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   新自由主義・再考(下―1)

   〜資本のための反革命的な社会改造運動
                             

                           


 ●第3章 日本の新自由主義@
 

 ハイエクやフリードマンが提唱した新自由主義は、一九八〇年代に米・レーガン、英・サッチャーなどの保守政治家の政策、そしてIMF・世界銀行などの国際機関を通じて資本主義世界に広がった。新自由主義は、レーガノミクス、サッチャリズム、マネタリズム、サプライサイドエコノミーその他の総称である。その合言葉は、階級妥協の解消であり、階級権力の再確立である。
 一九八〇年を前後して、新自由主義は資本主義のありようを規定する一つの新たな時代、新たな世界、新たな局面となった。新自由主義を採用しなければ、各国の資本家たちは世界的な規模での激しい競争で敗者となる。だから、この三十年あまりというもの、各国の支配者階級は新自由主義を導入し、自国の国家・社会を再編していくことに心を砕きつづけてきたのである。
 日本においても同様である。だがもちろん日本的な特質というものはある。日本における新自由主義はどのような特徴をもっているのか。われわれの強い関心を引くこの問題は、われわれが解明すべき一つの大きな課題である。以下この問題の一端について論じてみたい。(文中においては敬称を略した)

 ▼3章―1節 始期はいつ?

 「日本における新自由主義」をめぐってはいくつかの議論がある。議論点の一つは、新自由主義が日本で始まったのはいつなのかという問題である。二十一世紀が始まる二〇〇一年の小泉政権の成立をもって、日本で新自由主義は本格的に登場した。これは定説化・常識化している。しかし小泉政権は突然生まれてきたものではない。日本の新自由主義にも前史があり、その「始期」をめぐっては議論がある。
 共産党内・左派の学者グループを代表する渡辺治は、この問題について独特の見解を示している。この集団はいわゆる「渡辺グループ」と呼ばれており、渡辺治、後藤道夫、木下武男など日本共産党内の左派学者によって構成されている。かれらは一九九〇年代から一グループをなし、シリーズで刊行された『「講座」現代日本』(一九九六年〜九七年)によりながら「現代日本の帝国主義化」などのテーマについて独自の研究成果を発表してきた。その後、二〇〇一年から「新自由主義理念にもとづく国家・社会改造のトータルな現状把握。広範な運動と社会科学理論の新たな共同を追求する」ことを理念に掲げ、『ポリティーク』という雑誌を十二号(二〇〇六年)まで発行した。渡辺グループは日本共産党内部にありながら、党の公式見解とは異なる主張も大胆に行なうことで注目を集めてきた。青年層の貧困問題や非正規雇用労働者のユニオン運動などのもつ意義を重視し、それらに実践的にも関わってきた。
 『新自由主義』(D・ハーヴェイ・邦訳二〇〇七年)の監訳者である渡辺治は、「日本の新自由主義」というタイトルの比較的長い文章をこの本の付録として書いている。ここで渡辺は「日本の新自由主義への動きは、いつ始まったのか?」と問い、これについて次のように述べている。「日本でも一九八二年に『戦後政治の総決算』を呼号して中曽根政権が誕生した。この中曽根が行なった政治、とりわけ第二臨調の行政改革こそ、日本の新自由主義改革の始期ではなかったかという論点がある」。当初は渡辺もこうした考えに立っていた。だがその後、「中曽根政権の新自由主義は日本の新自由主義の始期ではなかった。せいぜいのところ、それは早熟的な新自由主義の試みであった」ととらえるようになった。その根拠としてまず渡辺があげるのは、中曽根政権が成立した八〇年代の日本では「新自由主義化の原動力となる資本蓄積の危機」が顕在化していなかったということである。八〇年代にはまだ日本は経済的繁栄を続けていたから、新自由主義を導入する必要はなかったと言うのである。
 だが、ある一国での「資本蓄積の危機」の発生を新自由主義化のただ一つの原因であるかのように扱うのは正当ではない。全体として戦後的な資本主義世界は一九七〇年代初期・中期をもって大きく変化し、米英を中心にして八〇年代から九〇年代にかけて世界の新自由主義化は急速に進んだ。他の国の支配階級はその流れに引き込まれるようにして国家・社会の再編を進めていくことを余儀なくされたという点にこそ注目すべきである。ハーヴェイ『新自由主義』の論点のまとめにおいて、新自由主義を「一個の世界体制、現代資本主義の一時代」としてとらえるべきだということは、渡辺じしんも認めていることである。
 実際、新自由主義を導入する契機は各国でさまざまであった。ロシアでは資本主義化の有力な手段として「ショック療法」と呼ばれた新自由主義政策が選択された。ソ連が崩壊する一九九一年を前後して、民営化・市場化などを軸にして急速に体制変換が進められた。チリではすでに一九七三年、アジェンデを打倒したピノチェト政権によって新自由主義政策が実施に移されている。これは「資本蓄積の危機」に対応した政策と言うよりも、米帝の援助を受けた反革命政権のネオコロニアリズム(新植民地主義)政策として導入されたものである。

 ▼3章―2節 始まりは中曽根政権

 日本の新自由主義の始期を中曽根政権の時代に求めることを拒む渡辺の見解には賛成できない。一九八二年から八七年にかけての中曽根政権の時代、中曽根が行なったとくに次の二つの政策がもった意義について渡辺は不当に軽視している。
 その一つは第二次臨時行政調査会が進めた「行政改革」(臨調・行革)攻撃の柱としてあった国鉄分割・民営化、国鉄労働者の大量首切り攻撃である。渡辺は「日本の新自由主義化は…労働運動への攻撃と階級権力の再確立という契機を含まなかった」と断言する。そして一九八八年のリクルート事件以降の「政治改革」(小選挙区制の導入へと至るそれ)こそ、「イギリスのサッチャー政権が一九八四年に敢行した炭鉱大合理化と閉鎖、炭鉱労働組合に対する攻撃、またレーガン政権が八一年に行なった全米航空管制官組合への攻撃に匹敵するものであった」と言う。日本の労働運動の果たした積極的役割を無視するかのような、筋違いな主張であると言わねばならない。サッチャー政権の炭鉱労組に対する攻撃、レーガン政権の航空管制官組合に対する攻撃に日本で「匹敵するもの」は、中曽根政権下で「国策」(国家的不当労働行為)として長期・大規模にくり広げられた国鉄労働運動解体攻撃であり、国鉄の分割・民営化であった。それは中曽根政権の総路線「戦後政治の総決算」「増税なき財政再建」の中心に位置するとともに、日本における新自由主義化の先鞭をつけるものであった。中曽根政権下の一九八五年に専売公社・電電公社は解体・民営化され、二年後の一九八七年には国鉄の分割・民営化が強行された。中曽根政権時代に三公社はすべて民営化され、その後の二〇〇五年の道路公団民営化、〇七年の郵政民営化など五現業民営化へとつづく流れが作られた。
 公的部門の民営化が新自由主義の基軸となる攻撃であることは言うまでもない。それは事実上、資本家による公共財産の略奪・私有化である。資本主義的所有関係の現実的なあり方を、資本主義の枠内で資本家寄りに改変するものである。中曽根政権下での「民間活力の導入」を掲げた大規模な民営化攻撃を見ながら、「中曽根政権の新自由主義は日本の新自由主義の始期ではなかった」などとどうして言えるのだろうか。国鉄労働運動への例を見ないすさまじい攻撃は、社会党・総評解体、労働運動の右翼再編、ひいては憲法改悪など戦後政治体制の再編をもくろんだ歴史的弾圧であるとともに、労働者人民の社会的抵抗を撃破して民営化(私有化)を強権的に推進していくという政治的目的をもった攻撃であった。
 もう一つ、渡辺がほとんど無視している中曽根政権の政策は、労働者派遣法の制定である。中曽根政権は一九八五年、労働者派遣法を制定し、翌八六年からこれを施行した。戦後の日本では、労働者派遣事業は職業安定法によって原則的に禁止されていた。派遣労働の合法化は、労働市場の流動化を促進し、市場に不安定で低賃金の労働者を大量に供給することを目的とするものであった。当初、「派遣は専門職だけに限定するべきである」として、派遣の対象は十三の「専門的」業務に限定されていた(とは言え必ずしも専門性の高い業務だけに限られていたわけではない)。その後の法改悪によって、対象業務の原則自由化や製造業への派遣解禁、派遣受け入れ期間の延長などが次々に認められてきた。派遣労働者数は登録者を入れると二〇一〇年度には二百七十一万人にのぼった(厚生労働省発表)。派遣法制定を契機にして、パート、アルバイト、嘱託、契約などを含む非正規雇用労働者は拡大し続けた。いまや非正規雇用率は38・2%に達している(二〇一三年総務省・就業構造基本調査)。全労働者の約四割が非正規雇用という状況である。
 労働市場の抜本的な再編が開始され、労働者の雇用環境が劇的に悪化するとともに、資本の側は大きな成果を手中にした。その突破口となったものこそ労働者派遣法制定であった。派遣法の制定は総資本が要請した新自由主義的な労働政策そのものであった。

 ▼3章―3節 「開発主義」

 渡辺によれば、日本の新自由主義化の本格的な始まりは「一九九〇年代中葉、細川政権まで待たねばなら」ず、それは「イギリス・アメリカに遅れること、十数年であった」。日本の新自由主義が米英に大幅に遅れた原因の一つとして渡辺は、戦後日本の支配体制は階級妥協を必要とせず、したがって福祉国家である必要もなかったことをあげる。そして、さしたる階級妥協も福祉国家も存在しなかった日本の国家・社会システムは、「開発主義」という特徴を持っていたと言う。「開発主義論」は同じ渡辺グループに属す後藤道夫の主張であり、渡辺はその内容を積極的に支持している。
 「開発主義」と聞けば、普通、第三世界の「開発独裁」を想起する。しかしそうではなく、それは戦後日本社会の特質を示す独特の概念であると言う。開発主義は「持続的経済成長を目的とした長期的な政府介入を含む資本主義体制」(『ポリティーク』五号)であると定義される。日本では、政府の財政支出はもっぱら大企業の高蓄積をうながすために行なわれ、これを通じて間接的に国民生活の維持・向上がはかられてきた、このため日本では直接に国民生活を支援する福祉国家ではなく、開発主義国家という独特の国家形態が生み出されたと言う。さらに渡辺は主張する。戦後日本のこの開発主義国家のもとで、労働組合は主要に企業別労働組合という形態をとっており、そのため労働者の要求は「企業の成長・繁栄と一体化」していた。資本の側の「労働者階級への譲歩は少なく、また非制度的な形ですんだ」「資本蓄積を規制する国家の介入は、福祉国家に比べて、抑制的であった」と。
 たしかにかつての日本には、「企業福祉」が社会福祉を代替していた面があった。スウェーデン、フランス、ドイツのような国々と比べると、日本では社会保障に対する政府支出の割合は相当低い。だが年金・医療・障害者福祉に充当される支出の対GDP比率は、イギリスやアメリカよりもやや高い(二〇〇三年)。日本を福祉国家と規定できるかどうかは相対的な問題であるが、たしかなことは戦後の日本社会にも福祉国家的政策は存在したということである。そこには階級間の闘争・階級闘争があり、資本家階級による労働者階級・人民への譲歩として、年金・医療・福祉・教育などの分野で一定の福祉国家的政策があった。日本の新自由主義化も、これらを人民から剥奪する攻撃としてあったのである。

 ▼3章―4節 新自由主義と新保守主義

 中曽根政権は新保守主義、小泉政権は新自由主義であったと渡辺はとらえているが、このような渡辺の図式主義的な把握のしかたにも違和感がある。むしろ両方の要素が、それぞれの政権には内包されていたと考えるべきではないか。
 先述の「日本の新自由主義」論文で渡辺は、新自由主義と新保守主義との関係について次のように書いている。「もともと、新保守主義についてはいろいろな捉え方があり、新自由主義とナショナリズムを合わせて、新保守主義と広く呼ぶ場合と、新自由主義と対比して区別して呼ぶ場合があった。筆者は早くから、新保守主義を新自由主義と区別して、開発や成長さらにはグローバリゼーションにより失われた家族や地域などの共同体の再建をめざすイデオロギーと運動と捉えていた」。ここで渡辺が言うように、「新保守主義を新自由主義と区別」することはもちろん間違いではない。だが、両者をまったく別のものであるかのように考えることはできない。
 たとえば渡辺は別のところで、小泉政権を受け継いで登場した第一次安倍政権(二〇〇六年〜二〇〇七年)の行きづまりの原因について、次のように語っている。「安倍首相は本来、新保守主義的で、新自由主義的な構造改革にはなじみのある政治家ではありません。ところが小泉純一郎前首相の後継者として、構造改革をやると言わなければ政権を取れなかったのです」「『新自由主義』と『新保守主義』の狭間で、立ち尽くしてしまったことが安倍首相の失敗の本質です」(二〇〇七年・日経ビジネスオンライン)。ここでもまた、新自由主義と新保守主義とが対立的にとらえられている。安倍が新自由主義に「なじみ」がないことよりも、むしろ「構造改革」をやらざるをえなかったことにこそ目を向けるべきなのである。新保守主義は「改革の痛みの手当て」であると渡辺は言う。新保守主義がそういう側面を持っていることはたしかだが、新自由主義が破たんしたら次には新保守主義が代わって出てくるというようなとらえ方はやはり一面的なのである。渡辺のように新自由主義と新保守主義の対立関係において政治や政権の特質を語ることは、一見分かりやすいが無理がある。
 経済における新自由主義は、政治における対外強硬策、国家主義・ナショナリズムと容易に結びつく。これが現実である。両者は親和的であり、新自由主義と新保守主義は切り離せない関係にある。
 最初に新自由主義を導入した中曽根政権は「不沈空母論」を唱えて、教育基本法見直し、靖国神社公式参拝、防衛費一パーセント枠の撤廃などを進めた。もともと中曽根政権はそういう右翼政権と見られていたから、これは矛盾なく分かりやすい。一方、本格的な新自由主義政権と言われた小泉政権の時代にも、国連平和維持活動(PKO)協力法制定、米英の対イラク武力行使決議案支持、有事法制関連三法制定、靖国神社公式参拝、自民党憲法調査会・改正憲法草案大綱の素案発表など、排外主義と戦争熱をあおるような出来事がつづいた。小泉の靖国神社公式参拝は計六回にのぼる。小泉政権は渡辺の言うような「新自由主義一点張り」の政権では決してなかった。また「戦後レジュームからの脱却」を掲げて登場した第一次安倍政権も、新保守主義と新自由主義と両面の性格を持っていた。新保守主義と見られた第一次安倍政権は、「労働ビッグバン」(労働市場の抜本的改革)を提唱して、新自由主義的なホワイトカラー・エグゼンプション(残業代ゼロ制度とも呼ばれる労働時間規制の除外制度)の導入などをいっきょに進めることをもくろんだ。新自由主義と新保守主義とが常に対立すると考えるのは間違いである。
 その後、二〇一二年末の第二次安倍政権の成立に際しては、渡辺はこれを「新自由主義と新保守主義の結合」と見る見解を明らかにした。こちらの規定のほうが日本における新自由主義のあり方をずっと良くとらえているように思える。
 中曽根政権下で始まった日本の新自由主義は、政権党の政策のうちに、ある時は前面化し(小泉政権)、ある時は表舞台からややしりぞきながら(民主党政権)、支配政党の諸政策を深いところで規定しつづけてきたのである。

 ▼3章―5節 『再構築』による批判

 渡辺らの言説のいくつかに対しては、広い意味では渡辺らと同じ陣営の内部からも批判が生み出されている。二〇一〇年に『新自由主義批判の再構築』(以下『再構築』)という本が発刊された。赤堀正成、岩佐卓也を編著者として、計六人の比較的若い研究者が論文を寄せている。『再構築』は、渡辺グループの「日本特殊性論」「開発主義論」などに対する批判を意図して出版されたものである。
 その序章には編著者らの問題意識を示す次のような文章がある。「日本における新自由主義批判……のなかには、方向性を著しく見誤ったものが少なからずみられる。日本の特殊性、ひいては日本における新自由主義の特殊性を重視するあまり、新自由主義の本質を見失ってしまっているように思われる」「新自由主義に対する批判の声が大きくなりつつある今日においてこそ、新自由主義批判にみられるさまざまな混乱を解きほぐし、本来あるべき新自由主義批判を再構築することが求められている」。この「方向性を著しく見誤った」代表的人物として取り上げられているのが渡辺グループの後藤道夫である。『再構築』の中心論文と目される「日本における新自由主義の性格規定について」(第六章・赤堀)では、後藤の主張の論点は次のように取り上げられている。「後藤氏の新自由主義論の大きな特徴は、日本の国家・社会システムを『開発主義』と規定し、これを日本の新自由主義の攻撃対象と捉えることにある」「これは氏のほとんどの著作でくり返し述べられているテーゼであり、その議論のなかでも枢要な位置を占める論点である」。そして、日本は欧米のような福祉国家ではなく開発主義であるという後藤のような理解に立てば、新自由主義は開発主義を解体するもので進歩性があるということを論理的には認めなければならなくなると赤堀は批判している。
 赤堀らが、日本の新自由主義の推進に際しては「労働運動に対する猛烈な弾圧」があったことを重視し、日本における新自由主義改革は「中曽根政権を嚆矢(注・こうし 物事の始まり)とする」としている点は正しい。
 ただし実際のところ、赤堀らは批判対象である渡辺グループとの理論的基盤を共有しているように思える。新自由主義に対して「新しい福祉国家」を対置するという基本的な前提においては、渡辺グループと同一である。渡辺グループへの批判が歯切れの悪さを感じさせる根拠はここにあるのではないだろうか。『再構築』の序章は言う。「本書の諸論文の中には、執筆者たちが大いにその理論的恩恵に浴した人々の議論をも批判の俎上に載せているものがある。このことは、だからといって、われわれがこの理論的恩恵を否定したり割り引いたりすることを意味しない。むしろその恩恵に応えるものだと思っている」「新自由主義改革を食い止め、新自由主義国家に代わる『新しい福祉国家』(あるいはそれ以上のもの)を構築する担い手が陶冶・形成されるのはただ、日本になお残されている福祉国家的諸制度と労働者の既得権とを防衛し、それを基盤にしてより平等で公正で民主的な制度と権利とを勝ち取っていく過程においてでしかない」。見るように赤堀らの主張は、それ自身は資本主義の民主主義的改良派としてのそれである。どのような社会像・国家像をもって新自由主義と対峙していくのかという肝心の部分では渡辺グループとの特別の分岐内容は示されてはいない。一方、渡辺らのそれは「福祉国家を再建し高度化する」「新福祉国家論」である。

 ▼3章―6節 「新福祉国家論」

 福祉国家はその成立の過程から見て、ある条件のもとで選択された資本主義の一つのあり方である。それは戦後の高度経済成長期とソ連などの存在を背景に、強力な労働運動に対する妥協として成立した国家独占資本主義の一形態である。@完全雇用A社会保障B所得再分配などのケインズ主義的政策によって国民統合をはかろうとする政策の体系を福祉国家と呼ぶとすれば、福祉国家は資本家階級にとっては階級妥協以外の何ものでもない。新自由主義は、低成長、ソ連崩壊、労働運動の力の低下を背景にして、この妥協を清算し、福祉国家的政策を解体するものとして登場した。
 ここにおいて労働者人民にとってまず問題となるのは、資本家階級が労働者人民から奪い取っていく社会的共有財を取りもどすたたかいである。非正規雇用の増大、社会保障制度の劣化、金持ち優遇税制の拡大などは資本家階級による略奪の結果であり、これに対する闘争は階級闘争の前進、労働者階級の階級形成にとって必要不可欠である。そしてこのような諸闘争の諸要求をまとめあげ体系づけていけば、それは「福祉国家の再建」と内容上、重なり合っていく。福祉国家論は頭から否定できないということである。
 だが問題はここからである。そもそも現在の状況のなかで福祉国家を再建可能なものとして考えられるのかどうか。ケインズ主義と福祉国家が行きづまったからこそ、新自由主義がその代案として登場してきたのではなかったか。いま福祉国家を再建する客観的条件は本当にあると言えるのか。これが指摘すべき第一の問題である。第二の問題は、福祉国家の再建が可能であったとしても、それは労働者階級の自己解放や階級そのものの廃絶という最大限綱領的要求と結びつくのか、結びつかないのかという問題である。「新福祉国家論」はいわば自己完結的であり、それが社会主義・共産主義へと至るステップとして位置づくかどうかは判然としない。後藤道夫・木下武男共著『なぜ富と貧困は広がるのか』(二〇〇八年)は、その第四章「私たちはどんな社会をめざすのか」において、これまで存在した福祉国家は一国主義的・階級協調的であり、他国の支配・抑圧にも協力的であったが、「新たな福祉国家」はそうした歴史を総括し、「世界規模での社会主義の実現の不可欠な前提」となるものだとしている。そして、「福祉国家と反グローバリズム連合の歴史が続き、南北格差を縮小したその先に、私たちは、階級対立と市場の暴力を廃絶した、世界規模の社会主義を展望することができるでしょう」と言う。ここでは資本家階級からの生産手段の収奪と資本家階級の反抗の抑圧という問題をぬきに、福祉国家の延長上に社会主義が展望されている。最大限綱領的要求をはるか前方に置き、資本主義に対する革命を抜きに問題が論じられており、「新福祉国家」は階級協調的な「旧福祉国家」とどう違うのかという基本的な疑問を抱かざるをえないのである。
 ところで『再構築』の出版に際して、『前衛』(日本共産党中央委員会出版局)は二〇一〇年十二月号に「時宜をえた出版である」とする短い書評を掲載した。名指しこそしていなものの、それは全文、渡辺グループ批判となっている。しかも全面否定的な批判である。渡辺グループは新自由主義と相性が良いとされており、「一面的事実認識と理念的論理展開、労働者・国民のたたかいの成果の側面」を「過小評価」し、「個人加盟ユニオンを絶対視」しているなどの度を越えた批判が行なわれている。これがどの程度、党全体の意向を反映するものであるかは分からない。だが、渡辺グループの主張に決して同調するなという恫喝的なメッセージだけは明快である。(注・参照)

              ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 経済における自由主義が、政治における自由主義と共存できたのはもはや過去のことである。現代の新自由主義は、政治の領域ではいわゆる「自由主義」(リベラリズム)とは別のものである。むしろ市場開放や貿易自由化、財政支出削減、民営化、規制緩和などの「経済的自由主義」をおし貫くために、その障害となる勢力の抵抗を強権的に押しつぶそうとするところに新自由主義の政治的な特徴があると言っても過言ではない。現代の新自由主義経済政策は、政治における反自由主義、国家主義や排外主義と固く結びついている。日本における新自由主義の導入と拡大、あるいはそのジグザグの歴史も、そのことを物語っている。新自由主義のもとで、およそ「自由主義」とは隔絶した国家・社会が生まれつつある。次回は現代日本の支配政権批判を取り上げ、新自由主義と対決する階級闘争の課題と可能性について問題にしてみたい。
                              (つづく)

(注)『前衛』二〇一〇年十二月号書評(「本棚」)の全文は以下のとおり。
「新自由主義」と、それを「新しい福祉国家」論を対抗軸として批判する一部の論者との「親和性」「共闘」については、つとに指摘されてきた。本書は、その親和性のよって来たるところを、これら論者の「企業社会」論と「開発主義」論を機軸に読み解き、その一面的事実認識と理念的論理展開、労働者・国民のたたかいの成果の側面の過小評価を鋭く批判し、実践的帰結の非現実性と危険性を指摘する。/労働組合組織論からいえば、この論は、既存の企業別労働組合を内部から変革する道を否定し、「周辺」労働者の個人加盟ユニオンを絶対視する観念的論議と結びつき、運動論からいえば、資本とのたたかいの回避と対政府(対官僚)闘争への一面化と結びつく。/時宜をえた出版である。(米)



 

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