共産主義者同盟(統一委員会)

 

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  フィリピン革命運動への連帯戦をさらに強化しよう!

     CPP路線への我々の現在的立場




 ●(1) はじめに

 我が共産主義者同盟(ブント)はこれまでプロレタリア国際主義を党派性の基軸のひとつとして堅持してきた。だが、ここ二十数年以前の過去のブントにあっては、その多くはただ原則的立場を表明するという内容であり、他国の革命運動、革命党との支援、連帯実践を実体的にはそれほどなしえてきたわけではなかったし、共通の敵たる帝国主義との闘いを共同で実践したり、党間の連帯関係を実体として強固に構築しえてきたわけではなかった。まさに「共産主義者にとっては、現存する世界を革命的に変革すること、眼前に見出される事物を実践的に攻略し変革することこそが問題である」(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』)ことからは程遠い実践的態度であったといえる。しかしながら、我々統一委員会はこれまでのブント史上かつて見られなかったほど、実体をもってアジアをはじめ世界各国の反帝闘争、革命運動、そしてそれをになう諸党との強固な連帯実践を組織し続けることに成功している。とりわけ我々はアジアにおける国際的反帝統一戦線の構築、強化に力を注いでおり、そのなかでもフィリピン、韓国の運動、組織との連帯実践に特別の力を傾注してきた。我々がフィリピン共産党を先頭にしたフィリピン人民の反帝、自国政府打倒闘争への連帯実践を本格的に開始してから、前史を含めれば二十数年が経過している。その間、我々はこれまでにフィリピンの革命運動やまたそれを一貫して牽引してきたフィリピン共産党(以後CPPと表記する)の路線について様々な我々の見解を表明してきたが、まとまった論文としては一九九五年二月のCPP党内闘争時における見解が最後のものである。それ以降フィリピン革命運動をとりまく状況については、折にふれ我々の見解を表明してきたが、本号ではフィリピン革命運動あるいはCPPのフィリピン革命路線に関する我々の最新の見解、とりわけフィリピン革命が将来直面するであろう課題についての我々の見解を明らかにする。


 ●(2) フィリピン革命に関するこれまでの我々の見解

 我々は一貫して階級的労働運動の組織化およびプロレタリア国際主義連帯実践を我々が組織する日本階級闘争、革命運動の二大実践基軸として設定し、闘ってきたが、とりわけフィリピン革命運動との連帯には多くの実践を積み重ね、プロレタリア的党的団結を強化してきた。CPPは一九六八年、ソ連派旧フィリピン共産党(PKK)との党内分派闘争を経て、毛沢東主義を旗印に結成された党である。路線的には、フィリピン社会を半植民地、半封建社会、敵を帝国主義、買弁ブルジョワジー、地主と規定し、労農同盟と統一戦線を基礎に民族民主主義革命を達成し、継続して社会主義革命にすすむという二段階革命路線をとっている。そして農村での武装闘争と農民の組織化を基盤に「農村から都市を包囲する」持久的人民戦争路線を基本的かつ具体的戦略として採用している。
 我々がフィリピン革命連帯実践を開始した当時の我々の見解は以下のものであった。
 八〇年代後半期までは、我々はCPPもスターリン主義―毛沢東路線の潮流であり、一国社会主義、二段階革命路線、民族主義を基にした民族解放革命路線にそのことをあらわす特徴があるとして、それほど評価してはこなかった。しかしながら、CPPがフィリピンにおける革命運動を広大な大衆基盤を組織しつつ、反帝国主義の闘い、自国カイライ政府との長期にわたる武装闘争を基軸とした反政府闘争を持久的に組織しえている現実を前にして、アジアにおける反帝統一戦線構築のための具体的推進に向け真摯にCPP路線の内容の検討に入ったのである。
 そして、次の点でCPPの革命路線、フィリピン人民の闘いの指導路線を評価、支持し、共に闘っていくことを決意したのである。第一には当時(現在においてもであるが)弱化している反帝国主義の国際的な共同戦線を強化していく実践が問われており、CPPはその点において揺るぎのない反帝国主義の立場、反帝闘争を一貫して組織していたからである。第二には、CPPの民族解放民主主義革命路線に立場的にプロレタリア社会主義革命を対置すればことたれりとする日本の多くの左翼のこれまでの観念論的見地を排し、「反帝」「反封建」「民主主義」革命を次のようにとらえて評価したのである。「反帝」は米帝軍事経済力に支えられた傀儡(かいらい)政権、買弁ブルジョワジーとの闘争、米帝による労農人民の直接的収奪との闘争を意味し、「反封建」は地主支配の打倒と農地の解放という「反地主小作農要求」を意味し、「民主主義」は労農を中心にし良心的民族小資本家などの統一戦線を意味するものであり、総じて「反帝反封建民族解放民主主義革命路線」はフィリピン人民を帝国主義とそのカイライ政権を打倒し、党の指導によって社会主義革命へと連続的に組織しうる路線として評価、支持することを決定したのである。我々は観念論的、立場主義的反スタから、何を強化していくべきかを軸にした国際共産主義運動を再建、強化していくという実際上の内容検討、評価へと転換したのである。当時CPPもまた中国の変質が確定的となり、中ソはじめいずれからも実際的支援を得られなくなったという国際状況で新たな基準の下に、新たな国際的支援連帯関係を求めていたという状況にあった。そして国際的毛派潮流もどの党もすべて同じというのではなくその中で再編、分解を開始していたし、毛派党自身がこれまでの自らの路線総括、スターリン主義路線からの批判的脱却を可能とする変革戦を実際の闘いの中でなしうるだろうと判断したのである。


 ●(3) CPP党内闘争、党分裂、党派闘争について

 その後、選挙に関わる立場などを始め幾つかの領域でCPP内党内論争が開始され、一九九二年からその党内闘争は公然化した。それはそれまで論争が直ちに分派へと帰結した歴史を持っているインドや日本の左翼と異なり一枚岩の団結を誇ってきたCPPには衝撃的な出来事であった。当時我々はCPP党内分派闘争を生ぜしめた客観的背景として次の二点を挙げた。第一には、帝国主義の支配、影響が第三世界の政治、経済を一層深く広くおおいつくし、各国社会を大きく変容させていること。すなわち、資本主義的生産、生活様式が大都市中心に定着し、賃金労働者、中間層の増大等社会の階級階層構成をも大きく変化させたことである。そしてその中間層の増大は、第三世界においても社民潮流が発生する物質的基盤となったのである。第二には、ソ連、東欧の党と「社会主義」の崩壊を受けて、帝国主義によるイデオロギー攻撃をはじめとした共産主義運動への全面的攻撃が全世界で吹き荒れたことである。この攻撃の前に世界の多くのスターリン主義派共産党や日和見主義的共産主義潮流は自ら解体するか社民路線を掲げるようになったのである。そして、我々はこのCPP党内分派闘争で問われているのは、第一にフィリピン人民の反帝国主義闘争を防衛し、反帝民族解放―社会主義革命の道を歩むのか、その地平から脱落するのかであり、第二には、フィリピン人民を民族解放民主主義革命をへて社会主義革命へと領導する前衛党と総路線をいかに建設するのかという点であると整理した。これらの点でCPP反対派は反帝国主義闘争を放棄し、共産主義前衛党建設に敵対し、社会民主主義路線へと屈服するものであるとの我々の批判見地を明らかにした。当時CPP中央を批判し、CPP反対派を支持した日本をはじめとした世界の諸派はおしなべて帝国主義との正面からの闘いから逃亡し、社会民主主義的路線への大合流をなしていく部分であったことはフィリピン国内の同様の流れと呼応するものであり、ひとつの世界的流れであることを象徴するものであったといえる。
 そして以降の展開は我々の分析、評価の正しさを立証するものであった。すなわち、CPP中央はいくつかの地方委員会での党組織への打撃、党員減少、新人民軍勢力の弱体化等少なからぬ党的損失をこうむり、その回復にいくばくかの時間と党的指導の強化を要したが、現在では当時の勢力を回復するのみならず党的にも新人民軍においてもそれを上回る勢力増強を勝ち取っている。それは党中央の不屈の粘り強い党組織末端にまで至る全面的なイデオロギー、政治、軍事にわたる原則的な指導を通じてはじめて可能となった組織指導上の正しさを証明するものであるが、他方党建設上のいくつかの重要な課題を残したことも事実であろう。一方、当時の反対派諸勢力はカイライ政権のもとにすりよるか、共産主義を捨て社会民主主義勢力として残存するかとなっており、勢力的にも労農人民からの支持を拡大しえていないし、反帝闘争からの後退、逃亡も著しいものとなっている。それらのうち大衆運動の末端に踏みとどまっている者達も反共産主義の国際的市民運動の一部へと組み込まれるに至っている。
 CPP中央は党内、分派闘争に際して、「われわれの原則を再確認し、誤りを正そう!」と題する文書を提起し、全党を集約していった。それは表題にも端的に示されるように、基本的にCPPの初期の綱領、路線を再確認し、初期からの基本路線の大道に戻ろうというものだった。以降の経緯を振り返ってみると、既述したようにその提起を基軸とした党内ひきしめ、党員教育運動により、CPPは党組織的にも大衆運動的にも基本的に失地回復に成功し、他方反対派潮流は自己解体してしまうか、社民潮流へと純化していき、共産主義運動からの離反、敵対をなしていったという現状を見れば、CPP中央の指導は的確なものだったといえるのであろう。
 しかしながら、九〇年代初頭のソ連・東欧諸国、諸党の崩壊に象徴される世界の経済、政治、軍事状況の激変の中で、世界のすべての党がそれまでの自らの綱領的総路線的総括を一様に迫られたことは紛れもない事実であった。CPPの党内・分派闘争もそのような脈絡の中で生じたことなのである。それゆえにCPP中央はいったんは反対派との分派・党派闘争に勝利しえたとしても、反対派が問うたことの中に自らが総括すべき内容はないのか否かが問われるべきであったろう。そのことは基本路線は堅持するとしても、そのさらなる発展、深化のためにも不可欠のこととしてあったと考える。
 当時フィリピン国外のいくつかの党からもCPP中央に対して二方向からの批判が行われた。一つは社民潮流へ合流しつつあった右翼日和見主義諸派からのもので、その内容は武装闘争反対、レーニン主義的党建設反対という立場からのものであった。これは世界のブルジョワジーの共産主義攻撃に屈服し、共産主義から社民へと立場を移行しつつあった日本や欧米諸国の党派からの批判だった。従ってCPP反対派が社民潮流へと合流していく流れと呼応するものであり必然的に反対派支持を表明したのである。この立場からは帝国主義との正面戦を回避し、帝国主義との話し合い、協調路線、武装闘争で帝国主義を打倒するのではなく、帝国主義内反対派としてブルジョワジーに圧力をかけ、政策の変更を迫るのみという実践的帰結をもたらすのである。これは別の表現をすれば、CPPの基本路線基軸の一つである持久的人民戦争反対の立場であり、それを議会等をとおしたブルジョワ民主主義運動で政権交代を望むものである。他の一つは、フィリピンは資本主義として十分発展しており、労働者も増加をとげているので、民族民主主義革命から社会主義革命というのではなく、直接プロレタリア社会主義革命を追求すべきだというものである。これはまたいわゆる二段階革命路線に反対し、即時の社会主義革命を対置するものである。これについては「民主主義革命」の内容として、最近のフィリピン支配階級、軍部による千人以上にも及ぶバヤン、KMUなどの大衆運動のリーダーの問答無用の暗殺の事実を前にしたとき、フィリピンにおいては欧米諸国と同様のブルジョワ民主主義さえも保障されていない中で、労農人民が民主主義を闘いとる中で自己の権力を自ら形成してゆくこと、いわばプロレタリア民主主義の内実を獲得していくこととして確認しうるであろう。また、「民族解放闘争」の持つ意義についても、現在もなお米日帝をはじめとした帝国主義、国際ブルジョワジーに経済的、政治的、軍事的にフィリピン支配の根幹を握られている事実をみれば否定しえぬことはあまりにもハッキリしていることである。さらには、現在CPPは貧農をはじめとした労農人民を民族解放民主主義革命の旗印でフィリピン最大の反政府勢力として組織し続けている事実を見ても、民族解放運動に嫌悪感を持ち、ただ観念的に社会主義革命を対置するだけの者たちの無責任な外在的批判の立場は厳に戒められるべきであろう。


 ●(4) CPP路線が有する問題点

 前述したごとくCPPはソ連派の旧共産党指導部を抜本批判して、毛沢東主義に依拠して建設された党である。毛沢東路線はある面では農民の社会主義革命への参加を遂に認めることがなかったスターリン主義への、そして、第三世界革命運動への連帯をソ連国家防衛戦略の一環としてしかなしえなかったスターリン主義への闘争として表現されたものであった。従ってそれはマルクス・レーニン主義の第三世界への適用として出現したものともいえる。その点で毛路線は現在にあっても第三世界諸国の革命勢力にとって自国革命勝利のための有効な戦略路線となっており、毛路線に依拠する革命党は今も数多く存在している。CPPはまた毛沢東路線を機械的に適用したものではなく、中国とフィリピンでの解放区路線や人民戦争路線の相違を見てもわかるように、そのフィリピンへの応用、変形として発展的に適用したものであった。だが、「十大関係論」などで毛沢東が経済建設の問題でソ連、スターリンの生産力主義批判の見地を有し始めていたことなどについてCPPは必ずしも継承発展させえず、スターリンを基本的な点で評価し、いまだスターリン主義の枠内にあることも事実である。毛沢東主義潮流の弱点は自ら逢着した問題に関して、ほとんどすべてを修正主義批判でなでぎってよしとする傾向があることである。スターリン主義路線そのものが有していた誤りがソ連の党の変質に至ったことについてもフルシチョフから始まる修正主義の発生にすべてを帰することにより、スタ路線の内的批判総括を封じ込めることに結果したのである。ただ毛にとってもCPPにとっても反帝闘争は自らの最重要な任務として位置づけられ、実践されてきた。しかしながら、帝国主義に対する闘争は帝国主義のもたらす結果への闘争のみならず、その本性たる資本主義批判に裏付けられねばならない。すなわち、資本主義そのものの解体の闘いが重要であり、その主体としてのプロレタリアートの階級闘争の組織化、階級形成戦が重要なのである。この点で毛にあっても、CPPにあっても資本主義批判、資本主義社会の解体―止揚の主体としてのプロレタリアートの措定が脆弱であることが課題であるとこれまでも我々は同志的な批判的見地を提起してきた。そして、これらは共に国際的な反帝闘争を共同で闘い、発展させ、国内支配階級との闘争も前進させ、労農人民をそれらの闘いに動員し、論議していく中で相互の弱点を克服し、それぞれの党建設、路線、綱領の深化を勝ち取っていかねばならないし、勝ち取りうるものなのである。実際に共通の敵である全世界の帝国主義、ブルジョワジーとの闘いを共同で闘っていくという重要な実践基盤を抜きにしてのイデオロギー論争、路線論争はなんら実りある論議、関係を、したがって国際共産主義運動の発展、強化をもたらすものではない。それゆえに我々は先ずもって国際的反帝統一戦線の構築、強化を最重要視し、実践していく中で、お互いの運動と組織の強化をもたらすべく同志的論議をしていかねばならないし、そのようにしてきたのである。
 われわれはこれまでフィリピン革命運動への支援、連帯はプロレタリア国際主義の立場からも我々の責務であると考え、一貫して最大限の努力、実践を行ってきたし今後もそれは変わることはない。またそれゆえCPPの路線、実践も支持し、連帯してきたし、CPPが強固な反帝国主義の立場と実践を変えることのない限り、我々の支持、連帯の立場、実践もまた不変である。
 だが、国際共産主義運動が直面している課題、運動の今後の発展のためには、いくつかの点で見解は異なることがあっても、それぞれの見地をハッキリ表明し、きちんとした論議をしていくこともまた不可欠である。
 最近進行しつつある出来事との関係でも、われわれはCPPの同志たちと我々に共通に問われている課題に関して論議していく必要を感じている。それはネパールで生じている事態に関連したことである。統一ネパール共産党毛沢東主義派(以降UCPN―M)はCPPと同様に人民戦争を展開し、急速度に勢力を拡大し、十数年のうちに政府軍では制圧しきれないという対峙状況にまで発展し、ついに国王は権力を投げ出すに至った。しかしながらその後いったんUCPN―Mの政府が樹立されるも、短期間のうちに政権を降り、以降政治的こう着状態が長い間にわたり続いている。その間UCPN―Mは連合政府樹立をめぐりネパール共産党統一マルクスレーニン主義派(CPN―UML)とネパール会議派(NC)の間をゆれうごいており、ネパール人民の当面の要求である共和制を憲法で正式に表明するという最重要の課題は棚にあげられたまま一年以上も時間が無駄に推移している状況である。CPPは路線的に近かったUCPN―Mを支持しているようだが、ネパールでの最近の事態の中で、UCPN―Mのいくつかの問題が浮き彫りとなってきている。
 第一には、持久的人民戦争路線で軍事的対峙状況を形成してきたが、最後は政治的決着となったのであるが、その時選挙にせよ、他の方法にせよ、単に権力の移行という形だけでは、文字通りの人民の政府は形成し得ないということである。第二には、敵支配階級の軍隊を解体せねば、被抑圧階級人民のための社会構築へ向けた政策は実行し得ないということである。第三には、どのような社会を作っていくのかという構想を人民に明らかにし、人民自身がそれをになえるように動員していくこと抜きに真に新たな社会を建設していくことはなしえないということである。第四には、ネパール以外の国の闘う勢力、国家等との連帯、結合という視点と実践が不可欠ということである。このことは、全世界のプロレタリア被抑圧人民の共通の敵である帝国主義、世界ブルジョワジーとの一貫した闘いの堅持は大前提ということである。それらの点で、UCPN―Mは少なからぬ弱点、総括すべき点があるのは明々白々である。
 これとの関連で、CPPが将来、現在の持久的人民戦争、民族民主主義革命を勝利しえたとしても、UCPN―Mと同様の問題が生じうる可能性については否定し得ないだろう。


 ●(5) フィリピン革命が直面するであろう課題

 それゆえに、我々はUCPN―Mが直面したし、現在もしている問題も含め、将来、勝利するだろうフィリピン革命においてCCPが直面する課題、したがってCPPが自らの綱領、路線上あらかじめ強化、深化しておかねばならない課題について我々の見地を提起しておきたいと考える。それらはまたひとりCPPの課題ではなく我々自身にも問われている課題であるといえるものである。
 第一には、世界革命と一国革命の関連についてである。CPPは自らの目指す革命を「社会主義を展望する民族民主主義革命」と規定しているが、社会主義あるいは共産主義へと連続する革命をめざさんとするならば、それは社会主義を目指す革命は一国で勝利しえるとしても、社会主義社会の建設は全世界における帝国主義、ブルジョワ権力の打倒すなわち世界革命の勝利なくして可能ではないことを明確にし、それゆえに一国で勝利した革命は他国での革命勝利、世界革命の勝利へ向けて実際的支援、連帯を具体化すべきことを明確な立場とすべきである。そのことはマルクスにおいても「共産主義は経験的には主要な諸国民の行為として『一挙的』かつ同時的にのみ可能なのであって、このことは生産諸力の全般的な発展およびそれと連関する世界交通を前提としている」(『ドイツ・イデオロギー』)としてその基本的考えが示されていることである。レーニンなども徹頭徹尾ロシア一国の革命勝利で留まるのでなく、その最終的勝利は世界革命の勝利なくして得られないとの立場を貫き実践した点である。
 第二には建設すべき社会に関する問題、あるいは共産主義論の提示、深化についてである。これは第一の課題と密接に関連することで、社会主義社会の建設あるいは共産主義の組織化というとき、それはかならずしも遠い将来の課題ではなく、「共産主義というのは、僕らにとって、創出されるべき一つの状態、それに則って現実が正されるべき一つの理想ではない。僕らが共産主義と呼ぶのは、現在の状態を止揚する現実的な運動だ。この運動の諸条件は今日現存する前提から生じる」(『ドイツ・イデオロギー』)という共産主義の一つの規定にも示されるように、現在的任務としてもたてねばならないし、たてうるのである。それは徹底した資本主義の変革戦として現在資本主義がもたらしている人民にとっての否定すべきことがらをすべてその反対の極にあるものへととってかえる闘いである。その闘いの過程でプロレタリアート、被抑圧人民のための社会がどのようなものとして組織されるべきかという具体像が明確となっていくのである。それはあるべき社会としてあらかじめ想定されるというよりもその闘いの過程で形づくられていくべきものなのである。
 第三には階級形成戦あるいはよく「新しい人間」の形成といわれる問題であるともいえる。かつてCPPのある同志が「今たまたま敵失で権力奪取が可能だとしても、そうすべきでないときもある。階級形成の点でまだ未成熟なときがそうである」と言ったことがあったが、まさに新たな社会の建設者、主体が上からの権力奪取とともに、下からの主体条件の形成の問題として重要視されるべきであろう。そのことは政治革命と並行して社会革命、文化革命が同時進行的に遂行されねばならないことを意味するものである。例えば、現在の生産力水準で全世界の人々が衣食住医療の面で充たされ平和に暮らしていくのに十分だとしても、どのような日々の暮らしを是とするのかが問題となる。先進資本主義国で暮らす人々の生活様式、不必要に過剰な物質を追い求める暮らしや浪費を否として受け入れず、余剰の物質力を未発展な生産力の国々に寄与するなどして平準化せねばならず、そのためには自らの現在の生活水準を妥当な線にまで下げることを受容することも含め、基本的な生活、人生などについての価値観もブルジョワ的なそれから対極的なものへと抜本的転換することが不可欠となる。新たな価値観で武装された「新しい人間」の形成の課題である。この点と関連してはマルクスも「共産主義的意識の大衆的規模での創出のためにも事柄そのものの完遂のためにも、大衆的規模での人間変革が必要である。そして、大衆的規模での人間変革は実践運動のさなかでのみ、革命においてのみ、進捗しうる。それゆえ、革命は他の仕方では支配階級が打倒されえないという理由で必要なだけでなく、打倒する側の階級が革命のさなかでのみ、旧い残渣をわが身から一掃して、社会の新たな礎石を築く能力をもてるようになる、という理由からしても必要なのでもある」(『ドイツ・イデオロギー』)と主張している。このテーマと関連したことでは、スターリン主義の生産力主義の誤りこそが深く総括されねばならない。資本主義があくなき生産力の発展―利潤を追求し続ける社会であるのは本性上当然であるが、スターリン主義もまたその点では同様で「社会主義のほうがより生産力を発展させうる」との見地なのである。だが、社会主義―共産主義の優位性はその点にあるのではなく、あらゆる搾取、差別、抑圧等を一掃し、基本的に「一人が万人のため、万人が一人のため生きる社会」すべての人々が平等に衣食住、医療等の人間生活の基本的条件を全世界くまなく十分なものとして保障しうる社会を建設できる点にこそあるのである。
 第四には武力革命と平和革命の問題である。このテーマに関しては、方法論として必ず暴力革命でなければならないとか、平和革命も可能だという点に問題の核心があるのではない。問題とすべきなのは被抑圧人民がどのようにして自らの意思を体現しうる力を手にしていくのかであり、それがいかにして敵支配階級の武力も含めた実効支配力をしのいでいくのかということである。軍事的力も必要だし、政治的力も不可欠だし、総合的な人民の力をいかにしてどのようなものとして強化していくのかこそが課題の中心点に設定されねばならないのである。そのときに組織面ではソビエトのような地域末端の人民の自己決定権力の建設がきわめて重要な実践課題となるだろう。プロレタリアートはできあいの国家機構をそのまま掌握して、自己自身の目的のため役立てることは出来ないのであり、できあいの国家機構とは別個に創出したソビエト的組織の基盤の上にある「国家権力」こそが自己消滅を自らの胎内にはらんだプロレタリア「権力」となりうるだろう。
 第五には、民族解放闘争と社会主義革命の関連についてである。この点については、第一、第二および第三の点の内容と深く関わりあうことで、一国革命と世界革命の問題だととらえることもできる。民族解放民主主義革命と社会主義革命を機械的に分離したり、対置したりすることは誤りで意味がないことである。共産主義の建設という最終目的を展望して有機的に関連付け、結合していくことこそが問われているのである。第三世界諸国では民族解放民主主義革命から社会主義革命へという道筋はいまだ有効な路線であり、問題はそれを指導する党が世界的な帝国主義の打倒―世界プロ独の樹立へ向けて原則的、実践的立場を堅持していくかどうか、あるいは階級形成戦をきちんと組織しているかどうかなのである。そしてそのことを組織的に担保するものとしての世界党が建設されねばならないであろう。
 その他にも、党と大衆運動組織の関係等重要な課題はあるが、以上、本文書ではCPP路線が直面するだろう主要な問題についての最初の提起を行い、それらに関する我々の主な観点についてのみ明らかにした。このことは現代革命が直面している課題でもあり、したがってひとりCPPのみが直面している課題というより我々自身にも問われている問題でもあり、今後相互に深化していく必要があることである。


 

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