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   ■10・22「即位礼正殿の儀」粉砕!

      「天皇代替わり」攻撃と闘おう

                              野村興起


 

 ●1章 即位礼正殿の儀―祝賀パレード―
         饗宴の儀反対闘争に立ち上がれ


 一〇月二二日の「即位礼正殿の儀」が目前に迫った。「即位礼正殿の儀」と付随する「祝賀パレード」「饗宴の儀」は、日帝国家権力にとって、大小四〇の即位関連儀式のなかでも、最も重要なものとして位置付けられている。
 儀式は午後一時から皇居内の宮殿「松の間」で行われ、古式装束「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を着用した天皇ナルヒトが天孫降臨神話に由来する玉座「高御座(たかみくら)」に、皇后マサコは「御帳台(みちょうだい)」へと上がり、一九五カ国の元首や駐日大使ら二五〇〇名の参列者を前に、即位宣言の「お言葉」を述べるというものだ。そして首相安倍が「臣民代表」としてナルヒト即位への「寿詞(よごと)」と呼ばれる祝辞を伝え、万歳三唱をする予定となっている。
 「即位礼正殿の儀」終了後の午後三時半からは、天皇・皇后がオープンカーに乗り「祝賀御列(おんれつ)の儀」と呼ばれる皇居から赤坂御所までの「祝賀パレード」を行う。その後、一〇月二二日から三一日までの間に「饗宴(きょうえん)の儀」が数回開かれる予定だ。
 この「即位礼正殿の儀」は、一九九〇年の前天皇アキヒト即位を踏襲した形で行われる。天孫降臨神話にもとづいて、「万世一系の神の子孫=天皇」を崇め奉るという、明治維新後にでっち上げられた「皇室神道」の宗教儀式であり、政教分離を定めた憲法に違反することは明白だ。
 日帝―安倍政権は、これら「即位礼正殿の儀」、「祝賀パレード」、さらに「饗宴の儀」を国事行為として行い、新天皇ナルヒトの即位宣言によって、天皇が日本の「国家元首」であることを国内外にアピールしようとしている。
 そして、「テロ対策」や「天皇警護」の名の下に、国内での一切の反対の声を封殺した上で、天皇即位「祝賀」を全人民に強制しようとしている。皇居周辺地域は儀式期間中、警察権力の天皇戒厳体制下に置かれる。「即位礼正殿の儀」当日の一〇月二二日と翌二三日は首都高速都心環状線や中央環状線より内側の路線が通行止めとなり、一般道でも皇居周辺と、新宿、渋谷などの要人滞在先の周辺でも規制が実施される。また、「祝賀パレード」の前後には、皇居から赤坂御所に向かう約四・六キロのコース周辺は全面通行止めにされ、ドローン(小型無人機)による上空からの攻撃や、あるいは車両を使った突入攻撃などへの対処を口実に厳しい監視・重警備体制が敷かれることになる。都内の駅に設置されているコインロッカーや自動販売機、ゴミ箱などは使用禁止となり、所持品検査や車両検問などが行われていくことになる。
 「天皇代替わり」即位儀式は、「古代からの伝統」などではまったくない。それは明治以降に国家権力(維新政府)によって創作されたものだ。儀式の荘厳化などの、さまざまな演出を施して、天皇を「社会の上に立つ超越的存在」=「国家の神」としてまつりあげる日帝国家権力による壮大な茶番劇である。
 一〇月二二日は、各学校が本年限りの特例として「祝日」とされており、祝賀の意志を示す「日の丸」掲揚が学校現場、自治体などに対して通達され、全社会的な「祝賀」が強制されようとしている。天皇即位儀式への反対や異議申し立ての声は、社会的に無視・封殺され、いっさい「なかったこと」にされるのだ。
 そのような同調圧力に従わず、反対の声をあげる者に対しては、「非国民」、「反日」などのレッテルを貼り、予防拘禁や右翼ファシストらによる暴力的敵対が行われていく。
 このような天皇の下への「国民統合」=組織化の強制と、それに従わない者へのテロリズムを含めた暴力的封じ込め=天皇戒厳令体制こそが、天皇制の暴力的本質の一つである。
 われわれ日本労働者階級人民は、この「即位礼正殿の儀」を通した天皇制・天皇制イデオロギー攻撃に、はっきりと反対の声をあげていかなければならない。

 ●2章 「天皇代替わり」反対闘争、今春期の闘い

 われわれは、本年前半期、「反天皇制・反戦・改憲阻止行動」(反天皇制行動)の呼びかけに応え、4・28―5・1「天皇代替わり」に反対する連続的な闘争を、大量動員された国家権力機動隊と公安刑事の重弾圧体制、そして天皇主義右翼民間反革命・排外主義集団などの襲撃・闘争破壊をはね返して、多くの闘う仲間たちと共に街頭政治闘争を闘ってきた。
 また同時に「終わりにしよう天皇制、『代替わり』反対ネットワーク(おわてんねっと)」の呼びかける四月末から五月初頭にかけての連続闘争=「反天ウィーク」を共に闘ってきた。
 さらに、「トランプ来日―G20反対! 実行委員会」の呼びかける「トランプ来日・天皇会談反対! 日米安保強化反対! 5・25集会・デモ」に取り組んできた。
 首都中枢において、「天皇代替わり」反対・反天皇を明確にかかげた街頭政治行動を組織したのは、「反天皇制行動」と「おわてんねっと」のみであった。
 八九―九〇年のヒロヒト死去後の「服喪」の強制、その後のアキヒト「即位」過程では、職場生産点での「日の丸」掲揚阻止闘争や、学園でのストライキ、「半旗」掲揚拒否―引きずり降ろしや、被差別大衆を先頭とした拠点地域共闘での反天皇闘争、東京都国立市をはじめとする教師・生徒・地域住民の共闘による「日の丸・君が代」強制拒否の闘いなど、天皇「代替わり」反対闘争が全人民的規模でまきおこった。
 この八九―九〇年の前天皇アキヒト「代替わり」反対闘争と比較して、現在の反天皇闘争は大きく後退していることは事実だ。そして、日本の左翼諸党派の多くが、反天皇闘争を政治闘争として闘うことに消極的になるという否定的情況にある。
 このような中で、本年前半期の「天皇代替わり」反対連続闘争は、反天皇を正面から掲げての大衆的結集を実現し、「即位奉祝」の全社会的な強制に対して、はっきりと「反対」の声を街頭政治行動としてまとめ上げ、天皇戒厳令弾圧体制に風穴をあけたという意味で大きな意義を持った闘いであった。
 四月末から五月初頭にかけての「天皇代替わり」反対連続闘争の特徴は、反天皇の声をあげる場を求めて、主催側の予想を倍する参加者があったことだ。
 首都圏における「おわてんねっと」よびかけの5・1即位反対デモには、五〇〇名の結集があった。また、関西では約二〇〇名、九州でも約一〇〇名弱の結集で天皇「代替わり」反対闘争が取り組まれた。
 「天皇代替わり」反対の前半期における闘いは、全社会的な天皇賛美、「奉祝」の強制に異議を唱え、反対の声をあげる場を労働者階級人民は求めているということをはっきりと示した。われわれは、この反天皇の声が結集する場を、今後さらに拡大していくために一層努力していかなければならない。
 また、労働者階級の国際的祝典=5・1メーデーは、日比谷メーデー、中之島メーデーをはじめ、全国各地で原則的に取り組まれた。
 5・1メーデー闘争は、「天皇代替わり」反対をスローガンとして正面から掲げていたわけではない。だが、階級的労働運動勢力は、5・1メーデーに即位式典をぶつけ、全社会を新天皇「即位祝賀」一色に染め上げ、労働者階級の階級的団結を破壊し、労働者階級人民を天皇のもとへ回収しようとした安倍政権の策動を跳ね返して、5・1メーデーを各地で原則的に貫徹したという意味では大きな意義を持ったといえる。
 即位儀式の開かれた皇居至近の日比谷野外音楽堂で開かれたメーデーには、およそ六〇〇〇名の労働者が結集し、労働者階級の世界的祭典を祝った。参加者は、戦争と改憲の道へと突き進む安倍政権の打倒、労働者階級の国際的連帯などを共に誓い合い、労組の赤旗を林立させて銀座の街をデモ行進した。この闘いは、天皇即位「奉祝」強制によって5・1メーデーつぶしを狙った安倍政権のもくろみを、首都中枢において突き崩した闘いであった。

 ●3章 天皇制・天皇制イデオロギーに屈服する日本共産党

 「天皇代替わり」攻撃のただなかで、天皇制・天皇制イデオロギーとの闘いを放棄し、天皇制への恭順の意を表明したのが日本共産党(日共)だ。
 五月一日、日共委員長志位は「新天皇の即位に祝意を表します」との談話を発表した。五月九日には、衆院本会議での天皇即位に祝意を示す「賀詞」が、与野党含む全会一致で議決された。第一野党である立憲民主党は、正月に党幹部がこぞって天皇教の本宗(ほんそう)である伊勢神宮に参拝する天皇主義者たちであり、当然のごとく賛成した。そしてアキヒト「代替わり」の際には反対した日共までが賛成票を投じた。国会内はすでに与野党を含めて天皇総翼賛体制となっているのだ。
 日共は〇四年第二三回党大会で、党綱領において天皇制を「ブルジョア君主制の一種」とする規定と「君主制の廃止」を削除し、今後天皇制と闘わないことを宣言した。
 そして、「代替わり」過程のさなかの六月四日には、機関紙『しんぶん赤旗』紙上に天皇制についての党委員長=志位のインタビューを掲載した。
 志位は「天皇の制度の性格と役割が憲法によって根本的に変わりました」「綱領改定によって初めて、『現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす』という立場を、綱領のなかでスッキリ打ち出すことが可能になった」などと語っている。戦後憲法の条文によって、天皇は「国政の権能」を失った。権力を持たない君主というものはありえない。だから「天皇の役割が変わった」のだというのだ。
 だが、この志位の主張は明らかに矛盾している。日共はこれまで一九四七年の日本国憲法施行から〇四年綱領改定までのおよそ六〇年の長期間にわたって「君主制の廃止」を綱領にかかげつづけていたのである。志位はこれが「誤り」であったというのか。このインタビューの中で志位は何も説明していない。
 さらに志位は、「天皇制」という用語についても、「日本国憲法のなかに『天皇制』という規定がないからですが、さらにいえば、国家体制のなかで天皇の占める比重が根本的に変化した」ことを理由に「天皇の制度」へと言い換えを行っている。
 これらの日共の天皇制に対する態度変更の根拠が、現在日共が進める野党共闘路線にあることは明白だ。日共は保守派をも含めた「戦後民主主義」の防衛、安倍打倒の一点での共闘路線への転換と引き換えに、日本階級闘争の二大戦略的課題である「日米安保と天皇制」との対決を投げ捨ててしまったのである。
 日共は、安倍右翼反動政権が民族排外主義煽動と一体に現在進めている「天皇代替わり」攻撃に込められた、階級性の解体と天皇制・天皇制イデオロギーの下への国民再統合の意図をまったく見ずに、天皇制の問題を階級情勢と無関係の、憲法の条文解釈論議へと切り縮めてしまったのだ。このような日共の反動的な主張は、日本労働者階級人民を天皇賛美―民族排外主義の沼地へと引き込む役割を果たしているといわざるを得ない。
 日共は他にも『しんぶん赤旗』への「元号」記載など、天皇制・天皇制イデオロギーとの対決を日本階級闘争の戦略的課題から全面的に排除している。これらの変節は、日共が一層の帝国主義社民へと純化したことの何よりの証である。
 われわれは、日帝支配階級の推し進める日本労働者階級人民の個別分断―階級性の解体攻撃、それと一体に進行する天皇制・天皇制イデオロギーの下への排外主義的国民統合攻撃に加担する日共指導部を徹底弾劾していかなければならない。
 今秋期われわれは、プロレタリア国際主義に立脚して、日共指導部の天皇制への屈服・恭順をふみしだき、「天皇代替わり」攻撃と闘いぬいていかなければならない。

 ●4章 天皇制・天皇制イデオロギーと対決し、
            プロレタリア国際主義で闘おう

 ▼4章―1節 侵略と差別の元凶=天皇制・
       天皇制イデオロギー攻撃粉砕


 戦前の日帝国家権力=特高警察・憲兵による血の弾圧や、天皇主義右翼ファシストの白色テロに日本共産党などの左翼勢力が総屈服・転向し、戦前日本階級闘争が根こそぎ鎮圧・解体され、総翼賛体制=天皇制ファシズムの下へと組織されてきた結果が、日帝のアジア諸国への侵略戦争と植民地支配、アジア人民二〇〇〇万人以上の虐殺を許してきた。この戦前の日本階級闘争の敗北と日帝の侵略・虐殺・植民地支配の歴史的総括をかけた闘いが反天皇闘争=天皇制・天皇制イデオロギーとの闘いだ。
 それは同時に、日帝の敗戦後の占領政策に有利であるという米帝の政治判断によって、天皇ヒロヒトの戦犯不訴追を許し、「国政の権能」と引き換えに「象徴」としての天皇制存続を許してきた――「国体」護持を許してきた――ことへの日本労働者階級人民の責任を問いつづける闘いでもある。
 戦後、日帝支配階級が敗戦を「終戦」と言い換えて捏造した「天皇=平和主義者」物語を多くの労働者人民が追認し、自らが皇軍兵士としてアジア人民虐殺に手を染めてきたことの加害責任は一貫して不問に付してきた。その結果、日本人民の戦後の「反戦意識」の多くは、中国帰還者連絡会などの少数を除いて、空襲などの戦争被害=「被害者意識」のみから語られてきたのである。ここに、日本人民の「反戦意識」の決定的限界性があり、その根底には天皇制・天皇制イデオロギーとの対決の不徹底がある。
 われわれ日帝足下労働者階級人民は、日本軍性奴隷制度被害者や、徴用工=奴隷労働の強制をはじめとした、日帝の引き起こした侵略戦争・植民地支配に対する真の謝罪と戦後補償を求めるアジア人民の声が、戦後も反省することなく居直り続ける日帝支配階級だけでなく、その居直りを許しつづけてきた日本労働者階級人民に対する鋭い糾弾でもあることを決して忘れてはならない。
 日帝足下労働者階級人民には、アジア諸国人民に対して、戦前・戦後にわたる天皇制=日本帝国主義による侵略・虐殺・植民地支配に加担してきた歴史への階級的な自己批判をかけて、被害者への謝罪と補償を果たす義務がある。天皇制・天皇制イデオロギーと闘い抜くことは、プロレタリア国際主義の立場に立つのか、一国主義・排外主義・愛国主義への転落かという決定的分水嶺なのだ。
 日帝支配階級にとって、天皇制・天皇制イデオロギーは、日本国家の「権威づけ」や「正統化」のために不可欠な「政治利用システム」としてこれまで一貫してあり続けてきた。その「国家イデオロギー装置」としての役割=「国体」は戦前・戦後も変化してはいない。
 大日本帝国憲法の唯一の主権者であった大元帥=天皇ヒロヒトをはじめ、天皇制大日本帝国を支えた戦前権力=官僚機構は、軍部を除いてそのほとんどが戦後も罷免や追放されることなく、政治・行政の場へとそのままスライドした。警察機構や自衛隊にも、それぞれ特高警察や旧日本軍の組織体質がそのまま引き継がれている。民間企業も例外ではない。日帝の軍需産業や植民地経営(=強制連行による徴用)を支えた旧財閥系などの日帝侵略企業も、その責任が問われることはなく、解体されることはなかった。
 日帝支配階級は、敗戦によって、戦後憲法による制限を受けつつも、その破壊と大日本帝国の復活を一貫して進めてきたのだ。それらの表れが、「元号法制化」や「国旗・国歌法」強行制定、「新しい歴史教科書をつくる会」らによる歴史修正主義=教科書攻撃などであった。そしてこの動きは安倍右翼反動政権以降加速してきている。安倍政権中枢は日本会議や神道政治連盟などの極右天皇主義者たちで占められており、「戦後レジームからの脱却」をかかげて、戦争国家づくり=改憲へと突き進んでいるのだ。
 纐纈厚氏はこの点について、「戦前の天皇制が形を変えてこの時代に復権しているというより、戦後日本の国家体制に刻み込まれた天皇制という地肌が剥き出しになりはじめただけであって、そもそも戦前天皇制は、新憲法下でも本質的な意味での政治機能は不変ととらえておいたほうが妥当のように思われてならない。保守支配層の意識には連綿として天皇制が日米安保体制という新たな補強を得て息づいている」(注一)と指摘している。
 日本帝国主義と天皇制・天皇制イデオロギーは不可分一体のものであって、支配階級の中では、戦前・戦後の区別は本質的に存在していないのだ。安倍右翼反動政権がおしすすめている韓国バッシングによる民族排外主義煽動、「天皇代替わり」攻撃、改憲攻撃はすべて一体の日帝支配階級による「戦争国家づくり」=権力再編の攻撃として捉えるべきである。その点からも天皇制・天皇制イデオロギー攻撃を伝統的復古主義(アナクロニズム)と捉えるのは決定的な間違いであるといえる。

 ▼4章―2節 「天皇代替わり」攻撃と
        一体の排外主義煽動許すな!


 現在安倍右翼反動政権は、韓国への排外主義煽動を洪水のようにまき散らしている。七月一日の半導体関連三品目の輸出規制、八月二日には韓国の輸出優遇措置(「ホワイト国」処遇)排除の閣議決定を強行した。
 その理由は、当初は韓国での徴用工裁判大法院判決に対する報復であるとしていたが、その後に韓国から朝鮮民主主義人民共和国への物資流用という安全保障上の問題へと軌道修正され、さらに輸出管理商品における不適切性という経済(貿易)上の問題へと再修正されるなど二転三転していることからも、根拠のない〝言い掛かり〟であることは明白だ。
 事態の本質は、その後の日帝支配階級どもの言動が示す通り、徴用工裁判大法院判決に対して、安倍政権が仕掛けた韓国への報復=「経済戦争」である。その核心点は、日韓の歴史認識=歴史修正主義の問題であり、韓国政府に対する徴用工大法院判決撤回の要求である。また、そこには韓国の基幹産業である半導体製造に打撃を与えて経済的混乱を惹起させ、文在寅(ムンジェイン)政権を失脚させ、現在進んでいる南北朝鮮の自主的平和統一の流れをぶっ潰そうという悪らつな意図もある。そして日本国内的には七月参議院選挙での排外主義煽動による票の取り込み・組織化を狙ったものであった。
 日本政府とそれに追随するブルジョアマスコミは、首相安倍を先頭に、韓国政府が「国際法に違反した」「国と国の約束を破った」と大合唱している。数年前までは、「反日」なるレッテル貼りは、極右排外主義者の決まり文句に過ぎなかったが、いまやこれらの言辞がテレビなどを通じてマスコミによって連日公然と叫ばれている。週刊ポストなど右派ジャーナリズムは、「韓国なんか要らない」なる特集を組み、差別意識むき出しの嫌韓煽動を行った。
 日本政府がいう「国際法」「国と国との約束」とは、一九六五年の日韓請求権・経済協力協定を指している。この協定の中において国家の請求権は否定されているが、個人の請求権は否定されてはいない。個人に請求権があることは日本の最高裁でも認定されていることだ。
 徴用工裁判は、日帝の韓国併合=植民地化の中で強制徴用された韓国人個人が、民間企業に対して損害賠償を求めて提訴したものだ。したがって、韓国政府はこの裁判の当事者ではない。これを日本政府が「国と国との約束」を破ったなどと主張するのはまったく的外れだ。
 しかも安倍政権は、韓国国内の裁判判決=司法の決定に、行政(政府)が介入して変更することを迫っている。これは三権分立の否定・破壊の要求であり、ブルジョア民主主義の原則をも否定する暴論という他はないだろう。
 安倍晋三は、これまでウソとペテン、公文書改竄によって、自身が深く関与してきた森友・加計疑獄を無理やり「なかった」ことにしてきた。このような安倍の独裁的手法は、他国では通用しないということが、安倍やその取り巻きには理解できないのだ。
 さらに、極右議員や右派マスコミなどによって煽動されている韓国叩きの常とう句、「いつまで謝り続けるのか」「すべては日韓条約で解決済み(金は払った)」「韓国に甘い顔をするのはやめよう」などの主張は、前提が間違っている。六五年日韓請求権・経済協力協定には、日帝の朝鮮植民地支配に対する賠償という意味合いが含まれていないことは、当時の外相椎名悦三の国会答弁からも明白だ。
 国家間の外交保護権(=請求権)と、個人の賠償請求権を意図的に混同させ、韓国政府が何度も戦後補償要求を蒸し返しているという印象操作によって反韓国宣伝・煽動を繰り返す日帝政府・ブルジョアマスコミの悪辣な手口の根底には、韓国・朝鮮人民に対する差別排外主義=「宗主国意識」があり、その差別意識は戦前となんら変わっていない。
 そもそも「いつまで謝り続けるのか」などという傲慢極まりない言辞は、侵略・植民地支配を真に反省する者の態度ではない。このような暴言が閣僚から次々と出される現実からも、日帝支配階級が三六年にわたる日韓併合=植民地支配について何ひとつ反省していないことは明らかだ。
 一八六八年明治維新以降、日本は富国強兵、殖産興業によって急激な上からの資本主義化を進めてきた。そして同時に琉球併合、アイヌモシリ併合を手始めに、台湾出兵・日清戦争・日露戦争で、台湾、朝鮮半島、中国・山東半島を略奪した。これを契機に日本は帝国主義国家として確立し、「大陸国家」=大日本帝国として形成された。
 この過程で、日本の民衆の中に「アジアの一等国」意識(帝国意識)が形成されていった。とりわけ日清・日露戦争での日本軍の「勝利」は、日本人民の中に「アジアの盟主としての日本」という決定的な意識変化を引き起こした。
 そして「教育勅語」をはじめとする天皇制イデオロギー教育の徹底化がこの「帝国意識」をいっそう増幅させた。「万世一系の神の子孫=天皇」と、その「赤子」=「日本臣民」としての「日本民族の優越性」がくり返し人民へと刷り込まれた。最終的にそれは「大東亜共栄圏」構想や、「八紘一宇」思想=天皇制ファシズムとして確立していったのだ。
 その根底には、「日本民族の優越性」意識とメダルの表裏である、「劣った朝鮮・中国=アジア人」という民族差別・排外意識が存在している。それらの差別意識は、一九二三年の関東大震災時における朝鮮人・中国人数千人の虐殺や、南京大虐殺、七三一部隊の人体実験をはじめとする、アジア各地での日本軍による数限りない残虐行為という形で顕在化していった。
 そしてこの「帝国意識」は戦後も払拭されることなく、日本人民のなかに通底する意識として継続してきたのだ。敗戦後の急激な資本主義復活=復興の物語や、「奇跡の超高度成長」の根拠として、それらは「日本人の勤勉性、優秀性」なるものへと形を変えて継承されてきた。現在でもそれは「日本人の優秀性」「日本人すごい」といった「自画自賛」のテレビ番組などとして、反韓煽動と競うように繰り返し再生産され続けている。
 だが、「奇跡の超高度成長」の実態とは、日米安保体制の下、朝鮮戦争やベトナム戦争などの米帝の侵略反革命戦争に、「反共の防波堤」として加担してきた「戦争特需」によって日本が帝国主義国として復活してきた過程であった。それは、アジア人民の血の犠牲の上に成り立ってきたものに他ならない。
 この戦後史における日本とアジア諸国との歴史的関係性を批判的に捉えかえすことなしに、「戦後民主主義」や「護憲」を主張する「日本リベラル派」は、支配階級のでっち上げた「天皇=平和主義者」物語と根本的に対決できない。それどころか前天皇アキヒトを「護憲派」と賛美し、天皇制・天皇制イデオロギーや、反韓キャンペーンに絡めとられるか、せいぜい「ケンカ両成敗」的対応しかできていないのだ。この「日本リベラル派」の惨状を、在日韓国人作家の徐京植氏は著書中で「頽落(たいらく)」と鋭く批判している(注二)。
 だが、中国や韓国をはじめアジア諸国が資本主義国として台頭してくるなかで、日帝のアジアにおける絶対的地位はもはや過去のものとなった。そして「アジアの一等国」=「宗主国意識」もまた揺らいでいる。
 現在の「反韓」「韓国叩き」の官民あげた大合唱の深層には、「アジアの一等国」「アジアの盟主」の位置から脱落するという日帝支配層の持つ強烈な危機意識が存在していることは間違いない。そこには何らの普遍的価値や大義もない。あるのは、ただ徹底した自国民中心主義、それとメダルの裏表の関係にある他民族への排外主義=戦前と通底する「帝国意識」なのだ。
 日本労働者階級人民は、このような天皇制・天皇制イデオロギーに絡めとられ、アジア人民に再び銃を向ける絶望的未来など絶対に許してはならない。
 日本労働者階級人民は、安倍右翼反動政権・ブルジョアマスコミがまき散らす自民族優越主義・民族排外主義煽動と対決し、その克服をかけて、天皇制・天皇制イデオロギー攻撃=「天皇代替わり」攻撃と闘わなければならない。
 われわれ共産主義者同盟(統一委員会)は、戦前日本階級闘争の敗北の総括をかけて、レーニン第三インターナショナルが提起した、反帝国主義とプロレタリア国際主義に貫かれた前衛党組織の建設と、韓国をはじめとする闘うアジア諸国民衆の階級的国際連帯=反帝国際共同闘争を全面的に発展させていく決意である。

 ●5章 「天皇代替わり」反対、今秋期連続闘争を闘おう

 すべての労働者階級人民のみなさん!
 安倍右翼反動政権のおし進める「天皇代替わり」=天皇制・天皇制イデオロギーによる国民再統合攻撃、官民あげた反韓キャンペーン=排外主義煽動、「がんばれニッポン」の大合唱による二〇年東京オリンピック・パラリンピックの「国威発揚」=人民組織化、そして改憲発議を一体のものとして捉え、これと全面的に対決し、安倍政権を打倒するために、闘う陣形をわれわれと共に作り出していこう。
 反天皇制行動の呼びかける10・6「天皇代替わり」反対講演集会、10・20集会・デモに全力で決起しよう。そして、10・22天皇即位国家式典反対を掲げ、原則的左派は団結して街頭政治闘争を闘おう。日帝―公安警察の、でっち上げ予防拘禁弾圧、天皇主義民間右翼反革命・排外主義襲撃集団の闘争破壊、機動隊の重弾圧体制を打ち破り断固として闘い抜こう。
 アジア民衆の国際主義的団結・反帝国際共同行動によって、民族排外主義を煽動し戦争国家へと突き進む日帝―安倍右翼反動政権を包囲し打倒しよう。プロレタリア国際主義の旗の下、全世界労働者階級人民と団結し、帝国主義を打倒しよう。


(注一)
「現代天皇制の役割はどこにあるのか―戦後保守体制と日米安保体制との接合」纐纈厚(『歴史地理教育』 二〇〇九年一一月号)より抜粋。
(注二)
・「このような『あいまいさ』は『日本リベラル派』形成の歴史そのものに深く根ざしており、これこそが彼らの特徴であると同時に弱点でもある。保守派・国家主義者は本来、このような『あいまいさ』とは無縁である。国家主義は理論というよりはむしろ自己愛(「日本人だから日本が好きなのはあたりまえ」「国民だから国家のために尽くすのはあたりまえ」)といった根拠の無い情緒に似た『ひとつの情熱』(サルトルが反ユダヤ主義について用いた形容)であるからだ。このような『情熱』の非合理性を知的に分析し批判する(それができる)ところに『リベラル』の存在意義があるはずであった。それなのに、その『リベラル』自身が『あいまいさ』、知的な不徹底さに身をまかせ続けているとどういうことになるのか。そのことの危機を端的に示しているのが日本社会の現状である」(徐京植『日本リベラル派の頽落』)
・「日本のリベラル派の知識人はナショナリズムを批判する際に往々にして自分自身を除外した上で、日本の国粋主義的なナショナリズムを論じることが多く、自己の中に無意識に内在しているナショナリズムをどれくらい自覚しているのかということに、私は常に疑問を持っています。その点を問題化したいと思ってこの三〇年来そういうことを言ってきましたが、現在、目の前に拡がっている言説界の状況を見ると、私の問題提起が真摯に受けとめられたかどうか疑問です」(徐京植+高橋哲哉『責任について 日本を問う二〇年の対話』)


 

 

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