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被爆二世解放委員会



 私たちは、「8・6広島青空式典から9・6『山口のヒロシマ・デー』へ! 連続行動実行委員会」の呼びかける8・6広島青空式典を断固支持する。米軍によって広島・長崎へ原子爆弾が投下されてから七十年の歳月が経とうとしているが、未だ被爆者問題と核廃絶の課題は、解決していない。しかし、私たちは決してあきらめない。
 歴史の節目ともいうべき現在、原爆投下後生き残った被爆者(一世)の多くが死去し、被爆二世の仲間も高齢化し中には志半ばに亡くなる方もいる。一人一人の人生に原爆の被害とそれに抵抗して生きてきた歴史があることを私たちは知っている。
 被爆二世解放委員会は、その一切を記憶し、歴史にとどめて継承していきたい。それが戦争も核兵器も原子力発電も許さない世界を作っていく大きな力になると考えるからだ。
 日帝―安倍政権は昨年の集団的自衛権の行使容認に続き、本年五月十四日戦争法案の閣議決定を強行した。私たちはこの戦争法案に強く抗議し、断固粉砕する。
 私たちは、他国の民衆とりわけアジアの人々と共同で作り出す平和運動こそ大切だと考えて実践して来た。こうした私たちの取り組みを妨害する日米両帝国主義の動きを決して許さない。平和憲法を活かして、二度と再び日本帝国主義のアジア侵略反革命戦争を許さない。
 この論文では、まず被爆二世運動の現在の地平と役割を、四つの柱として提案する。その上で、七十年経った現在も残されている被爆者問題の課題を紹介する。そして、私たちの仲間が実践した訪韓の意義と内容を確認したい。最後に改めて、被爆七十年の八月六日広島原爆ドーム前で行われる8・6広島青空式典と「戦争とヒバクを許さない写真展〜命を脅かすもの〜」に多くの仲間が立ち上がることを呼びかける。

  ●1章 被爆二世運動の四つの柱

 それでは、被爆二世運動の四つの柱について、その地平と役割を提起したい。
 第一に、私たちは、被爆者(二世・三世)差別と闘い、被爆者(二世・三世)が自らを肯定して安心して生きていける世界を求め続ける。
 既に、被爆一世の多くが亡くなり、被爆二世も五十代・六十代を迎え、被爆三世の多くは既に二十代・三十代となっている。
 被爆一世が総体として死去していく中で、被爆体験・戦争体験の記憶の記録と継承の課題は待ったなしの重要な取り組みになっている。合わせて、被爆二世を第五の被爆者(注)と日本政府に認めさせて、国家補償にもとづく被爆者援護法を被爆二世(三世)にも適用させていくことが急務の課題となっているのだ。
 今も被爆一世の多くが子どもに被爆者だと名乗れない状況がある。子どもや孫の結婚差別を恐れて言えなかったり、被爆二世や三世の健康不安を被爆者自らの責任(負い目)と感じて言えなかったりする。広島・長崎で原爆被害に遭ったのは、被爆者個人の責任では決してない。二度とこのような原爆被害を繰り返さないために、日本帝国主義のアジア・太平洋侵略戦争と米帝国主義の人体実験ともいえる非人道的な国際法違反の核兵器使用を断罪し、その責任を日米両帝国主義に取らせなければならない。
 そのためには、もっと多くの被爆二世が社会に「私も被爆二世だ!」と言える状況を作り出すことが必要だ。被爆二世の会は結成宣言で、次のような確信を提起している。
 「被爆二世に対し差別があるのは私たちが被爆二世であることが悪いのではなくて、被爆者差別をうみだしている社会にこそ問題があるということです。私たち被爆二世が社会に対して被爆二世として名乗りを上げてこそ、被爆者差別と闘う社会を実現できると考え、被爆二世の会を結成したのです」と。
 一九八八年に結成された全国被爆二世団体連絡協議会は、現在も韓国の被爆二世の会との連帯活動を行い、日本政府や放射線影響研究所への交渉を継続しながら、個人でも参加できる全国各地の被爆二世の会の組織化や交流の実現のために奮闘している。
 偏見や差別を持たずに、被爆二世が生き生きと活躍する姿を見て欲しいと取り組まれている被爆二世の写真家吉田敬三さんの「被爆二世の肖像」写真展を支持して、この取り組みを応援する。この写真展は被爆二世のネットワークが全国各地で広がる大きな力となっている。こうした地道な取り組みが、被爆二世の現実の姿を多くの人々に知らせて、ヒバク者差別も戦争も核の被害も無い世界を作る大きな力になると確信している。
 更に被爆二世として、自らの体験と合わせて被爆者の戦争体験・被爆体験・戦後の生き様の記憶を引継ぎ、記録に残して、語り部として後世に伝えていくことが重要だ。
 例えば山口市原爆被害者の会では、二〇一一年より若年被爆者と被爆二世が一緒になって始めた「若年被爆者が被爆体験を語り継ぐための学習会」が十五回を重ね、被爆体験の記憶が無い若年被爆者と被爆二世の学びの場となっている。また、石川県の被爆二世の会の取り組みに習い、被爆体験を語り継ぐ手段として、(一財)山口県原爆被爆者支援センターゆだ苑所有の山口県内の被爆者が描いた被爆体験絵画をデータ保存し、後世に活用できるように残していくための一歩を踏み出している。
 第二に、私たちは原発の再稼働を許さず、全ての原発を廃炉にし、新たな原発を作らせないために闘う。特に上関原発を建てさせないために中国電力に上関原発建設計画の白紙撤回を求める。
 私たちは、「核と人類は共存出来ない」ことを知っている。それは、被爆者である親の生き様をその傍らで見て育ち、原爆(核)の被害が死ぬまで続くことを実感しているからだ。また、自らの健康不安や身体的変調を通じて、原爆(核)被害が世代を越えて影響を及ぼす可能性を感じるからだ。原子力に平和利用などない。また原発はたとえ事故が無くても定期検査工事などで労働者が被曝する。大量の被曝労働者を必要とする原子力発電は絶対に無くさなくてはならない。
 二〇一一年三月に起きた東京電力福島第一原発事故は、四年を経過した現在も全く収束していない。多くの避難民を作り出したまま、原発事故の収束・廃炉に向けた作業や除染作業によって多くの労働者や住民が被曝を強いられている。現在、規定されている緊急作業時の被ばく限度百ミリシーベルトでさえも危険であるにも関わらず、日本政府はこれを二百五十ミリシーベルトにまで引き上げようとしている。絶対に許せない。私たちは、緊急時作業被ばく限度の引き上げの中止を求める。今、国がなすべき事は全ての原発の再稼働を中止して、福島第一原発の過酷事故を教訓として原発ゼロの世界を実現することだ。原子力発電を基幹エネルギーにすることなどもってのほかだ。即刻、その撤廃を求める。
 また、大量に放出された放射性物質によって、広範囲な地域で住民が低線量被曝を強制されている。放射線の人体への影響にしきい値はない。全国各地に散らばっている「自主避難」者を含めた全ての福島原発事故被災者に国の責任で健康手帳を交付し、健康診断の実施、医療給付、健康管理手当の支給を求める。福島原発事故被災者にも広島o長崎への原爆被爆者援護法と同一の援護が必要なのだ。特に、甲状腺機能の障害が明らかになった被災者には、住んでいる場所や年齢を問わず、国の責任で継続的な健康診断の実施と治療(医療補償)が必要である。今後も「ヒバク反対キャンペーン」をはじめとする原発被曝者の援護を求める取り組みに賛同しながら、補償を求めていく。
 上関原発を建てさせない闘いは、既に三十年以上続いている。特に二〇〇九年以降は海と陸で、身体を張った抗議行動が続いた。中心となったのは中国電力が上関原発を目論む田ノ浦の向かいにある祝島の島民たちだ。またシーカヤッカーの若い仲間たちや全国から集まった上関原発建設に反対する人々も加わった。3・11のフクシマの原発事故以降は、工事はストップしたままである。しかし、中国電力の苅田社長は本年六月二十五日に行われた電力九社の株主総会で「上関原発の開発はこれまで以上に重要な経営課題だ」と言い放ち、上関原発建設をあくまでも推進することを明言した。このような発言を絶対に許してはならない。
 私たちは、山口県が許可した田ノ浦の公有水面埋立免許の取消しを求めている二つの裁判を支持する。あわせてスナメリやカンムリウミスズメの住む奇跡の海を守り続けている上関の自然を守る会の運動を断固支持する。また、祝島・長島フィールドワークに参加し、祝島の自然の豊かさや生活の豊かさを多くの人々に知らせる。
 山口県では二〇一四年三月八日と二〇一五年三月二十一日に上関原発を建てさせない山口県民大集会が行われ、二〇一四年には七千人、二〇一五年には三千人が全国各地から集まった。同様の集会は全国各地で行われ、反原発・脱原発の声が多くの人々の間であたりまえになってきている。
 私たちは、原発の再稼働を許さず、全ての原発を廃炉にし、原発の輸出、増設・新設をさせないために全力を尽くす。上関原発を作らせないために中国電力に建設計画の白紙撤回を求める。
 第三に、私たちはいかなる国の核実験も許さず、世界中から核兵器を廃絶するために闘う。
 米帝国主義は、現在、第二次大戦中に米国が原爆を開発した「マンハッタン計画」関連施設を国立歴史公園にしようとしている。私たちは、これに断固抗議し反対する。それは、米帝が未だに一九四五年八月六日及び九日の広島・長崎への原爆使用を肯定し正当化しているからだ。私たちは、広島〜長崎への原爆使用が人道上許すことのできない戦争犯罪であることを米帝が認め、被爆者(二世・三世)に直接謝罪することを強く求める。そして、臨界前核実験やZマシンを使用した全ての核実験を止め、米帝こそが、自国の核兵器を全て廃絶して、核兵器廃絶の先頭に立つことを求める。
 また日帝は、日米安保条約にもとづく米帝の核抑止力に依拠することなく、憲法九条を守ることを強く求める。核保有を正当化する核抑止力という主張こそ欺瞞である。核兵器は決して平和を守るものではない。大国の核抑止力の下で核兵器保有国が増え続けてきた歴史の事実からも明白だ。日帝は武器輸出をすること無く、非核三原則を貫くべきだ。また、昨年ウィーンで開かれた第三回核兵器の人道的影響に関する国際会議において、第一回オスロ議長声明(核兵器の爆発時には「いかなる国家あるいは国際機関も対応できないほど悲惨な結果を招く」という到達点)を否定して、日帝―軍縮大使佐野利男は「悲観的過ぎる。少し前向きに見て欲しい」と発言し、核兵器の被害を過小評価して核兵器の使用を容認する発言をした。絶対に許すことはできない。被爆者や核兵器を禁止しようと集まった百五十カ国の民衆の動向にむしろ逆行している。日本政府は、広島・長崎という被爆地を持つ国として被爆の実相を世界に伝える先頭に立つべきだ。
 私たちは、世界中から核を廃絶するために、いかなる国の核実験も核兵器の製造・保有・使用も許さない。
 第四に、私たちは再び侵略戦争を繰り返さないためにアジア民衆に連帯して、集団的自衛権にもとづく戦争法案に強く反対する。また、新ガイドラインによる日米軍事同盟の再編に反対し、アジアから全ての米軍基地を撤去するために闘う。
 日帝―安倍政権は、昨年七月一日の集団的自衛権容認の閣議決定に続いて、本年五月一四日、集団的自衛権の行使を容認することや、武器や兵員の輸送など米軍等への支援を可能とする憲法違反の戦争法案(「平和安全法制整備法案」と「国際平和支援法案」の十一法案)を閣議決定して国会に提出した。私たちは、これに断固反対する。
 米軍は、米帝の利益を守るために存在しているのであり、米軍基地は米国の所有であり、治外法権となっている。安倍首相の言うように、「日本人を守るために米軍がいる」のでは断じてない。米兵犯罪の被害も戦後ずっと続いている。
 また、日帝―安倍自公政権は、主権在民、基本的人権の尊重、平和主義という憲法の三大原則を破壊しようとしている。
 七十年前の戦争の被害は被爆者の原爆症や被爆二世(三世)の継世代にわたる健康不安に見られるように、多くの非戦闘員が犠牲となり、その被害は今も続いている。決して、戦争を繰り返してはならない。
 また、今も米帝軍隊はイラクやアフガニスタン、パキスタンで無人機等を使って民衆を虐殺し続けている。米帝軍隊に肩入れすることは、戦争に自ら進んで参加するのと一緒だ。
 今こそ、アジアの民衆と七十七年前の侵略戦争の歴史認識を共有して二度と戦争をしないことを日帝に誓わせることが大切だ。私たちは、韓国の被爆者・二世と連帯して共に核兵器も戦争も無い世界を実現するために行動する。

  ●2章 残されている被爆者問題

  ▼2章―1節 現在の被爆者援護対策とは


 厚生労働省は、被爆者に対する一般疾病医療の給付の制度を設ける理由として、「原子爆弾による放射線を浴びたために、その影響で、(1)病気やけがにかかりやすいこと(2)病気やけがをしたとき、その病気やけがが 治りにくいこと(3)病気やけがをしたことによって認定疾病を誘発するおそれがあること等」をあげている。日本に住む被爆者は医療機関に被爆者健康手帳を提示すれば、ほとんどの医療費の自己負担分が免除される。手当としては、保健手当、健康管理手当、 医療特別手当、特別手当、原子爆弾小頭症手当、介護手当、家族介護手当があり、これらの手当を支給する理由として、「いずれも被爆者の中には、原子爆弾の傷害作用のため生活能力が劣っていたり、原爆に起因する病気やけがのために特別の出費を必要とする人が多いこと等にもとづき設けられた制度」としている。
 健康管理手当は、@造血機能障害を伴う疾病、A肝機能障害を伴う疾病、B細胞増殖機能障害を伴う疾病、C内分泌腺機能障害を伴う疾病、D脳血管障害を伴う疾病、E循環器機能障害を伴う疾病、F腎臓機能障害を伴う疾病、G水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病、H呼吸器機能障害を伴う疾病、I運動器機能障害を伴う疾病、J潰瘍による消化器機能障害を伴う疾病、にかかっている被爆者に支給される。現在、84・8%の被爆者が受給している。
 医療特別手当は、原子爆弾の傷害作用により現に治療を要するけがや病気の状態にあるという厚生労働大臣の認定をうけた被爆者であって、現在、認定をうけたケガや病気の状態が続いている被爆者に支給される。厚生労働大臣の認定が必要なことから原爆症認定制度と呼ばれることが多い。けがや病気が治れば特別手当に切り替わる。

  ▼2章―2節 在外被爆者へ被爆者援護法の完全適用を

 在外被爆者は「どこに住んでも被爆者」と日本に住む被爆者と同じ援護を求め闘っている。これまでいくつもの裁判を起こし、勝訴してきた。その度に日本政府は、負けた部分だけを改善してきた。その結果今では、日本外からの被爆者健康手帳の申請や健康管理手当の受給などができるようになった。しかし、今も医療費の助成には上限がついている。国は国内外で医療制度が異なるという理由で、在外被爆者の医療助成に上限をつけているのだ。韓国人被爆者が医療費の全額支給を求め大阪地裁に提訴し、地裁、高裁で勝訴した。しかし、在米被爆者が原告となった広島地裁や韓国人被爆者が原告となった長崎地裁では原告が敗訴している。
 こうした差別的な対応はあってはならない。在外被爆者による医療費をめぐる訴訟を支持し支援しよう。

  ▼2章―3節 原爆の人体への影響の過小評価を許さない

  ◆2章―3節―1項 原爆症の認定基準


 被爆者が「原爆症認定却下取消訴訟」に立ち上がった結果、国の却下処分を覆す判決が相次いだ(集団訴訟)。日本政府は二〇〇八年、〇九年に、三・五キロメートルで直接被爆した遠距離被爆者や原爆投下後百時間以内に爆心地から二キロメートルに入った入市被爆者も一定の病気になると認定するように一旦緩和した。しかし、時間が経つにつれ却下される件数が増えはじめた。そのため新たな裁判も起きている。二〇一三年十二月、政府は認定基準を改めたというが、被爆者が願ったものとはかけ離れている。現在被爆者は原爆症認定の抜本的解決を求めノーモア・ヒバクシャ訴訟に立ち上がっている。

  ◆2章―3節―2項 被爆地の拡大問題

 長崎原爆に遭いながら制度上は被爆者と認められていない「被爆体験者」が、国や県、長崎市に被爆者健康手帳の交付などを求めている。国が指定する長崎原爆の「被爆地域」は爆心地の南北約十二キロメートル、東西約七キロメートルとなっている。爆心地から十二キロメートル西側にいた場合、「被爆体験者」とされ被爆者健康手帳は受給できない。「被爆体験者」達は被爆者と認めて欲しいと裁判を起こしている。一九九一年に岡島俊三・長崎大名誉教授らが長崎市などの依頼で作成した「長崎原爆残留放射能プルトニウム調査報告書」は、原告がいた地域の最大被曝線量が二十五ミリシーベルト相当と推定している。二〇一二年六月、長崎地裁は第一陣原告団に対し敗訴という不当判決を下した。原告団は控訴し、現在、福岡高裁にて闘われている。また第二陣は長崎地裁で闘っている。

  ◆2章―3節―3項 「黒い雨」の拡大問題

 広島原爆の投下後に降った「黒い雨」について、日本政府が指定している区域外でも多くの人が「雨が降り、健康被害を受けた」と訴えている。広島県、広島市も区域を約六倍に拡大するよう要望した。しかし、厚生労働省は二〇一二年七月、拡大を見送り、支援事業で誤魔化そうとしている。
 この三点に貫かれているのは原爆被爆(放射線の人体への影響)の過小評価である。これは福島第一原発事故被害者にも繋がる問題であり、絶対に見過ごすことはできない。

  ◆2章―3節―4項 被爆二世(三世)の援護問題

 被爆二世とは、両親又はどちらかが被爆者で一九四六年六月一日(広島被爆)か六月四日(長崎被爆)以降に生まれた人のことを言う。一九九四年に成立した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の附帯決議に「五被爆者とその子及び孫に対する影響についての調査・研究及びその対策について十分配慮し、二世の健康診断については、継続して行なうとともに、その置かれている立場を理解して一層充実を図ること」とあるが、被爆二世に対し国が行っているのは年一回の健康診断(単年度措置)のみ。しかも各自治体にまかせているため、東京都では、条例によって医療費の自己負担分の援助やガン検診があるが、他の自治体によっては二世が健診を希望しても「予算の都合」という理由で健診ができなくなる場合がある。しかも、この健康診断には被爆二世の最大の不安要素であるガン検診は含まれていない。ましてや被爆三世については健康診断すら行っていない。
 現在、西日本を中心に各県に新たな被爆二世の会ができつつある。全国被爆二世団体連絡協議会や韓国被爆二世の会など様々な被爆二世の会と連携しながら被爆二世への被爆者援護法の適用を求めていこう。

  ●3章 韓国の被爆二世や平和団体との交流

 今年五月、被爆二世の仲間が韓国へ行き、韓国の反核団体や反戦団体と交流した。もっとも重要な取り組みは「原爆七十周年、被害者二世に聞く」と題し、釜山とソウルで開かれた座談会だ。それぞれの地に、韓国の被爆二世も加わり、親の被爆体験や被爆二世の体験を若者達に話した。韓国の被爆二世の体験は私たち日本の被爆二世のものより壮絶なものだ。様々な理由で日本に来ざるを得なかった上、被爆させられた。被爆後自力で母国に戻るも、日本に住んでいたこと、母国語が上手く話せないこと、被爆していることで差別をされる。その上、朝鮮戦争が起きる。そのような状況の中、子どもを産み育てた、韓国の被爆者たち。ある韓国の被爆二世は「お婆さんが『日本へ復讐する』と言っていた。私も復讐できると思っていた」と話された。その復讐心は日本の被爆者や被爆二世と会い、信頼関係を築く中で薄れていったと言う。安倍政権が戦争への道をひた走っている事への痛烈な批判もあった。その一方で、「報道にあるように日本でも安倍政権を批判するデモや集会が行われている。そういう人達と繋がれば平和を創り出せる」とも話された。
 韓国の女性の被爆二世は子どもの頃から病弱であったことや、結婚し生まれた子どもに障害があったことで、差別されたことを話された。夫や義母にも責められながら、自身の病気や子どもの障害を個人の責任と思い悩み、苦しんだ。ある被爆二世と出会い、それらは個人の責任ではなく、社会全体の問題であることを知り、生きていく力がわいたという。今も病気とつきあいながら被爆二世(三世)の援護を実現するために活動している。
 また送電塔撤去闘争を闘っている密陽(ミリャン)にも案内してもらった。密陽は標高の高い所にあり、自然豊かな場所だ。「韓国電力公社は新古里原発で発電した電気をソウルに送るため七百六十五キロボルトの送電線路を作ろうとしている。その為の送電塔を四つ建てようとしている。二〇〇五年に計画され、二〇一〇年から送電塔を建てるための工事を始めた。四ヵ所に団結小屋を作り、反対運動をしている。昨年六月、強制代執行された。こちらは少人数で、向こうは二百から三百人の若い警察官。力では太刀打ちできなかった。十二月に送電塔が建てられた。今は撤去運動をしている」と村の代表者が話してくれた。祝島でも高齢者が身体を張っていた。密陽でも高齢者が「子どもや孫に豊かな自然を残したい」と闘っている。その姿に打たれ、現場で一緒に闘おうと若者が集まっている。こうした反原発運動を闘う韓国の仲間と連帯していこう。
 また、山口にある被爆二世の会は六月、日韓被爆二世友好の植樹を行った。韓国の被爆二世が山口に来た時、山口にある原爆死没者之碑に案内した。その碑に朝鮮半島出身の被爆者も納骨されていることを知り、韓国の被爆二世より、韓国の国花であるムクゲを植えて欲しいと依頼されたからだ。植樹式には在日朝鮮人総聯合会山口支部の国際部長も参加された。韓国原爆被害者2世会からはメッセージが届いた。
 全国被爆二世団体連絡協議会は在外被爆者の裁判支援や韓国の被爆二世との交流を継続的に行っている。

  ●4章 8・6広島に結集しよう

 日本の被爆二世が被爆七十年(敗戦七十年)の節目の年に訪韓し、日韓の被爆二世と韓国の若者達が、戦争も核の被害も無い世界を作り出すことを話し合った意義は大きい。今一度、アジアの人々と共に侵略戦争の歴史的事実を共有し、二度と繰り返さないために力を尽くしていきたい。
 平和を築くのに武力はいらない。国境を越えた人と人との信頼関係こそが大事だ。
 被爆七十年、原爆ドーム前の8・6広島青空式典に集まれ!
 反戦・反核・反原発・被爆者(二世)に援護を求めている8・6広島青空式典は二〇一三年から韓国の若者と共同で行う日韓同時行動を実現している。昨年は韓国人だけでなくアメリカ人やカナダ人も参加した。また、「戦争とヒバクを許さない写真展〜命を脅かすもの〜」には多くの人が足を止めていた。
 今年も八月六日に広島の原爆ドーム前で行われる「青空式典」に参加しよう! 「戦争とヒバクを許さない写真展〜命を脅かすもの〜」を成功させよう!
 一人一人が戦争反対の声を上げることが今ほど重要な時はない。あらゆる差別を許さず、戦争も核の被害もない社会を共に作り出そう!

       ※ ※ ※ ※ ※

(注)「被爆者援護法」では被爆者を第一号:直接被爆者、第二号:入市被爆者(二週間以内)、第三号:死体の処理及び救護に当たった者等(原爆が投下された際、又はその後身体に原爆放射能の影響を受けるような事情の下にあった者)、第四号:胎内被爆者(前三号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者)、の四つに分類している。この分類の中に被爆二世は含まれていない。
 全国被爆二世団体連絡協議会は、被爆二世は直接の被爆者ではないが、原爆の影響を受けている点では被爆者であり、「第五の被爆者」と自らを定義している。

 

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