共産主義者同盟(統一委員会)






■政治主張

■各地の闘争

■海外情報

■声明・論評

■主要論文

■綱領・規約

■ENGLISH

■リンク

 

□ホームへ

  
   辺野古新基地絶対阻止!

 
5・15沖縄解放闘争の大爆発で、安倍政権を打倒しよう!

 

 
 ●第1章 辺野古新基地建設―沖縄の基地強化との全面対決へ

 ▼1章―1節 反動的「和解」粉砕し、新たな攻勢を


 辺野古新基地建設阻止闘争は勝利への大きな前進と新たな局面を迎えた。三月四日、安倍政権は辺野古新基地工事の中断などを盛り込んだ「暫定的和解案」を受け入れ、沖縄「県」との「合意」が成立した。辺野古新基地「埋め立て」工事が止まった。大勝利だ。強権的な日帝―安倍に大打撃を与えた。
 昨年十月十三日翁長知事が下した辺野古埋め立て承認取消し決定に対し、国(国交相)が知事を訴えていた代執行訴訟は、昨年十二月二日の第一回口頭弁論以降、第二回(今年一月八日)、第三回(一月二十九日)、第四回(二月十五日―翁長知事証人尋問)、第五回(二月二十九日―稲嶺名護市長証人尋問)で結審を迎えたが、福岡高裁那覇支部裁判長・多見谷は第三回公判後、翁長知事が承認取り消しを撤回した上で、国は新基地を三十年以内に返還するか、軍民共用にするかを米側と交渉するとする「根本的な和解案」と、国が代執行訴訟を取り下げて工事を中止した上で、「県」と協議し、なお折り合いが付かなければ、判決に対してより強制力の弱い違法確認訴訟で法的正当性を争うという「暫定的な和解案」を提示していた。
 多見谷は千葉地裁時代、三里塚芝山連合空港反対同盟・市東孝雄さんの農地強奪判決を出した極悪裁判長で、その実績を買われ日帝―安倍政権から定期人事異動さえ無視して送り込まれた輩だ。「根本的な和解案」にもあるように、その本質は辺野古新基地建設に司法の側からのお墨付きを与えることにある。われわれは今回の「和解合意」の反革命的策謀を断じて許さない。事実、安倍は「和解受け入れ」の談話で「辺野古が唯一の選択肢である」と強調し、米帝も同調した。
 そして三日後の三月七日には、翁長知事の埋め立て承認取り消し決定に対する国交相による再度の「是正指示」を発した。追い詰められた安倍政権は、「普天間基地の固定化」を脅しに、なりふり構わぬ居直りであくまで辺野古新基地建設強行を狙っているのだ。
 それにしても、この再「是正指示」に対して「指示理由が記載されていない」との「県」側の指弾を受け、改めて十六日にやり直すという稚拙さも露呈した。建設強行の大義名分どころか、論理性すらないことをここでも自己暴露したのだ。翁長知事は三月二十三日、「是正指示は国の違法な関与だ」として、国地方係争処理委員会に審査を申し出た。係争処理委員会は法的に申し出から九十日以内に結論を出すため、六月二十一日までに審査結果が通知されることとなるが、前回(昨年)十二月二十四日には「一見、明白に不合理だとはいえない」として知事の不服申し立てを却下した「実績」がある。国家権力内部の一機関に沖縄人民の未来を預けるわけにはいかない。
 また「和解案」に応じて三月二十三日に再開された「政府・沖縄県協議会」では、政府は前知事・仲井真と交わした「二〇一九年二月までの普天間基地の運用停止(五年以内の運用停止)」を棚上げするばかりか、逆に高江ヘリパッド建設工事を妨害しているとして「県道上の違法車両の排除」を求める始末だ。安倍政権の居直りと分断攻撃を断固として粉砕しなければならない。
 同時にわれわれは、ゲート前・海上を貫く辺野古新基地実力阻止闘争の大激闘、階級攻防戦の大衆的な地平が、今新たな勝利の展望を切り拓いたことを何度も何度も確認しなければならない。
 「工事中断」は昨年七月〜八月の「県・国による集中協議」以来だが、今回は数ヵ月以上に及ぶものと想定される。「和解合意」以前にも、米太平洋軍司令官ハリスなど米軍司令部は米議会公聴会で「計画は、反対行動と知事の反対で二年も遅れている」と敗北宣言をなしていた。辺野古新基地阻止闘争の大前進・大攻勢は、日米両帝国主義に大打撃を与えているのだ。
 辺野古ゲート前行動については、早朝行動(工事車両侵入阻止行動)は当面中断したが、朝九時からの監視行動は引き続き継続することが決定された。海上行動においてもそうである。沖縄防衛局はキャンプ・シュワブ基地内では、既存の建物の解体・移設工事などを続けている。また、「臨時制限区域」と称した海域周辺にはフロートを張り巡らせたままで、ボーリング調査用のスパット台船を存続させている。警視庁機動隊も居座っている。断じて現地闘争の戦闘態勢を崩すわけにはいかない。今こそわれわれは、「オール沖縄」の革命的地平をさらに押し上げるため総反攻に打って出ようではないか。辺野古新基地建設を断固として粉砕しよう。

 ▼1章―2節 米兵性暴力事件徹底糾弾!全米軍基地ゲート封鎖・撤去へ

 三月十三日、那覇市内のホテルでキャンプ・シュワブ所属の米海兵隊第三海兵遠征軍・海軍一等水兵による女性レイプ事件が発生した。被害者が酔って寝込んでいたというだけで刑法上は「準強姦罪」事件とされているが、断じて許しがたい性暴力事件だ。徹底糾弾する。
 「県」警によると、一九七二年「復帰」後、米軍人・軍属による女性暴行事件の「摘発」(あくまで摘発である)は今回で百三十件、百四十八人。犯罪件数は昨年十二月末現在で五千八百九十六件、五千八百十五人に上る。戦後からすると数えきれないほどだ。これが今なお続く「基地の島・沖縄」の現実だ。これまで、米軍人・軍属による事件・事故が発生するたびに、日米両政府は「再発防止」「綱紀粛正」「教育の徹底」を標榜してきたが、日米地位協定の抜本的見直しについては「運用改善」でお茶を濁し、改定要求を一切無視してきた。
 米軍は、二〇一二年に発生した米海軍兵による女性暴行致傷事件への怒りが高まる中、米兵の深夜外出と飲酒を制限する「リバティー制度」を作ったが、二年後の一四年十二月、規制を大幅に緩和していた。しかも、米兵らは規制時間を超えて飲酒し、ホテルで外泊し朝帰りすることでゲート前での「門限違反」を免れることが常態化していた。今回の女性レイプ事件は起こるべくして起きた事件である。
 想起したい。二〇一一年当時の沖縄防衛局長・田中が、辺野古新基地建設の環境影響評価書(アセスメント)の提出時期を明言しない理由について「犯す前にこれから犯しますよと言いますか」と発言したことを。日米安保・日米地位協定の下で「米軍の抑止力」を強調し基地・軍隊を押し付け、さらには辺野古新基地建設を強行しようとする日米両帝国主義の本質が根本原因だ。断じて許さない。
 この事態を受け、「県」議会をはじめ各市町村議会では次々と抗議決議がなされ、また三月二十一日には、キャンプ・シュワブ基地前で緊急抗議集会が持たれた。結集した二千五百名余の沖縄人民は各代表の発言にも示された通り、基地あるが故の相次ぐ事件に満腔の怒りをあげ、全基地ゲートの封鎖と全基地の撤去、辺野古新基地建設阻止を確認した(本紙本号別掲の記事参照)。

 ▼1章―3節 沖縄の基地強化・前線基地化を許すな

 辺野古新基地問題を軸に、沖縄の日米共同侵略反革命前線基地としての機能は次々と拡大している。
 一九九六年四月、「日米安保共同宣言」を受けた「普天間基地ペテン的返還合意」、九七年九月、新ガイドラインでの条約改定なき日米安保条約の改定(新安保)攻撃。二〇〇一年の米帝アフガニスタン侵略反革命戦争での「テロ特措法」、〇三年イラク侵略反革命戦争での「イラク特措法」・米軍特措法再改悪とつづき、〇五年十月「日米同盟:未来のための変革と再編」―〇六年五月「再編実施のための日米ロードマップ」で「辺野古V字案」が明記された。
 昨年四月の十八年ぶりの新ガイドライン改定攻撃をもって、安倍政権は、その前年の一四年七月の解釈改憲「集団的自衛権行使」閣議決定を受け戦争法制定につき進み、自衛隊の海外派兵を「合憲」化した。同時に日米両政府は「辺野古移設が唯一の解決策」と明記した。
 戦争法制定と連動して、二〇一四新防衛大綱・中期防(一四年から一八年)で釣魚諸島を意識した「島嶼(しょ)防衛」での沖縄基地強化を打ち出し、日米共同の離島奪還作戦が強行された。また、与那国島への自衛隊沿岸監視部隊配備・レーダー基地建設、奄美大島への移動式警戒管制・レーダー部隊配備、さらには石垣島・宮古島への陸自基地建設、そして空自那覇基地の第九航空団昇格(F15戦闘機・約四十機=二個飛行隊化)等々と沖縄―琉球列島の軍事化攻撃が急ピッチでなされようとしている。
 とくに、昨一五年八月に発生した米陸軍の特殊作戦用のMH60ヘリコプターの米海軍輸送艦「レッド・クラウド」への着艦失敗・墜落事故では、六人の負傷者の中に陸上自衛隊中央即応集団の「特殊作戦群」所属隊員二人が含まれていたことも発覚した。キャンプ・ハンセン陸自共同使用など恒常的な日米軍事一体化が進んでいるのだ。
 基地・沖縄の縮図といわれる伊江島では、AV8Bハリアー後継機F35Bステレス戦闘機やMV22オスプレイ、CV22オスプレイの訓練と常駐のための着陸帯の大幅増強工事が進められている。伊江港の軍港化も既成事実化しようとしており、三月五日には伊江島反戦地主会を先頭に怒りの抗議集会がかちとられた。
 また、二年間工事中断をかちとってきた高江ヘリパッド建設阻止闘争も新たな段階を迎えている。「辺野古工事中断」のすきを狙って高江ヘリパッド建設の強行が」策動されている。三月十七日には平日昼間にもかかわらず「防衛局はもうあきらめて〜オスプレイパッド建設を断念せよ」集会が現地N1ゲート前でかちとられた。N4ゲート前には監視カメラが設置され、N1とN4ゲート前をふさいでいる自動車の撤去勧告で、「県」道七〇号線の路側帯を米軍専用化しようとしている。現在、奄美・琉球の世界自然遺産登録の動き(その前提としての国立公園化)が進んでいるが、それを取引材料としてヘリパッド建設強行の動きも増している。集会では、ヘリパッド建設阻止闘争と北部訓練場全面返還・撤去のたたかいの強化を確認した。
 日米両帝国主義の安保―沖縄差別軍事支配の再編強化とのたたかいは、沖縄各地で日々たたかい抜かれている。その頂点が辺野古新基地阻止闘争である。このたたかいは、日帝―安倍の戦争法、「対テロ」戦争攻撃とのたたかいでもある。われわれは、沖縄―「本土」を貫く反革命的統合四十四年弾劾! 5・15沖縄解放闘争への総決起・大爆発をかちとり、続く伊勢志摩サミット粉砕の勝利をかちとろうではないか。

 ●第2章 自己決定権宣言した「オール沖縄」、沖縄解放闘争の階級的地平

 ▼2章―1節 「オール沖縄」の形成過程、辺野古の闘いの勝利的地平


 沖縄解放闘争の中心軸である反戦反基地闘争において、「普天間基地撤去」「基地の県内たらい回し反対」を軸とする階級攻防が展開されてくる契機となったのは、一九九五年米兵による少女暴行事件に対する全島的怒りが大爆発した10・21「県民大会」(「復帰」後最大約八万五千人)であった。
 その過程で、「オール沖縄」の端緒を政治的表現として切り拓いたのが、二〇一〇年一月の名護市長選である。名護市長選では、わが同盟が沖縄解放闘争の主戦場として切り拓いてきた、一九九七年名護市民投票勝利も含めた名護・沖縄―「本土」を貫く辺野古新基地建設反対の現地実力阻止闘争(命を守る会・ヘリ基地反対協、テント村座り込み、単管ヤグラ攻防など)の革命的地平を継承し、明確な政治闘争(階級攻防)課題として押し上げた。「辺野古・大浦湾の海にも陸にも新たな基地は造らせない」を掲げた稲嶺進氏勝利によって辺野古新基地「容認」派(V字案推進)の現職を打ち破ったことで、沖縄の政治構造の潮流的分岐を革命的に推進してきた。
 名護市長選闘争の勝利は、二〇一〇年二月二十四日の「県」議会「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める意見書」の退場なき全会一致決議と、四十一市町村議会すべてでの「県内移設」=辺野古反対決議採択へと受け継がれた。そして沖縄の全市町村長が反対を表明し、同年四月二十五日の知事・仲井真も参加せざるを得なくなった「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」(読谷、約九万人)の大爆発へと結実化した。
 ここを結節点に、「普天間基地は国外、最低でも県外」とした鳩山の動揺と辺野古回帰に至った怒りが、「構造的差別」を弾劾し、沖縄人民の要求に公然と敵対する「日本」(沖縄人民が指弾するヤマト、ヤマト国家・ヤマト政府)―日本帝国主義国家権力との対決を鮮明にする沖縄解放闘争・沖縄階級闘争の新たな段階を生み出した。
 われわれは、沖縄人民の「県外・国外移設」要求を、まずもって第一義的に断固支持する。だが問題の本質は、普天間基地の「移設地探し」ではないことは自明だ。ましてや「基地引き取り」でもない。沖縄人民は、普天間基地の即時閉鎖・撤去を求めているのであり、「諸悪の根源」沖縄基地の撤去を求めているのである。
 普天間基地へのオスプレイ配備阻止闘争は、沖縄階級闘争を今日的な「オール沖縄」として形成する直接的なたたかいとしてあった。
 二〇一二年九月九日の「オスプレイ配備に反対する県民大会」では、宮古・八重山会場を含め「復帰」後空前の十万三千人が総決起した。翌一三年一月二十八日の「建白書」安倍直訴・東京行動には、「県」議会や沖縄全四十一市町村長・議長ら「9・9県民大会」を構成する沖縄の全勢力が一斉に決起した。「復帰」後初の「オール沖縄」総行動であった。その人格的な代表が、翁長雄志知事(当時那覇市長)だった。二〇一四年一月の名護市長選勝利(稲嶺氏再選、九月市議選勝利)は、七月の「島ぐるみ会議」(「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」)結成をかちとり、「オール沖縄」形成を歴史の本流へと押し上げた。そして、同年十一月の沖縄「県」知事選での翁長雄志氏の怒涛の大勝利を勝ち取った。引き続く安倍の策略的解散―十二月の衆院選でも、沖縄全四小選挙区で辺野古新基地反対派の勝利を勝ち取った。辺野古攻防は第一級の全人民的政治闘争への烽火となった。

 ▼2章―2節 「オール沖縄」の政治的地平、日米安保との非和解的な階級戦

 「オール沖縄」の政治的一致点・政治路線(到達点)は、「建白書」で要求した「オスプレイ配備の撤回・中止」、「普天間基地の閉鎖・撤去」と「県内移設断念」である。
 一見、極めて単純な政治スローガンである。しかし、この政治要求(政治路線)は日米安保―米軍再編攻撃との非和解的な階級戦として激突せざるを得ない。同時に、沖縄解放闘争の政治的中軸である反基地闘争の集約環でもあり、日米両帝国主義の沖縄差別軍事支配打破・日米共同侵略反革命前線基地化阻止―安保粉砕への戦略的なたたかいの出発点である。
 辺野古新基地建設は、在日米軍再編・米軍と自衛隊の一体化という、新たな日米安保体制のメルクマールとして位置づけられている。今日的には、二〇一五年四月の日米ガイドライン―九月戦争法・安保法制の可決強行によって、自衛隊海外派兵―集団的自衛権行使、米軍基地の日米共同使用と共同訓練の一体的推進攻撃の中で、「沖縄の基地負担軽減」「普天間基地の危険性除去」を名目に、辺野古新基地建設強行を宣言している。
 そうであるならば、「建白書」での政治要求は、岩国、厚木、京都Xバンドレーダーをはじめとする全国の米軍再編粉砕のたたかい、オスプレイ配備と訓練の全国化とのたたかいとの連帯・共同闘争が求められている課題として、むしろ「辺野古」問題は「沖縄」問題ではなく、戦後史を画する戦争法―日帝の侵略反革命戦争攻撃粉砕のたたかいとして、日本労働者人民自身のたたかい、日本革命の要としてたたかいぬく普遍的な要求として理解しなければならない。
 沖縄戦と戦後の米軍支配―土地闘争という歴史的背景の下に反戦地主・沖縄人民は、「復帰」後、日帝の「公用地使用暫定法」「米軍特措法」攻撃と実力で対決し、「四日間の空白」「重課税取消し訴訟」「象のオリ不法占拠」、あるいは「代理署名拒否」(国による職務執行命令訴訟)を生み出し、日米安保に風穴を空け、日米安保の根幹をたたきつぶす地平をかちとってきた。そうした歴史的な階級攻防戦を背景に、今回は、二〇一五年十月十三日の翁長知事による辺野古埋め立て承認取り消し決定によって辺野古新基地建設を違法・不法状態に追い込んだのだ。
 「オール沖縄」の政治的地平は、また一方で、日帝による懐柔・分断攻撃とのたたかいを通した沖縄階級闘争の革命的分岐・階級的団結を促進してきた。
 二〇一二年十二月の衆院選での民主党敗北―自民党・安倍第二次政権の登場は、沖縄階級闘争にとっても新たな試練となった。一二年9・9「オスプレイ配備に反対する県民大会」の大爆発に対する回答は、十月MV22オスプレイ十二機の配備強行だった(翌一三年九月には、二度目の飛行隊十二機も強行配備された)。さらに日帝は、二〇一三年一月の「建白書」直訴・東京総行動では、右翼反革命排外主義者どもを総動員し敵対するとともに、2・22日米首脳会談(普天間基地の早期移設確認)―3・22沖縄防衛局による辺野古埋め立て申請と立て続けに反革命攻撃を仕掛けてきた。
 その上で、日帝―安倍は、一九五二年サンフランシスコ講和条約発効の六十一年目にあたる二〇一三年「四月二十八日」を「日本が独立を回復した日」として祝い、天皇参加の下での政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を強行した。戦後日本帝国主義と天皇制の延命のための「捨て石」として、沖縄人民の自決権と生存権を否定した「屈辱の日」4・28を「主権回復の日」として内外に表明し、あろうことか「主権回復で日本が独立できたから、沖縄返還交渉もできた」と居直る始末だ。日帝の沖縄への軍事的植民地的支配と沖縄人民に対する永続的な差別支配の維持を改めて宣言したのだ。がってぃんならん(がまんならない)! 沖縄人民の誇りと尊厳の領域にまで踏み込み、土足で踏みにじろうとするこの歴史的暴挙によって、4・28は二重の意味で「屈辱の日」となった。沖縄人民は、糾弾の4・28総決起大会で応えた。
 二〇一三年十一月二十五日の自民党本部での幹事長(当時)石破の下で、自民党沖縄国会議員どもは首をうなだれ「辺野古容認」(二〇一二年十二月衆院選での「県外移設」公約の撤回)を宣言した。続いて、自民党沖縄県連も公約を撤回、そして年末12・27当時の知事・仲井真の「辺野古埋め立て承認」をひき出した。また、那覇市議会が二〇一四年一月の臨時議会で採択した「仲井真県知事の辺野古埋め立て承認に抗議し、辺野古移設断念と基地負担軽減を求める意見書」に賛成したとして安慶田光男那覇市議会議長(現・副知事)ら自民党那覇市議(新風会)十二人の役職停止、また、名護市長選で稲嶺進名護市長を支援した仲里利信・元「県」議会議長(現・沖縄4区選出衆院議員)を除名とする処分の乱発も強行した。
 こうした分断攻撃に対する沖縄人民の階級的反撃は、辺野古新基地建設阻止を第一級の政治決戦課題とし二〇一四年一月名護市長選から十一月「県」知事選、十二月衆院選・沖縄四選挙区という一連の政治過程での勝利を勝ち取ったことで示されたことは前述した通りだ。

 ▼2章―3節 「オール沖縄」の階級的地平、沖縄の経済構造の変化

 「オール沖縄」勢力の特徴として、これまでのいわゆる革新勢力に一部の保守系人士が加わるといった形態ではなく、「金秀グループ」「かりゆしグループ」「オキハム」という沖縄でも有力な企業グループが参画している点があげられる。政治的には、自民党を除名された那覇市議会会派「新風会」の存在がある。沖縄ブルジョアジーの階級分解も開始された。日米両帝国主義による差別軍事支配を打破する沖縄人民の自己解放闘争は、基地経済の構造を脱却する「自立経済」確立へのたたかいとしてもあった。
 沖縄経済における「県民所得に占める基地関連収入(軍用地料、軍雇用者所得、米軍への財・サービス提供)の割合」は、一九七二年「復帰」時の15・5%から二〇一一年には4・9%へと大幅に低下している現実がある。現在「那覇新都市」として発展している「牧港住宅地区」での、「復帰」前→「復帰」後の推移を見ればさらに明確だ。【雇用】百八十人→一万八千人(約百倍)、【基地経済波及効果】七十七・八億円→千二百三十八・二億円(二〇〇一―〇三年度)(約十六倍)。二〇一三年には〇二年度の三倍にも拡大すると見込まれている。【所得誘発額】十七億円→百八十億円(約十倍)、【税収】六億円→九十七億円(約十六倍)。
 「復帰」後の沖縄経済は「3K経済」と呼ばれてきた。「公共事業」と「観光」、そして「基地」である。まさに象徴的な「依存型経済」構造である。産業構造でもサービス業を中心とした第三次産業のシェアが九割(全国平均は約75%)に及び、製造業などの第二次産業の割合は全国一低い(「復帰」時の10・9%から4・5%へ)。農業などの第一次産業に至っては7・3%から1・6%に落ち込んでいる。さらにTPP推進によって沖縄農業の基幹作物であるサトウキビが壊滅状態になることは必至だ。
 失業率は二〇一四年5・4%(全国平均3・6%)で、一九九九年の8・3%(全国平均4・7%)より改善されたとはいえ、全国ワースト一位で、全国平均の約二倍で推移しているのが現状だ。しかも就業者に占める非正規労働者の割合は45%を占め(二〇一二年度)、その内年収二百万円未満が88%も占めており、賃金格差は拡大している。一人当たりの所得も、全国平均の七割しかない現状は何ら変わらない。特に子どもの貧因問題は深刻だ。初めての沖縄「県」調査では、子どもの貧困率は29・9%、一二年時点の全国平均16・3%の約二倍に上る。子どもの三人に一人が貧困状態に置かれていることになる。これが基地強制・沖縄の紛れもない現実だ。
 5・15反革命的統合以降日帝は、「公用地法」(軍用地強制使用)、自衛隊沖縄派兵、CTS(石油備蓄基地)―海洋博(皇太子=天皇一族初上陸)、7・30交通区分変更等々を通して、同化・皇民化攻撃の推進による日帝の沖縄差別軍事支配強化への構造的整備と社会基盤の転換を図ってきた。その環が、一九七二年以後、十年ごとに策定され二〇〇一年度まで三次にわたった「沖縄振興開発計画」であった。その中で「基地とリンクした振興策」としての意図が露骨となってきたのが、第四次となる二〇〇二年度からの「沖縄振興計画」である。
 一九九五年「10・21県民大会」以降、日帝は「沿岸案」「V字案」での辺野古新基地建設遂行のため、「島田懇」「北部振興策」事業での「箱モノ」懐柔・分断を開始する。高率補助と一括予算計上方式によって「沖縄は優遇されている」「沖縄は基地反対と言いながら、その実、金で転ぶ」なる逆キャンペーンも同時に張り巡らされる。その意味で、二〇一三年十二月知事・仲井真が「辺野古埋め立て承認」と引き換えに沖縄振興予算のいくばくかの増額を取り引きし、「いい正月を迎えられる」と言い放ったことへの沖縄人民の屈辱と怒りが爆発したことも当然だ。
 だが、沖縄への国庫支出金は全国十一位、地方交付税を含めた国からの財政移転は、全国十二位だ。人口一人当たりで比較すると、合計額は全国七位でしかない。何も「優遇」されているわけではない。「沖縄振興法」策定の際、当時の知事・稲嶺恵一が、「『魚』より『釣り具』を」と要求したのも、そうした基地とリンクした「箱モノ」「本土」還流型財政投入に対する疑義を提示したものである。しかし安倍政権は、翁長知事就任直後の「閣僚面会拒否」と一五年度振興予算減額、さらには一六年度概算要求に対する沖縄担当相・島尻安伊子の「予算確保に全く影響がないというものではない」なる恫喝発言など、なりふり構わぬ基地リンク論攻撃を仕掛けてきているのだ。
 今日、沖縄経済の柱としてなっているのが、観光産業である。入域観光客数は、一九七二年の五十六万人(観光収入三百二十四億円)から二〇一四年七百十七万人(同五千三百四十二億円)に拡大している。今後も大きなリーディング産業となることは確実だ。しかし、二〇〇一年「9・11」事態を受けて沖縄観光産業は、「基地の島」としての現実を反映して深刻な事態に至った経験も持つ。今回の米兵による観光客女性への暴行事件発生はさらに事態を悪化させるのではないかという危機感を高めた。
 「基地は沖縄経済の阻害物」(平良朝敬かりゆしグループ前CEO)、「基地解体工事を引き受ける」(呉屋守将金秀グループ会長)など、差別軍事支配・軍事基地の維持強化を前提にした国主導の「振興策」に公然と反旗を翻し、沖縄経済の「自立」化(基地経済からの脱却)をめざす企業グループが立ち現れてきたのも、辺野古新基地をめぐる政治的要求と一致した歴史的な地平である。もちろん、われわれは地域独占資本としてのブルジョアジーの利害、労働者の利害との非和解性を免罪するものではない。
 同時に、「沖縄振興計画」の第五次となる「沖縄21世紀ビジョン」(今回からは「県」知事が策定)は、「交流と共生」をキーワードに周辺アジア諸国との連携を深め、その「ハブ(結節点)」として「自立」することを目指す「脱基地経済宣言」ともいえるものだが、振興特措法策定、内閣府による予算一括計上方式等による国関与の図式は何ら変わらず、日帝の沖縄差別軍事支配打破への根本的進路とはなりえない。
 低所得・高失業率・非正規労働者の増大、基地(経済)問題として現出している帝国主義による戦争と貧困、資本主義の矛盾との対決を軸とした沖縄階級闘争―日本階級闘争の推進・労働者解放へ向けたたたかいとしての任務がなお一層問われている。

 ▼2章―4節 「オール沖縄」と「自己決定権」宣言について

 翁長知事は昨二〇一五年九月二十一日、国連人権理事会(スイス)で演説し、「沖縄の人々は、自己決定権や人権をないがしろにされている」と訴え、辺野古新基地建設阻止を全世界に訴えた。わずか二分間の制限されたスピーチであったが、戦後七十年、今なお続く軍事基地支配に対する沖縄人民の怒りとたたかいの決意を全世界に発した意義は大きい。
 「私たちが自ら望んで、(米軍基地に)土地を提供したことは一切ない」「日本の0・6%の沖縄に在日米軍基地の73・8%が集中している」「七十年間で、米軍基地に関連する多くの事件・事故、環境問題が起こってきた。自己決定権や人権をないがしろにされている」「自国民の自由、平等、人権、民主主義すら守れない国が、どうして世界の国々とそれらの価値観を、共有することなどできるのか」。「今、日本政府は、美しい海を埋め立てて、辺野古に新しい基地を建設しようと強行している。選挙で示された民意を無視している。私はあらゆる手段、合法的な手段を使って、新しい基地の建設を止める覚悟です」。
 翁長演説は、国連人権理事会で日本の「都道府県知事」が発言し「自国政府」を糾弾する初めての快挙だった。政府代表部は直ちに「基地負担軽減に努力」「経済振興」「辺野古は唯一の解決策」と「反論」を試み、かつ、「基地問題は人権理事会になじまない」として、辺野古新基地建設阻止闘争の沖縄解放闘争への拡大前進を徹底的に恐怖し敵対を強めた。
 「オール沖縄」の思想的スローガンは、翁長知事が打ち出し、知事選の際のスローガンとなった「誇りある豊かさ」「イデオロギーよりアイデンティティ」である。政治的には「日米同盟・日米安保体制下での基地負担の均等化」である。
 「誇りある豊かさ」とは、先にのべた沖縄の経済構造の変化を基礎に「基地=振興策」をめぐる軍事植民地的経済構造の転換を求めるものである(「復帰闘争」時の一九六八年、初の琉球政府主席公選における「イモ・はだし論争」を想起すべし)。
 また、「イデオロギーよりアイデンティティ」は、沖縄人民の「自己決定権」を強く意識した今日的な「沖縄人意識」、被抑圧人民としての沖縄人民の誇りと尊厳をかけたたたかい=自己解放闘争の発露である。日米両帝国主義と対峙し、辺野古新基地建設阻止闘争を現実的な階級攻防の中心環としてたたかい抜いている思想的政治的スローガンとして裏打ちされている以上、それは「居酒屋独立論」とは真逆の沖縄解放闘争の思想的政治的推進軸として評価すべきである。
 実際、翁長知事は、二〇一五年十月十三日、辺野古埋立て承認取消し決定を行った。これは決して翁長知事だけのものではなく、辺野古現地闘争と結合した辺野古新基地建設阻止の沖縄解放闘争としての画期的な勝利の地平そのものである。「オール沖縄」のたたかいは、沖縄の歴史、現状、未来のすべてを包括した内容としての自己解放闘争として発展しており、その意味では「帝国主義と民族・植民地」問題の深化を問う戦略的課題を提起しているのが沖縄人民のたたかいでもある。

 ●第3章 反革命的統合四十四年弾劾!5・15沖縄解放闘争へ決起せよ

 沖縄における基地問題の特徴として、沖縄戦―戦後の米軍支配と基地拡張(「銃剣とブルドーザー」による強制接収)による土地闘争という側面がある。
 一九七二年5・15沖縄反革命的統合を強行した日帝は、「公用地使用暫定法」「地籍明確化法」「米軍用地特措法」による反戦地主・契約拒否地主の軍用地強制使用攻撃をしかけてきた。その過程で沖縄人民は、「四日間の空白」「象のオリ不法占拠」「重課税取り消し訴訟」を生み出し、日米安保に風穴を空け、日米安保の根幹をたたきつぶす地平をかちとってきた。
 日帝は九七年四月の米軍用地特措法改悪攻撃では、収用委員会の「公開審理」を形骸化させ、土地使用期限が切れても永久に「暫定使用」ができるように改悪した。さらには、九九年七月「地方分権」一括法案(四百七十五本)の中に「米軍用地特措法」改悪を潜り込ませた。「地方分権」の名の下に「機関委任事務」は廃止され、その多くが「法定受託事務」となったが、この再改悪「米軍用地特措法」は逆に、「市町村長・知事の行ってきた代理署名や公告縦覧が国の直轄事務となる」「収用委員会の審理遅延または却下裁決の場合は総理大臣が裁決できる」「新規収用・使用に対し、緊急裁決ができる」という驚くべき大改悪攻撃だった。つまり、実質的な恒久的強制使用権を確保したかにみえるが、裏を返せばここが日米安保のアキレス腱でもあることを明確に証明しているのだ(今日の翁長知事への対応とも共通している)。
 反戦地主会は、5・15沖縄反革命的統合攻撃のただ中から、「復帰協」運動の戦闘的翼から、生まれ出てきた。土地闘争―プライス勧告粉砕闘争で形成された「島ぐるみ」闘争の発展的形態を模索する中から生まれ出た沖縄階級闘争の必然的存在である。九五年九月の大田知事による「公告・縦覧代理署名拒否」は、反戦地主会・違憲共闘会議のたたかいが押し上げたものであり、続く九五年10・21「県民大会」の爆発を背景とした基地撤去・日米地位協定改定要求のたたかいへと継承されていく。
 この沖縄のたたかいと結合する「本土」でのたたかいを、われわれは、沖縄―「本土」を貫く沖縄解放闘争として位置づけ、安保粉砕―日帝打倒の全人民政治闘争への飛躍をかけてたたかい抜いてきた。
 ひとつには岩国や神奈川をはじめとした反基地闘争を実践的に推進し米軍再編を粉砕していくたたかいである。岩国基地の強化拡大に反対するたたかい、京都Xバンドレーダー基地反対闘争が、困難な条件下で「本土」における新たな米軍基地建設阻止闘争としてたたかわれていることの意義は大きい。首都圏では沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック―「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」を先頭に、国会包囲行動、反原発・戦争法反対のたたかいとの結合を図り、辺野古新基地建設阻止闘争の全国政治化を展開してきている。さらに辺野古現地攻防と「オール沖縄」のたたかい―沖縄解放闘争と結合する労働運動、地域運動を推進する動きが始まっている。
 辺野古・沖縄基地問題の全国化の中で、沖縄のたたかいと実践的に結合するたたかいを発展させることが、沖縄―「本土」貫く階級闘争の前進、革命運動の発展となる。沖縄のたたかいを自己の狭い利益のために利用したり、「本土」でのたたかいを放棄したりするのは許されない。差別と同化によって沖縄のたたかいに孤立を強いてきた歴史を総括し、実践的な結合が求められているのである。
 同時に、沖縄と日本との歴史的関係を革命的団結へと打ち固めていく思想的運動的根拠をさらに獲得していかなければならない。そのカギは、反帝国主義と国際連帯・国際主義の下での沖縄解放闘争の創造である。AWC運動がその基本的方向性を示している。この地平をさらに沖縄階級闘争の解放思想の中にがっちりと組み込むたたかいを展開しようではないか。
 5・15沖縄解放闘争は、帝国主義による戦争と新自由主義グロバリゼーションとの対決、日帝―安倍による改憲と戦争攻撃と真っ向から対決し、打ち砕くたたかいである。沖縄―「本土」を貫き総決起しよう。伊勢志摩サミット粉砕の大爆発の起爆剤として総力でたたかい抜こう。


 

当サイト掲載の文章・写真等の無断転載禁止
Copyright (C) 2006, Japan Communist League, All Rights Reserved.