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   ■反原発の闘いにおける階級的観点

              
土肥耕作
         
                          


  

 福島第一原発事故以降、原子力発電をやめるべきであるということは圧倒的な民意となっている。動員人数は漸減していても、原発に反対する行動、集会は粘り強く続けられ、各種世論調査でも原子力発電に反対する世論が過半数だ。事故後九年を経てもこの状態であるのは、スリーマイル事故やチェルノブイリ事故以降とは異なっている。だが、反原発の世論の中で今の社会をどう見るか、次の社会をどう構想するかについては必ずしも広い一致に至っているわけではない。ここではこの問題についての見解を提起したい。

 ●1章 核と人類は共存できない

 放射性核種と呼ばれている元素は原子核が不安定なため、エネルギーや粒子を外に放出し(これが放射線)、安定な原子核に変わろうとする。これだけの反応ではそのエネルギーを利用する用途は極めて限られる。ところがウラン235とプルトニウム239は一定の密度を超えると中性子という粒子が、別の原子核にあたって連続した核分裂を起こし(臨界)、膨大なエネルギーを発生させる。ここに核エネルギーの使用が可能になる。
 よく知られているように、核分裂反応のエネルギー利用は最初に兵器(一九四五年七月一六日ニューメキシコでの最初の核実験、同年八月六日広島、同年八月九日長崎)としてなされた。世代を超えて被害が続くその非人道性は被爆者と二世、三世の闘いによって広く知られている。
 これに対し、「平和利用」をうたって出現したのが原子力発電である。原子力発電の最大のリスクは、あらゆる過程で発生する放射線に人間がさらされること、すなわち被曝である。原子力発電においては被曝のリスクを負う人と発電の利益を受ける人がわかれている。資本主義のシステム上、発電それ自体もその膨大な電力の使用も資本家の利益に属しており、労働者人民にはほとんど分配されない。
 原子力発電はウラン採掘においては鉱山の労働者を被曝させ、その地域の民衆の環境を放射性のウラン残土で汚し、燃料加工の粉塵による被曝リスク、発電プラントの運転、整備のあらゆる過程で、さらに核燃料リサイクルを行う場合はけた違いに膨大な労働者の健康リスクと施設周辺の環境汚染を引き起こす。しかも、以上の問題は事故を起こさなくても発生し続けている。
 また、使用済み核燃料など放射性廃棄物の問題も深刻である。長いもので一〇万年以上かかる(図1参照)という放射能の無害化までの時間、人が近づいて被曝したり、環境を汚染しないように管理しなければならない。日本ではその方法すらまだ決まっていない。それでも原発の運転を続けるから、各地の原発の使用済み燃料プールは使用済み核燃料で満杯だ。置き場がないので隙間を詰めて置いているが、これも事故のリスクを高めている。
 また、原子力発電は上記のとおり施設周辺にリスクを負わせるものであるため、有力な産業のない過疎地を狙って造られる。ひとたび原子力発電所の建設が始まると、その地域の経済は巨大開発、巨大プラントである原発を中心に回り始め、原発を過疎地に押し付けるための補助金や予算のバラマキも相まって、事故が起きずとも原発に依存する構造が作られる。地域社会の力はますます奪われ、だれも電力会社に逆らえなくなる。近年明らかになったことは、原発は地域経済を依存させるが、経済発展はもたらさないということだ。若狭の原発立地自治体と原発のない同規模の自治体の比較調査で原発立地自治体のほうが、経済規模が小さいという結果が出た。

 ●2章 福島第一原発事故とその後の闘い

 すでにこうした問題を抱えた中で、3・11福島第一原発事故は起きた。
 福島事故は広範囲を放射能で汚染した。汚染からの避難のために常備消防と消防団は津波のがれきの下で助けを求める人々を見捨てざるを得なかった。その後、助けを求めていた多くの人たちが餓死していたことが明らかになった。政府の情報隠しにより高汚染地域に長時間とどまってしまった人たちも出た。汚染地域からの避難で多くの医療や介護を必要とした人たちが亡くなった。長引く避難生活による健康悪化、震災関連死も多発した。また、地域社会・経済を根こそぎ破壊し、絶望から自殺した方も出た。子どもたちには甲状腺がんが多発した。そして多くの人々が避難を余儀なくされ、また、自主的に避難した人々と被曝地域から逃げられない人々の間に分断が持ち込まれた。さらに放射能への恐怖からもともとあった障害者差別が強化され、胎児の遺伝子チェックと中絶が増大した。ともに被害を受けた人民が、原子力を我々に強いてきたブルジョアジーに団結して抵抗するのではなく、さらなる分断をあおられてきた。こうした分断を乗り越えるため、汚染地域にとどまる人と避難者を貫いた闘いの組織化が求められている。
 地域の除染や事故処理においては、非正規・下請け労働者、地元住民、外国人労働者に被曝や過重労働のリスクが押し付けられている。こうした現状を転換するため、まずは被曝労働に従事させられている労働者の組織化に取り組む必要がある。労働安全、健康管理を徹底的に要求し、資本に責任を取らせる闘いだ。それはすでに被災地を中心に始められている。こうして組織された労働者の力自体を変革の原動力に高め上げなくてはならない。
 こうした課題と闘いに反して、二〇一二年から執政にあたっている第二次安倍政権は、人民の犠牲のもとに一貫して福島事故の幕引きを図ってきた。東京五輪誘致時には福島事故は「アンダーコントロール」だと強弁した。しかし、事故炉の冷却に使用した汚染水は事故九年目の今年三月で一一三万トン、タンクを増設しても一三七万トンが限界で、二〇二二年夏には満杯になるという。この汚染水が、海に垂れ流されようとしている。
 また、汚染地域に住民を戻すため大規模な除染作業が続けられたが、山林の汚染は手がつけられていない。昨年の台風一九号災害では、山から除染された平地に大量の汚染土が流れ出し、除染されて山積みになっていたフレコンパックも洪水で流されてしまった。
 結局は汚染地域を放置したまま、避難民への補償を打ち切るなどして被害者にさらなる犠牲を押し付けている。この3・11事態とその結果だけを見ても人民の立場からは原子力推進などありえない。
 3・11事態が私たちに強いた犠牲は人民の集団的な怒りをかき立てた。原発推進勢力もこの怒りを無視できずにいる。それはいろいろ穴だらけとはいえ、様々な安全施設の義務付けや地元自治体への説明責任の拡大へとつながり、また、各地での原発の運転停止を求める訴訟での勝訴回数の増加もあって、電力会社に対して安全管理費の増大という形で原発継続への圧力となっている。また、3・11は世界的にも脱原発の流れを加速し、日本の原発メーカーの輸出計画はすべて破綻した。

 ●3章 階級対立としての原子力発電

 しかし、それでも原発推進勢力はあきらめない。なぜだろうか。先に結論を言えば、そこに彼らの巨大な階級利益があるからだ。原子力発電の特徴は何といっても生み出される膨大な電力。大飯原発三、四号機で一一八万kw、柏崎刈羽原発六、七号機では一三五・六万kwにもなる(図2参照)。原発の出力がいかに大きいかがわかるだろう。この電力は運転中昼も夜も生み出され続ける。家庭用電力で見れば夜間の電気はほとんど無駄だが、産業用としてみれば二四時間操業を支えるものだ。長時間労働の過労死社会は実は原子力発電によっても支えられていたというわけだ。
 また、原子力は戦争になって天然ガスや石油の輸入が途絶えても当面は動かすことができるということで戦争できる体制づくりの一環という側面を持っている。ウランも輸入に頼っているが、核燃料は一度セットすれば一年くらいは運転が可能だ。危険極まりないが、核燃料再処理をしてプルトニウム239も使用すればその備蓄量はさらに上がる(後述)。
 さらに、原子力発電に必要な技術はウラン濃縮や再処理など核兵器開発に利用できる。原子力発電を巡る核兵器の潜在保有力論は過去、官僚、政治家から何度も飛び出している。日本のプルトニウム保有量は二〇一九年時点で約四六トン(長崎型原爆七〇〇〇発以上に相当する。世界第五位)。これは中国の一〇倍以上である。ちなみにその運搬手段であるミサイルだが、すでに大型の人工衛星を打ち上げる技術が確立(H2Aロケットは六トンもの衛星を一度に打ち上げられる)している。さて、客観的に見て東アジアの安全保障上の脅威とはどこの国のことなのか。
 そのうえ原子力発電にかかわる個々人は腐敗し、このシステムから多額の個人的利益を得ている。高浜町元助役による関電幹部や福井県職員に対する賄賂事件はその一端を白日の下にさらした。高級スーツ券や小判(娯楽時代劇か!)など、もはや漫画的とも言える賄賂の数々。しかも死人に口なしとばかりに責任を元助役に押し付ける小悪人振りにはあきれた。この賄賂の元は多額の電源立地対策費であり、すなわち私たちが支払った電気料金だ。要はそれが電力会社幹部に還流していたのである。
 これらの問題は関西電力で明らかになったが、その他の原発保有七電力が腐敗と無縁であったかどうか。はっきりしているのは電力会社と原発立地の有力者との関係はどの原発立地でも同じ構造を抱えているということだ。この賄賂事件の調査の中で役員報酬の退任後補填も明らかになった。これは3・11事故を受けて全原発が停止する中で関電の経営が赤字転落し、電気料金を値上げする中で起こった。原発偏重の経営の付けを電力消費者と社員に押し付けながら、責任者である自分たちはこっそり報酬を全額受け取っていたのだ。
 腐敗の構造というものは何も違法、脱法なものには限らない。そもそも、原子力発電にかかわるビジネスは最初から人民からの収奪で成り立っている。電気料金の設定方式は総括原価方式という特殊なものである。これは電気の公共性にかんがみ、電気事業者が安定して電気を生産、送電、システムの保守ができるように事業の原価を積み上げて価格を設定する、すなわち必ず黒字になるように電気料金が決められるということである。3・11事故で一時原発保有の八電力会社は赤字転落したが、その後すぐに電気料金が上げられたのはこの方式によるのである。電気事業が本当に人民の共有物ならそれもよいだろう。だが、現実には日本の電気事業は資本家階級のものである。するとどうなるか。
 総括原価方式の原価にはさまざまなものが組み入れられている。発電プラントは動いていなくても保守経費がかかるが、これも原価だ。つまり非常用電力として待機している二線級の火力発電所(これが3・11のときに活躍したわけだが)や定期点検や工事で動いていない原子力発電所(現在ほとんどの原発が当てはまる)も原価を計算する折には計上してよい。核のごみの維持経費(もっとも放置すると事故を起こす危険極まりないもので管理しないわけにはいかないのだが)さえ、破綻している核燃料リサイクルを前提として原価に組み入れられる。原発のPRのための多額の広告費、政治家に献金される電気事業連合会の会費などまで原価として電気料金に反映される。もちろん原発をはじめとする巨大プラントの建設関係費も原価だ。プラントの建設費は大手ゼネコンや重電企業(日立、東芝など)といった大企業に垂れ流されている。はなはだしくは原発事故でさえ、それが深刻であればあるほど、資本家どもの利益に転じているのだ。資本家階級にとっては原発ビジネスは濡れ手に粟でぼろもうけ、打ち出の小槌である。人民の側にとっては自分たちの健康や生活の害になるうえに、さらに搾取・収奪する事業の推進原資を電気料金という形でみつがされているわけだからたまったものではない。
 以上見てきたように、原発は階級支配を電力という原料で支え、軍事力の潜在性で支え、それ自体の利益で支えている。その上その元手は被支配階級から直接調達するのだから、これほど露骨な階級対立の現場はないだろう。

 ●4章 革命と原発なき社会

 原発後の社会をめぐっては反原発、脱原発陣営の中でもさまざまな意見がある。よくある意見が、自然エネルギーへの転換。だがこの意見の中でも多数派といってよいのは自然エネルギーに転換しても今の社会を維持できる、あるいはしたいという考え方だ。「電気は足りてる」というスローガンに表れているように、私たちの日常生活の範囲では全原発が停止しても、計画停電などはあったにせよ、今までの暮らしが大幅に変化するほどのことはなかった。多数派の主張では省エネ技術の向上やIoT技術による送電の効率化、電池の能力向上で自然エネルギー中心に発電を切り替えても今までのような「豊かな暮らし」ができると謳っている。
 これには同意できない。自然エネルギー発電は確かに放射能や膨大な二酸化炭素は出さないかもしれないが、それが大規模化した場合には風車による低周波公害や野鳥の被害、太陽光発電設置に伴う生態系の破壊などといった環境リスクを抱えている。現在の資本主義のルールにおいては無秩序な生産、すなわち無秩序な電力の使用はIoT技術を活用したところで解消されない。それは結局原発を離れたところで別の技術による大規模電源開発に進むことを意味する。また、多数派の主張には電力という原料供給による階級支配という観点がかけている。IT化も万能ではない。データマイニングなどこの時代に技術にも結局多量の電力を必要とする課題があるのだ。
 また、支配層の別の潮流は反原発、脱原発陣営の多数派の一部と重なりながら、自然エネルギーによる新エネルギー革命をうたっている。いわく、中国やヨーロッパでは自然エネルギー開発と関連技術の発展が進んでいる、次の時代の技術革新の軸だ、乗り遅れるな! という主張である。
 だが、これも結局新たな資源の資本主義世界への組み入れにすぎない。末期症状の資本主義の延命と新たな大規模開発しか意味しない。必要なのは社会のありようを非人間的な利潤の追求から、人が人間らしく生きていける、命と尊厳を大事にする社会へと変えることだ。資本家階級の利益に属する原発推進と労働者階級の利益に属する原発廃止、すなわちこれは階級闘争である。以上みてきたように原発後の社会を目指すうえでは、現支配層を権力から引きずり下ろすという意味においても、私たちの安全、安心、尊厳を守るという意味においても革命は必須である。
 以上、原発を巡る問題について考えを述べてきた。当面の具体的な闘いについては別稿に譲る。われわれ共産主義者に求められていることは大前提として反原発の大衆運動の先頭で闘うことであるが、それとともにこの闘いの階級的観点を明らかにし、ともに闘う市民に対して粘り強く訴えていくことだろう。

 

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