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   ■天皇制・天皇制イデオロギー粉砕

    「代替わり」攻撃打ち破る政治決起を

                                           野村興起




 四月三〇日の天皇アキヒト退位、五月一日の新天皇ナルヒトの即位が目前に迫った。
 日帝―安倍右翼反動政権は、「天皇代替わり」儀式を「国家的祝賀行事」として強行し、日本労働者階級人民を再び天皇制・天皇制イデオロギーのもとへと統合しようとしている。
 「天皇代替わり」は、四月三〇日「退位」―翌五月一日の「即位」だけでなく、一〇月二二日の即位祝賀パレードや「即位礼及び大嘗祭後御神楽の儀」、二〇年四月一九日のフミヒトの「立皇嗣(りっこうし)の礼」まで、およそ一年にわたって続く大小約四〇儀式で成り立っている。
 二〇年八月には東京オリンピック・パラリンピックが開催され、新天皇ナルヒトが名誉総裁として開会宣言する予定だ。東京五輪開催期間中は連日、日本のいたるところで「がんばれ日本」のスローガンが連呼され続けていくであろう。これもまた、安倍政権によって、「国威発揚」や「国民統合」へと最大限利用されていく。その意味において、「天皇代替わり」や、東京五輪による「国民統合」、「国威発揚」と、安倍右翼反動政権のおし進める改憲―戦争国家化の攻撃とは一体のものとしてあるのだ。
 日本労働者階級人民は、二〇二〇年までつづく、安倍右翼反動政権による改憲と天皇制・天皇制イデオロギーによる国民統合攻撃と対決していかなければならない。
 でっち上げ事前弾圧―予防拘禁などの天皇戒厳令弾圧や民間右翼反革命勢力の敵対や襲撃をはねかえし、「天皇代替わり」と対決し、新天皇即位を「祝わない!」という人民の意志を地域・職場・学園・街頭などあらゆる場所で訴えよう。4・28―5・1街頭政治闘争を闘おう。5・26トランプ来日―天皇会談粉砕、10・22即位国家式典粉砕闘争を全力で闘いぬこう。プロレタリア国際主義の旗をかかげ闘おう。日本労働者階級人民は、5・1メーデーを断固として貫徹しよう。

 ●1章 開始された「天皇代替わり」儀式

 ▼1章―1節 「代替わり」儀式の流れ


 三月一二日より、「天皇代替わり」儀式が始まった。天皇アキヒトは、「退位及びその期日奉告の儀」を行い、皇室神道の「皇祖神」である「天照大神(アマテラスオオミカミ)」=日本神話上の神をまつる「賢所(かしこどころ)」や、歴代天皇と天皇一族をまつる皇霊殿など三か所において、四月三〇日に退位するとの「御告文(おつげぶみ)」を読み上げた。
 天皇アキヒト・皇后ミチコは、三月二六日の神武天皇陵(奈良県橿原市)の参拝につづき、四月一八日に伊勢神宮(三重県伊勢市)、二三日には昭和天皇陵(東京都八王子市)を参拝して、退位を報告するという。
 退位日の四月三〇日には、午後五時から皇居・宮殿「松の間」において、「退位礼正殿の儀」が行われ、皇族や三権の長らが出席し、アキヒトが天皇として最後の「お言葉」を述べる。そして翌日の五月一日には新天皇として現皇太子ナルヒトが即位し、「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」が、五月四日には新天皇即位祝賀の一般参賀が行われる予定となっている。五月一日の即位日が一年限りの特例休日なったことで、四月二七日から「一〇連休」となった。
 安倍右翼反動政権は、この一連の天皇退位―新天皇即位を「国家的祝賀行事」として強行することを通して、「日本国」・「日本国民統合の象徴」としての新天皇即位を「国民の総意」で祝賀することを強制しようとしている。
 ブルジョアマスコミは安倍政権と一体となり、テレビなどを通して、「平成最後の○○」といったキャンペーンを連日のようにたれ流しつづけ、「元号」=天皇による時代区分(時間の支配)を人民に押し付け、「天皇代替わり」を「日本国民こぞってことほぐ」(安倍所信表明演説)ものであるという刷り込みを日々行っている。
 だが、伝統的「皇室行事」などというものは、ほぼすべてが明治政府によって創作されたものであり、たかだか明治維新以降一五〇年程度の歴史でしかない(古代から宮中で行われていたのは「新嘗祭(にいなめさい)」だけ)。皇室神道儀式を通じて、でっち上げに過ぎない天皇一族の「万世一系」神話を流布し、儀式の荘厳化によって、天皇一族を「社会の上に立つ存在」として印象付けることをもって、新天皇即位を「国民の総意」として祝賀させようというのだ。天皇の下への再統合=階級性の解体の攻撃であり、絶対に許してはならない。

 ▼1章―2節 代替わりの発端としての一六年8・8「お言葉」

 今回の天皇代替わり攻撃は、天皇アキヒトが一六年八月八日にNHKで行った「お言葉」に端を発している。アキヒトの主張の要旨は〈象徴天皇の職務には憲法に明記された国事のほかに、国民の統合の象徴であることを見える形で示すための国内各地や海外に赴く公務が不可欠であり、それが極めて膨大なので、高齢になった自分にはその責務を果たせない。だから退位できる道筋をつけてほしい。自分には国政の権能がないから権能を有する政府・議会が考えてほしい。それには皇室典範の再検討が必要だ。摂政を置くという方法は、摂政は象徴ではないから適当でない〉(注一)というものだ。
 以降、政府や国会がそれに対応して、今回限りの特例法として「天皇退位法」が制定されていった。
 また、安倍晋三を委員長とする政府式典委員会が作られ、「代替わり」儀式の様式・内容が決められていった。
 この一六年8・8「お言葉」と、以降の「生前退位」の経過は、天皇制と日本国家とは不可分一体であることを改めて浮き彫りにさせたといえる。
 戦後憲法によって「国政の権能を有しない」と規定されたはずの「象徴」天皇アキヒトの「お言葉」ひとつによって、政府・国会がそれに従い、「天皇代替わり」を「国家的事業」として挙行するという事実は、「天皇の問題」はすなわち「国家の問題」なのだということの既成事実化である。
 日帝支配階級は、天皇(制)が一貫して日本の国家的宗教的権威=〈国家の神〉としてあり続けていることを、でっち上げの「皇室伝統」=皇室神道儀式を荘厳に挙行することによって、日本人民に「承認」させようとしているのだ。その意味において、天皇制=「国体」=〈国家の神〉とする日本の国家としての本質は、戦後「象徴天皇制」といえども何も変わっていないのである。
 第二に、アキヒトが8・8「お言葉」で「憲法のもと、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」と語っている内容についてである。
 「戦後レジームからの脱却」をかかげて暴走をつづける安倍独裁の腐敗しきった姿の中に、「戦後民主主義」の崩壊をみる、「リベラル派」といわれる多くの知識人は、この8・8「お言葉」に賛意を示した。彼らはアキヒトの発する「お言葉」の中に、安倍政権への対抗的なメッセージを読み取ろうとする。そして、安倍改憲攻撃へのアキヒトの「護憲的介入」として肯定的に評価するのだが、これは「リベラル派」の主観的願望にしか過ぎないのではないだろうか。
 アキヒトが8・8「お言葉」において「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」と述べているように、天皇制が今後もあり続けていくということがアキヒトの発言の要旨である。つまりは、戦前・戦後も一貫した天皇制=国体という関係性の維持の要求以外ではないだろう。
 「国政の権能」を持たない象徴天皇は、皇室神道に裏付けられた、国家の「権威づけ」や「正統化」のための「政治利用システム」として存在し続けてきたのであって、天皇はこれまでそうであったように、今後も日本会議・神道政治連盟(神政連)が支配する安倍政権の「ロボット」として、「政府の助言、承認」にもとづいて「国事行為、公的行為、その他の行為」を行い、国家の荘厳化・権威づけに最大限に利用されていくことになるのだ。この「政治利用システム」こそが、天皇制の本質なのであって、アキヒトの発言を安倍独裁への「対抗的メッセージ」と解釈したところで、安倍独裁政治を打倒する対抗軸とはなりえないことは明白である。天皇制・天皇制イデオロギーとの闘いはイデオロギー問題一般や伝統的復古主義者との闘いなのではなく、本質的に国家権力をめぐる問題として日本労働者階級人民に問われる最大級の課題として存在しているのである。

 ●2章 「国体護持」としての象徴天皇制

 ▼2章―1節 アキヒトの2・24「お言葉」を弾劾する


 二月二四日、国立劇場において、「天皇在位三〇年記念式典」が天皇アキヒト・皇后ミチコをはじめ、三権の長などの出席のもと行われた。式典では、「国民代表の天皇陛下へのあいさつ」を、東日本大震災と福島第一原発事故によって甚大な被害を受けた福島県知事が行った。また、アキヒトが作曲しミチコが作詞した歌を沖縄出身の歌手である三浦大地が歌うという演出が行われた。
 そこには、原発震災を「なかったこと」にしようとすることに対する福島県民の怒り、辺野古新基地建設反対の圧倒的民意を無視し、辺野古の海に土砂を投入しつづける安倍政権に対する人民の怒りを、天皇制の下へと回収しようという安倍政権の露骨な政治的意図がある。また、式典当日には、総務省から学校や役所に対して「日の丸」掲揚通達が出され、「祝賀」が強制された。そして在位三〇周年反対デモには、すさまじい重警備体制が敷かれた。また、極右排外主義集団によるデモ隊への襲撃が行われた。
 アキヒトはこの式典において、「お言葉」を述べたが、われわれ日本労働者階級人民は、この「お言葉」を徹底弾劾しなければならない。
 それは第一に、「平成の三〇年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちました」と述べ、自らが天皇の位置にいた「平成」を「平和な時代」と総括していることである。
 即位から三年後の一九九二年には、戦後初のPKOによる自衛隊カンボジア派兵が強行された。この派兵を突破口にして、日本は恒常的な派兵国家となっていく。また、二〇〇〇年代初めには、「対テロ」戦争を名目にした米軍によるアフガニスタンやイラクへの侵略戦争の出撃拠点として、在日・在沖米軍基地が使用された。そして安倍右翼反動政権は、集団的自衛権行使の「合憲化」を閣議決定し、一五年には戦争法を強行制定したのである。
 そして現在、安倍政権は、日本会議・神政連と一体となって改憲攻勢を強め、改憲発議―二〇年改憲へと突進している。アキヒトの「お言葉」はこれら急速に進む日帝の戦争国家化から、人民の目を逸らすことを意図したものであり、弾劾されるべきものなのだ。
 第二に、「天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と語り、アキヒトが即位後につくりあげてきた「象徴天皇制像」を維持し、今後さらに継承・発展させていこうという意図を明確にしている。これは、憲法で定められた天皇の「象徴」としての行為をアキヒト以上に拡大するべきであるという意思表示であり、一六年8・8「お言葉」よりさらに踏み込んだ発言である。これは天皇の権限強化=元首化の動きへとつながっていくものであり、決して許してはならない。
 第三に、「これまでの私の全ての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした」と語ったことの反動性についてだ。
 「民度」などという言葉で自民族優越主義(エスノセントリズム)・排外主義を天皇自らが扇動していることを弾劾しなければならない。マスコミやネット空間などを通じて、この間さかんに「日本人の優秀性」を扇動する言説が流布されてきているのと軌を一にしたものであり、これこそ、差別の元凶としての天皇制・天皇制イデオロギーの本質を改めて明らかにしたものだといえる。日本労働者階級人民は、このような自民族優越主義による「国民統合」攻撃・差別排外主義扇動を断固として拒否し、プロレタリア国際主義に立脚し闘わなければならない。
 ▼2章―2節 戦後「象徴天皇制」について

 台湾、朝鮮、中国をはじめ、アジア諸国を侵略・植民地化し、二〇〇〇万人を虐殺したアジア・太平洋戦争の最高責任者(大元帥)であった戦犯天皇ヒロヒトは、日帝の敗戦が確実な状況となっても、「和平条約を有利にするにはいま一度戦果を挙げてから」と、最後まで「国体護持」=天皇制の存続にこだわりつづけた。この「敗戦処理」の時間稼ぎのために、四五年三月の東京大空襲などの各地の無差別絨毯爆撃によって何十万人もの人民が虐殺された。四月には米軍が沖縄に上陸し、一二万人もの沖縄の人々が米軍、そして「友軍」である日本軍にまで殺されていったのである。八月には広島、長崎に原爆が投下され、数十万人の人民が犠牲となった。
 占領下の日本統治に有利であるという連合軍総司令部(GHQ)の判断によって、天皇ヒロヒトの戦争責任は免罪された。「国政の権能」を失った引き換えに「国体」=天皇(制)は「象徴」として護持されたのである。そして「国政の権能」を失ったはずのヒロヒトは、「日本独立後も米軍が沖縄に駐留し続けることを希望する」という「沖縄メッセージ」によって沖縄を売り渡し、沖縄人民に現在までつづく差別軍事支配を強制する犯罪的所業に手を染めたのである。
 敗戦後、「国体護持」に成功した日帝支配階級は、アジア・太平洋戦争突入の根拠を「軍部の暴走」とし、さらに「終戦」は、天皇ヒロヒトの「聖断」だとするヒロヒト免罪のための物語をつくりあげていく。この天皇「聖断」物語にもとづく天皇制存続、極東軍事裁判での天皇不訴追は、多くの日本人民に受け入れられていく。
 当時皇太子であったアキヒトは、公的行為として「慰霊の旅」を行い、沖縄をはじめ、各地の戦地を訪問した。政府やマスコミは、このアキヒトの〝「象徴」としての行為〟をもって天皇=「平和主義者」というキャンペーンをくり返しているが、その本質は天皇ヒロヒトの「免罪」=戦争責任清算を目的としたものなのである。
 われわれ日本労働者階級人民は、いま一度日帝の侵略・植民地化の歴史を直視していかなければならない。その根幹には天皇制・天皇制イデオロギーによる国民統合=人民支配があり、これに日本階級闘争―日本労働者階級人民が屈服し敗北していったという負の歴史の総括をかけ、われわれは天皇制・天皇制イデオロギー攻撃と対決していかなければならないのだ。

 ●3章 天皇制・天皇制イデオロギーによる国民統合の歴史

 天皇制・天皇制イデオロギーによる国民統合の歴史を考察する場合、一八六八年のいわゆる明治維新にまでさかのぼる必要がある。
 すでに帝国主義段階に至りつつあった欧米諸国による開国要求への対応を発端にして、それまで長きにわたり日本を統治していた武士階級=封建武士団内での権力闘争が発生する。薩摩藩、長州藩をはじめとする「討幕派」は、米英などの後押しを受けながら、徳川封建権力を打倒し、一八六八年の「大政奉還」=統一国家形成へと至る。そのイデオロギー的支柱が「尊皇攘夷」=天皇親政への復帰という吉田松陰の唱えた「一君万民イデオロギー」であった。
 六八年明治権力は、成立当初より後発帝国主義として、欧米列強に追いつくことを目指し、中央集権国家の建設と「富国強兵」「殖産興業」化政策を統一国家成立直後から強力に推進していく。また同時に、日本の民族主義イデオロギー=「国民統合化」を、天皇制の「復活」によって進めていく。
 日本の国家的な枠組みは、一八八九年(明治二二年)の大日本帝国憲法によって定立された。明治国家は、天皇を「神聖不可侵」であり、唯一の主権者として位置付けた。天皇制=国家そのものであり、日本人民は「臣民」として天皇への忠誠と絶対服従を強いられたのである。また天皇制は、政治権力の独占だけでなく、日本人民の道徳的・宗教的・文化的・美的価値などの一切の源泉=「現人神(あらひとがみ)」としても位置付けられた。
 この天皇制・天皇制イデオロギーは、教育勅語(一八九〇年)発布後、学校教育を通じて人民の中に浸透していった。政府は勅語の謄本を全国の学校に配付して、天皇・皇后の写真への拝礼(「御真影」)と勅語の奉読を強制した。多くの皇室祭祀を行う日が、「祝日」に制定され、小学校などにおいて祝賀行事が行われた。また「修身」など、授業内容も勅語の趣旨に沿って行われ、「皇国臣民化」がはかられていくのである。
 さらに、天皇制・天皇制イデオロギーの人民への浸透という観点では、明治維新以降、全国にある神社の統廃合が、政府によって「上から」進められてきた歴史を押さえておく必要がある。明治以前には日本中の神社を束ねるような宗教組織は存在しておらず、数十万単位で日本各地に存在した神社は、それぞれが多種多様な信仰対象を持っていた。
 だが、明治維新以降、廃仏毀釈や皇室祭祀日の「祝日化」と合わせ、伊勢神宮を「本宗(ほんそう)」=頂点とした一大天皇祭祀組織が形成されていく。これによって、天皇崇拝と直結した神社神道が形成され、最終的には神道の国教化(国家神道)が確立していくのである。神社と氏子組織は、地方行政末端の天皇制イデオロギー浸透の装置として機能したのである。
 ここに神道宗教集団の重要な役割が存在している。これは、神政連など天皇主義極右宗教集団の源流であるといえる。一九四五年の日本敗戦後に、GHQの「神道指令」によって、国家神道は解体したが、神社や神道宗教集団は存在し続けた。そして現在、日本会議と一体となって改憲一〇〇〇万人署名運動を強力におし進めている。また、「偏向教科書」キャンペーンなどの教育の国家主義的再編攻撃の先兵となっているのだ。その目指すところは「教育勅語」の復活=国家神道化である(注二)。
 安倍内閣のうち、公明党の石井啓一国土交通相を除いた全員が神政連国会議員懇談会に所属しており、日帝政治権力中枢を握っているのである。
 この観点からも、学校教育での「道徳」教科化や教科書検定など、教育の国家主義的再編との闘いは、天皇制・天皇制イデオロギーに抗する重大な戦場となっているといえるだろう。

 ●4章 天皇戒厳令打ち破り闘おう

 ▼4章―1節 事前弾圧打ち破り闘おう


 「天皇代替わり」儀式が開始された中で、日帝政治警察による反天皇闘争への事前弾圧・予防拘禁攻撃が強まっている。
 大阪府警公安三課は、昨年一〇月一七日に反天皇闘争を闘う統一共産同盟の事務所や個人宅八か所に対して、「他人名義の銀行口座を使用」したことを「詐欺罪」と「マネーロンダリング法違反」とでっち上げ、家宅捜索を強行した。この時点での逮捕者はなかったが、その後九回に及ぶ執拗な任意出頭強要が行われた。そして二月二一日になって、同容疑をもって三名の仲間を逮捕したのだ。
 二月二四日の天皇在位三〇周年式典反対行動への露骨な予防拘禁―事前弾圧であり、不当極まりないでっち上げ弾圧だ。今後も「代替わり」式典が近づくにつれ、でっち上げ逮捕し、一定期間勾留することだけを目的とした弾圧攻撃が強まっていくことは必至である。
 関西生コン支部大弾圧も継続され、すでにのべ五〇名以上の組合員が不当逮捕されている。ストライキや団体交渉など、労働基本権にもとづいた当たり前の労働組合活動を「恐喝」や「威力業務妨害」としてでっち上げ弾圧しているのだ。また、公安刑事だけでなく、組織犯罪対策課がこの弾圧に関与している。まさに組織壊滅型の共謀罪のリハーサルである。ヘイト集団、極右マスコミ産経新聞、警察権力が結託した弾圧は、「天皇代替わり」反対闘争、大阪G20サミット反対闘争への事前弾圧だ。
 「天皇警護」の名の下での戒厳令型弾圧と対決していかなければならない。

 ▼4章―2節 4・28―5・1連続闘争を闘いぬこう

 安倍右翼反動政権は、天皇退位―即位儀式を、天皇元首化の突破口にしようとしている。われわれは、この攻撃を日帝国家権力の統治形態の天皇制ファシズム的再編に向けた重大な攻撃として捉え、広範な左派の共同のもと、街頭政治闘争として闘いぬいていく。
 既成野党の闘争放棄=天皇制への屈服を弾劾し、事前弾圧―予防拘禁などの権力弾圧や天皇主義右翼ファシスト、排外主義者集団などの闘争破壊をうちやぶり、即位礼儀式に対して、反対の声を地域・職場・学園などで高くあげていこう。
 4・28―5・1連続闘争を、「天皇代替わり」反対の街頭政治闘争として闘おう。日本労働者階級人民は、全国各地で5・1メーデーを断固として貫徹しよう。5・26トランプ来日・天皇会談反対闘争に断固として起ちあがろう。10・22ナルヒト即位・国家式典粉砕に全力で立ち上がろう。
 安倍右翼反動政権が進める戦争国家化、改憲攻撃と一体の天皇制強化、挙国一致体制づくりのための「天皇代替わり」儀式と対決し、反帝国主義・プロレタリア国際主義をかかげて「4・28反天皇制・反戦・改憲阻止行動」に結集して共に闘おう。

(注一)菅孝行氏の意訳。『戦旗』第一五〇九号(二〇一七年八月五日)「寄稿 民主主義の荒廃に抗して 安倍内閣の醜状から天皇制廃絶を考える 菅孝行」から引用。
(注二)神政連についての詳細は『戦旗』一五三八号(二〇一八年一二月五日)「天皇即位・代替わり攻撃と対決しよう 野村興起」参照。

 

 

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