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   中国共産党第18回党大会

    既得権エリート集団―深まる腐敗構造

          激化する格差拡大、民族問題

                             

                           
 

 十一月八日から十四日まで開かれた第十八回党大会が終わり、来年三月の全人代を経て中国の新たな指導体制が動き出すことになった。十三億の中国人民の中、八千二百万人の共産党員の代表二千二百七十人が北京での大会にのぞんだ。そして二百五人の中央委員、中央委員候補百三十人を選び、さらに政治局二十五人、政治局常務委員七人を選んだ。
 中国共産党は労働者と農民の党からエリート高学歴集団の党へ変質してきた。新中央委員の95・7%が大学卒業者となった。十年前の十六回大会で資本家の入党が認められて以来、資本家もまたこぞって党員になっている。中国共産党は、立身出世の道で大会ごとに党員は増加、今回は前回より九百万人も増えた。中国の抱える社会問題の多くは、この党自身の既得権エリート集団としての構造的腐敗が原因であり、問題を大きくする要因ともなっている。「近代国家としての法治」を胡錦濤指導部はくりかえし掲げてきたが、現場は人治が横行する。この構造を壊すことができるかどうかが、新指導部の変わらぬ課題である。
 大会は、ネットの情報統制や、厳重な警戒態勢、「人権活動家」などの隔離のなかで行われた。八月にはウイグルで「国家分裂法」で「テロ組織を指導した」と二十人に懲役刑が下され、チベットでは大会まえから焼身自殺が相次ぎ(一年前から七十三人、亡くなったのは五十九人)、一万人の抗議デモが起こっている。民族問題は、格差拡大により、差別が倍加しいっそう深刻になってきている。
 全人代開催に向け、習近平指導部がどういう特色を打ち出してくるか、現時点ではわからないが、山積みの問題を抱えての出発だ。


 ●1章 新指導体制から見えるもの

 習近平―李克強体制の発足である。この二人は五年前の十七回大会直後にほぼ決定されていた人事であったが、今年に入ってから、指導体制―人事を巡ってさまざまな憶測が飛んだ。実際党大会開催が一カ月も遅れ、そのスケジュール発表も遅くなった。人事の調整がギリギリまでもめたとされる。
 重慶市書記の薄煕来の妻の事件と彼の失墜からはじまり、太子党と共青団の派閥争いや保守派と改革派の路線争いなどが指摘された。曰く、薄煕来を守ろうとした太子党に共青団派の胡錦濤が厳しい処分を譲らず対抗、江沢民が出てきて巻き返したというのである。それが人事にそのまま反映したと言われている。政治局常務委員七人のうち、李克強だけが共青団出身で、中間派の一人を除けばみな太子党と言われる。
 今回は、前回に続き指導部の若返りが要求されていたが、習近平と李克強以外は六十代半ばで若くは無い。五年後の大会で彼らは隠退し、そこで本格的な代替わりが行われる。しかし、七人を含む政治局二十五人の内十五人(薄氏は除名)は退任で若返りをした。さらに、二百五人の中央委員(平均年齢五十六・一歳)も選出され、次世代の指導部候補者があがってきた。こうして指導部全体の交代を見ると、太子党と共青団とのバランスは一方に偏っているわけではないし、若返りの準備もされている。結果は人事に限って言えば安定した体制と言える。十年前の胡錦濤登場の時に政治局常務委員が全員入れ替わったのと比べると、むしろ安定的委譲といえる。
 また、保守派と改革派の路線闘争といわれているが、中国人民の未来と解放のための社会主義建設をめぐる路線闘争ではない。薄煕来が重慶市で毛沢東と革命を想起する「唄紅(革命歌を歌う)」運動や「打黒(反暴力団)」運動を組織したといっても、改革開放路線を否定し、ケ小平以前に戻そうと言うのではないし、革命運動ではない。薄煕来自身、外資導入で経済を引っ張り重慶市の経済発展に大きく寄与したと評価されている。その結果のひずみに対する重慶市民の不満を、こうしたキャンペーンに動員したと言える。薄煕来を防衛しようとした江沢民―太子党自体がそもそも、経済発展第一主義の「上海」閥でもある。薄煕来の運動は直轄市レベルのひとつの政治手法以上ではなかった。
 江沢民と胡錦濤の「権力闘争」の大きな枠組みは、「保守反動」と「改革」だ。保守派は既存の権益集団つまり、共産党幹部とその人脈の利益を守ることに「安定」を見出す。改革派は共産党主導の下で、「政治改革」に踏み出すことが党と自分たちの「安定」を約束すると考えている。この意味では、今回、保守派が力を誇示した人事となったといえる。
 今回の指導部交代のその他の特徴は、次のとおりである。
@初めて集団指導体制の論議で習近平―李克強指導部が決定されたこと。江沢民と胡錦濤はケ小平の指名推薦だった。五年ごとの党大会と十年ごとの指導部の交代が、人民に公開された中で進むことになった。
A胡錦濤が軍のトップからも隠退し、新指導部にまかせたこと。江沢民は胡錦濤体制になっても二年も軍を掌握した。ケ小平も同じように、軍から影響力を行使した。
B政治局常務委員が九人から七人に減員になったこと
CBにともない「公安部」局長が常務委員でなく、政治局員に格下げされたこと。一方で、大きな課題―腐敗防止の中央規律委員として王岐山が常務委員として就任した。処理能力が有名な王氏は金融通でもありその方面で期待されていたが、その「消防隊長」(SARSの終息や北京五輪の準備など)としての能力を「腐敗防止」に向けることとなった。公安よりも党の腐敗の処理が大きいということだ。もちろん、公安機能が縮小されることではない、今年の公安予算は軍事予算を上回り、約九兆円(日本円にして)が投入される!
D前回と同じく、二百五人の中央委員は党が推薦する名簿から選挙で選出された。0・8%の差で、落選する方が圧倒的少数だが、いちおう選挙である。中央委員までは公開され、手続きにのっとって選出される。末端組織では居住区ごとに党大会代表の写真と名前が貼り出され、大会への関心が集約される。今回、会期中に政治局常務委員候補十名の名簿が国営新華社から報道された。結果は七人が就任したのだが、選挙がおこなわれたのかどうかはわからない。人事の透明性をアピールしたものといわれている。
E予想に反して中央委員に民営企業家=資本家が選ばれることはなかった。江沢民「三つの代表」から、資本家の入党が認められるようになって十年、今回建設重機最大の三一集団の会長の名が挙がっていたが中央委員候補にもならなかった。一方で数人の国営企業経営者は中央委員になっている。ちなみに女性は二百五人の内たった三十三人、少数民族は三十九人。
F党大会代表二千二百七十人のうち、農民工が二十六人になり、大きく報道されている。前回は数人であった。


 ●2章 胡錦濤―温家宝の10年で深まった矛盾

 習近平体制は十年の胡錦濤体制の重荷を引き続き担うことになる。
 その課題をあきらかにしたのが大会冒頭の胡錦濤の政治報告である。
@「中国の特色ある社会主義を堅持」するとし、「国民所得を二〇一〇年から十年で倍増」という具体的数字を掲げた。この目標は、数字こそ挙げてはいなかったが「二〇二〇年に小康社会を実現」として胡錦濤が十年前に宣言したものだ。引き続き国民生活を引き上げることが改革開放のエンジンで「避けて通ることができない」とする。
A政治改革については「民主的選挙や政策決定を保障」「党の活動は憲法や法律の範囲内でなくてはならない」「法治を全面的に推進する」としながら「西側の制度をひき写しにしない」と「民主集中制」の護持も再確認。
B愛国主義、集団主義、社会主義についての教育を突っ込んで行い、人民の精神的な力を強める。ネット社会管理。
C発展の成果を共有する所得分配改革、中間所得層の拡大。社会保障システムの全面整備。
D海洋資源の権益を断固守る。
E軍の近代化と情報化を進める、防衛的国防策を遂行。
F「腐敗を撲滅する。この問題が解決できなければ、党は致命傷を負い、ひいては国も国家も滅亡する」「権力の大小や地位の高低にかかわらず、党紀や法を犯せば容赦なく厳罰に処す」。
 そしてこの大会の規約改正で胡錦濤の「科学的発展観」が、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、ケ小平理論、「三つの代表」(江沢民)と並んで長期的に堅持する指導思想として格上げされ確認された。
 この報告を見ると、胡錦濤指導部発足時の政策目標とほとんど変わらないことがわかる。海洋権益や腐敗とのたたかいの危機感の強調があるくらいである。つまり、胡錦濤指導部のこの十年の政策目標は、経済発展以外は進まなかったことを白状することになっている。
 胡錦濤の「科学的発展観」とは、「人を本位とし、全面的で均衡のとれた、持続可能な発展」ということである。全面的というのは経済だけではなく文化や環境の保護も進める。均衡というのは、「@都市と農村 A後発地域への支援 B社会保障 C人間と自然 D国内と国外」の五つの調和で、次の世代の利益も守って進むということであった。ケ小平―江沢民時代の経済成長一辺倒路線の矛盾―格差の拡大、腐敗、環境破壊、農民問題を是正するという舵きりであったのだった。「和諧社会」(調和社会)というスローガンを打ち出し、新幹線は「和諧号」と名付けられた。そして、そのために一定の「政治改革」の必要性を打ち出したのである。
 十年の結果は、ひきつづき経済発展をしたものの肝心な「科学的発展観」の目指す内容は進まなかったといえる。上海万博や北京オリンピックを成功させ、チベット鉄道の施設をはじめとする内陸部の開発も進んだ。不動産開発と外資導入、低賃金労働による輸出加工で驚異的な経済成長をしつづけ、昨年には日本を抜いて米に次ぐ世界二位の経済大国になった。十年でひとりあたりのGDPは三・七倍、自家用車保有台数は七・五倍となった。その成長の中で、すでに十年前課題となっていた格差はより拡大し、強引な開発で人民の生活と環境を破壊、投機が過熱し不動産バブルが起きている。胡錦濤―温家宝は就任当初、経済成長率を抑えることまでしたのだが、経済は突っ走ったのである。
 従って「和諧社会の実現」というスローガンは実現できなかった。確かに、農村に欠落していた健康保険に手をつけたことや農民工の子どもの教育の保障などに取り組み、一定の成果をあげてはいる。また、「国民皆年金」制度の整備を始めて、農村や都市の非就労者、出稼ぎ労働者の年金加入が可能になった。まだまだ小額で不十分なものだが、制度が出来た点は大きい。最低賃金制度や生活保護制度も整備してきた。
 また、これまで農民戸籍故に、子どもの教育も受けられなかった農民工に対する政策も行われた。都市滞在証を発行し、居住区の教育を受けたり、年金に加入したりできるようになった。農民工と言われる出稼ぎ労働者も、都市に定住して二代目となり、農業をしたことのない者が40%にもなっている。戸籍制度の改革は一部しか進まない代わりに、このような対策で手当てを始めた。
 こうした社会福祉制度の整備は、スタートラインに立ったばかりで、全国民に現実に行きわたっている訳ではないようだが、とにかく十年かけて整備した。
 しかし、格差はそれ以上に広がるばかりで、それも共産党幹部の多くがその地位を利用して富を占有しているのである。
 そして、その共産党の占有構造を解体するための「政治改革」については全く進めることができなかった。目指されたのは透明な選挙と法治主義の確立、それを保障する司法の独立である。胡錦濤に期待した知識層は「失われた十年」と酷評する。胡錦濤は、五年まえの大会時には「スウェーデンの民主主義は参考になる」とまで踏み込んだ発言をしていたのである。「社会主義民主政治、大衆の自治と政治参加、法治国家、人民民主」そして「三権分立」まで約束していたのである。共産党の指導のもと、市場をコントロールしながらよりよい資本主義国へソフトランディングすることが、胡錦濤の路線だったのだ。
 しかし、選挙は、十年まえからおこなわれていた範囲以上は進まず、相変わらず法は無視され共産党既得権集団の専横がまかり通っている。乱開発に抵抗する住民運動、反公害、労働争議、不正腐敗を弾劾するたたかいなどなど、人民は実力闘争で正義を追求し自ら政治活動に習熟しはじめた。
 共産党の政治改革はもはや間に合わず、党の指導は無化されつつある。
 そこで、強調されてきたのが愛国主義、ナショナリズム、「社会主義についての突っ込んだ教育」である。まさに矛盾を「外に向ける」というやり方だ。格差を越えて、外に向かって団結する国民国家としての自覚を要求するというのだ。国際主義は何処に行ったのか、完全に抹殺されてしまった。
 胡錦濤は、これらの課題を習近平に引き継がざるを得ない。特に、腐敗との闘いについて最大の危機感をもって表明している。
 この腐敗とのたたかいは、容易ではない。われわれが考える腐敗は賄賂などで、それは不正でルール違反で法的にも社会的にも排斥されるべきこと。しかし、中国の一部社会では、当たり前の慣行となってしまっている。賄賂が決定的な悪弊であるということが社会的に浸透するには、前提に公平や平等といった、いわゆる「民主主義」の共同的観念と透明性を保障するシステムが成立していなければならない。中国社会は革命とその後の路線闘争、党内闘争の中でこうしたシステムが未成熟のまま、改革開放路線に突入した。
 政府による開発など大きな事業を決定し、また、その情報を持っているのは共産党と政府の幹部だ。いくらでも利権はあって、圧倒的に有利だ。国有企業解体時に、幹部が国有財産を抜き取り私物化し、一挙に金持ちになったことを中国国民すべてが見てきた。
 古い中国には家族縁戚やグループ関係に重きをおく文化がある。信義を重んじ熱い人間関係を築くといわれる。その関係を大事にし、守り手厚くすることは人としての礼儀ですらある。極論すれば、賄賂と謝礼は区別がつかないのだ。ケ小平は「白い猫でも黒い猫でもネズミを採ってくれば良い」と経済第一主義にハッパをかけた。経済成長は革命のため人民のための第一の課題として優先され、いわゆる「開発独裁」の面をもってきた。その中で、この伝統的慣行自体が潤滑油となって、息を吹き返してしまっているのである。こうした文化を利用し、ドライに賄賂を要求して私利だけ追求する「腐敗」はすぐそこにある。経済成長と党と腐敗はからみついているのである。
 年間十万人以上が党規違反で処分されているが、それは「運が悪かった」だけだ。
 この悪弊を断つには、ひとつに党の徹底的な「民主化」以外はないのだが、既得利益集団である党自身が抵抗する。「腐敗とのたたかい」は言葉だけ、面従腹背だ。そして、二つめは胡錦濤が警鐘を鳴らしているように、中国人民の現指導部打等―再度の革命運動によってである。
 今年の全人代で、温家宝首相は、「腐敗を防ぐためには政治体制の改革の成功がなければならず、それがなければ文化大革命のような歴史的悲劇が再びおこってしまう」とはっきり言っている。胡錦濤―温家宝の危機感は非常に深く、その見方は正しい。
 大会冒頭での胡錦濤の報告の要もこれだ。果たして習近平は、この課題をどう受け継ぎ対処できるのか。
 二〇二一年、習近平の任期途上で中国共産党は結成一〇〇周年を迎える。


 ●3章 山積みの課題抱えた習近平指導部

 「われわれの責任は中華民族の復興へ努力することだ」。これが習近平の就任記者会見の第一声だ。まず、ナショナリズムを鼓舞し団結を呼びかけたのだ。習近平体制の内容は来春にはあきらかになってゆくだろうが、中国の政治的現状をよく現しているのではないか? 習近平のスタンスは、これまでと変わらないということが窺われる。
 しかし、「中華民族」のみならずその「復興」が共産党の責任として追求されるというのは、どういうことだろうか? 民族独立を要求する植民地の党なのか? 中華帝国をめざすのか?これが共産党の言葉か耳を疑う。
 最近、この「中華民族の復興」という言葉がよく出てくる。理論を組み立て、思想教育を始めているのであれば注目しなければならない。就任第一声が、一般的なナショナリズムでなく、思想運動の宣言であるとしたら、習近平の危険な指向としてみなければならない。いずれにしろ、こうしたナショナリズム傾向については特に注視しなければならない。   
 ともあれ、習近平体制は出発した。
 習近平は胡錦濤時代にますます大きくなってしまった荷物を受け継ぐことになる。見てきたように共産党自身の改革、腐敗とのたたかいはまず最大の問題だ。
 これに連なる格差問題も同じく最大の課題だ。都市と農村の格差はこの十年可処分所得で三倍から縮小していない。農村間の格差もあり、また、国有企業幹部と従業員の給与の差は十八倍もある。職種による格差も拡がっている。格差は拡大する局面に入っている。金持ちの子は自動的に金持ちになり、貧乏人は貧乏のままとなってきた。かつてのチャイナ・ドリームの伝説よりも、親の資産が人生を決める。百万ドル以上の富豪は五十三万人いるといわれている。長者番付に出ない隠れ富豪(共産党幹部の子女)も相当の資産を持っている。一方で、中国政府の規定で「貧困」とされる者は一・二億人も存在しているのだ。
 政府は強度の累進課税や国営企業幹部の賃金抑制など、最低賃金の引き上げなど、さまざまな所得再分配を指向している。しかし、「相続税」の導入は大きな抵抗にあってとん挫しているし、金持ちの海外への資産移行がさかんにおこなわれている。格差を背景にした抗議行動は中国当局の発表で、昨年二十万件あった。十年前の四倍だ。
 次に経済問題も区切りにさしかかっている。高度経済成長からの転換、産業構造の転換など経済の道筋をうまく調整していくことが問われている。低賃金加工の輸出主導と投資で成長してきた中国経済の要因がそれぞれ限界に達していることは、周知となっている。高成長のいきおいが生み出した過剰設備と過剰生産による価格の低下、環境や労働コスト、資源コストの上昇。そして、西部大開発、三峡ダム開発、地方都市開発など国家的プロジェクト開発―経済成長という構造がある程度終了したことなどである。不動産バブルや地方債務(開発資金の債務)問題も、注意深く解決しなければならない。
 今後は落ち着いた成長路線で、持続的な国内消費構造を図っていくことになる。だが、転換は、さまざまな抵抗や矛盾をともなうだろう。今年三月の全人代で経済成長率を7・5%に設定したが、十月の上半期にその通りの数字となった。これまでは、必ず、設定より実績が上回ったのだが、内外の要因で成長が減速していることがはっきりした。
 さらに、中国には、日本と同じく厳しい少子高齢化問題がある。一人っ子政策を微調整してきたが生産年齢人口は二〇一五年をピークに減少になってゆくことがはっきりしている。高齢化社会がすぐやってくる。医療・介護、社会保障の整備は死活的な課題だ。その財政規模も大きい。
 こうした課題のどれひとつも猶予できないが、さらに重要なのが政治問題である。
 再選されたオバマ大統領は、最初の仕事としてミャンマーを訪問した。現職の米大統領としては初めてのことだ。この訪問はかなり強引なもので、「民主化はまだ途上、現政権を利することになる」としてアウンサンスーチー氏などが当初反対した。あえて訪問した意図はオバマの演説に現われている。ミャンマーの民主化の勝利を宣言し、共和国と中国に向けて「世界の規範として民主主義をアジアへ発信する」「これからは、米国はアジアを重視する」と重ねて宣言したのである。選挙後すぐにアジアに乗り込んで、アジア重視すなわち中国との対峙を示した。続いて、東アジア・サミットで日米首脳会談を行い、日米安保の強化と米軍アジア戦略の拠点としての米軍基地の役割を確認したのである。
 中国も党大会で、対米戦略を軸に軍の近代化・情報化をさらに進めることとともに、「海洋資源の権益を守る」と海上の国境を意識した方針も示した。今年夏に、中国初の空母が竣工し、大会後には離発着陸訓練にも成功している。
 もうひとつは、チベット・ウィグルをはじめとした民族問題である。中国共産党の民族綱領は民族自決権を否定し、「広範な自治」で民族統一を強要している。新中国建設以来の問題で、解放闘争の高揚と大弾圧の歴史がある。
 改革開放路線は、民族差別と抑圧を倍加させ、これに対する民族解放のたたかいも激しさを増している。最近では、〇八年チベット、〇九年ウィグルで大規模な抗議運動が起こり、過酷な弾圧が行われた。これ以降、民族自治区・自治州などは厳しい監視体制が敷かれている。チベット族の焼身自殺は大会後まで続いている。「監獄社会」といわれる弾圧体制の中で、抗議方法が奪われ、自殺が唯一の抗議方法となっているのだ。漢族の党幹部の支配下にある民族自治政府は、こうした状態に全く無力だ。「広範な自治」などない傀儡政府となっている。民族的要求ですら、今や弾圧されるに至っている。
 経済発展と開発は、漢族と少数民族の格差を拡大させてきた。開発投資も利権も、商益も漢族のものだ。民族観光ですら、漢族の資本の支配下に置かれているという。経済の格差と共に、民族差別と偏見も拡大している。漢族はチベット族やウィグル族を「怠惰で自分勝手」「理解能力が低い」と偏見で見る。民族解放運動に対する当局の「暴動」規定「民族分裂主義者」「テロリスト」というキャンペーンが、差別を増大させている。実際、〇九年のウィグル事件では、広東州の工場で漢族社員がウィグル族社員を差別したことがきっかけとなった。
 民族の怒りと絶望感は頂点に達している。解放運動を認めると言う大転換をしない限り、この緊張関係は高まりこそすれ、収まることはない。このままでは、多くの犠牲が出続けることになるだろう。
 最後で最大の問題は、格差拡大に対する中国人民の新しい階級闘争の出現である。日本に聞こえてくる年間二〜三十万件におよぶ「暴動」「騒乱」とされる事件のきっかけはさまざまである。警察公安の暴力、政府や党幹部の不正、公害、強制立ち退き問題などである。詳細はわからないことが多いが、その数が飛躍的に増えていることが中国人民の政治的活性化の指標になっている。
 多くは逮捕や弾圧を受け、要求は退けられただろう。しかし、近年人民の実力闘争の力で要求が実現される例が増えている。今年十月に大きく報道された浙江省寧波市の化学工場拡張反対闘争は、会社側が一部製造工程の撤回を表明した後も収束せず、さらに他の薬品製造の中止まで求めるに至っている。特に環境汚染問題では、人民の大量の決起があり、多くの勝利が勝ち取られている。また、不正や横暴に対するたたかいにおいて要求が退けられても、その後、幹部が更迭されるなどの前進があることも多い。
 労働現場でのたたかいもそうだ。賃上げ待遇改善のストライキが多発しているが、経営側がいきなり警察を導入するといったことは少なくなっている。何らかの労使交渉が行われ、改善が勝ち取られることも多い。
 中国人民は、勝っても負けても、こうした政治経験を共有し始めている。統制を潜り抜けて情報は共有されている。団結してたたかえば前進する。この確信は確実に中国人民のものになっている。以前は、北京に直訴に行き何ヶ月も待ち、そのあげく要求は通らず報復を受けるなどということが多かった。中国人民は、直訴にはじまりデモや実力闘争までのさまざまな経験や、戦術の必要性なども我が物にしてきている。
 もし、習近平指導部が、中国人民の政治的成熟を見誤り、諸矛盾をナショナリズムで乗り越えようとするなら、新たな革命情勢が任期中に準備されることになる。
 中国人民と連帯し、インターナショナルの勝利めざそう。


 

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