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   ■「気候正義」求める世界民衆の立ち上がり
    

         今、共産主義運動に何が問われているのか

                                                 (上)
                   田代 基
                          

 
 ●1章 グレタ・トゥーンベリの決起と糾弾

 日本で台風一五号来襲の記憶も新しかった昨年九月二三日、当時一六歳だったグレタ・トゥーンベリはニューヨークの「国連気候行動サミット」の場で、各国政府の要人や経済人を前に短い、しかし激烈なスピーチを行いました。
 「私が伝えたいことは、私たちはあなた方を見ているということです。そもそも、すべてが間違っているのです。私はここにいるべきではありません。私は海の反対側で、学校に通っているべきなのです。……あなた方は、私たち若者に希望を見いだそうと集まっています。よく、そんなことが言えますね」。
 「それでも、私は、とても幸運な一人です。人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね」。
 「三〇年以上にわたり、科学が示す事実は極めて明確でした。……もし、この状況を本当に理解しているのに、行動を起こしていないのならば、あなた方は邪悪そのものです。だから私は、信じることを拒むのです。今後一〇年間で(温室効果ガスの)排出量を半分にしようという、一般的な考え方があります。しかし、それによって世界の気温上昇を一・五度以内に抑えられる可能性は50%しかありません。人間のコントロールを超えた、決して後戻りのできない連鎖反応が始まるリスクがあります。50%という数字は、あなた方にとっては受け入れられるものなのかもしれません。……私たちにとって、50%のリスクというのは決して受け入れられません。その結果と生きていかなくてはいけないのは私たちなのです。……あなた方は私たちを裏切っています。しかし、若者たちはあなた方の裏切りに気付き始めています。未来の世代の目は、あなた方に向けられています。もしあなた方が私たちを裏切ることを選ぶなら、私は言います。『あなたたちを絶対に許さない』と。私たちは、この場で、この瞬間から、線を引きます。ここから逃れることは許しません。世界は目を覚ましており、変化はやってきています。あなた方が好むと好まざるとにかかわらず」。
 人類の活動による温室効果ガス(GHG)の排出が引き起こす地球の温暖化=気候変動を止めるための行動を起こそうとしない、眼前の各国の政府、経済人たちを糾弾したのです。

 ●2章 なぜグレタ・トゥーンベリが登場できたのか

 ニューヨークでの彼女の登壇は、実は決して突然のものではありませんでした。
 一五歳だったグレタはその前年の八月二〇日から、母国スウェーデンの政府に気候変動問題の根本的な解決を求める、一日七時間の「気候ストライキ」を、国会前で一人始めていました。総選挙の前々日までの三週間、ぶっ通しでやり切りました。メディア取材とSNSで広まった情報で、一週目から同年代の若者を中心に支持と連帯の輪が急速に広がりました。国内の数カ所と、ノルウェー、フィンランド、オランダ、ドイツ、イギリスで呼応するデモやストライキが取り組まれ、最終日には千人が、一緒に座り込みました。終了翌日には同年代の三人とともに、毎週金曜日の国会前ストライキ「未来のための金曜日」を立ち上げ、スウェーデンが「パリ協定」(後述)を実行するまで運動を継続することを彼女は表明しました。
 グレタの決起を受けて、二〇一八年中にはすでに、ベルギー、ドイツ、オーストラリア、オランダで、同年代の学生たちの万単位でのデモが街頭を渦巻きました。それを揶揄したベルギーの環境大臣が、たちまち辞任に追い込まれました。グレタは二〇一八年一〇月にはブリュッセルで、一二月にはパリのCOP24(国連気候変動枠組条約の締約国会議)で、翌年一月には世界経済フォーラム(ダボス会議)で、四月には欧州議会とロンドン議会でスピーチをしていました。十分な場数を踏んでニューヨークに登場したのです。
 決起の背景には、スウェーデンを含む北半球の高緯度地方が、温暖化の影響を強く受けているということもありました。二〇〇〇年代に入って、ヨーロッパは度々四〇度超の熱波に襲われています。二〇〇三年の夏にはフランスで一万四千人、ドイツで七千人、ヨーロッパ全体では四万人が死んでいます。
 もともとヨーロッパは全体的に湿度が低く、家庭にもオフィスにも交通機関にも、エアコンがほとんどありません。扇風機のない家庭すら珍しくありません。熱波が襲えば高齢層はひとたまりもありません。二〇一八年にはスウェーデンも熱波(史上最高の三五度超)と森林火災に襲われ、消火のために他国からの救援を要請する事態となっていました。グレタ・トゥーンベリは気候変動の進行とそれがもたらす被害をきわめて身近に感じていたのでした。
 一方で彼女は、銃規制を求め、「規制反対派議員を落とせ」と叫ぶ米国高校生たちの行動にも影響を受けていました。スウェーデンは総選挙を九月九日に控えていました。それに向けて問題への関心を高めるために八月二〇日、彼女は自作のプラカードを持って「気候ストライキ」に赴いたのです。
 ニューヨークでのスピーチから明らかなように、彼女は世界の政府と資本が温暖化対策に十分な力を割こうとしないことに怒り、悪化する世界で生きることを強いられる理不尽さに怒り、それでもなお幸運な自分より困難な状況に置かれている人々への連帯を志向しています。
 気候変動のもたらす破局的事態を回避すべく、人類が生産活動で排出する温室効果ガスを減らすための、迅速で具体的な行動を要求する民衆の声は、世界を包もうとしています。
 グレタが登場した国連気候行動サミットに合わせて世界同時に取り組まれた、「気候変動ストライキ」やデモ、集会は、世界を席巻しました。全米で五〇万、ドイツで一五〇万、イタリアで一〇〇万、イギリスで三〇万。昨年三月に初めて呼びかけられた世界同時行動は、五月、九月と回を追うごとに参加国と参加者が増えて行きました(九月は世界で七六〇万人が参加)。日本でも、三月には東京でのほんの数十人でしたが、五月には参加地域が増え、九月二三日には二三都府県で若者たち、滞日外国人など総勢五〇〇〇人がパレードに出ました。一一月には参加者は総勢二〇〇〇人でしたが、参加地域は二五都府県二八か所に増えました。
 「未来のための金曜日」とは別に、二〇一八年五月にはイングランドで「絶滅への反逆」(XR)が結成されました。彼らの要求は、二〇二五年までに緊急事態として温暖化ガス排出をゼロにすることと、直接民主主義(市民集会の開催)で脱炭素社会への移行の方法を決定させろというものです。滅亡までの残り時間を示唆する砂時計のロゴマークをシンボルにした彼らのもうひとつの特徴は戦闘的な街頭行動で、座り込みや占拠闘争を繰り広げています。二〇一八年一一月にはロンドンで、テムズ川に架かる五つの橋を占拠し、八五人が逮捕されました。二〇一九年一〇月には、ロンドン・シティ空港を占拠したりトラファルガー広場やシティの金融街で座り込むなど、数日間にわたって行動を展開し、参加したベルギー王室の王女など含め一四〇〇人が逮捕されました。あえて逮捕をも厭わないことで、気候変動問題への意識を喚起することを狙っています。グレタ・トゥーンベリは彼らの支持を表明しています。
 四月二四日に予定されていた今年最初の世界同時行動は、新型コロナウイルスのパンデミックを受けて、ネットを中心とした取り組みに変更されましたが、いずれにせよ主要な担い手は、今後、より厳しい環境下で生きて行かざるを得ないと認識している、若い世代です。もはやいっときのものではあり得ない思潮とムーブメントが出現し、世界中に広がっているのです。

 ●3章 日本の左派、革命派の合流に向けた課題

 日本社会に、この問題への認識や関心が全くなかったというわけではないでしょう。猛暑や暖冬の度に、「温暖化」という言葉くらいは人々が共通して口にするようになっていました。しかし、日本社会にはすでに相当な割合でエアコン普及し、屋内にいさえすれば外の高温を容易に避けられます。もとより水も豊富な社会です。結果として気候変動が切迫した課題として認識されにくかったと言えるでしょう。また、日本において「環境問題」といえば長い間、企業活動によって引き起こされる「公害」であり、しかもそれを「克服」して来たというある種の神話が、社会的に定着してしまっていたこともあるでしょう。もちろん、それはアジア地域への「公害輸出」によって実現されたに過ぎない、ということを記憶している人士も少なくはありませんが。
 もう一つの大きな要因として、二〇一一年の福島第一原発事故以降、原発の即時廃止こそが抜きん出て大きな政治課題になっていたということがあります。電力資本や御用学者たちが、原発を推進すべく「温暖化防止のために二酸化炭素を排出しない原発を」と主張してきたことを、反原発の闘いを担って来た人々はよく知っています。温暖化=気候変動問題が、反原発の闘いと対立的な問題として捉えられてきた傾向は否めません。
 日本の左派、革命派の中での問題の認識も、残念ながら例外ではなかったというべきではないでしょうか。
 しかし同志の皆さん、『戦旗』読者の皆さん。突然突きつけられたかに見える課題の登場に、戸惑ってだけいるわけにはいきません。声を上げる街頭のうねりに合流を果たすための内容を、以下明らかにします。

 ●4章 温室効果ガスと気候変動

 まず、「温室効果ガス」(GHG)の排出がもたらす平均気温の上昇についての基本的な認識が必要です。
 地表に降り注ぐ太陽光線は、まず30%が地表面や雲に反射されます。残り70%が地表に届き、大気や地面を暖めます。その中の一部は放射熱として大気圏外に出て行く(地球放射)のですが、そのうち波長の長い赤外線が、二酸化炭素をはじめとした大気中の温室効果ガス(その他メタン、一酸化二窒素、フロン類なども)に吸収され、大気中に止まってしまいます。そして赤外線は地表に向かって放射され、さらに地表を暖めてしまうのです。
 温室効果がないと、地表は零下一九度にまで下がり、地球は氷の惑星としてしか存在できません。その意味では、温室効果ガスは人類の生存に寄与する不可欠の存在です。
 太陽からの放射と、温められた地表からの赤外線放射は、現在の地球上の生物にとっては長い間つり合っていました。変動する場合でも、その原因は太陽活動の変化と、火山活動によるエアロゾルの排出(気温を下げる)であって、人為的なものではありませんでした。そして実際の地表付近の平均温度は長い間、約一四度に維持されてきました。
 しかし、産業革命=工業化以降にそのバランスが崩れました。石炭、石油などの化石燃料が大量に使用されるようになったからです。排出される二酸化炭素の量が、海や植物が吸収できる量を上回り始めたのです。
 加えて重要なことは、二酸化炭素がきわめて長期間大気中に残留し、その間変わらず温室効果を発揮し続けるということです。NASAやシカゴ大学の研究では、五〇〇年後に22%、一〇〇〇年後に17~33%、一万年後に10~15%、一〇万年後であっても7%が残留するとされています。仮に直ちに二酸化炭素の排出をゼロにしたとしても、温暖化とその被害はなお長期間継続するということです。
 温室効果や、これが地球を温める仕組みは、一九世紀中に発見されていました。一九五〇年代には科学的基礎が理解されるようになり、六五年には米国科学諮問委員会が温暖化の悪影響を警告していました。八四年には米議会で最初の公聴会が開かれています。一方でエクソンモービル、BP、シェルなどの石油メジャー内部では、七七年までの段階で技術者科学者たちが事業と気候変動の関係を認識し警告を発していました。しかし石油資本はそれ以降、捏造されたデータを広めたり、シンクタンクへの資金投入で内部告発や訴訟を潰すということをしてきました。気候変動問題を人民に認知させまいとする資本の蠢動は、すでにこの時期から始まっていたのです。

 ●5章 排出抑制・削減の国際的取り組みの歴史

 それでも、事態を懸念する国際的な動きは漸進を見せて来ました。
 いくつかの転換点があったとされますが、アメリカが猛暑と旱魃に襲われた一九八八年、ゴダード宇宙研究所のハンセン所長が、「原因は地球温暖化によるもの」と上院で証言したことは、少なからぬ衝撃を与えました。
 同年「気候変動に関する政府間パネル」(以下、本文中ではIPCC)が、「国連環境計画」と「世界気象機関」(WMO)という二つの国連機関により設立され、温暖化に警告を発する内容の報告書(第一次評価報告書)を九〇年にまとめたことなどから、急速に気候変動問題が認知されるようになりました。「冷戦」が終了し、「環境破壊という新たな敵」に共同で対処すべきという機運の高まりも背景にはありました。
 九二年にリオデジャネイロで開催された「地球サミット」(正式名称は「環境と開発に関する国際連合会議」)では、「気候変動に関する国際連合枠組条約」(以下、気候変動枠組条約)が採択されました。これに基づく「締約国会議」(以下COP)が、九五年から毎年開催されることになりました(今年二〇二〇年はコロナ禍により中止)。このサミットで当時一二歳だったカナダのセヴァン・スズキが「どうやって直すかわからないものを壊し続けるのはもうやめて下さい」とスピーチし、「世界を五分間沈黙させた少女」になったことは、グレタ・トゥーンベリの衝撃とともに記憶されるべきでしょう。
 温室効果ガスの排出を削減する国際的な取り決めはまず、京都で開かれた九七年のCOP3で「京都議定書」として初めて具体化しました。主要帝国主義国が、一九九〇年を基準として温室効果ガスを5%削減するというものでした。が、いわゆる「先進国」のみが義務を負うのは不公平という批判・不満は当時からあり、アメリカとカナダは離脱しました。議定書の発効は二〇〇五にまでずれ込みました。
 その後長い議論を経て二〇一五年暮れのCOP21で合意された「パリ協定」は、排出削減の義務をいわゆる「先進国」のみならず全ての参加国に課すという点で画期をなすものです。産業革命前と比べて気温上昇を二度未満に抑える(可能な限り一・五度未満に抑える)ことを目指し、今世紀後半に世界全体で温室効果ガスの排出を実質ゼロとする目標を掲げました(ゼロ・エミッション)。そのために参加国が二〇二〇年以降の努力目標をそれぞれ決め、五年おきに見直すという取り決めです。しかし周知のとおり、アメリカはトランプ政権発足後に「パリ協定」からの離脱を表明しています。

 ●6章 進まない排出削減と止まらない気温上昇

 IPCCに集う科学者たちは一九九〇年以降今日までに五度の評価報告書を出しています。二〇一三年から公表が始まった第五次報告では「気候システムの温暖化には疑う余地はなく、また一九五〇年以降、観測された変化の多くは過去数十年から数千年にわたり前例のないものである。……人間による影響が……二〇世紀半ば以降に観測された温暖化の支配的原因であった可能性がきわめて高い」としています。二〇〇一年の第三次報告ではまだ「可能性が高い」という表現にとどまっていましたが、その後観測技術やコンピューターによるシミュレーション技術の向上によって予測精度が上がり、より確からしい評価が下されるようになっています。
 しかしそれでも、温室効果ガスの排出を減らす世界の取り組みが進み成果を上げているとは言えません。
 二〇一八年の世界の二酸化炭素排出量は前年より1・7%増えました。過去最高の三三一億トンです。大気中の二酸化炭素濃度は410ppmでこれも過去最高(産業革命以前は280ppm。一九五八年は315ppm)。先述した「放射強制力」は温暖化ガス全体で、一九九〇年と比べて43%も増加しています。かくて気温の上昇は止まらず、IPCCが二〇一八年から一九年にかけて出した「一・五度特別報告書」と「海洋と雪氷圏の気候変動に関する特別報告書」は、すでに現時点で産業革命以前よりも平均気温が一度上昇しており、パリ協定でより望ましい今世紀末の目標とされた「一・五度」を、早ければ二〇三〇年には突破する、と警告しました。これは、九〇年に出された最初の報告書の、「このままなら二〇二五年までに一度上昇」という予測を超えてしまったということです。しかも、パリ協定の排出削減目標が達成されたとしても、今世紀中には平均気温は三度上昇する恐れがあると言及されました。
 米国海洋大気庁(NOAA)は、今年の一月は過去一四一年間で最も暖かかったと報告しました。世界気象機関(WMO)は昨年、二〇一五年から一九年までの五年間は、観測史上最も暑い五年間であったと報告しました。また、二〇一九年の海水温は観測史上最高を記録しました。
 データの上で私たちはおそらく、最も暑い時代を生き続けています。さらにもっと暑い時代に向かおうとしています。冬に雪が降らなくなったとか、逆に夏が本当に暑くなって、エアコンなしではとてもいられなくなってしまった、と感じる人は多いと思います。短期的な変化を多くの人が実感として持っています。
 それが長期にわたって継続しているのか、ごく一時のものなのか、体感だけで見極めることは難しいかも知れませんが、地質時代区分でいう「完新世」(最も最近の間氷期)以前の「最終氷期」の時代、平均気温は今よりどのくらい低かったのかというと、わずか五度か六度だとされています。それからすると、わずか一五〇年間で平均気温を人為的に一度上昇させてしまったインパクトは、きわめて大きいというほかありません。仮にパリ協定の目標が達成されたとしても、それまでには大気中の二酸化炭素は三・七兆トンに達してしまい、結果として五万年後と思われる次の氷期が訪れることはないだろう、とさえ予測されています。


 

 

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