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   ■5・15反革命的統合四六年弾劾!

 辺野古新基地建設阻止決戦の勝利で

  沖縄解放闘争の飛躍的発展を勝ち取ろう

                                       沖縄解放委員会(準)



 

 日帝・安倍―沖縄防衛局は三月二五日、辺野古側の新たな区域への土砂投入を強行した。断じて許さない!満腔の怒りで弾劾する。二月二四日の「辺野古埋め立ての是非を問う県民投票」では、埋め立て反対票が七割を超え、その結果を基に玉城デニー知事は安倍に対し、二度にわたる工事中止を申し入れたにも関わらず工事を強行したのだ。これが安倍のいう「沖縄県民に寄り添う」本質だ。安倍を倒せ! の声と闘いは全国に燃え広がっている。われわれは、5・15沖縄解放闘争の大爆発で、辺野古新基地阻止決戦に勝利し、沖縄差別軍事支配打破へ向けた熾烈な闘いをけん引する沖縄人民の革命的地平を日帝打倒・安保粉砕へと登りつめなければならない。

 ●1章 序

 一九七二年5・15日帝の沖縄の反革命的統合から四七年を迎える。もはや戦後からの米軍政支配二七年間より長い年月となった。沖縄の年齢別人口比でも、「復帰」後世代が過半数を占める。
 「復帰」後の沖縄経済構造についても、基地依存の消費型経済の構造から道路や港湾、空港などの社会資本の整備に加え、観光・情報通信産業等の成長などに変化がみられることも事実だ。基地関連収入が沖縄経済に占める割合は、復帰直後である一九七二年の15・5%から二〇一五年度は、5・3%となり、その比重は大幅に低下している。
 那覇新都心地区(那覇市、旧・牧港住宅地区)に端的なように返還軍用地の跡地は飛躍的な経済効果をもたらしていることは何人も疑う余地がない。まさに「基地は沖縄経済発展の阻害要因」であることが実感できる。現在沖縄観光も順調で、二〇一八年度の観光客数は、九三九万六二〇〇人で過去最高を記録した。今年二月の完全失業率(季節調整値)が2・0%となり、初めて全国平均の2・3%を下回った。
 だが、日帝の沖縄差別支配構造に変化はあったのか。その回答は「否」だ。
 「本土」の二倍もあった失業率が改善している半面、沖縄の労働者のおよそ二人に一人が低賃金・非正規雇用状態にある。三月に沖縄「県」が発表した「二〇一八年県民意識調査」では「子どもの貧困対策の推進」が42・1%を占めた。まさに負の連鎖構造が連綿として続いている証左だ。沖縄の子どもの貧困率は29・9%と、全国平均の13・9%を大きく上回っている。長年続いた基地経済依存構造と中小零細企業に偏重した産業構造の脆弱性に起因していることは自明だ。今なお全国の米軍基地面積の約70%が沖縄に集中する現状は、日常的な米軍の事件・事故の多発を生み出し、不平等な米軍優先の日米地位協定の壁が立ち塞がる。また軍事基地は都市・交通機能、土地利用計画にとっても阻害要因となっている。
 さらには、沖縄「振興」予算が、時の政権権力によって沖縄人民分断・懐柔の手段に使われてきた。仲井真の辺野古埋め立て承認の見返りとして、安倍政権は、沖縄振興費の予算額を当初の五二億円をも上回る三四六〇億円としたことはその典型だ。一方で、辺野古新基地反対を推進する翁長雄志「県」政には、二〇一五年度三三四〇億円から一八年度には三〇一〇億円と減額し続けた。翁長知事を継承した玉城デニー「県」政で初の一九年度は前年度と同額ながら、沖縄独自の政策自由度が高い「沖縄振興一括交付金」は、九五億円減額して一〇九三億円となった。とくに注目すべきは、新設の「沖縄振興特定事業推進費」として三〇億円が計上されていることだ。新基地反対の稲嶺進名護市政時代に、地方財政法も無視した久辺3区への直接交付金を投入したように、玉城「県」政と市町村自治体との分断を図る意図があることは明白だ。沖縄人民の自己解放闘争の前進で、日帝の沖縄差別軍事支配を打破しよう。

 ●2章 軟弱地盤問題のわい曲と「埋め立て」既成事実化を許すな

 沖縄防衛局による三月二五日の新たな土砂投入攻撃は、大浦湾側での軟弱地盤問題の深刻化に対する危機感と、「埋め立て」既成事実化による徹底的な反革命攻撃である。沖縄では、「県民投票」後二度にわたる玉城デニー知事の「工事中断」申し入れや、「土砂投入を許さない! ジュゴン・サンゴを守り、辺野古新基地建設断念を求める3・16県民大会」での一万人総決起を実現し、二五日当日もゲート前と海上での抗議阻止闘争に総力で決起した。
確かに、辺野古南側の第一工区(六・三ヘクタール)と、今回の第二工区(三三ヘクタール)を合わせると、埋め立て面積は全体(一六〇ヘクタール)の四分の一に達する。だが、辺野古側沿岸域はもともとリーフ内の浅瀬であり、復元可能であり、工事強行は諦め感の醸成を狙った反革命野望だけが鮮明だ。
 また、土砂積み出しの琉球セメント工場安和桟橋に加え、昨年の台風被害による補修工事で中断していた本部港塩川地区の再開許可で土砂投入が加速化される状況にもあるが、辺野古ゲート前座り込み行動・海上行動と連携した本部町島ぐるみ会議などの仲間たちの粘り強い闘いと結合し、土砂投入阻止の闘いに勝利していかなければならない。
 それにしても、大浦湾側での軟弱地盤問題は決定的だ。地質調査が成立しないほど軟らかい地盤、マヨネーズ並みの地盤が深さ約四〇メートル続いていることは、当の沖縄防衛局によるボーリング調査によっても明白である。特に深刻なのは、滑走路付近に位置し水深が一番深く未着手の「C1」と呼ばれる護岸建設水域にある二地点だ。それゆえ、日本最大級の民間大型掘削調査船「ポセイドン1」を二度にわたり投入せざるを得なかった。
 この海域は、すでに二〇〇〇年に防衛庁(当時)が「代替施設建設協議会」に提出した「海底断面図」でも、大浦湾海底部の五〇メートル近く沈下した落ち込み場所を「断層によると考えられる落ち込み」と記載していたのであり、陸上部の「辺野古断層」と「楚久断層」の延長線上にあるのが「C1」護岸なのである。「既存の文献に活断層を示す記述がない」と居直る安倍政権であるが、活断層と軟弱地盤は一体であり、単なる「改良工事」で済ませられないことは当の安倍自身が一番知っていることである。
 その安倍政権は、「軟弱地盤対策」として大浦湾の海底に、約七万七千本もの砂杭(すなぐい)を打ち込むとしている。その数もけた違いながら、杭打ち範囲は軟弱地盤が指摘されている部分よりはるかに広範囲となり、埋め立て区域の大浦湾側のほぼ全域となる。
 工法は二種類で、護岸部分では「サンドコンパクションパイル(SCP)」工法で砂杭を地中に造成し、埋め立て部分には砂杭を打ち込んで水をぬく「サンドドレーン」工法を用いるという。しかも、砂杭での大量の砂は到底調達の見込みがないので、「砂、採石、スラグ(鉄くず)、再生砕」を使用するとしており、サンゴ礁などの環境に与える負荷は甚大だ。
 防衛相・岩屋は、国会での野党の追及に「(軟弱地盤の深さが)最大のところで九〇メートルある」と認めるものの、「七〇メートルの下に非常に固い粘土層が確認されている」「必ずしも固く安定した土層に達する深度まで施工しなくても、安定性は確保できる」と居直る始末だ。国内の作業船で深さ九〇メートルの地盤改良工事に対応する船はない。水深七〇メートルに対応可能な作業船もわずかに二隻のみだ。
 安倍自身も「(新基地建設に要する費用や工期について)確たることを言うのは困難だ」と国会で答弁しているように、もはや「辺野古ありき」の矛盾隠ぺいに汲々とし、袋小路に陥っている。展望のない長期工事での無駄な税金の膨大なつぎ込みにも怒りが高まっている。
 辺野古新基地建設の問題はそれだけにとどまらない。新基地周辺にある沖縄高専(国立沖縄工業高等専門学校)の校舎や学生寮、久辺小中学校などが、米国防総省の統一施設基準に基づく高さ制限に抵触することも明らかとなっている。
 まさに米国仕様にも合致しない危険極まりのない辺野古新基地建設をどうして許せるのか! これまでも埋め立て工事に必要な岩礁破砕許可さえ得ないまま、護岸工事を強行してきた安倍政権だが、すでに設計段階から新基地建設計画は破たんしているのだ。居直りと強権発動で乗り切ろうと画策しても破たんの弥縫策にしかならないことを全人民の決起で見せつけてやろうではないか。「設計変更申請」粉砕、再度の「県」知事『埋め立て承認撤回』発動を押し上げるべく現地実力阻止闘争を基軸に、沖縄―「本土」を貫く闘いで辺野古新基地阻止闘争の大爆発をかちとろう!

 ●3章 普天間基地の即時閉鎖、撤去へ突き進もう

 辺野古新基地建設をめぐる日帝―安倍との激烈な階級攻防に勝利するために、われわれはこれまで以上に普天間基地の即時閉鎖・撤去の闘いに猛然と突き進まなければならない。
 辺野古新基地阻止闘争のそもそもの起点は、一九九五年米兵による少女暴行事件への怒りが全島を覆いつくす沖縄反基地闘争へと高揚したことに恐怖した日米両帝国主義が、SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)による「普天間基地の返還合意」をなし、また、「県内移設」を条件としたことで沖縄軍事基地の再編強化・日米軍事一体化を意図したことにあることは周知の通りだ。
 日帝―安倍は、知事(当時)仲井間の「辺野古埋め立て承認」を得るために、二〇一四年四月に「普天間基地の五年以内の運用停止」を確認し、その運用停止期限を「二〇一九年二月」とした。二〇一四年一一月知事選を見据え同年一〇月には「五年以内の運用停止に全力で取り組む」との答弁書を閣議決定もしているのだ。これは、辺野古新基地建設工事の進捗とはまったく別のものとしてあったことは当時の仲井真の「県」議会答弁でも明らかである。
 だが現実はどうだ。安倍はその閣議決定ですらあっさりと反故にし、あろうことか翁長知事の「埋め立て承認撤回」を「理由」に責任を沖縄側に押し付けるという徹頭徹尾反革命的言動に終始し、破たんした「辺野古唯一」を繰り返しているばかりだ。森友・加計学園問題、イラク自衛隊派兵日報問題、最近では勤労統計不正問題などウソ、改ざん、ねつ造、責任隠ぺいに枚挙のいとまがない安倍政権だが、二月一八日の「五年以内の運用停止」期限切れを迎えた。われわれは煮えたぎる怒りで弾劾し、安倍打倒へ突き進もう。
 この五年の間にも、普天間基地周辺では騒音被害の拡大とともに、二〇一六年一二月名護市安部・二〇一七年八月オーストラリア沖でのオスプレイ墜落事故をはじめ同基地所属の米軍機の相次ぐ墜落大破・不時着・エンジントラブルは止まず、二〇一七年一二月にはCH53Eヘリ普天間第二小学校運動場への窓枠落下事故、緑ヶ丘保育園への部品落下事故が立て続けに起き、子どもたちの安全であるべき教育環境は脅かされ、住民は日々生命の危険にさらされ続けている。
 安倍政権は「沖縄の負担軽減」を口実にオスプレイなど普天間基地所属機の日本「本土」への「訓練移転」を盛んに宣伝しているが、むしろ米軍訓練の自由化・日本列島の沖縄化を進めている。否、「沖縄の負担軽減」の宣伝材料として岩国基地へ「移転」したはずのKC130空中給油機などは、ほぼ毎月普天間基地でタッチ・アンド・ゴー訓練を繰り返しているのが実態だ。また普天間基地では「思いやり予算」での滑走路大規模補修工事が行われた。岩国基地所属のF35Bステルス戦闘機も、普天間基地と嘉手納基地を拠点に伊江島でのLHDデッキ(強襲揚陸艦模擬甲板)を使った訓練を強化し爆音被害を増加させている。米軍機は普天間、高江、伊江島のトライアングル空域を昼夜問わず自由勝手に飛び回り(夜間飛行制限も無視)、米本国からのF22ステルス戦闘機の飛来も増加している。
 普天間基地の即時閉鎖・撤去の闘いと辺野古新基地建設阻止闘争は一体の闘いだ。同時に、今や日本最大の米海兵隊基地の一大出撃拠点として強化されている岩国基地における岩国住民をはじめとする粘り強い反基地闘争、およびイージス・アショア配備反対闘争、京丹後米軍Xバンドレーダー基地撤去闘争、神奈川の米軍基地群に対する闘い、オスプレイ配備阻止・日米航空統合司令部反対を闘う横田反基地闘争など全国各地の反基地闘争を前進させなければならない。併せて農地強奪阻止・三里塚軍事空港廃港を闘い抜く三里塚反対同盟の闘い、反原発の闘いとも連携し、アジア人民と連帯し、今こそ日米軍事同盟粉砕・安倍政権打倒へ進撃しよう! 米軍再編粉砕! 日米地位協定抜本改訂! 日米安保条約破棄! アジアからの米軍総撤収! の闘いへと押し上げよう! これは辺野古新基地阻止決戦を沖縄解放闘争・全人民的政治闘争として闘い抜くわれわれの第一級の針路だ。

 ●4章 琉球弧の自衛隊軍事拠点化攻撃を粉砕しよう

 辺野古新基地建設闘争の決戦的状況とともに、「防衛の空白地帯解消」と称した琉球弧諸島への自衛隊強化・基地建設粉砕の闘いにも立ち上がらなければならない。
 陸上自衛隊「与那国沿岸監視隊」(レーダー基地)が二〇一六年三月に発足以降、今年二〇一九年三月には、宮古島(宮古警備隊)と奄美(警備隊、地対空・地対艦ミサイル部隊)で新たな自衛隊部隊が発足した。与那国基地は部隊の増強と共に空自移動警戒隊の配備も決定しており、また弾薬庫などの巨大な兵站施設を作る計画もある。
 宮古島は警備部隊に加え、地対空・地対艦ミサイル部隊が配備され、さらに指揮所が置かれる。今後、三〇〇〇メートル級の下地島空港(現在LCC空港として再開中)の軍事空港化策動も決して無縁ではない。
 石垣島では、警備部隊と地対空・地対艦ミサイル部隊を配備。弾薬庫や車両整備場、訓練場も建設する。そして今年二月基地建設工事を強行した。四月以降になると、沖縄「県」の環境アセスメント条例の対象となるからだ。改正「県」アセス条例は、二〇ヘクタール以上の土地造成を伴う事業にアセス実施を義務付けている。石垣島自衛隊基地の造成面積は約二九ヘクタールで、予定地には絶滅危惧の希少動植物が生息する。早期の基地建設工事のため、三月末までに着手した事業は適用対象外となるという、まさに「アセス逃れ」工事を強行したのである。
 奄美大島でも警備部隊、地対艦ミサイル部隊、地対空ミサイル部隊、兵站部隊が配備され、今後空自移動警戒隊、空自通信基地の建設も明らかとなっており、琉球弧全域がミサイル基地化されることは明らかだ。また、米軍空母艦載機離着陸訓練(FCLP)の候補地として国有化される馬毛島(鹿児島県西之表市)の航空輸送拠点化とも連動し、奄美が海上輸送の拠点基地となることも必至だ。
 これは、対中国を想定した日米共同反革命軍事体制=「島嶼部奪回作戦」を想定した琉球弧全域における自衛隊の展開能力を一挙に高めるものである。昨二〇一八年三月の「日本版海兵隊」と称される陸自・水陸起動団(本部・長崎県佐世保市)の創設と、米軍キャンプ・ハンセンでの合同軍事訓練の実施、さらには、陸自統一司令部「陸上総隊」の新設と一体となったものだ。
 粘り強く、創意工夫した闘いを展開している宮古島や石垣島住民の闘いと連帯し、侵略反革命拠点として打ち下ろされている沖縄―琉球弧への自衛隊強化を断固として粉砕していこう。

 ●5章 沖縄人民の自己解放闘争の革命的地平を押し広げ、
        日本革命の突破口とせよ


 一九七二年五月一五日、沖縄は米帝・米軍政支配から「施政権返還」という形で日本帝国主義国家へと統合された。敗戦帝国主義国・日本は、一九五一年九月八日サンフランシスコ講和条約に調印、一九五二年四月二八日サ条約が発効する。「アメリカ合衆国の信託統治領とする同国の提案に同意」(第三条)という形で、戦後軍事占領していた米軍の沖縄・琉球弧支配を正当化した。その前提に、沖縄の分離・長期軍事支配をマッカーサーに要請した、あの許し難い天皇メッセージがあったことを想起しておかねばならない。
 天皇・日本帝国主義権力にとって、沖縄と沖縄人民は、一六〇九年からの島津―薩摩藩の軍事侵略・二重支配を前提として、一八七九年「琉球処分」による武力併合で勝ち取った侵略主義・差別主義的な植民地支配の出発点であり、今日まで連綿と続く差別軍事支配の根源である。
 日本はサ条約で「独立」し、敗戦帝国主義国からの復活を果たす歴史的転換点となったが、沖縄、奄美や小笠原の労働者人民とアイヌ・在日朝鮮人は、自らの生存権・自決権を無視抹殺され、日帝と天皇制延命のための再びの「捨て石」とされた。だからこそ、沖縄人民は「4・28」を屈辱の日と位置付ける。
 二〇一三年四月二八日、日帝―安倍は政府主催の「主権回復記念式典」なるものを強行したが、沖縄では、沖縄「県」議会による式典抗議決議を全会一致での可決、当日は「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」に一万人余の総決起で「がってぃんならん(納得しない)」と抗議した。
 沖縄人民にとって、「4・28」の怒りは米軍支配の直接の根拠となった沖縄戦への怒りと重なるものだ。沖縄戦は、第二次帝国主義戦争―日帝のアジア侵略戦争の敗戦過程で、「国体・天皇制護持」のための「捨て石戦」として強制された沖縄人民丸殺しの反人民的軍事作戦を体験しているからだ。日本軍による壕や食料の強奪、スパイ視、集団死の強要という筆舌に絶する「鉄の暴風」と称される苦難の体験は、教科書検定での沖縄戦での日本軍による「強制集団死」改ざんに怒りを爆発させ、二〇〇七年9・29「教科書検定意見撤回を求める県民大会」での空前の一一万六〇〇〇人総決起として現出した。戦後七四年も経つのに未だ沖縄戦犠牲者遺骨収集が行われている現状に、今なお変わらない基地・沖縄の現状への怒りと重なる思いは、沖縄人民の戦後反戦闘争の起点でもある。
 琉球処分を根底に沖縄戦強制・サ条約による沖縄切り捨てと米軍政支配の強要に対する沖縄人民の闘いは、人権蹂躙・圧政からの脱却と解放を求め、土地闘争の島ぐるみ闘争などを経て「復帰運動」として展開されてきた。沖縄人民の戦後一貫した闘いの革命的地平が、米帝による軍事的暴力支配の維持を困難にし、日帝への5・15「施政権の返還」による統治形態の変更(日帝による反革命的統合)を余儀なくしたのだ。
 とりわけ、一九六九年2・4ゼネスト決起と階級攻防、七〇年12・20コザ暴動決起、七一年5・19沖縄返還協定粉砕ゼネスト、同年11・19沖縄返還協定批准反対・完全復帰要求ゼネストを通して、社・共「復帰協」指導部の民族主義、反米愛国路線との分岐を図ってきた沖縄人民の闘いは、ベトナム反戦闘争との国際主義的な連帯・発展と、七〇年安保・沖縄闘争としての日本「本土」労働者人民との連帯、結合を求め、帝国主義本国における日本階級闘争の革命的転換をも突き付けた闘いとしてあった。
 「復帰」後も沖縄人民は、生命と財産を奪う米軍基地=安保体制を維持するための日帝の「公用地使用暫定法」「米軍特措法」攻撃と実力で対決した。「空白の四日間」(一九七七年)、「重課税取り消し訴訟」(一九九一年)、「象のオリ不法占拠」(一九九六年)、あるいは「代理署名拒否」(一九九五年。国による職務執行命令訴訟)を生み出し、日米安保に風穴を空け、日米安保の根幹をたたきつぶす地平をかちとってきた。その中心軸は反戦地主の闘いであったが、今なおその地平は脈々と次世代に引き継がれている。
 二月二四日に行われた「辺野古埋め立ての是非を問う県民投票」は、投票率52・48%で六〇万五三九六人が投票し、「反対」四三万四二七三票(71・7%)、「賛成」一一万四九三三票(19・0%)、「どちらでもない」五万二六八二票(8・7%)の結果となった。
 今回の「県民投票」は、一九九六年九月に「県」レベルでは初めて実施した「米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直しを問う県民投票」に次ぐ二度目の「県民投票」であった。法的拘束力のない「住民投票」を実施する決意と決断の背景には、もちろん辺野古新基地阻止、中でも翁長知事(当時)の「埋め立て承認撤回」実行を押し上げる方策の一環であったといえる。
 沖縄人民は、現地阻止行動との連携課題を整理し、辺野古新基地阻止闘争の新たな展開へと切り込んでいった。「小異を残して大同につく」精神は、長い苦難の闘いの中から生み出された沖縄人民団結の源泉である。その反面、人民の団結を心底恐怖するのが権力者である。
 日帝―安倍は、自公・維新の国会議員を先兵に、宜野湾市・沖縄市・うるま市・宮古島市・石垣市ら安倍政権別動隊「チーム沖縄」の首長らを総動員し、「県民投票」への妨害と骨抜きを総力で画策した。投票権すら奪おうとするこの「県民投票」つぶしに当該市民を先頭に怒りは爆発、「県」議会での三択修正への妥協はあったものの全市町村での実施を実現し、投票者の七割が辺野古埋め立てに反対の確固たる民意を刻印したのである。
 これまで安倍政権は「選挙には様々な争点や要素がある」と居直り、「辺野古唯一」に固執してきた。今度はどうか? 「沖縄には沖縄の民主主義があるかもしれないが、日本には日本の民主主義がある」との暴言を吐き撤回に追い込まれた防衛相・岩屋は、「(県民投票の結果如何に関わらず)あらかじめ継続すると安倍首相の了解をいただいていた」とあからさまに答弁したのだ。
 辺野古決戦闘争は、もはやすべての民主主義的擬制も剥ぎ取り暴力支配を強める安倍政権との新たな段階に突入した。「オール沖縄」の闘いの革命的前進に向け、沖縄人民の自己決定権・自己解放闘争として選択した「復帰運動」の戦闘的広がりと継続的な闘い、全沖縄人民の「島ぐるみ」総決起闘争としての歴史的地平を確固として拡大していこう。
 同時に、「辺野古」問題は「沖縄」問題ではなく、戦後史を画する戦争法―日帝の侵略反革命戦争攻撃粉砕の闘いとして、単なる「沖縄連帯」ではなく日本労働者人民自身の闘い、日本革命の要として闘いぬく普遍的な要求として闘わねばならない。沖縄―「本土」を貫く辺野古決戦にあらゆる戦線、職場、学園、地域から総力で決起し、勝利していこうではないか。5・15沖縄解放闘争に総力で決起しよう。沖縄・アジア人民と連帯し、「天皇代替わり」攻撃粉砕・改憲阻止・大軍拡阻止―安倍政権打倒の闘いへと引き続き総決起しよう。

 

 

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