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   新段階の日米軍事同盟を打ち破れ

   日帝の参戦阻止―安倍政権打倒!
   



 安倍右翼反動政権は本年七月の衆議院、そして、九月十九日の参議院において戦争法制十一法案を強行採決し、憲法を破壊する戦争法制を成立させた。これまでの有事法制制定時とは比較にならない規模で労働者・市民・学生が、この歴史的暴挙に対する反対闘争に立ち上がった。
 当然だ。多くの人民の目の前で、安倍政権がなしたことは、あまりにも常軌を逸していたからだ。安倍政権が成立を強行した十一法案は、集団的自衛権を「合法化」しようとするものであった。この法案の適用とは、日米軍事同盟を「根拠」にして侵略反革命戦争に日本が能動的に参戦していくことを意味する。それは決して憲法学者の論議の中だけにあったのではない。安倍が日本人民を侵略反革命戦争に動員していく意図をもって強権政治を発動していることを、膨大な労働者人民が捉え、感じ取っていたのだ。
 安倍政権が強行可決した戦争法制は、四月に日米担当閣僚間の合意のみで改定した日米防衛協力の指針(日米ガイドライン、以下「一五年ガイドライン」)と一体のものである。この戦争法制によって、日米共同作戦策定をはじめとして一五年ガイドラインに基づく新段階の日米軍事同盟が作動することになる。本稿においては、この軍事同盟の画歴史的強化に貫かれている意図を徹底批判していく。

 ●第1章 戦争法制成立と日米同盟の新段階

 ▼1章―1節 違憲違法な戦争法制

 安倍政権が成立を強行した戦争法制は、新法「国際平和支援法」と、武力攻撃事態法改悪、周辺事態法改悪=重要影響事態法など十の法改悪である。安倍政権は昨年七月の集団的自衛権「合憲」閣議決定以降、これを立法化することを至上課題とし、この十一の戦争法攻撃を強行してきた。とくに、この立法の要となっているのは、武力攻撃事態法の中に「存立危機事態」「存立危機武力攻撃」なる概念を持ち込んだことであり、「周辺事態」を「重要影響事態」へと転換したことである。そして、新設の「国際平和支援法」によって、武力攻撃事態や存立危機事態、重要影響事態ではなくても「国際社会の平和及び安全を脅かす事態」に対して「諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等」を行なう、つまり、恒常的な派兵を可能としたのである。
 武力攻撃事態(日本への攻撃)と、「存立危機事態」を同等に扱い、「武力の行使」をもって対処する、つまり戦争を行なうとしている。
 周辺事態法において周辺事態とは「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」と定義されていた。この条文から「我が国周辺の地域における」を削除し、「重要影響事態」の定義としてしまった。
 周辺事態法の成立過程でも「周辺事態」は「地理的概念ではなく、事態の性質に着目したもの」なる答弁がなされて問題になったのであるが、それでも「中東やインド洋で生起することは現実の問題として想定されない」と説明され、地理的限界があるとされていた。しかし、今回の「重要影響事態法」では、意図的に「周辺」を削除したのであり、この法に基づいて自衛隊が展開する地理的範囲は無制限になった。世界中どこでも、軍事同盟に基づいて後方支援活動、捜索救助活動、船舶検査活動をなすということなのだ。
 安倍政権は、戦争法制をもって「合法化」した集団的自衛権は限定的容認だから現憲法と矛盾しないかのごとき主張を行なってきた。
 安倍政権が「限定的」という新三要件なるものは「@我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、Aこれを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、B必要最小限度の実力を行使すること」である。
 安倍自身がこの新三要件をもって、戦争法の適用を厳しく限定しているのだと国会では繰り返し答弁してきた。しかし、この抽象的な文言が「限定的」であるという答弁はだれにも理解できない。日本に対する武力攻撃や武力攻撃切迫事態とは別に、日本の「存立を脅かす」とはいかなることなのか。それは日本に対する直接の「武力攻撃」とは別に定義されているのだから、決して軍事的攻撃やそのおそれではない。政治的に判断されるものでしかない。「存立危機」なる判断は、その時の政府の裁量による政治判断でしかないのだ。何の「限定」にもならない。
 Aの「存立を全う」「他に適当な手段」ということも抽象的で政治的恣意的判断でいかにも変容する。
 Bの「必要最小限度の実力」も、政治的にいくらでも拡大されるだろう。
 武力攻撃事態法第三条では「武力の行使は、事態に応じ合理的に必要と判断される限度においてなされなければならない」とされているが、一方で同法第四条の(国の義務)では「組織および機能の全てを挙げて、武力攻撃事態等及び存立危機事態に対処するとともに、国全体として万全の措置が講じられるようにする」としている。一旦集団的自衛権を行使すれば、総力戦で戦うという意味だ。
 「存立を全う」するために、他国の領土・領海に入り、軍事行動をとることも、「他に適当な手段」がなかったという論理で正当化されることになる。こんなことは防衛戦争ではない。日本帝国主義がかつて行なってきた侵略戦争を彷彿とさせる主張の復活である。
 安倍、高村は、この集団的自衛権の「合憲」化の「根拠」は一九五九年の砂川事件最高裁判決だと主張した。これに関しては、すでに『戦旗』第一四六五号で批判しているので繰り返さないが、この最高裁判決が集団的自衛権を対象として論じているものではなく、この集団的自衛権「合憲」の「根拠」とするのは論理的に的外れである。かつ、砂川事件最高裁判決は、一審無罪の伊達判決に危機感をあらわにした米帝の圧力の下に最高裁へ跳躍上告して逆転した政治的判決なのである。それを憲法論議の「根拠」にするということ自体が許されざることである。
 集団的自衛権「合憲」という安倍政権の論拠自体が、今通常国会の期間を通じて、つまり戦争法案反対闘争を通して、音を立てて崩れ去った。保守政治家や改憲論者においてさえ、この安倍政権の政治手法自体が、手続き的に違憲違法であるとして、反対する立場をとる者が現れた。憲法を改定する手続きをとらずに、集団的自衛権を「法制化」することはできないという、彼らからすれば至極当然の論理である。
 このような批判まで生まれてきたのは、安倍の論理の拙劣さゆえである。それゆえに、安倍は強権発動をもって、この戦争政治を貫徹する以外に選択肢がなかったのだ。

 ▼1章―2節 日米安保条約そのものを乗り越える戦争法制

 後述するように、戦争法制は四月に日米の外務・防衛閣僚が改定内容を合意した一五年ガイドラインは、日米安全保障条約の枠を乗り越える内容になっている。一五年ガイドラインに基づいて策定された戦争法制は集団的自衛権「合憲」化を本旨とし、その想定する戦争の内容と範囲は、日本国憲法のみならず、日米安保条約をも大きく越え出てしまっているのである。
 日米安保条約は、日本という領域において、日米いずれかに対する武力攻撃があった場合に共同対処すること(第五条)と、日本と極東という限定された範囲の「平和と安全」ために米国の陸軍、海軍、空軍が日本の「施設および区域」を使用すること(第六条)を定めている(注)。
 われわれはこの日米安保とたたかってきたのであり、この条文の内容自体を認めることは絶対にできないが、戦争法制と一五年ガイドラインは、この日米安保の規定をも大きく越え出てしまったのである。
 安保条約は、日本が集団的自衛権を行使することを認めてはいない。米帝から見れば、六〇年安保改定当時、米軍が日本に駐留し続けるための条約としてあったのであり、同時に、第二次世界大戦までの日本のアジア侵略のような対外侵出を軍事的に封じ込めておくことも当然のことながら企図していたのである。
 一五年ガイドラインと戦争法制は、その法に基づく軍事行動が、地理的範囲において日米安保の規定を明確に乗り越えており、自衛隊と米軍がなす軍事行動はこれまでの日米安保が想定していた軍事作戦とは異なるものになっている。違憲立法をもって安倍がなしたことは、世界中で戦争が行なえる軍事同盟を担うものであり、日米安保条約の実質的な改定である。国会報告も国会承認もなさずに、日米同盟を大きく改編してしまったのだ。

 ●第2章 日米ガイドラインを実効化する戦争法制

 ▼2章―1節 日米安保の実質的改定としての日米ガイドライン


 すでに述べてきているように、戦争法制十一法は、四月二十七日に日米担当閣僚間で合意された新たな日米ガイドラインに基づいて策定され、九月十九日に強行可決された。日帝―安倍政権はこの戦争法制によって、日米軍事同盟の画歴史的な強化を目指している。
 われわれは、日米軍事同盟そのものを捉え直し、この戦争法制の意味を直視していかなくてはならないだろう。
 第二次帝国主義間戦争での敗戦帝国主義―日帝は、朝鮮戦争での特需を大きな根拠として経済復興をなすとともに、朝鮮戦争での米軍の輸送、掃海を担い、五一年米帝との単独講和、日米安保条約調印という形で帝国主義としての復活の手がかりをつかんだ(発効は翌五二年四月二十八日)。天皇ヒロヒトが沖縄を売り渡したことを引き継いで、サンフランシスコ講和条約をもって沖縄を切り捨て、米軍駐留を受け入れて、日本は新たな軍備に踏み出した。
 六〇年の安保闘争に追い詰められながら、岸は日米安保改定を強行した。ベトナム戦争時には、「極東条項」が公然と破られて、在日米軍基地はベトナムへの出撃基地となった。日帝は、米軍の兵站基地となることで、侵略反革命戦争を担ったのである。七五年、ベトナム人民が民族解放革命戦争に勝利し、米軍が敗退した。七〇年代後半、東アジアにおける侵略反革命戦争の新たな焦点となったのは朝鮮半島であった。
 六〇年に日米安全保障協議委員会(2+2)が設置されていたが、七五年の日米首脳会談(三木、フォード)で、さらに日米防衛協力小委員会設置が合意された。制服組も入ったこの小委員会が2+2の付託を受けて、七八年十一月にまとめたのが「日米防衛協力の指針(以下「七八年ガイドライン」)であった。冷戦下の七八年において、防衛庁と米軍の軍事的な前提は「対ソ連」であった。しかし、この時に改めて日米軍事同盟の内容を具体化するガイドラインに着手したことの意図は、その具体的戦場が「ベトナムの次は朝鮮半島」ということにあったからだった。
 七八年ガイドラインは、「T侵略を未然に防止するための態勢」と「U日本に対する武力攻撃に際しての対処行動」「V日本以外の極東における事態で日本の安全に重要な影響を与える場合の日米間の協力」という構成になっていた。
 この位置付けの下、日米間で「共同作戦の研究」が進められ、「共同演習」「共同訓練」が平時の軍事協力として実施されていったのだ。一方で、日本国内では、有事法制、有事体制ということが公然と政治課題として語られ、有事研究が本格化していった。「極東有事」「シーレーン防衛」ということをもって、侵略反革命戦争準備に着手していったのだ。
 八九年から九一年にかけてのソ連邦・東欧圏のスターリン主義政権の崩壊によって、冷戦に対応した欧州・東アジアの軍事同盟の根拠は大きく揺らいだ。日本においては九三年に登場した細川政権が日米安保を相対化し、「ASEAN地域フォーラム」などの東アジアにおける多国間の枠組みを選択しようとした。東アジアにおける軍事情勢の変化に対して、米帝は軍事的重圧をもって九四年朝鮮戦争危機を作り出した。これは、朝鮮民主主義人民共和国(以下、「共和国」)、中国に対する重圧であると同時に、日本に対して軍事同盟関係の位置付けを問い直すものでもあった。
 日米首脳は九六年四月、新基地建設を隠蔽した「普天間基地返還」の一大ペテンとともに「日米安保共同宣言」を発表した。この宣言は、九五年米兵による少女暴行事件に抗議する沖縄人民の怒りをそらすためでもあった。日米安全保障協議委員会はこれに基づいて翌九七年九月、日米ガイドラインの改定に合意し、新ガイドライン(以下、「九七年ガイドライン」)を発表した。
 九七年ガイドラインは、新たな朝鮮戦争を想定し、米軍の軍事作戦に連動して自衛隊がこれを支援する、また、日本への直接攻撃を想定し自衛隊が能動的に戦争を行なう、そして、この戦争に国内労働者人民を総動員する、ことが具体的に取り決められている。そして、日帝は数年かけて法整備―戦争体制整備を進めてきた。九九年に周辺事態法、二〇〇三年に武力攻撃事態法、〇四年に国民保護法の成立を強行してきた。
 「日米安保共同宣言」、九七年ガイドラインも「新安保」と表現されていたのであり、日本が参戦していく立法へと突き進んだということとともに、条約改定なき日米安保条約の改定攻撃としてあった。

 ▼2章―2節 一五年ガイドラインと戦争法制

 本年四月二十七日のガイドライン改定は、七八年、九七年のガイドラインと較べても全く次元の異なる内容で合意されたものであった。その後に国会で強行可決された戦争法成立を前提にして組み立てられた日米軍事同盟の共同作戦遂行の指針なのである。一五年ガイドライン冒頭の「基本的な前提及び考え方」にはわざわざ「日本及び米国により行なわれる全ての行動及び活動は、おのおのの憲法及びその時々において適用のある国内法令並びに国家安全保障政策の基本的方針に従って行なわれる」なる但し書きがある。しかし、一五年ガイドラインそのものが本年の違憲立法を強制する前提となったことは事実である。
 一五年ガイドラインは日米共同の軍事行動―軍事作戦に関して、次の五類型を確認している。A 平時からの協力措置、B 日本の平和及び安全に対して発生する脅威への対処、C 日本への武力攻撃への対処行動、D 日本以外の国に対する武力攻撃への対処行動、E 日本における大規模災害への対処行動、である。
 Aに基づいて、自衛隊と米軍の共同訓練、共同演習が位置づけられる。「警戒監視」「偵察」や「海洋秩序を維持するための措置」もここに含まれ、「グレーゾーン事態」と表現されてきた武力攻撃にまで至らない事態に対して、共同で軍事行動をとる根拠となる。
 Bは九七年ガイドラインで周辺事態法の根拠となった内容を引き継いでいるが、「周辺」という限定を取り払い、改めて「重要影響事態法」の根拠がここで確認されている。
 Cは、武力攻撃事態法に合致する内容であるが、それに続くDでは集団的自衛権を明示する「存立危機事態」の内容が新たに確認されている。日本の戦争法としては、CとDを合わせた内容が、つまり、個別的自衛権と集団的自衛権とが一体化されて改悪武力攻撃事態法として立法されたのである。
 九七年ガイドラインにおいても、武力攻撃事態に対しては、自衛隊が「主体的に行動し」、米軍が自衛隊を支援し補完する旨が確認されていた。一五年ガイドラインでも、武力攻撃事態に対しては、自衛隊は「防衛作戦を主体的に実施」し、米軍は自衛隊を「支援し補完する」としている。
 しかも、戦争の内容に関して、「日米両政府は、日本を防衛するためには国力の全ての手段が必要となることを認識し、同盟調整メカニズムを通じて行動を調整するため、おのおのの指揮系統を活用しつつ、おのおの政府一体となっての取り組みを進める」と記しており、総力戦として国内総動員態勢をとる意図を確認しているのである。
 Dで規定している「存立危機事態」に関して、自衛隊・米軍のいずれもが「柔軟かつ適時に後方支援を相互に行なう」としている。米軍が主体の戦争を自衛隊が後方支援するということだけを想定しているのではない。「相互に」ということは、自衛隊が主体的に戦争を行ない米軍が後方支援することも想定している、ということなのだ。
 一五年ガイドライン―戦争法体系の中に、「アセットの防護」なる概念が持ち込まれた。外務省はアセットを「装備品」と訳しているが、アセットとは日米の兵器全てに該当する概念である。米空母が攻撃された場合、「アセットを相互に防護する」ことを根拠として自衛隊が来援するということである。しかも、この「アセットの防護」は戦時のことだけではない。「A 平時からの協力措置」においても明記されている。つまり、共同演習中に、米軍艦船などが第三国と接触するなどの事態が発生した場合にも、自衛隊は「アセットの防護」を根拠として軍事行動を発動しうるということである。
 九七年ガイドラインでは「周辺事態」において自衛隊のとる行動を「後方地域支援」としていたが、「重要影響事態」において、これはすべて「後方支援」に書き換えられた。「非戦闘地域」での支援という規定を取り払って、自衛隊があらゆる場所で米軍と共同作戦をとるということである。
 日帝―安倍政権は、一五年ガイドラインと戦争法制をもって、「重要影響事態」「武力攻撃事態」「存立危機事態」を「根拠」とする派兵―戦争をなそうとしている。憲法を、そして日米安保条約をも乗り越えた新たな日米軍事同盟に基づいて、侵略反革命戦争に主体的能動的に参戦する体制をつくりだそうとしている。

 ●第3章 歴史的な軍事同盟と日帝の侵略戦争

 戦争法制反対闘争の中において、「アメリカの戦争に巻き込まれる」なる言説が戦争反対の論拠であるがごとく、日本共産党などによって広められてきた。これまでの安保条約とは根本的に異なる、新たなガイドラインと戦争法制と対決している中において、このような「巻き込まれ論」こそ、帝国主義戦争の本質を押し隠すものであり、帝国主義足下における労働者階級人民の任務をあいまいにするものである。
 日米軍事同盟の画歴史的な転換が強行されているときだからこそ、帝国主義の軍事同盟―戦争とは何なのかを具体的に問い直しておかなくてはならない。
 安倍晋三は「戦後レジームからの脱却」なるスローガンを繰り返して改憲を目指しながら、その手続きを踏むことすらせず、脱法的な違憲立法を強行した。その結果生み出された新たな日米軍事同盟は、日帝が侵略反革命戦争に参戦する「根拠」になることは鮮明である。帝国主義が軍事同盟を根拠に参戦していくとはどういうことなのか。今この時にこそ、日本が近代史において行なった戦争の中に、そのことをはっきり捉え返しておかなくてはならないだろう。

 ▼3章―1節 日英同盟と帝国主義間戦争

 明治維新以降、天皇制の下に国民統合を成し、資本主義化―帝国主義化を進めた日本は、その成立過程から、対外的には琉球国、台湾、韓国、清国―中国をはじめとするアジア諸国への侵略戦争―植民地化を一貫して強行してきた。それは、後発帝国主義国として植民地の再分割を要求し、軍事力をもってそれを貫徹するものであった。日帝の対外侵出において、他帝国主義との合従連衡は戦略的になされた。
 日本は一八九四年の日清戦争に勝利し、九五年に下関講和条約を調印するが、それで戦争が終わったわけではなかった。「台湾の割譲」は簡単には実現しなかった。台湾での抵抗が続き、日本軍は九五年以降も数年間にわたって台湾征服戦争を続けなくてはならなかった。一方では、日清戦争で新興国として登場した日本帝国主義の植民地再分割要求を、諸列強は簡単には認めなかった。ロシア、ドイツ、フランスによる三国干渉である。とくにロシアは一九〇〇年、義和団への対処を口実として満州に出兵し、満州を占領した。
 韓国、台湾を足がかりとして中国に軍事的に侵出した日帝は、他帝との外交協議をもって、韓国、中国における権益を固めようとした。一九〇一年、日英同盟協議と、日露協商協議を並行して行なっており、結果として一九〇二年に日英同盟が成立する。その内容は、@清国と韓国の独立と領土保全、A第三国が参戦した場合にのみ同盟国との協同戦闘の義務、という内容の軍事同盟であった。
 日帝は、日英同盟をもって、日本の韓国に対する特殊権益を、英帝に認めさせたのであった。英帝から見れば、義和団事件以降のアジア―中国における英帝の権益を防護する軍隊として日本軍を位置づけたということでしかなかった。
 日露協商協議は、韓国・満州の権益をめぐって続けられたが、結局一九〇四年初頭に決裂し、日露戦争に突入していった(〇四年〜〇五年)。日帝の戦費は十億四千二百万円もの外債でまかなわれ、これを英米が分担した。日帝は「日本海海戦での勝利」をもって日露戦争に勝利したとされるが、その実態は日本軍の死者八万四千人、ロシア軍の死者五万人という壮烈な地上戦であり、日本は財政破綻状況にあり、ロシアは国内の〇五年革命に対処せざるをえなかった。双方がこれ以上戦争を継続できない事態の中で、米帝の斡旋でポーツマス講和条約の調印という形で終結した。
 日帝は、日英同盟によって英帝の経済支援を全面的に受けて日露戦争をたたかい、英帝・米帝の政治的支援によってロシアを中国権益から排除したのであった。日帝は、日露戦争をもって、韓国の「自由処分」、満州からのロシア軍の撤退、樺太(サハリン)の割譲という権益を確保した。日帝はこの後一九一〇年に韓国併合を強行していく。まさに、労働者・兵士の屍を積み重ね、莫大な債務を抱えながら、植民地再分割戦争を貫徹していったのである。
 日帝にとって日英同盟は、第一次帝国主義間戦争において、より重要な意味をもっていた。
 一九一四年六月、オーストリア=ハンガリー帝国とセルビアの間で始まった戦争は、英・仏・露の三国協商を軸とする連合国と、独・オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国などの中央同盟国との間での戦争となった。さらに米国が連合国側に加わり、ヨーロッパ全体へと戦線は拡大した。
 このヨーロッパの戦争に直接関係のない日本は、イギリスが抑制したにもかかわらず、「日英同盟の義務」を掲げて全面的な参戦を決定した。日帝は対独宣戦した。日本軍は英軍とともに山東省にあるドイツの租借地を攻撃。山東半島に上陸し、青島を陥落させた。日本海軍は太平洋でドイツ東洋艦隊を追撃し、ドイツ領であったヤルート島、ヤップ島、トラック島、サイパン島など南太平洋地域を占領した。
 日帝にとって、日英同盟という軍事同盟は英帝に巻き込まれて戦争をしたなどというものでは、決してなかった。後発帝国主義国として、列強の植民地支配に対してその再分割戦争を遂行していくための参戦の基盤となったのである。日帝は帝国主義としての利害を貫いて、日露戦争の戦端を開き、第一次世界大戦に参戦していったのである。軍事同盟に基づく集団的自衛権行使とは、このような歴史的事実から捉えなければならない。

 ▼3章―2節 日中戦争と日独伊三国同盟

 第一次大戦後のヴェルサイユ体制の下で一九二一年に開催されたワシントン会議において、日本、アメリカ、イギリス、フランスによって四カ国条約が結ばれた。当初、日英同盟にアメリカが参加する案もあったが、アメリカは日本が日英同盟を根拠にアジアの侵略―再分割を進めたと捉えており、日英同盟は廃棄された。
 一方で一九二〇年、英米仏日の四カ国によって新四国借款団が成立した(一九一〇年の英米仏独の清国に対する四国借款団に対して新四国借款団と呼ぶ)。日露戦争で莫大な債務を抱えていた日本であったが、第一次世界大戦では各国の軍需を支えて輸出を拡大し、債権国になっていた。
 英・米の銀行団を軸にして成立したこの借款団は、国際金融資本による一大国際投資機関であった。大戦後の中国において鉄道敷設、鉱山開発などを共同で進め、その経済権益を四カ国の金融資本が独占するものであった。この借款団内における「交渉」こそが、植民地再分割だったのである。
 日本はこの借款団に加わることで列強の一国をなしたのであるが、米帝からすれば日英同盟に乗じて中国への侵出を進めた日帝に対して制動をかけるものであった。この新四国借款団の成立によって、日帝が主張した「満蒙の特殊権益」なる独自の植民地構想は、外交的に否定されたのである。
 日帝の大陸への野望は、この制動を軍事的に破壊していった。
 一九三一年九月十八日、関東軍が柳条湖の南満州鉄道を爆破し、それを理由にして満州事変を引き起こした。一九三二年三月には「満州国」建国を宣言する。三三年三月、日帝は国際連盟を脱退した。日本軍は三七年七月七日、盧溝橋事件を引き起こし、全面的な日中戦争にのめりこんでいった。
 日帝は一九四〇年、日中戦争から対米英開戦に向けた対外政策としてドイツ、イタリアとの政治的結束を強化した。四〇年九月二十七日、日・独・伊の三国同盟が締結された。ヨーロッパにおける独・伊の覇権、アジアにおける日本の覇権を相互に承認し、同盟国以外との間に武力衝突が生じた場合には、相互に軍事的援助を行なうことを取り決めていた。
 日帝が三国同盟を締結した理由の一つは、日中戦争の長期化があった。日本軍は、中国国民党政府軍と八路軍(中国共産党軍)の反撃を受け、戦線が膠着していた。三九年ノモンハンでソ連軍に大敗したことをうけて、日本軍は東南アジアへ戦線を拡大することで打開を図ろうとしていた。
 もう一つには、ドイツ軍がヨーロッパに「電撃戦」での勝利を重ねていたことがあった。この戦争にドイツが勝利した場合、アジアにおける欧州各国帝の植民地は全てドイツの植民地になっていく可能性があると、日帝支配者どもは考えた。ドイツと同盟し、日本としてアジアにおける権益を確保すべく東南アジアに戦線を拡大することが、植民地再分割戦に勝利することだと捉えたのである。
 文字通り侵略反革命戦争への動機に満ち溢れた日帝は、三国同盟を根拠にして、フランス、イギリス、オランダの植民地であったアジア太平洋全域に戦線を拡大していった。
 われわれがしっかり見ておかなければならないことは、集団的自衛権行使を前提とした軍事同盟というものが、自国の平和と安全を保障する根拠などでは決してないということだ。近代史において日本帝国主義は、日英同盟、日独伊三国同盟を根拠にして、同盟国に対する「支援」を口実にして、植民地再分割戦争に参戦していったのである。軍事同盟―戦争の発動こそが究極の外交であるかのごとき考え方が浸み込んでいた日本軍は、日中戦争からアジア太平洋戦争への絶望的戦争に、労働者人民を総動員していったのだ。

 ●第4章 戦争法反対闘争を引き継ぐ反戦・反基地闘争の発展を

 現代の日本帝国主義は、一五年ガイドラインと新たな戦争法制に基づいて、いかなる戦争をなそうとしているのか。
 九月十九日に強行可決された戦争法制は、来年三月までに施行するとされている。
 具体的には南スーダン派兵において改悪PKO協力法が適用されることがマスコミでは取りざたされている。
 しかしながら、安倍政権は、「存立危機事態」あるいは「重要影響事態」と規定できる他国において集団的自衛権行使を発動していくことをこそ狙っている。
 安倍晋三は法案採決直後の国連演説で、「国連改革」、つまりは日本の安保理常任理事国入りを強く主張したのである。安倍政権の援助バラマキ外交で、日本は次の非常任理事国に「選出」されている。安倍の「戦後レジームからの脱却」というスローガンが国際政治において意味することは、敗戦帝国主義としての制約を、核武装も含めて政治的軍事的に突破することなのである。しかし、それは米帝、中国スターリン主義など核兵器を独占する安保理常任理事国五大国が決して認めないことである。
 そうであるがゆえに、安倍政権はこの制約を、戦争をもって突破しようと踏み出したのである。「日本防衛」という言い訳すら成立しないような文字通りの侵略反革命戦争に参戦できる、普通の帝国主義への脱皮を図ろうとしているのだ。
 安倍政権の下で現実化するであろう戦争は、帝国主義各国がその死活的利害である中東・中央アジアの権益権確保をかけて現に行なっている戦争、国連とは無関係な軍事同盟である「有志連合」による戦争への、参戦であるだろう。日帝―外務官僚、防衛官僚は、アフガニスタン、イラク、シリアにおいて、政治的経済的に米帝を支えながら、軍事的に全面参戦できなかったことを外交上の失態と捉えている。この反革命的な総括こそが、一五年ガイドラインであり、戦争法制制定の強行だったのである。
 米帝とロシアはそれぞれの利害をかけて、シリア内戦に軍事介入し、空爆を繰り返してきた。オバマ政権はさらに地上部隊の投入も決めている。アフガニスタン戦争、イラク戦争、シリア内戦への軍事介入という侵略反革命戦争こそが、社会そのものを破壊し、アルカイダをはじめとしたイスラム急進主義の武装闘争を促進してきたのだ。中東、中央アジア諸国の人民の生活と地域社会そのものを破壊してきた帝国主義が、その「解決」と称して新たな戦争を発動する。このような「有志連合」に「積極的平和主義」を掲げて日帝が参戦していくことを絶対に許してはならない。
 一五年ガイドラインと戦争法制によって、日帝―安倍政権は参戦する戦争の領域を全地球規模で拡大した。しかし、日帝がその利害として参戦する意図を鮮明にしているのは、一方で新たな朝鮮戦争であるだろう。九七年ガイドラインと周辺事態法で想定した戦争から全く変わったのではない。周辺事態法、武力攻撃事態法を拡大したのであり、むしろ、東アジアでの侵略反革命戦争こそ日帝、米帝の共同作戦立案のベースにあることはしっかり確認しておかなくてはならない。
 米韓両軍の間では共和国に対する戦争計画が、「5026(共和国に対する局地戦)」、「5027(共和国との全面戦争)」、「5029(共和国の体制崩壊に対応した軍事作戦)」として策定されてきた。そして、新たに特殊部隊による作戦を加えた全面戦争計画として「5015」を策定している。
 これらの作戦は、米軍・韓国軍の共同作戦計画として策定されているが、米軍が朝鮮戦争の戦争計画を立てるときに、在日米軍が主力となることは当然であり、新たな日米軍事同盟の下で米韓両軍と共同作戦を担う自衛隊の参戦が想定されていることも当然である。
オバマ政権は、安倍政権に対して日韓首脳会談を促してきた。そこには、日米、米韓の軍事同盟を根拠にした朝鮮侵略反革命戦争の準備を進める意図が貫かれている。
日帝―安倍政権が新たな朝鮮戦争への参戦を企図し、それをもって東アジアにおける日帝の軍事的覇権を強めようとする野望を、絶対に許してはならない。
新たな日米軍事同盟の下で日帝がなそうとする派兵―戦争を断固阻止し、戦争法制を廃止していかなくてはならない。辺野古新基地建設をはじめとする日米軍事同盟の拠点を軸に、全国で反戦闘争・反基地闘争に立ち上がり、この日米帝国主義の反動攻勢を粉砕していこう。侵略反革命戦争に突進する安倍政権を打倒しよう。


(注)「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」
第五条
 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
 前記の武力攻撃及びその結果として執ったすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従って直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執ったときは、終止しなければならない。
第六条
 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、海軍及び空軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
 前記の施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。



 

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