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   マイナンバー法案を葬り去れ




 
 三月、マイナンバー法案が閣議決定され国会に提出された。政府は二〇一六年一月からの施行をめざしている。
 昨年二月、野田政権によって国会提出されたこの法案は、九月まで審議が遅れ通常国会閉会となってしまった。その際、政局がらみで事実上成立は難しいにもかかわらず民・自・公は「臨時国会での成立」をわざわざ再確認した。この確認は、成立を急がせてきた財界への与野党共同の念押しアピールだった。そして十一月、野田民主党内閣が解散し、それによってマイナンバー法案は廃案となったのである。
 総選挙、政権交代―安倍内閣が発足したが、さっそく、同じ法案を元に修正した自公政府案として提出されることとなった。
 マイナンバー法案(正式名称は「行政手続きにおける特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律案」)は、民主党政権の「税と社会保障の一体改革」の「関連法案」として国会上程された。十年前の住基ネットに際してはプライバシーの侵害を批判したマスコミは「税、社会保障」のうたい文句にまんまと乗り、沈黙どころか推進派に転向した。そのために、その恐ろしい内容も周知されないまま与野党合意案として成立を待っていたのである。
 財界と翼賛勢力が長年求めてきた「国民総背番号制」の「完成版」であるマイナンバー法は、共謀罪―秘密保全法ともども葬り去らなければならない危険な治安法であり、同時に労働者階級人民の生命生産活動を差別選別支配し、資本が奴隷として徹底的に搾取するためのシステム構築法なのだ。
 与野党合意法案でありスピード成立がめざされている。
 暴露を強め、成立を阻止しよう。


  ●1章

 この法案は「背番号」でなく「マイナンバー」と通称をつけられているが、「国民総背番号制」であることに変わりはない。国民ひとりひとりに個別の番号を付け、すべての情報を国家(と大企業)が掌握管理することなのだ。国民が自由に利用するため「マイナンバー」であるかのような通称だが、欺瞞だ。
 正式名称も欺瞞に満ちている。行政手続きをする際の利便性を求めたものでも断じてない。これまでの背番号制のもくろみと大きく違う点は、公的機関だけでなく、私営企業と情報を共有することが明示されていることだ。それによってマイナンバー=番号は行政手続きの単なる番号でなくなる。ひとりひとりの「全ての情報」を番号で掌握することが可能になる。何処で生まれ育ち、何処で勤めているか、納税状況はどうか、扶養関係、褒章や犯罪歴、旅行や移動歴、保険や病歴、買い物歴、誰と交際して誰に電話しているかまで、全ての掌握が可能な個人情報ネットワークが構築されるのである。
 例えば、このようなことが起こりえる。生命保険会社が顧客の病歴だけでなく、家族関係や資産、過去の保険の支払い状況などなどを一瞬のうちに調査できるようになる。そうなれば客が保険を選ぶのではなく、保険会社が客を選ぶようになる。保険会社はリスクの高い客を排除できる。「行政手続き〜」という名称は、私営企業の利益追求に使うことを隠した欺瞞に満ちた名称だ。

  ▼@カードによる「本人確認」

 マイナンバーは、「国民」ひとりひとりの全ての情報を国家と資本が掌握管理するシステムである。しかし、番号を付けただけでは掌握できない。そのようなことが可能になるには、実際に番号が通用し、使われなければならない。それによって、情報がもれなく蓄積されなければならないからだ。住民基本台帳制度が破綻しているのは、住基カードを「希望者にだけ配布する」やりかたで普及率が低く(五パーセントに満たず)、かつカードがなくても手続きができるからだったといえる。
 しかし、今度のマイナンバー制度が成立すると、付けられた番号を提示しなければすべての行政サービスや、私営企業のサービスが受けられなくなるのである。年金、健康保険、介護保険などの社会保障サービスの全て、税金にかかわる手続きなど広範囲で使用が求められる。かつ、生命保険、銀行その他の民営企業との契約などでも提示しなければならないのである。
 そのポイントは、写真入りの個人識別カード、IDカードで「本人確認」するというシステムが導入されることなのである。カードの「携帯義務」は法に明記されないが、事実上の携帯が要求される。どの窓口でも「本人確認のため」の提示が求められる。このIDカードによる「番号=本人確認」がセットで求められるので、住基システムとちがって、この制度から離脱したり拒否したりすることが事実上できない。
 現在は、たいがいの行政手続きは住所や氏名で申請できる。年金や健康保険に個人番号が振られているが、番号がなくても調べてもらえる。自治体行政と市民の法に基づいた協同行為として、このような手続きは行われている。単なる手続きだが、「市民」としての自由―自治・協同・平等で自由な参与という権利とそれに伴う責任ルールの上に行われている。「本人確認」をする場合でも、こうしたルールの上で行われている。これはとても重要な「民主主義」「市民的自由」「自治」の基礎である。これが覆されようとしている。私たちは資本主義社会の下での「民主主義」や「市民的自由」が階級支配と搾取、差別の隠れみのであることを承知しているが、これを破棄した監獄社会は大きな後退だ。決して大袈裟ではない、決定的な転換が起きるのである。
 マイナンバー制度では行政や資本が一方的に「本人確認」を強制することになる。本人であることがカードで証明されないと、行政手続きをはじめ、全ての手続きを拒否されるのだ。自治・自由という考え方もろとも拒否される。カードは「番号=本人確認」のために人体に埋め込まれるIDチップ同様のものだ。
 権力と資本の人民支配、強制管理のカードなのだ
 昨年七月から施行された、新たな入管体制で外国人は、これまでの自治体への「外国人登録」でなく、住民基本台帳に登録管理されることになった。そして外国人を法務省入管局が一括管理するために「在留カード」の導入と罰則の強化(住所変更などの届け出義務、放置すると在留資格取り消しや出国処分など)が行われた。カードには写真と住所や在留資格、そしてカード番号とICチップが付いている。法務省はICチップの埋め込みについて「偽造」を防ぐためと言うが、それだけではないだろう。
 この新たな入管制度において、在留カードは外国人支配の要とされている。いわゆるオーバーステイや、難民(日本は難民をほとんど認めない)はカードを持てない。在留カードには携帯提示義務がある。カードがなければ、就学などの住民サービスを受けられないし、逮捕の可能性もある。彼らを排除し、かつ、合法的なカード保持者も徹底管理するのが在留カードだ。
 マイナンバー制度により、日本国民全てがIDカードの提示を強制されると、在留カードも同じように広範囲で提示を求められる。保険やローンなどの契約や、通販での買い物などなどでも「IDカードに替わる在留カード」の提示が求められるようになる。排除と差別は強まる。
 区別し差別しながら、ふたつのカードはオンラインで一括管理されるようになる。
 マイナンバーとIDカード、そして在留カードは、権力と資本の人民支配、管理強制のカードなのだ。

  ▼A情報の集積と支配

 そして、このIDカードは「本人確認」だけでなく、カードそのものが、個人の行動を補足して情報を蓄積する重要なアイテムとなっている。カードからデータの履歴を容易に読むことができるからだ。そのデータは、さらにネットワークに繋げられる。
 現在でも電子マネーカードは履歴が記録され、いつどこに行ったか、何を買ったかが分かる。
 また、商店ではサービスカード、会員カードで顧客管理が行われている。カードでなくても、二度めの利用では電話番号を伝えただけで、名前や住所がすぐ出てくるサービスも多い。このようにネットショッピングはもちろんだが、対面販売でもチケット販売、家電店、宅配サービスなどで、各会社ごとにデータは蓄積されている。その会社の関連企業でデータを共有している企業もある。すでに、データはバラバラにではあるが蓄積されていて、我々個人の記憶をはるかに凌駕するデータが存在している。
 マイナンバー法は、このデータを統合し、公の統制の下に再編する。公安権力がある個人を監視しようと思えば、現在よりはるかに精密で膨大な情報を手にすることができる。いつ電車に乗りどこへ向かったか、途中何を買ったか。病院の診察結果はどうか、どんな薬を飲んでいるか。どんな保険に入っているか、ローンの返済はどうなっているのか? その個人の生活と行動は、すべてIDカードとマイナンバーであきらかになる。
 もちろん、マイナンバーを入力しただけで、この膨大な公私のデータがいっぺんに全部出てくるわけではない。データにさまざまな「ひも付け」(分類、タグ)がなされて、「符号を使用してそれを呼び出す」という。だれにでも「すべてが」露出するわけではないという。
 しかし、捜査機関や裁判所、国会や税務署「その他、公益上の必要」があれば情報はこれらの機関に提供される。公安警察の捜査は無制限になるのは容易だ。現在、法務省で行われている「新たな捜査手法の研究」では、盗聴などが立会人なしで捜査機関の自由にできるよう提案されている!
 公安警察は番号によって、すべての情報を簡単に一瞬のうちに手に入れられる。そして、逆に公安による「符号」をつけられた活動家、労働組合員などに対しては生活そのものの破壊が強行されるだろう。テロリスト、過激派、争議経験者などとされたリストをこうした機関では、引きだすことができる。「公益上の必要」という文言も、いくらでも拡大できる。要は、官民の権力を持ったものが一方的に情報を利用するということなのだ。
 思想と行動を監視し追跡し、必要に応じて矯正(拘束)する。大企業はデータを蓄積し、容易に消費(欲望の再生産)生活と生命をコントロールする。雇用を支配する。「自由」はないし、プライバシーは全くない。自己情報コントロールの権利など、もちろんない。
 都会ではすでに、あらゆるところに監視カメラが設置され人の行動が追跡できる。IDカードを読み取れば、さらに完璧だ。
 「安心できる番号制度」として、法案には情報保護も言われているが空しい。
 データの閲覧、コピー、目的外使用などが禁止され罰則が付くことになってはいるが、全く空しい約束だ。権力側の情報取得、操作はフリーだ。人民の側だけが情報の取得を規制される。
 さらに、コンピューターで管理された情報は、常に流出の危険にさらされているという根本的な問題がある。どんなブロックをかけても、技術的な追いかけっこがおこる。ハッカーによる破壊や加工は起こる。
 符号やデータ自体の流出や売買は繰り返される。いったん流出した情報は、コピーされ、保存され、加工される。
 また、合法的な(一部の)データ利用であっても企業によってさらにデータが付け加えられ、コピーされ、一人歩きもする。「データペルソナ」(データ上の本人とは異なる人格)が横行することにもなる。こうした情報の蓄積や加工が本人の知らないところで進み、ある時突然、契約(雇用、住宅や保険、買い物)が拒否されることも起こりえるのだ。
 現在は個人情報保護法があり、企業なども一応「お客様の個人情報は、○○以外には使用しません」というプライバシー保護の規範をかかげている。しかし、マイナンバー法は、個人情報保護の概念ごと完全に取っ払ってしまう。
 民主党案は番号など個人情報の提供を一応禁止していた。しかし、自公による修正は、個人情報利用の拡大、提供範囲の拡大、情報ネットの用途拡大を盛り込み、これにかかわる「規制」を今後三年で取り払うことを宣言している。さらに、カードを行政事務の「本人確認」として使う以外の活用も図ることを加えた。つまり、行政とは関係ない民間の事務や取り引きにも必要になるということだ。さらに、事業者に対して「この施策に協力すること」を盛り込んだ。要するに、民間の事業者も含めて住基ネットの時のような「離脱」や不使用を認めないという脅かしを付け加えたのである。
 こうして、民主党案のわずかな「規制」を骨抜きにした法案となった。
 このような凶悪な法案が、上程され審議されようとしているのだ。


  ●2章

 マイナンバー法は、国民を監視し、管理する反革命「治安」対策だけではない。生命を差別選別し、とことん搾取し、資本の奴隷にするシステムなのである。
 そもそもマイナンバー法の最初は、二〇〇四年経団連が「社会保障制度等の一体的改革に向けて」と言う提言を当時の自民党に出したことにはじまる。@社会保障に個人番号Aそれを納税者番号にも活用B国税局と社会保険庁を統合というものであった。この内容は民主党のマニフェストに入れられ、与野党共同の法案となり、また安倍自民党政権によって再提出されようとしている。基本的内容は経団連が提言したものと同じだ。
 その後、「消えた年金」問題の発生を追い風にして、民主党政権は「公正な社会保障制度」とそのための消費税増税というデマをキャンペーンした。
 その「税と社会保障の一体改革」の関連法としてマイナンバー法案は提出された。つまり、「社会保障の充実のために増税するけれど、マイナンバーを付ければ税制も公正になるし、社会保障も使いやすくなりますよ」と言うのだ。これは、大ウソだ。
 立法趣旨には、もっともらしい言葉で大きく六点がうたわれているが、少し詳しく見ると社会保障の充実どころか解体をもくろむものであることがわかる。莫大な予算をつぎ込んで行う真の意図は、「税はもれなくキッチリ徴収します。自立・自助・自己責任を本旨とし、福祉は最低限に絞ります。そのための管理ナンバーを」というものだ。

  ▼@きめ細やかな社会保障の実現?

 個人につけた番号で名寄せし、さまざまな社会保障―介護・医療・保育・教育・母子援助・生活保護などなどをどれだけ使っているか、迅速にあきらかにできる。そのことで、個人や世帯負担の上限額などがわかる。給付漏れや二重給付のミスが減るなどをあげている。
 たしかに、高額医療費などは現在、立て替えで後になって還付される。その場で清算される利便性はある。しかし、そんなものでしかない。また、マイナンバーでなくとも、このような「改革」は可能である。社会保障の充実というほどのことはない。
 むしろ、たくさん受けている人への給付削減のための情報管理なのである。「真に手を差し伸べるべき人への社会保障の充実」という文言が、意図丸出しである。つまり、「過剰な給付を抑制する」ためのナンバーなのだ。今年、生活保護受給者の人権を踏みにじった「不正受給」キャンペーンが行われた。その結果、受給者の医療費を制限する動きや、就労活動で受給に差をつけるなどの策動が始まった。医療費については、高齢者が医院をサロンにしているなどの悪口が以前から繰り返されてきた。通院や投薬も制限されることだろう。マイナンバー制度が始まれば、こうした動きがはっきりと強まるだろう。

 ▼A公平な税制?

 これも、サラリーマンの「われわれは、給料からきっちり徴収されるのに、自営業者は脱税している」という伝説化している不満を「改革」できるという。連合はこの理由でマイナンバーに賛成している。どういうことかと言うと、番号で取り引き先や銀行・保険などとのやりとりの情報をまとめることで「所得額の把握の精度」をあげ、納税額をチェックして追加徴税することができるというのだ。これも、まやかしだ。
 まず、本当に大きく脱税がまかり通っているのか? せいぜい「節税」ということだろう。税務署の「指導」もあれば、業界組合の「税務指導」もある。税務署はルーティンワークとして「摘発」もしている。そうたやすく、脱税できない。だから「公平な税制」というのは、最初から理由にならない。サラリーマンの不満は、資本家や法人税に向けられるべきものだ。法人税も含めて税収を再構築しない限り、消費税は増税され続けていく。
 さらに、果たして「所得把握の精度」がマイナンバーで上がるものなのか?これも、無理なのだ。大きな取り引き先や、銀行などは番号を記帳し合い証明するかもしれない。しかし、例えば、店で買い物をした客が、自分の番号をいちいち店に告げようか? そんなことは不可能で、店は販売先を証明できないので、所得を完全には証明できない。現金仕入れでやっている商人や行商なども、世の中には存在する。これはどうなるのか。また、海外との取り引きでは相手方に番号がないので、これもブラックボックスになる。
 総じて、番号制になっても、脱税する者は完全には無くならないし、零細な商売でも払える税を申告する納税者はいる。現在と変わらない。だから、「公平な税制は」番号制の理由には全くならないのだ。

  ▼B災害被災者の迅速な救出?

 これは東日本大震災の被害者に唾するものだ。災害の被害者に番号があれば、迅速に救済できるというのだ。たとえば、既往症や薬、家族の存在などが番号照会で直ちにわかるという。
 昨年の被害の実態を、そして救援活動を思い起こしてみれば、こんなことはこじつけでしかないことがわかる。大量の被災者に、何が必要かは現場が要求する。水や食料、毛布や照明、安否確認や情報などであるだろう。初期の救援は、とにかく全員に届くことが追求される。着の身着のままで被災した人に、いちいち個人番号を確かめ救援するのか? 番号が分からない人は後回しにするのか? ひとりひとりの医療やさまざまなケアは、次の段階でもちろん必要になるが、それが番号制だからできるものはごくごく一部だ。カルテが消失されるリスクと、番号が不明のリスクは、比べることはできない。従って「災害被災者の迅速な救出」は理由にならない。
 東日本大震災から二年になろうとする中、被害の回復への道はまだまだ始まったばかりで、悲しみも癒えない、将来も見えない被災者を利用するこの立案理由を弾劾する。

  ▼C自己の情報を自宅のパソコンから入手できる?

 これも、おかしな話だ。自分の属性をパソコンで教えてもらうのか? もっともこの番号制は過去を含めて膨大な情報をひとまとめにするので、自分でも全てを掌握できていない量が蓄積される。そういう意味なら、パソコンで大量の自分に関するデータを見ることができる。しかし、そんなことは余計なお世話だ。われわれは、いまでも必要と思う情報は取っておくし、メモもする。不必要な情報は廃棄している。ある人は、健康診断や薬の履歴を取っておくし、ある人は、以前からの銀行通帳を保管しておく。
 しかし、実は本人は全てを見ることができないのである。捜査機関や、国、税務署などのその個人に関わる情報は必要に応じでブロックされる。これらの機関は全てが見られて、本人は可も不可もない備忘録のような情報を取り出せるにすぎない。
 「自宅のパソコンから〜」という宣伝はまやかしだ。いろいろな制限の蔽いをかけるといっているが、将来(三年後?)制限を取り払うことが明記されているし、いずれにせよ、その蔽いを取り払ってすべてを見ることができる公的機関はかなりあるのである。また、私営企業は開示された情報に商売情報を付け加え、互いに交換し、膨大な顧客情報を作り上げることができる。こうして肥大化された情報を売り買いすることも当然、商売になる。
 情報流出は必ず起きる。いったん起きたらコピーされ付け加えられ、誰かが自分の知らないところで自分の情報全てを知ることができるのだ。
 「自己情報をパソコンで見ることができる」ことなど、全く理由にならない。それどころか、自分の知らないところで自分の情報が、多数やりとりされるようになるのだ。

  ▼D事務手続きの簡素化、経費節減?

 全国でアクセスできる番号で、遠隔地からの情報取得(例えば戸籍謄本など)などがただちにできるとうたう。たしかに、そういうケースは便利かもしれない。今は郵送なので時間と送料が必要だ。
 しかし、考えてみれば分かるように、この事務量は本当に僅かだ。人ひとりが一生のうち、この事務を必要とすることが何回あるのか? 人によっては一回も必要としない。何度も行う人は本当に少ない。むしろ、保険会社や調査会社などの事務量が多い。中には、調査会社が不正な手段で戸籍を大量に郵送させた「不正戸籍取得事件」などがある。本人の知らないところで、戸籍や住民票が見られていることの方が問題だ。
 自治体の証明書類発行など窓口業務も簡素化すると言ってもたいしたことない。今でも、IT化されていて番号でなくとも「住所、氏名」などでスムースに対応されている。したがって、経費削減もほんのわずかだ。むしろ、この番号化のシステム構築やメンテナンスに使われる莫大な金のほうが問題だ。富士通・NTT・東芝などがマイナンバー制度推進なのは言うまでもない。初期のシステム構築と始動にかかる金は三〜五千億円とも試算されている。その上のランニングコストもなんら提示されていない。
 そして、小さな自治体などは僅かな事務量なのにシステム導入やメンテナンスに大きな負担をしなければならなくなる。「住基ネット」の時、証明書発行業務の一件あたり単価が三万円以上にもなった自治体もあったのだ!
 さらに、自治を破壊するという問題が発生する。国家が番号で直接「国民」を掌握管理、自治体は単なる出先事務所になる。そのデータベースを基にさまざまな政策が出されるとしたら、自治体やその議会も不用になるのだ。

  ▼E医療・介護サービスの向上?

 どの病院でも、個人番号から既往症や薬の情報が取り出せる。カルテは電子化され、地域医療ネットワーク(大病院の専門医と小病院の役割分担システム)で的確に治療ができるとされる。診療券や介護保険の書類もいらない。
 さらには、データが膨大に蓄積されるので医療研究に役立つという。
 一見、良いように見える。カルテがあれば診断や治療の参考になるだろう。しかし、これもマイナンバーがなくても行われていることではないか。特殊な治療が必要な人や発作が起きる人は、常日頃からその対応策を身につけている。また、救急車で搬送されたとしても、医者は必ず必要な検査をしてから治療する。データだけで施術などしないし、できない。生身の人間の医療だから当然だ。的確な治療とは、データに従うことではない。
 医療や介護の現場では、それぞれの人の症状や環境に合う治療や介護が追求されている。医師や看護師、ケアマネージャーなどが本人や家族と話し合いながら、治療や介護を決めていく対応も進んだ。患者や高齢者、障害者の自己決定権を尊重する現場も増えてきた。医療介護現場では、インフォームドコンセント(患者への情報提供と患者の選択権)や「倫理」や「守秘義務」が求められる。
 「的確な治療」の名のもと、現場では使えない患者の情報を集積するのは「医療費抑制」と、製薬会社や一部学者にデータを供出するためでしかない。
 現在すでに、生活保護受給者の「医療費抑制」が方針化されている。今は、自治体の担当者が受給者を「指導」したり、医療機関に尋ねたりするやり方だが、データが共有化されれば「抑制」のための線引きが簡単になる。治療や薬は最低限なものに抑制されることがすでに決まった。最先端の薬品は使わず、ジェネリック薬品に限定するというのだ。生活保護受給者の健康と命は公然と差別される。
 医療者やケアマネージャーは、医療介護を予算額内で設定するのが仕事になる。今でも医者に行けない人や、一部負担が出来なくて介護保険を充分に使うことができない人がたくさんいる。一方で、金のある者には保険外の高額な最新の医療が提供される。政府は、これを「混合医療の推進」として進めようとしている。そうなれば、現在でも公的保険だけでカバーできない医療があるのに、保険医療は最低なものになっていく。国民年金と同じように、保険制度自体が崩れる可能性がある。
 介護も同じだ、高級な介護施設は介護保険外でいくらでも提供される。まさに、金次第だ。
 そもそも「一体改革」は、「このままでは将来の社会保障の財源が破綻する」と国民を恫喝し消費税大増税を労働者階級と零細業者に押し付けるものだ。法人税増税は「経済発展―国際競争力のため」を名目に、まったく手を付けない。さらに、増税分は必ず社会保障に使うどころか、マイナンバーによって、差別選別排除を行う。「改革」でもなんでもない。社会保障を切り捨てるためのシステムだ。
 社会保障制度と公的福祉制度の解体である。これらは本当に最低限のものに縮小し、あとは自己責任にゆだねる。そこで、福祉を商売にする資本はリスクを排除するために顧客情報、更新する情報と管理システムが欲しい。介護会社では、介護に手のかかる利用者かどうか、支払い能力はどうか、過去の病歴はどうかの情報を得て、利用者を差別選別する。そのためにマイナンバー制度が必要なのだ。


  ●3章 結論

 安倍政権は、金融緩和―インフレ誘導という借金による景気対策をうちだした。そして公共事業で雇用と消費の回復を図るという。労働者の生活の向上も、その後からついてくるとする。
 誰がこんな甘言を信用すると言うのか。借金とばら撒きによる無駄な公共事業という相も変らぬ無責任な「成長戦略」、そして大衆増税と企業・高額所得者優遇税制、福島を見捨てた資本のための復興は階級格差、地域間格差、世代間格差を広げるだけだ。
 派遣・契約・有期という不安定雇用で、将来設計ができない若年労働者がまん延している。未婚率が増え続け、子どもが生まれない。このままで、「消費の回復」などありえない。多少の雇用増加があっても、下請け派遣の労働者の一時しのぎにしかならない。景気対策の恩恵は大企業、グローバル資本がかすめ取っていく。安倍政権を歓迎した経団連は、賃上げ要求を拒否、さらに、「より柔軟で多様な雇用形態」を求めている。正社員を限りなく減らそうと言うのだ。
 マイナンバー法は、こうした不安定雇用の労働者の管理の徹底化の方策だ。労働者階級のひとりひとりを徹底した管理下に置き、その動向を追い、欲望や消費まで全生活をコントロールする。選別と排除を行う。
 こま切れのダブルワーク、トリプルワークで働く労働者からも、もれなくきっちり税金を取る。福祉の市場化−儲かる福祉産業の育成、社会保障費を抑制するため(無駄に医者や介護にかからないよう)に監視チェックする。そして、反抗し闘う労働者を選別して排除する牢獄社会をつくる。これがマイナンバー法だ。
 マイナンバー法の反労働者的意図を徹底的に暴露し、成立を阻止しよう。



 

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