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   自公独裁の継続に結果した第47回総選挙

    
無風選挙・戦後最低の投票率、そして沖縄の勝利
                         


 

 昨年十二月十四日に行なわれた第四十七回衆議院選挙は、それまでの政党勢力地図をほとんど変えることなく終わった。沖縄選挙区をのぞいて、風も吹かず、大きな盛り上がりもなかった。今回の選挙は自民党・安倍政権に終始主導権を握られて推移し、安倍政権の思惑どおり、自公独裁政権がそのまま継続するという形となった。議員の顔ぶれにも大差なく、当選した議員の前職の比率は85・5%と、戦後最高になったという。この選挙結果を最大限利用して安倍政権が、一連の反動政策をさらに強権的におし進めていくのは間違いない。安倍政権による「侵略戦争をする国づくり」、そして保守主義を内包する新自由主義攻撃が全面化する。これと対決し、日帝―安倍政権打倒をめざす闘争体制の構築を急がねばならない。

 ●1章安倍政権が「本土」で勢力維持、沖縄で全敗した選挙結果

 今回の選挙を総括的にふり返る前に、まず選挙結果について簡単におさえておこう。概要、次のようなものであった。
 投票率が戦後最低を記録したということを、最初に記しておかねばならない。今回の総選挙(小選挙区)の投票率は52・66%、記録に残る歴史的な低投票率であった。前回二〇一二年選挙においても投票率は戦後最低の59・32%となったのであるが、これに比べると、今回は7%ほども下回る。約半数の人々が投票に行かなかったということである。日本では若年層ほど低投票率となるという傾向があるが、これまでの選挙結果から類推すると、二十歳代の有権者の投票率はさらに低い30%台前半ではなかったかと思われる。例を見ない低投票率になったことについて悪天候の影響が云々されているが、その影響は多少あったかも知れない。そもそも雪の降る十二月という時期に選挙をやったこと自体が「非常識」であり、低投票率は「自民党の陰謀」だとする声もある。いずれにせよ、問題の本質は政治的・社会的問題であり、この点については後でふれる(ちなみに、参院選での投票率はすでに一九九五年に戦後最低となる44・52%を記録している)。
 沖縄の選挙結果については特にふれておかねばならない。「本土」の選挙区で自公が勝利するなか、これと対極的に沖縄の四つの小選挙区では自民党候補がすべて敗退した。このかんの「オール沖縄」での反戦・反基地闘争の高揚を反映し、辺野古新基地建設反対をかかげる候補が全員当選した。地元の沖縄タイムスは一面に「反辺野古 四氏当選」の大見出しを掲げた。もうこれ以上基地はいらない、沖縄のことは沖縄で決めるという沖縄人民の固い意思は、名護市長選・名護市議選・沖縄知事選に続き再度明確に示された。沖縄での勝利は、「本土」の労働者人民への叱咤激励である。一方、民意を踏みにじって落選した自民党候補は、しかし比例区で全員復活当選するという矛盾した事態となった。
 次に、各政党の議席獲得状況について見てみる。まず自民党である。自民党は二百九十一議席を得て、単独で衆院の過半数(二百三十八議席)を上回った。選挙前に「政治と金」の問題で追及され、閣僚を辞任した小渕優子、松島みどりも小選挙区で当選した。だが自民党の衆院勢力は、公示前二百九十五議席からは四議席減となった。また総得票数(小選挙区)は約二千五百四十六万票であり、これは民主党に大敗した二〇〇九年選挙時より少ない。
 自民党を政治的にも組織的にも支えてきた宗教政党・公明党は、公示前から四議席増やして三十五議席を獲得した。公明党は「平和と福祉の党」を標榜しているのだが、今回の選挙での独自の主張は消費税を上げる時には、「軽減税率を導入する」というものでしかなかった。公明の議席増は自民の議席減を埋める形になり、自公与党勢力は改選前と同数の三百二十六議席、衆院全議席(現在は四百七十五議席)の三分の二以上を占めることになった。与党は、改憲発議に必要な勢力を維持した。
 野党第一党である民主党は、今回七十三議席を獲得し、解散前から十一議席増やした。二〇一二年の総選挙で大敗し政権を明け渡した民主党は、かろうじて最大野党のポジションを確保した。だがブルジョア・マスコミからも「対立軸となる明確な政策を打ち出せなかった」(産経十二月十五日)「政権の代案示せず」(朝日十二月十五日)と指摘されたように、政党としての弱点は温存したままである。海江田・民主党代表が東京一区で敗れ、比例復活もできず落選したことは、この党の力の低下をまざまざと示した。
 「身を切る改革」などのスローガンを掲げた維新の党は、四十一議席を得て現有勢力を維持した。拠点である近畿選挙区では、小選挙区で十二議席から六議席減らしたものの、比例区では自民に次いで八議席を得た。維新の党は衆参合わせて五十二議席の勢力となり、公明党(五十五議席)に次ぐ第四党の位置につけている。だが、選挙前から党内の内紛が続いており、現在のまま議会政党として成長できるかどうかは疑問視されている。維新の党は排外主義ファシスト運動の受け皿となる議会政党であり、その動向には注意が必要である。
 維新の党と同じく「第三極」と言われた次世代の党は凋落した。十八議席減らし、衆院で二議席の勢力となった。政治的・思想的に自民党より復古主義的な極右・次世代の党は、選挙では「自主憲法制定」などを公約に掲げていたが、政界からの引退を表明した石原慎太郎などが相次いで落選した。有権者から見放され、政党としては消滅過程に入った。
 生活の党は二議席を獲得するにとどまった。解散前からは三議席減らした。代表の小沢一郎は岩手四区で当選した。
 日本共産党は議席を大幅に増やした。解散前の八議席から二十一議席へと勢力を拡大した。「衆議院選挙での躍進は一九九六年以来十八年ぶり」(12・15党常幹声明)と言う。「安倍政権の暴走ストップ」「自共対決」「一点共闘」などを打ち出して共産党は、安倍政権に批判的な人々の票の受け皿となったということである。
 社民党は二議席を確保して現有勢力を維持した。沖縄二区では、照屋寛徳候補が当選を果たした。社民党は衆参両院で五議席の勢力であり、今後、議会政党として存在できるか岐路に立たされている。
 今回の選挙では女性が百九十八人立候補し(全体の16・6%)、当選者は四十五人(全体の9・5%)であった。過去最多の〇九年選挙での五十四人より少なかった。

 ●2章 選挙結果をどう見るか

 選挙翌日の十二月十五日には、「自公勝利」「自公圧勝」などの大見出しが商業新聞の一面を飾った。政府広報紙とも言われる産経新聞などは、これに加えて「安倍長期政権へ」「憲法改正 『推進力』で突破を」と見出しに掲げた。右翼マスメディアは高揚気分で選挙結果を伝え、その期待するところをあからさまに示した。

 ▼2章―1節 「大儀なき解散・総選挙」論点はずした安倍政権

 今回の解散・総選挙には、およそ「大義」などというものは皆無であった。それは、現政権の信認を有権者に強引・性急に迫り、政権基盤を再建する以外には目的のない選挙であり、党利党略にもとづく「大義なき選挙」であった。反安倍の声の高まり、経済指標の低迷などで苦境に立たされつつあった安倍政権は、景気後退が明確になる前に消費増税を二〇一七年四月に先送りすると決め、国政選挙をする必要もないのに、その是非を問うとして解散・総選挙に打って出た。選挙後の一月十三日になって、政府は二〇一四年度の成長率見通しを発表した。GDPはマイナス〇・五%、〇九年度以来五年ぶりのマイナス成長であるという。こうした数字が選挙前に明らかになっていたら、選挙結果にも大きな影響を与えていたに違いない。
 またマスコミが、確たる根拠も示さず衆院解散は首相の「専権事項」であると宣伝し、きわめて恣意的な今回の解散を側面から援助したことも大きな問題であった。憲法には第七条と第六九条に衆議院の解散に関する規定があるが、今回の解散はいずれにも該当しない自分勝手なものだという批判が上がっている(『世界』二月号 片山論文・谷口論文参照)。
 当初、安倍は今回の選挙を「アベノミクス選挙」と命名して、経済政策の成果を宣伝することに重きを置いていた。経済は良くなった。株価が上がっただけでなく、企業業績も向上し、雇用も増えた、賃金も上がったと、論点を経済問題に絞り込もうとしたのである。だが、株高・円安で大企業は空前の利益を上げたが、雇用が増えたのは非正規雇用、賃金が上がったのは一部の大企業という実態が明らかになると、安倍はしだいに論点を移し、第二次安倍政権二年間全体の評価を有権者にしていただくという選挙戦略をとった。
 これに野党、とくに選挙の帰趨を決める位置にあった第二保守政党たる民主党はまったく有効な対応ができなかった。民主党はメインスローガンに「今こそ、流れを変える時」を掲げ、「アベノミクスからの転換」を打ち出した。だが、その「転換」の基軸となる内容は「厚く豊かな中間層を復活させる」というものにすぎなかった。民主党が強調した「格差の是正」の方針としてはまったく一面的で、間違ったものであった。格差問題の核心は貧困問題にある。貧困問題の解決を正面から主張して初めて「格差の是正」も語ることができるのだ。
 先制的に攻勢を仕掛けて選挙に臨んだ安倍政権に比べ、民主党の立ち遅れは明白であった。民主党は定数二百九十五議席の全小選挙区に、百七十八人の候補者しか立てることができなかった。また「野党共闘」と称して、路線の違うはずの維新の党などとの「候補一本化」も進めた。有権者に、「野合」と映ったのは当然である。

 ▼2章―2節 「無風選挙」対決できなかった民主党

 民主党は鳩山・菅・野田とつづいた政権体験を通じて、しだいに野党的性格を失い、自民党との違いを明確にできなくなっていた。争点がなかったのではない。経済政策から沖縄・辺野古新基地建設、原発再稼動、集団的自衛権行使、秘密保護法、消費増税、憲法改悪などをはじめ、明確な争点は多数存在していた。そうした課題をめぐって、大衆運動が議会の外で持続的にたたかわれてきた。大衆運動の意義を軽視し、自民党への対抗綱領を示せずに、「争点なき選挙」「無風選挙」にしたのは民主党である。二〇〇九年の総選挙においてはそうではなかった。民主党は人民の政治に対する不信や怒りをすくい取り、「国民の生活第一」「アジア重視」を掲げて自民を大敗に追い込み政権を奪うことができた。しかし、〇九年政権奪取当時、民主党が掲げた公約や政策、「日米地位協定の改定を提起、米軍再編には見直しの方向で臨む、沖縄普天間基地の国外・県外移設、後期高齢者医療制度廃止、障害者自立支援法廃止、製造業への派遣労働原則禁止、脱官僚依存」などはすべて棚上げされ、いまや跡形もなくなっている。人民の期待を裏切り続けることで民主党は、党勢も政治的影響力も大幅に低下させてきた。今回の選挙では民主党こそが、自民党の争点隠しを助け、自公の勝利を援助したのである。

 ▼2章―3節 まやかしの「自民圧勝」欺まん的な小選挙区制

 一方、自民党が「圧勝」したというのも、相当疑わしい。小選挙区での自民の得票率は48・1%であった。小選挙区では、たとえば自民党と共産党の二人しか立候補者がいなかったところもあり(全国で二十五選挙区)、小選挙区での自民党の得票率が高くなったのは当然である。本当のところは、政党への支持率が反映される比例区での得票率を見なければ分からない。自民党の比例区での得票率は約33%である。絶対得票率(投票を棄権した人も含む全有権者数と比べた得票の割合)で見れば、たった17%である。有権者の二割に満たない支持しか得られなかった政党が、全議席の六割以上を独占してしまうのが小選挙区制下での選挙である。
 そもそも小選挙区比例代表制は、大きな政府危機・政治危機を回避することを目的に、二つの保守政党の間で政権交代が可能になる選挙制度として導入されたものだ。それは、大政党に圧倒的に有利な選挙制度である。
 一選挙区につき一人しか議員を選出できない小選挙区制の選挙では、大きな規模の政党には議席を独占できる可能性が高くなる。対して小さな政党が小選挙区選挙で勝利するのはとても困難である。小政党の立候補者に投じられた票は死票となる可能性がきわめて高い。「小選挙区で落選した候補に投じられて議席に反映されなかった『死票』は二千五百四十万票で、全体の48%に達した」(日経十二月十五日)。有権者の全員が一票を投票する権利は持っていても、その半数の票は無意味な票、死票となる。これが小選挙区制のもとでの民主主義の現実である。
 一票の格差が憲法違反ということで問題視され、今回の選挙では衆院の議席数がこれまでの四百八十から五議席減の四百七十五となった。一票の格差も問題ではあるが、小選挙区制度こそが問題にされるべきである。小選挙区制の欺まん的性格はくり返し明白になっている。それは有権者の基本的権利を侵害するシステムである。たとえブルジョア議会制度のなかにおいても、より民意を反映しやすい制度がつくられるべきである。この選挙制度は撤廃されなければならない。資本主義に批判的な小政党でも議席を獲得できる比例中心の制度に切り替えられるべきである。

 ▼2章―4節 戦後最低の投票率

 低投票率はこの小選挙区比例代表制という選挙制度の導入と大いに関係がある。この制度が衆院選に導入された一九九六年から、投票率の低下は顕著に起こっている。この年、橋本政権下での総選挙での投票率は59・65%と戦後最低となる。それまで70%前後で推移していた総選挙での投票率は一気に10%ほど下落する。その後、〇五年の小泉政権下での郵政選挙、〇九年の政権交代選挙において再び投票率は70%近くまで持ち直すが、民主党の裏切りが明白となった一二年の選挙と、そして今回の一四年の選挙では戦後最低記録を更新した。この傾向が進めば、近い将来、総選挙の投票率が50%を割ることも十分ありうる。過半数割れであり、そうなれば現在の民主主義の「常識」から見れば、国政選挙としての正統性は危ういものとなる。ブルジョアジーには、あまり高い投票率は必要ではないが、それでも投票率の低さにも限度がある。小選挙区制は政治的安定よりも、ブルジョア政治への不満・不信をつくりだす装置になりうる。
 今回の選挙において戦後最低の投票率が記録されたのは、もちろん小選挙区制のせいだけではない。人為的に選挙争点があいまいにされ、政治的選択肢が非常に限られていたことが、その大きな原因である。
 今回、どのような人たちが、どのような理由で投票行為を放棄したのか。詳しいデータはいまだ明らかではない。このなかには、現状に満足している層も、批判的な層もともに存在しているだろう。政治的に無関心だとか、政治意識が低いと決め付けることはできない。ただ言えることは、投票所には行ったが支持政党がないいわゆる無党派層とは別に、政党に「組織化」されていない投票を棄権した層が膨大に存在しているということである。
 われわれは労働者人民の政治への参加の形態を、選挙での投票行為に限るべきではないと考える。政治参加、階級闘争への参加の主戦場は、職場・地域・街頭にある。議会選挙への参加はそこでの活動を補完するものである。低い投票率をただ危険な事象としてだけとらえたり、嘆いたりしてはならない。この膨大な無党派層や政党未組織層にいかに働きかけ、かれらへの影響力をいかに拡大していくかをこそ考えていかねばならない。

 ▼2章―5節 ブルジョアジー容認の二大保守政党制の「危機」

 このかんの国政選挙では、二つの保守政党である自民党と民主党が政権党の位置を争い、選挙結果は時計の振り子のような動きを示してきた。だが、一二年につづく今回の選挙結果を受けて、日本ではもはや二大政党制は成立しないとの見方が強まっている。たとえば不破哲三・日本共産党元議長の、選挙後の発言もその一つである。不破は、日本の二大政党制は「共産党の封じ込め」のために導入された政治装置であると見ており、日本では「二大政党制なんて絵に描いた餅」だと断言している(朝日十二月二十六日)。不破が言いたいのは、共産党の躍進によって保守二大政党制論は破産し、これからは「本当の自共対決の時代が始まりつつある」(同)ということである。自党中心主義的な、現実を直視しない狭い見方である。
 ブルジョアジーが構想したのは、危機の時代に備えて資本主義護持・帝国主義主要路線支持の点で政党内容に相違がなく、政権担当能力のある二つの保守政党を保持することであった。そのような二大保守政党論はもはや破たんしたのだろうか。自民党に代わってもう一つの保守政党が政権を取る時代は再びやってくることはないのだろうか。それは、一つには民主党じしんの主体的条件、第二保守政党としての奮闘いかんにかかっている。保守党であったとしても、また人民をふたたび裏切ることになったとしても、とりあえず党として野党性を回復していくことであり、これがなければ、民主党は再度の政党再編のなかに飲み込まれていく以外にない。しかしもちろん、決定的に必要な条件は自民党政治が行きづまることである。人民が自民党政治に怒りを強め、ここから広範に離反することである。〇九年総選挙の時のような事態が、形を変えて再現される可能性はある。その時には、民主党やその他の保守政党には、ブルジョアジーが容認する範囲で政権獲得のチャンスが訪れるのである。
 しばらくは自民一強体制が続く。そしてそのもとで、国会の総保守化状況は強まっていく。政治の変革を希求する労働者人民と議会の間の溝はいっそう拡大していくだろう。

 ●3章 階級的意図むき出しにする第三次安倍政権

 総選挙の結果を受けて十二月二十四日、安倍は再び首相に指名され、第三次安倍内閣が発足した。政治資金問題で追及を受ける可能性のあった防衛相が更迭されたほかは、閣僚の顔ぶれには何一つ変化がなかった。第三次安倍内閣は第二次内閣と同様、右翼的思想信条を共有する政治集団として再スタートした。
 選挙後ただちに安倍は、「選挙で約束したことは実行する」とペテン的に明言した。安倍は選挙ではあえて触れなかった政策も前面におし出して推進しようとしている。原発再稼働・戦争立法制定はもとより、改憲策動の狙いももはや包み隠すことをしない。
 安倍政権の階級的性格もさらにはっきりしてきている。この政権と財界との結びつきは、強まりつづけている。経団連の安倍政権支援の姿勢はこの上なく明確である。経団連は昨年九月、政治献金への「関与」を五年ぶりに再開し、各企業に自民党への政治献金の増額を呼びかけた。経団連のホームページは、アベノミクスや安倍政権の政策を賛美する言葉で満ちあふれている。今回の選挙が終わると、経団連会長・榊原は間髪おかずにコメントを発表した。「今回の選挙結果は、アベノミクスをはじめとする第二次安倍政権が掲げる政策の方向性と実績を国民が支持し、経済の好循環を通じ、日本経済を再生することへの期待を示すものであると思う」(十二月十五日)。でたらめな選挙総括ではあるが、自民・安倍への最大限の祝福である。今年に入ってからも経団連は、政府の新年度予算案に対する支持や、安倍「官製春闘」への協力表明などを相次いで行なっている。
 政治が形式的な独立性さえも失って、政権と財界ははなはだしく一体化している。安倍政権の外交・内政政策は、財界・独占の利益に直接つながるものだ。安倍政権は大ブルジョア、多国籍企業、帝国主義の代理人である。大企業・大ブルジョアジーには、円安・株高維持と法人税減税、労働者階級には労働法制の改悪、農民階級にはTPP推進と「農協改革」、そして全人民には福祉削減(医療・年金・介護……)と大衆収奪という攻撃が、階級的意図をむき出しにして激しくなってくる。これらはいずれも、安倍政権が掲げる「成長戦略」の中心政策であり、人民諸階層の抵抗を打ち砕くことなくして実行できない。安倍政権は「岩盤規制の改革」と称して、強権的な姿勢を強めている。

 ▼3章―1節 新自由主義・保守主義を突出させる安倍政権

 安倍・成長戦略の本質は新自由主義である。安倍は、新自由主義者として知られる米・レーガンや英・サッチャーを政治のモデルとしている。そもそも「アベノミクス」は、レーガン政権の経済政策「レーガノミクス」に由来する。レーガン政権は金持ち減税・規制撤廃・福祉削減・大軍拡などで「強いアメリカ」の復活を試みた。その結果もたらされたものは、「双子の赤字」と呼ばれる膨大な貿易赤字と財政赤字、国内経済格差のいっそうの拡大であった。また安倍は今回の選挙において、「この道しかない」というフレーズをくり返したが(自民党の選挙メインスローガンは「景気回復、この道しかない」)、それは「There is no alternative」(他に道はない)から来ている。イギリスのサッチャー首相が好んで使った言葉だ。サッチャー政権は炭鉱労組など強力な労働運動を押しつぶしながら、「揺りかごから墓場まで」と言われた福祉政策を解体し、公営企業の民営化を大規模に進めた。「この道しかない」は、サッチャー流・新自由主義へのリスペクトである。アベノミクスが何をもたらすのかは、レーガン、サッチャーが進めた新自由主義政策の帰結を見れば明らかである。
 新自由主義は、富裕層への富と権力の集中を進める。新自由主義の本当の目的はここにある。新自由主義は、労働者人民が長いたたかいを通じてかちとってきた、さまざまな社会的成果(福祉・年金・教育・税制から労働権・生存権にいたるまでの)を暴力的にはく奪する。社会的諸権利の破壊・さん奪は、中間層の縮小を招き、貧困と不平等の拡大をもたらし、格差社会と呼ばれる社会をつくり出していく。
 日本における貧困と格差の拡大はなお続いている。選挙後、総務省が発表した十一月の労働力調査によれば、非正規雇用労働者は二千十二万人(全体の38・0%)となった。統計を取りはじめた一九八四年以降で二千万人を超えるのは初めてという。また、これは選挙前の報道であるが、野村総研の調査によれば、金融資産を一億円以上持っている「富裕層世帯」は、二〇一三年に初めて百万世帯(全世帯の約2%)を超えたが、資産を持たない世帯も約三割にのぼる(朝日十一月二十八日)。ここに示したいずれの事例も、アベノミクスがもたらした弱肉強食社会の現実を反映するものだ。野村総研の発表で注目すべきは、二〇一一年までは富裕層世帯数は下降していたが、東日本大震災が起きた二〇一一年を底にして急上昇したという点である。経済恐慌や戦争、自然災害などで多くの人々が打ちひしがれている時期にこそ、富裕層はさらに富み、階級権力を強化していくということを示している。
 日本でこれほど経済格差が拡大し貧困が深まっているにもかかわらず、安倍や安倍自民党は「格差拡大を解消する」とか「貧困をなくす」とかは決して言わない。安倍や現在の自民党は、「経済政策は新自由主義でいく」という階級的信念に染まりきっている。
 安倍・成長戦略の本質は新自由主義にあるが、安倍はもう一つの顔を持っている。それは保守主義であり、政策的には軍拡・改憲・侵略戦争につながるものだ。新自由主義と保守主義の結合、これがこのかんの日本の保守政治のあり方を陰に陽に規定しつづけてきたイデオロギーであり政策である。中曽根政権以来すでに約三十年の歴史をもつこの日本的新自由主義の流れのなかに、安倍政権もまた位置している。だが、第三次安倍政権は、新自由主義においても保守主義においても突出することで、日本的新自由主義の新たな危険な段階を画していく可能性がある。

 ▼3章―2節 安倍右翼反動政権打倒に立ち上がろう

 選挙は乗り切ったが、遠からず「成長戦略」の破たんはあらわになる。「成長」は現代資本主義がもっとも不得意とする領域である。帝国主義(独占資本主義)の段階にある国ぐにでは、いずれも低成長・ゼロ成長の時代を迎えている。日本はその最先端を走っている。最初から実現できないことを安倍は約束しているのだ。たとえGDP成長率が少々伸びようとも、それは格差・貧困の拡大、社会の荒廃に跳ね返ってくる。階級矛盾は拡大し、階級闘争の新しい発展の条件も広がっていく。
 政権発足早々から、米帝の世界支配を直接に補完していくという安倍の外交政策の破たんも明らかになった。欧米帝による中東侵略戦争への荷担は、日本の「十字軍への参加」と批判され、一月二十日に始まる周知の事態を招いている。一刻も早く安倍の綱渡り外交、中東諸国人民への敵対政策をやめさせねばならない。
 安倍政権の「戦争をする国家づくり」、新自由主義政策との闘争はこれからが本番だ。左派の共闘を強めながら、われわれは安倍政権打倒闘争に全力で立ち上がる。
        (一月二十二日記)


 

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