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   ■天皇「代替わり」攻撃粉砕

   天皇制・天皇制イデオロギーへの総動員を阻止しよう
                  
                       並木 俊



 

 来年の四月三〇日と五月一日に、「アキヒト」から「ナルヒト」への「代替わり」と、その「退位の礼」と「即位の礼」が「国事行為」として行なわれることが政府によって明らかにされた。そして、十月二二日に「正殿の儀」とパレードを行うこととしている。文字どおり国家の総力をあげたものとして強行されようとしている。
 前回の「代替わり」においては、警察庁に「警衛警護警備対策委員会」が、警視庁に「総合警備対策委員会」が設置され、全国で、とりわけ首都圏に一万五〇〇〇人の機動隊が動員され、「大喪の礼」には三万二七〇〇人の機動隊が動員された。
 このような「天皇戒厳令」ともいえる弾圧体制のもとで「服喪」と「奉祝」が強制されたのである。天皇=国家であるとし、全社会的に「歌舞音曲」の自粛や、天皇の歴史のキャンペーンが全マスコミで二年間にわたって強行されたのである。このような、全社会的な攻撃が今回も行なわれようとしているのである。そして、決定的に重要なのは「即位の礼」がメーデーにぶつける日程で行なわれ、「労働者の祭典」を圧殺しようとしていることである。天皇制・天皇制イデオロギーへの総動員の攻撃を粉砕しなければならない。

 ●第一章 天皇「代替わり」攻撃の位置

 今回の「代替わり」は、「アキヒト」のいわゆる「お言葉」なるものによるものである。この「お言葉」なるものをうけて、安倍政権は「皇室典範」を変えて「生前退位」を決定し、国会で「全会一致」で確認された。そして、来年「即位の礼」・「剣冠等継承の儀」「即位後朝見の儀」を「国事行為」として行なうことを決定した。だが、これらの「儀式」は「明治」以降にデッチあげられたものに他ならない。「万世一系」の「神」を継承する「儀式」自体が、それ以前には風化していたものを創作したものに他ならないのである。
 まさに天皇の「お言葉」なるものによって政権・国会がこれを推進するという構造が現実化したのである。
 このことの持つ位置は歴史的にみて重要である。「戦後憲法」において「象徴」として政治的行為をしないとされてきた天皇の「お言葉」ひとつで、政府・国会がそれに従い国家的事業となるという事実は、「戦後天皇制」といえども天皇制の本質は変わらないということを示している。
 それは第一に、天皇の問題が国家的・国民的な問題であるということの強制である。天皇=国家ということの既成事実化である。
 戦後「象徴制」といわれる構造は、決して抽象的なものではなく、つねに天皇制と国家を結合させ、その存在を全社会的に承認させることを強制してきたのである。それをつねに社会の上にあるものとして浸透させてきたのである。今回の「お言葉」なるものは、天皇の意志によって国家的な事業を決定しうるという事実を示したのである。まさに政治的行為そのものなのである。
 第二は、「平和の象徴」キャンペーンである。政府・マスコミを総動員してアキヒトの行動を賛美するキャンペーンがくりかえされている。
 アキヒトが戦争の犠牲者を「慰霊」してきたことが強調され、これこそが「象徴」の証であるかのごとくキャンペーンされている。だが、これは日帝の戦争の歴史を清算しようとするものに他ならない。「戦犯天皇ヒロヒト」の歴史を清算しようとするものである。
 第二次世界大戦の直接的遂行者であり、最高責任者であり、アジア人民二千数百万人、沖縄人民一二万人以上の虐殺の張本人である「戦犯ヒロヒト」の歴史を清算することは決して許されない。
 「アキヒト」のアジアや沖縄をめぐる「慰霊」と「平和の祈念」という行動は極めて政治的な戦争と虐殺の歴史の清算と、新たな戦争と虐殺を準備するものに他ならない。
 本年三月二八日、天皇「アキヒト」は「退位前、天皇『最後』の沖縄訪問」として与那国島への訪問を強行した。しかし、それはこれまでくり返してきた「慰霊」ではなかった。動員された自衛隊制服どもを鼓舞するものであり、また「日本最西端」に天皇が足を踏み入れることをもって「日本領土」だと確認するものでもあった。
 「戦後天皇制」を「象徴天皇制」として「非政治的」「平和的」な存在として描きながら、極めて政治的に天皇=国家として全社会的な構造と意識をつくりだそうとしているのである。今回の「お言葉」と「代替わり」は、「戦争の清算」と「非政治的」という段階が終わり、新たな段階に進もうとするものである。この点を確認するうえで歴史的にみて「代替わり」とはいかなるものであったのかについて考察する。

 ▼1章―1節 「代替わり」の歴史

 いわゆる一八六八年権力(明治維新)以降における「代替わり」は三度あった。それらは、国際的・国内的な情勢、とりわけ階級情勢をうけたものとして天皇制の強化と、国家への国民総動員攻撃として行なわれてきた。そのうち「ヒロヒト」から「アキヒト」への「代替わり」を考察する。
 「ヒロヒト」への「代替わり」は第一次世界帝国主義強盗戦争における「協商国側」の勝利以降のいわゆる「戦間期」・「ヴェルサイユ体制」下であった。日帝は、アジアにおけるドイツの植民地を獲得した。だが、戦争景気によって膨張した日本帝国主義は二〇年二月の恐慌にはじまる戦後的経済危機にみまわれ、また二三年「関東大震災」によってその危機は決定的に拡大し、二七年の金融恐慌を迎えることとなった。
 同時に、階級闘争の激化の時代でもあった。一七年ロシア革命の勝利をうけ、戦後革命は世界的に高揚し、国内の階級闘争も高揚していた。一八年富山に始まる「米騒動」は約五〇日間にわたり全国に波及していった。労働者階級も一九年から二一年における三菱川崎・神戸造船所や八幡製鉄所をはじめとしてストライキを闘いぬいた。また日本共産党や水平社、日本農民組合の結成、女性解放運動の高揚など、労働者人民の闘いが高揚した。これに対して、二五年「代替わり」を見すえて、普通選挙法(男性のみ)と緊急勅令による治安維持法という「アメとムチ」を使いながら統治的転換を行なっていった。
 そして二六年の「代替わり」をメルクマールとして本格的に侵略戦争と階級闘争の圧殺に突入していった。二七年の第一次山東出兵という新たな強盗戦争を開始し、同時に二八年「三・一五弾圧」、二九年「四・一六弾圧」という「治安維持法」による一大弾圧によって日本共産党を解体していった。
 そして二九年世界恐慌下において、二四五六件という労働争議、八四六件という労働者階級のストライキ(代表的には、鐘紡、東京市電、東洋モスリン等)、小作争議の激化という労働者人民の決起を暴力的に弾圧し、三一年「柳条湖事件」から一五年戦争に突入していった。
 「五・一五」「二・二六」という軍部内「皇道派」を中心とした反乱(ファシズム運動)を吸収しながら、三七年「国民精神総動員運動」、三八年「国家総動員法」の制定、そして「産業報国会」運動を形成し、天皇制ファシズム体制という戦争体制が構築されたのである。まさにこの全過程が、「ヒロヒト」のもとで行なわれたのであり、「代替わり」はそのメルクマールであった。
 「アキヒト」への「代替わり」は、「ヒロヒト」の「戦後天皇制」からの転換をめざすものとしてあった。
 「人間宣言」や「象徴」として戦前とは異なるものとされてきた天皇制が情勢的要素によってその転換をおこなう契機となったのである。「ニクソンふたつの声明」によって戦後的世界体制が再編成される中、戦後的な「高度成長」も終焉をむかえた。
 帝国主義国は米帝のヘゲモニー下における統一的世界市場の再編のなかでの戦後的な国内支配体制の再編に突入していった。これは、「サッチャー・レーガン・中曽根」による新自由主義グローバリゼーションとなっていった。
 日帝は国内再編を必然化した。七〇年代中期から開始され、八〇年代以降本格化する戦後体制の解体的再編の進行である。いわゆる五五年体制の正面からの突破である。その基軸は労働運動の解体である。同盟―IMF・JCの育成と民同の企業内労組としての労使関係という段階からの根底的なの再編が必要だったのである。
 この攻撃は中曽根の「戦後政治の総決算」攻撃として本格化した。総評の解体のための臨調・行革、公労協の解体のための中心労組であった国労の解体を狙った「分割民営化」の一大攻撃が開始されたのである。国労の戦闘的な闘いの継続にもかかわらず、全民労協から連合の結成として戦後的な労働運動の構造は解体され、社会党は大きく右へと縮小再編されていった。
 同時に、小選挙区制の強行として、議会の空洞化の進行と行政・執行権力の肥大化が進行する。まさに、戦後体制としてあった「五五年体制」は上から解体されていくのである。
 この戦後的な統治形態・階級支配からの転換は、戦後「平和と民主主義」という構造の解体的な再編を必然化する。天皇制の再度の位置の拡大が開始されていくのである。
 七〇年代以降、「天皇在位五〇年式典」「六〇年式典」や七五年天皇の沖縄上陸策動(これは実現せず、名代としてアキヒトが上陸したが、「ひめゆり・白銀」戦闘―決死糾弾を受けた)、そして「元号」法制化(七九年)という新たな段階における天皇制への人民動員が開始されたのである。付言すれば、九九年には国旗・国歌法案が施行され、「日の丸・君が代」強制の攻撃が強められた。
 そして八七年「ブラックマンデー」という経済危機のなか、八九年「アキヒト」への「代替わり」攻撃がおこなわれたのである。
 「昭和」=「ヒロヒトの時代」とし、戦争については「軍部」の暴走とし、「敗戦」を「終戦」といいくるめ、「終戦」を決断したのは「ヒロヒト」であるとデッチあげて宣伝した。実際は「近衛上奏」に対して「もう一度戦果を挙げてから」と戦争を継続し、多くの人民の死を結果した。にもかかわらず戦後、「戦争責任」を「言葉のあや」といなおって、自らの「戦争責任」を否定し続けたのである。
 そして、戦後の平和を象徴するのが「ヒロヒト」であるとのキャンペーンが「ヒロヒト」自身の全国「行幸」をもってに全社会的に強行された。「代替わり」の儀式によって、「万世一系」としてデッチあげられた「三種の神器」を継承した。この「神格化」は「臣下」に「新天皇」として君臨するということだった。
 これによって、「戦後の終焉」が宣言された。これは、戦後憲法下の天皇制の再編を意味するものであった。同時に戦後的統治形態からの転換、「平和と民主主義」からの脱却を権力がめざすことをあきらかにするものである。実際、「ソ連崩壊」も受けながら新自由主義グローバリゼーションという資本の利益を究極的に追求し、賃金奴隷制を強化し、制約なしに搾取する構造が拡大していたのである。
 「アキヒト」はアジア各国を訪問することで、「ヒロヒト」ができなかった「戦争の清算」をアジア的に拡大し、「戦後の終焉」を既成事実化したのである。

 ▼1章―2節 今回の「代替わり」攻撃の位置

 では今回の「代替わり」は、いかなる情勢においておこなわれるのか。新自由主義グローバリゼーションは世界的に矛盾を爆発させ、すでに破産を露呈している。資本主義は完全にいきづまっている。この危機のなかで、統一的世界市場の再編をなしうる帝国主義は存在しなくなっており、自国・国民国家の防衛を前面におしださざるをえなくなっている(トランプ政権の登場やポピュリズム政党の拡大)。当然にも、これは、世界市場の分断を結果する。
 現在の安倍政権が推進するのは、とりわけ中曽根政権以来の戦後国内体制の全面的な解体的再編の遂行である。これを進めるにとどまらず、新たな戦争体制をつくり出そうとするものである。それは、①議会の一層の空洞化の推進と行政・執行権力肥大化。②新たな階級支配の構造、労働者階級としての結合の解体と権利の剥奪、個人への解体と国家による直接的な支配。③資本・民族の利害への徹底した組織化、これらに対する反抗の暴力的解体。④これを実現するうえでの不可欠なイデオロギーと運動をつくることである。
 このために、戦争法の強行、「非核三原則」の空洞化(実際核武装可能なプルトニウムの保持とロケット開発は推進)、「武器輸出三原則」の撤廃、「自衛隊」における「文民統制」の解体と「制服組」の位置の拡大、「秘密保護法」、「国民総背番号制」(マイナンバー制度)、「共謀罪」等、治安弾圧体制は拡大しており、公安警察の暗躍もふくめて、戦前の「治安維持法」体制ともいうべき体制が構築されているのである。
 そして現在、労働者の戦後的権利の根拠ともなった「労働基準法」の全面的な解体が行なわれようとしている。「八時間労働制」、解雇の制限等の歴史的に労働者階級が闘いによって勝ちとってきた権利が根底から剥奪され、文字どおりの奴隷労働が強制されようとしているのである。これらの実質改憲として進められてきたことが「九条改憲」を中心とする明文改憲によって、新たな体制として確立されようとしているのである。
 この後には、自民党の「改憲草案」にあきらかなように、天皇の「元首」としての明文化がでてくるのは必定である。
 「ナルヒト」の「代替わり」はかかる階級情勢のなかで行なわれようとしているのであり、新たな「戦前」ともいうべき情勢のメルクマールである。けっして「象徴」の「平和と民主主義」に基づく「儀式」一般ではない。「奉祝」への動員に屈服することは階級闘争において決定的な敗北を準備することに他ならない。「代替わり」攻撃を粉砕するために闘わねばならない。

 ●第二章 天皇制の歴史的・国家論的考察

 天皇制、とりわけ近代における天皇制について明らかにし、その批判の階級的観点を獲得していくことが再度問われている。これは、まさに「打倒すべき権力の性格」を明らかにするという意味でも必要である。そのためには六八権力(明治権力)以降の国家と天皇制との関係を歴史的に分析していくことが必要である。大きくは六八権力から戦前と、戦後との大きくふたつにわけられる。天皇制が現在まで存続していることの根拠もこの歴史のなかにある。
 そもそも、六八権力の成立は「封建武士団」間の権力闘争の結果である。この権力闘争では米英に後押しされた薩摩・長州が勝利した。そして六八権力は新たな中央集権国家の建設と急激な「富国強兵」としての資本主義化を不可欠としたのである。それは、すでに帝国主義段階に至ろうとしていた欧米の列強に追いつかなければ国家的存在が危機となるからである。ここに、民族主義の具現化としての天皇制が中央集権国家の中心として「復活」した根拠がある。
 六八権力は「地租改正」「廃藩置県」等の上からの再編を行なっていった。これは、「封建武士団」から土地と人間を剥奪し、資本主義の成立に不可欠な「原始的蓄積」を上から強行していくためであった。このために、「西南戦争」等の「武士団」の反乱を粉砕していった。そして天皇を中心とし、官僚と軍隊による中央集権国家の確立と急激な上からの資本主義化を開始していく。官営工場(富岡や八幡等)をつくった。輸出は軽工業製品の輸出であった。
 同時に、侵略戦争を開始した。まず琉球を併合し、「日清」「日露」の戦争をとおして「台湾」「朝鮮」を植民地としていった。この点が日本帝国主義の特徴である。
 この日帝の成立過程は現在の国家にも大きく関係している。六八権力の国家論的整理が必要である。六八権力以降の国家自体が世界史的に帝国主義段階への突入期における成立であった点をふくめて考察しなければならない。
 それは、六八年に成立した天皇制絶対主義権力は、成立と同時に変質を開始し、八九年「帝国憲法」(天皇が発布する欽定憲法)発布をもって資本主義的経済社会構成体への移行を基本的に完了し、「階級闘争の総括としての国家」として成立したこと。すなわち六八年から八九年まではその過渡期として存在するが、それは資本主義国家への変容の過渡期である。したがって八九年以降は資本制国家として規定されなければならない。この資本制国家は、当然にも階級的本質としてブルジョア独裁国家である。
 国家の本質が「階級対立の非和解性の産物」である以上、その階級的本質は階級独裁である(従って、経済外的強制、つまり警察・軍隊という暴力装置を持つ)。そしてこの国家は対外的・対内的な政治・経済的条件に応じてさまざまな国家形態をもつのである。
 それは資本制国家において国家権力がいかに組織、構成されているかによって分けられる。それを規定するのは、階級対立にもとづいて、支配階級がどのような形態で権力を組織するかである。この国家形態は最高権力の機関の性格、構成、階級支配を実現する「手段・方法」、国家的統一の組織形態によって規定されるし、どの階級がその利害の貫徹のために、権力をどのように行使するかによって決定される。
 日帝においては、八九年における帝国主義としての成立以降、世界的・国内的条件に規定され、天皇制を資本制国家のあらゆる国家形態において存続させ、藩閥、政党等という統治形態・階級支配の再編を国際的・国内的条件の中で実現した。そこにおいて天皇を頂点とする華族制度の確立をなし、それによって部落差別をはじめとする差別を新たな形でうみ出したのである。天皇制の下で女性の権利も剥奪されてきたのである。最終的に天皇制ファシズムという国家形態へと至ったのである。
 ファシズムも資本制国家、ブルジョア独裁国家におけるひとつの国家形態であり、世界の再分割戦争における、再編成を実現しようとする帝国主義において成立したものである。本質的には、共和制や立憲君主制等と並ぶ国家形態のひとつといえる。
 次は天皇制の問題である。六八権力として文字どおり復活した天皇制は(封建武士団が権力を確立していた時代は官位をだすだけの「象徴」であった)、八九権力において「大権」(統帥権の独立、天皇の軍隊の確立等)を獲得し、ファシズムにおいても維持された。それは戦後まで維持された。
 天皇制が、その直接的な階級的基礎を移行させながら成立しつづけられたのは、その成立時における諸階級の力関係を表現し、帝国主義としての確立を他帝との関係において上から推進したこと、また、そのために不可欠の植民地支配、共産主義と国内階級闘争の激化という総体のなかで特殊な強力な中央集権制を必要としたことによると考えられる。後発資本主義としての歴史性に規定されていたのだ。
 同時に、天皇制が、その歴史的過程において階級的諸勢力の再編成、対外的情勢によって、その政治的性格を変化させてきたからに他ならない。そこに天皇制の特殊性がある。天皇制は直接的な階級的基礎をブルジョアと地主におきながら、資本主義の拡大のなかでその基礎を変化させてきたのである。戦後において、寄生地主制が廃止されながら存続したのもこのことが一つの要因である。したがって、天皇制ファシズムとして成立しえたし、また天皇制ファシズムとしてしか成立しえなかったのである。天皇制の存在によって統治形態と政治体制の再編を実現したのである。
 もちろん、この過程で支配階級は金融独占資本の利害に統合されていくわけであるが、その貫徹としての戦争とファシズムは、まさに天皇制による侵略と反革命の統一を不可欠としたのである(軍財抱合の戦争遂行体制)。
 支配階級は常に天皇制という政治体制のもとで利害を貫徹したのであり、それが有効だったのである。天皇制を絶対主義として固定するのは天皇制自体の評価を誤り、歴史的事実を論証できなくする。ましてや、「万世一系性」のみに、そのイデオロギー的根拠を求めるのは、まったくのブルジョアイデオロギーである(文章の性格上、この過程における支配階級内部の対立や、階級闘争との関係や世界情勢との具体的関係、具体的な過程、天皇制ファシズムの内容的分析については別の機会とする)。
 天皇制は、六八以降日本帝国主義の統治形態において一貫して権力として「君臨」し続けたのである。

 ▼2章―1節 戦後天皇制について

 次に戦後の天皇制の位置について考察する。
 天皇ヒロヒトは、日帝の「敗戦」に際して、自らの命と天皇制の護持のために沖縄をアメリカに売り渡した。日帝の「敗戦」によって国家形態・統治形態・政治体制の全面的再編成が必然化した。同時に、占領下においてはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の承認なしには何もなしえないものとしてあった。したがって米帝と国内支配階級の利害の一致が前提であった。これを規定したのが国内外の階級情勢である。
 第二次大戦の結果、いわゆる「ヤルタ体制」が、「ヴェルサイユ体制」に代わって世界的な体制として成立した。米帝を盟主とする資本主義体制とソ連を中心とする「労働者国家」の群としての登場による併存という過渡的な構造である。米帝にとっては戦後的な統一的世界市場の防衛が第一の課題であった。とりわけ、東欧へのソ連の支配の拡大から、中国革命の勝利、朝鮮半島からベトナムをはじめとしたアジアにおける民族解放闘争の前進、「共産主義革命」の拡大への対抗は緊急の課題であったといえる。
 これと同時に日本国内では戦後革命期といえる労働者人民の決起の拡大があった。四五年花岡鉱山をはじめとした全国の炭鉱における強制連行された朝鮮人民・中国人民の決起を出発点とした闘いは日本人民にも拡大した。
 労働者はストライキ、工場占拠、生産管理に決起し、米よこせ闘争や、「血のメーデー」に代表される天皇制への闘いも拡大し、まさに戦後革命期と呼ぶべき情勢が存在した。これに対して米占領軍は徹底的な弾圧をもってこたえた。
 かかるなかで、国際的・国内的に「反共の砦」とするために、資本主義体制の維持として四七年憲法(戦後憲法)という統治形態をもつ国家体制が成立したのである。ブルジョア独裁体制は堅持され、同時に天皇制も基本的に堅持された。
 たしかに、戦前のような天皇「大権」は剥奪され、「寄生地主制」の「農地改革」による解体、「財閥」の解体という戦前の天皇制を成立させた根拠は形態的にはなくなった。だが新たな「ブルジョア独裁」体制のなかに天皇制は継続されたのである。いわゆる「象徴天皇制」は天皇制の護持のための体制であり、国家と天皇制、支配階級の利害のための天皇制という位置はかわらないのである。
 「象徴天皇制」をもって天皇制が本質的に変化したというのは「ブルジョア独裁」、「ブルジョア民主主義」への屈服以外ではない。また天皇制がイデオロギーとしてのみ存在するというのは天皇制を「復古的」な絶対主義の遺物としてとらえるという決定的な誤りである。
 戦後天皇制はあきらかに金融独占ブルジョアジーの権力のなかの存在としてあるのである。金融独占ブルジョアジーの国家体制における、立憲君主制(近代的)という統治形態のもとに、階級対立を覆い隠す政治体制のなかに位置するのである。前述したように、ブルジョア独裁においては、主客の条件、階級闘争の条件によって共和制、立憲君主制、ファシズムのような独裁体制等の統治形態が存在し、またそれらの間の移行もおこなわれるのである。まさに「階級対立の非和解性の産物」ゆえに階級闘争という観点から考察されなければならない。「戦後憲法」自体が階級闘争に規定されたものなのである。
 そうであるがゆえに、五五年体制の成立と同時に自民党は「憲法草案」で天皇の「元首」明文化を党是として掲げ、「紀元節」の復活や「元号法制化」をすすめ「代替わり」を国家事業として強行してきたのである。天皇制の問題は階級闘争の課題である。
 日和見主義は、戦後天皇制を容認し、憲法の範囲での天皇を「象徴」として容認する。六八権力自体を「ブルジョア権力」として天皇制との闘いを無視する社会民主主義の潮流はもとより、封建遺制として二段階革命の「民主主義革命」の課題としてきた日本共産党も、元号を使用するなど「象徴天皇制」の容認へと屈服している。
 まさに、「天皇制」と「領土」問題においては全議会内政党は一致している。天皇=国家という支配階級の利害は確実に貫徹されているのである。この日和見主義を乗り越えて闘わなければならない。
 われわれの闘いは、労働者階級の国際的な連帯なしには不可能であり、他国の戦闘的労働運動、被抑圧民族・人民、被差別大衆の利害のために闘うのでなければならない。
 歴史的な革命運動の教訓を血肉化し、革命的決意をもって階級闘争の新たな段階をかち取らなければならない。問われているのは新たな社会であり、その内容とそれを実現する方法の総体である。
 安倍政権は、「即位の礼」を「メーデー」にぶつけるという攻撃にうってでてきている。われわれは、階級的労働者の隊列を強化し、この攻撃を粉砕しなければならない。「日比谷メーデー」を防衛し、来年一年にわたる、天皇=国家を掲げた攻撃と真正面から闘いぬこう。



 

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