者が目指すにあたっては、プロレタリア権力と社会の構築を射程に入れて、現実の革命運動を組織しなければならない。また、逆に、資本制社会、帝国主義世界の下における現実的な労働者階級、被抑圧人民の階級形成、団結と連帯の強力な自己解放運動があってはじめて、社会主義社会の建設は、その成功の可能性を得ることができるのだ。ネグリの民主主義問題はその一部である。マルクスのコミューン論は、ネグリの代議制の問題に一般化されて提起はされていない。選出と執行の権力の統一(もちろん現在的には再検討すべきところもある)、公務員の給与の確定と罷免の権利、生産の権利や国民的統一の確保など、プロレタリア社会の在り方の一端を明らかにしている。これは共産主義者が踏まえるべき前提である。いずれにしてもネグリとは内容が大きく異なっている。
 わが同盟は、ブントの思想、綱領を継承し、純粋民主主義の落ち込んでいくネグリ的傾向を批判しつつ、スターリン主義者や宗派の敵対を乗り越えて、労働者階級と被抑圧人民の団結形成、解放闘争の前進に依拠して、プロレタリア日本革命のために全力でたたかっていく。

 

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