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   3・8国際女性デーに寄せて

 コロナ禍にあって、分断・差別を許さず
     共に生き、共に闘おう!

                 


 ●巻頭

 日本軍性奴隷制度の被害当事者であるハルモニ一二名が日本軍を相手取り起こした損害賠償訴訟で、韓国における初の判決が二〇二一年一月八日に下された。ソウル中央地方裁判所は、日本軍性奴隷制度を日本帝国主義による反人道的な犯罪行為であると断罪し、日本国に対し原告一人当たり一億ウォン(約一千万円)支払うことを命じた。原告が勝訴したのだ。われわれはこの判決を支持するとともに、判決への不当な非難を行う日本政府に抗議し、直ちに真摯な謝罪と賠償を行うことを要求する。被害者と連帯し、日本において最大限の闘いを展開していこう!
 二〇二〇年初頭に新型コロナウイルスの世界的感染拡大が始まってから、約一年が経った。この間、世界中で多くの労働者・市民がかつてないレベルの雇用不安と貧困に喘ぎ、生命をも奪われてきた。とりわけても女性が、圧倒的に多くの犠牲を強いられていることは間違いない。
 そんな中でのオリンピック組織委員会の森喜朗会長(当時)による女性蔑視発言がなされた。森は、コロナ禍で人民が生きるか死ぬかの時に何がなんでもオリンピック強行を主張してきた。その森が、女性の「話が長い」「わきまえない」を理由として、女性の会議参加を否定する差別発言を行った。これに対して、世界中から、足元から批判の砲火を浴びたが「そんなことで」(二階幹事長発言)と居直って、オリンピックが開催できると思いこんで、辞任するまで一週間以上も右往左往した。まさに日本の恥ずべき男尊女卑社会を世界にアピールするものであった。
 森はこれまでにも、少子化問題の討論会で「子どもをつくらず自由を謳歌した女性を、税金で面倒みなさいというのはおかしい」と発言するなど、全くもって無理解な女性差別発言を重ねてきた。そのような人間が元は総理を務め、五輪組織委員会を牛耳り、利権を欲しいままにしてきたのである。これが日本の政治であり、社会なのだ。彼らと、社会に根強くはびこる女性差別が、女性の社会進出を阻んできたことに、今こそ満腔の怒りをもって抗議しよう。
 今3・8国際女性デーにおける本紙の取り組みは、各地で闘う三名の女性同志から文章を寄せてもらった。それぞれ異なる立ち位置で闘う三人が直面する課題と提起を共有し、女性解放の前進を勝ち取っていこう!


 ■女性の団結で社会変革をめざそう

                   大上山河


 女性も手に職、男性と同じ賃金で自立して生きるということで、教育労働者として働き始め、組合に加入して女性部の運動を続けてきた。そして、労働環境を改善してきた。
 しかし、未だ解決しない教育現場・女性教育労働者の抱える課題は大きい。正規・非正規という問題は特に重要だと思う。正規の雇用環境が非正規の犠牲の上に成り立つという状況を何とかしなくてはと思う。また、粘り強くへこたれず頑張ってきたはずの女性たちがこのコロナ禍にあって、自殺を選ばなければならない状況に追いやられている。これは、女性たちをこうした状況に追いやっている仕組みの問題である。今までやってきたことをもとに考えていきたいと思う。女性で教育労働者であるという狭い世界からの発信かもしれないが、女性労働者がお互いのことを考え、行動するきっかけになればと思う。

 ●1章 女性教育労働の抱える問題から権利獲得を

 七年前、中学校で、生まれてくるはずだった子どもを切迫流産で失ったことを題材にして、「命の大切さ」を伝える女性教師の道徳の授業を見た。「この方は、何か異変があっても我慢して授業したのではないか。このような体験を回避することはできなかったのだろうか」と、辛くなった。本当なら、「お腹の中で育っていく子どものことから、親や周りの人から守り育てられかつ生き抜いてきた自分の命を知る」といったものであってほしかった。どうかしなくてはという気持ちになった。切迫流産しそうな女性教職員が入院し安静にして産前休暇を迎えたという事例は少なくなかった。こうした現場の状況をもとに交渉を重ね、妊娠障害休暇が新設され、妊娠障害休暇で二週間入院しそのまま産前休暇に入って出産にこぎつけた女性もいた。妊娠障害休暇を要求してきて良かったと、皆で喜び合った。
 その後、若い教職員が増え、妊娠する女性が増えてきたが、妊娠障害休暇があるのに、多忙な中つわりがあっても腹が張っても休憩せず我慢して仕事をしているという実態を聞く。産休代替の制度があるにもかかわらず、管理職に妊娠したことを伝えると、「代替はいない」と言われたと相談が上がってくる。
 様々な困難を乗り越え妊娠出産育休を経て、仕事に復帰しようとしたとき、保育所がなく仕事を辞める選択をした女性もいる。女性教職員が経験を生かせない現実に周囲の仲間も落胆した。育児のための短時間勤務等の制度を作っても、代替がいないので、それを生かすことができず、絵にかいた餅状態である。現場の声を元に交渉を重ね、制度を獲得できても、十分生かすことができない現場の状況に悔しい思いをしている。
 不妊治療を受ける女性も多い。仕事を休まなければならないこと、費用がかかることで治療の成果が出ないまま治療を辞める女性もいる。未だに女性の問題だとパートナーの協力が得られない女性もいる。不妊治療で生まれる子が増え、不妊治療を受ける教職員が多いことで交渉し、病休で治療ができるようになり、三年前から補助金の対象が男性にも拡大した。しかし、それには親となる二人の収入が七五〇万円以下という制限があった。子どもの命を生み出すことを国が援助するのに、親となる夫婦の収入で援助を制限することはないのではないか、国は自己決定をサポートするべきだから、収入制限の撤廃を要求していこうということになった。また一方では、「それは、戦争中の産めよ増やせよに通じるものがあるのではないのか」、「政府の少子化対策に利用されないようにしていかなくては」との意見があった。
 そんな折、菅政権になって、少子化対策として不妊治療を推進していくという政府の方針が出された。二〇二二年四月から保険が適用されることになり、つなぎの一年間は、七五〇万円の所得制限が撤廃され、二回目以降の助成額が倍になる。事実婚の夫婦にも適用されるというのだ。第五次男女共同参画行動計画の施行とともに選択的夫婦別姓制度が成立することが予想され、多くの人たちの願っていたことが実現していくように見えた。しかし、選択的夫婦別姓制度は、自民党の一部の議員の反対で頓挫してしまった。選択的夫婦別姓制度のもとで結婚し、出産をしようとしていた女性の願いは実現しない。

 ●2章 女性の自己決定をはばむ現状

 自己決定ができるためには、体のメカニズムをはじめとして性についての情報を得ることも重要だ。情報は十分だろうか。今の学校に性について系統的に学ぶカリキュラムはない。道徳教育が教科化されたこともあり、教師が必要性を感じても、授業に組み込んでいくことが難しくなった。
 二〇〇三年の七生養護学校の性教育に対する弾圧をきっかけに現場が委縮し、全国各地でカリキュラム化等も検討されていたが、後退していった。子どもたちは、学校から情報を得る機会が奪われていった。二〇一三年に教員側の勝訴が確定している。
 女性部で勝ちとった制度は、憲法の下での労働法や男女共同参画基本法等を背景に現場の声を上げていく中で作ってきたものだ。公助のしっかりとした支えの上にいろいろな保障がなされなくてはならない。生活が成り立つ賃金、子どもを産み育てる費用が出る賃金。職場の環境やサポートする制度、出産後の子育てや成長が保障されるための制度、社会の考え方が皆でそれらを支えようというものになっているかどうかも大切だ。
 二〇一五年女性の職業生活における活躍の推進に関する法律(女性活躍推進法―二〇一九年改正)が成立した。仕事で活躍したいと希望するすべての女性が、個性や能力を十分に発揮できる社会をめざしているということだ。いかに労働者不足に対応し納税者として女性を役立たせていくかという視点で成立に至ったと専門家も指摘しており、一人一人の人生を豊かに幸せにしていくためにサポートしようと施行したものではない。この法律を利用して不妊治療のための制度等、勝ちとったものもあるが、気を付けていかないと利用される。
 今や、ほとんどの女性が働いている。「ちょっとした小遣い稼ぎ」とか「家計の足しに」補助的に働いているという声は周囲から聞こえてこない。自分が生きるため、子どもを育てるため、生活のために働いている。豊かな生活ができる尊厳を大切にされた働き方を望んでいる。同一労働同一賃金の考え方の下に働き方改革がなされることで、女性教育労働者の長時間労働はなくなり正規化が進み賃金も上がるのかと期待していたが、やはりそうではなかった。
 会計年度任用職員制度が、二〇二〇年度からスタートし、女性教職員の間にも、ますます非正規雇用が広がった。低賃金で、更新のない一年雇用と決められた。必要で経験の求められる仕事でも、更新はない。フルタイムとパートタイマーがあり、特にパートは、必要でも補助的という位置づけで、日給月給で賃金も低く抑えられている。今年度から会計年度任用職員となった家事を担い子育てをする女性やシングルマザーの女性にとって厳しい働き方になったという。
 二〇〇五年義務教育費国庫負担制度が小泉政権の下で改悪され、国庫負担二分の一から三分の一になって久しい。人件費としての国庫負担が減らされ、必要な仕事の担い手でも、地方の乏しい財源の中で非正規として雇用される。
 学校は、とても広い意味での教育を担当している。子どもたちを通して社会の抱える問題が、集まってくる。労働者として保護者の抱える課題も見える。国庫負担を元に戻すだけでなく、全額国庫負担にして対応することが必要だ。非正規職員を増やすのではなく、正規職員を増やし、チームで子どもの抱える課題に対応する組織として教職員を配置するべきだろう。
 教育基本法が改悪されて一五年、その大罪は表面化してきたのではないだろうか。目的が国の役に立つ子どもを育てることに方向転換し、道徳の教科化まで始まった。学力テストを指標に目指すべき姿と現実を一致させるべく研修、授業研究と忙しい。日々、子ども同士のトラブル解決、会議、三〇数人の児童のノートやテストの採点、六時以降に帰宅する保護者への連絡・対応、未払いの校納金の請求、授業の準備……。同僚と話す時間もない。無理し、ストレスもたまる。学級の児童数は当然仕事量を左右する。コロナ以前から、保護者と三〇人以下学級を要求してきたが、財務省の反対で実現していない。
 コロナの現実からその大切さを改めて実感した。一〇人後半~二〇人程度の学級だととりあえず密をさける机の並びも工夫でき、分散登校をしなくてもよい。

 ●3章 何を目指し、どのように解決するか

 気づくことを挙げてみた。防衛予算を増やすのではなく、幸せのための教育福祉予算を増やすこと。非正規労働者を増やすのではなく、正規労働者を増やす制度を作ること。全国一律時間給一五〇〇円を確立すること。同一価値労働同一賃金を確立し、女性が担ってきた労働として軽く見られ賃金を抑えられてきたケア労働(学校の講師・保育・介護・看護など)の賃金を上げて安心して生活できる環境、望めば妊娠出産して子育てできる環境を作ること。労働者(保護者)が人間らしい家庭生活ができるように長時間労働を禁止していくこと。
 正規労働者、非正規労働者が団結し問題を把握し分断を許さない陣形を構築すること。女性が団結し、情報交換し、自らの健康を守り、労働環境を問うこと。教育労働者と保護者が労働者として問題を共有したり、子どもの教育について語り、解決に向けて団結を作っていくこと。外国人労働者の抱える問題を共有化すること。朝鮮学校の補償を認めないなど、国の差別分断支配の問題を共有化すること。
 女性労働者の皆さん、団結して共に闘おう。


 ■
女性に痛みを押し付ける

        菅政権を許さない


                  田中 澪



 ●1章 女性の失業率が急速に悪化、非正規が真っ先に解雇や雇止め

 昨年からコロナ禍の下で九三万人が職を失い、そのうち非正規労働者が八五万人で、五三万人が女性だ。しかも、女性の職域は、人との接触を伴う医療・福祉、小売り、飲食サービスなど感染リスクにさらされる産業に偏っている。コロナ禍で「心理的負担」にさらされている上に、業績が軒並み悪化したことで、解雇される女性が急増した。
 パートやアルバイトは、働く曜日や時間帯などで業務量(シフト)を調整する「シフト制」を取ることが多い。新型コロナの影響でシフトが五割以上と大幅に減った人は全体の10・4%で、そのうち四人に三人は休業手当を受け取っていなかった。そういう人は統計に含まれない実質的失業者で、それを入れると女性の失業率は5・2%にものぼる。こうした実質的失業者の六割は、コロナ禍前でも世帯年収四〇〇万円未満。自らの収入が家計を支えているケースは多く、実際、五割近くは世帯収入が半分以上減っていた。食費を減らしたり、貯蓄を取り崩したりして、しのいでいる状況だ。
 かつて安倍政権の時に労働力不足を補うために女性活躍の推進をうたい文句にして、女性の就労拡大を進めた。その結果、数の上では三三〇万人の女性労働者が増えたが、全体で見ると低賃金使い捨ての非正規労働者が増えただけだった。一九九〇年代と比べると、近年の世帯年収は一〇〇万円ほど低い水準に落ち込んでいるために労働者家族の生活が苦しく、女性が働かざるを得ない状況なのだ。二五~四四歳の女性の就業率は、69・5%(一三年)から77・7%(一九年)に上昇した。それが新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府が緊急事態宣言に踏み切った四月以降は、真っ先に解雇や雇い止めに追い込まれてしまった。今までの「女性活躍の推進」で増えた三三万人が、一瞬で消えてしまったのだ。

 ●2章 コロナ下、女性の休業率が男性の七倍

 昨年四月から「働く女性」が考慮されないような形で、新型コロナウイルスの感染拡大による「突然の全国一斉休校」になった。家事や育児の約八割を女性が担っていて、休校や休園で家事負担が集中した。子育て中の女性労働者の休業率は男性の七倍に上がった。女性が会社を休まざるをえなくなり、仕事の継続が困難になり、景気の安全弁として休業や雇止めにあっているのだ。
 現代資本主義社会は介護や保育などの福祉部門への支出を抑える一方で、家事労働を無償で女性に押し付ける。資本主義にとって不可欠な存在である労働力の再生産を担っているのは労働者家族であり、家庭内の女性の無償労働なのだ。資本主義は女性を生産における主軸的位置から排除し、家庭内の家事労働の負担の一切を負わせるのだ。個別家族においては、男性が家事労働を共に担う意識の変革も必要だが、男性の長時間労働と闘わなくてはならない。子供が病気のときは、安心して休める育児の権利が保障されなければ、女性が働きながら子育てすることがむずかしい。
 自民党政権は女性に家事労働を強要しつつ、女性を非正規の低賃金労働力として極めて強権的に収奪・搾取する対象としてきたのである。コロナ禍の状況の中で、労働現場での女性差別の状況が露呈した。新自由主義化した帝国主義の限界が明らかとなった。女性が闘いに立ち上がることによってのみ、こうした差別からの解放の道が開ける。

 ●3章 子育て支援法では解消されない待機児童問題と無償化

 安倍政権も菅政権も、女性を労働市場に引き出すために子育て支援法で「待機児童解消加速化プラン」をうち出したが、いまだ達成されていない。その方策は、保育所を増設して認可保育所を増やすのではなく、認定こども園などで間に合わせるものだ。認定こども園とは既存の幼稚園や認可外保育園が、幼稚園と保育園の機能をあわせもつ施設として申請すればよく、新しく施設を建設する必要がないので、福祉に金をかけたくない自治体にとっては安上がりな方法だ。認定こども園では保護者が希望する施設に直接申し込んで契約するしくみだ。そこには入園の申し込み時の行政の関与はなくなる。だれを受け入れるかは施設側が決める。このため、入所の決定に市区町村が責任を持たず、保育が必要な子が放置される危険がある。
 安倍政権がうち打ち出した三歳からの保育所・幼稚園児の「無償化」費用の自治体負担も、私立保育所は国が半分補助するのに対し、公立保育所は市町村が全額負担する仕組みのため、公立保育所の廃止・民営化にさらに拍車がかかる危険がある(市町村による保育の実施責任があると規定されているのは保育所だけで、それ以外の施設や地域型保育所においては、市町村は直接的な責任は負わない)。
 民営化された保育所ではコストカットにより「人件費」が削られ、ベテランの保育者は人件費も高額となるため、経験年数の少ないスタッフが中心となる。保育者も公務員でなくなり、労働条件が低下し、保育の質も低下する恐れがある。そもそも命を育てる保育は利潤を追求する民営化にはなじまないのだ。

 ●4章 朝鮮幼稚園にも幼保無償化を適用せよ

 昨年『子ども、子育て支援法』で幼児教育と保育の「無償化」が実施された。保育園、幼稚園、こども園、条件を満たした認可外保育施設、ベビーシッター、一時預かりも無償化の対象になった。
 しかし国はまたしても子育て支援法の幼保無償化から朝鮮幼稚園、外国人学校、森のようちえんを排除した。安倍政権は朝鮮学校を高校無償化制度から排除し、自治体にも補助金廃止のための差別的通達を出して多くの地方自治体が朝鮮学校の補助金を廃止した。幼保無償化からも朝鮮幼稚園を除外し、コロナ禍の下でさえ朝鮮大学校を学生支援給付金の対象から外し、公然と差別を行っている。全く許すことができない。
 これに対して全国の朝鮮学校の生徒やオモニたちが高校無償化裁判を提訴し、また朝鮮学校の幼稚園の教員らが幼保無償化の適用を求め「日本に住んでいるわれわれを仲間外れにしないでほしい」と声をあげてきた。また同様に対象外となっていた森のようちえんや外国人学校から入園を希望する児童が認可された幼稚園などに流れ、減少したといった怒りの声が全国で上がった。
 そうした闘いの成果として、昨年一二月二一日に閣議決定した子ども・子育て支援新制度の予算案では、幼児教育・保育無償化から除外されていた施設の子どもに対しても、要件を満たした場合、地方自治体の判断で認められれば幼児一人当たり月額二万円を上限に給付されることが決まった。しかしこの制度の問題点は、市町村が必要と認めなければ支給対象とならないため、現在朝鮮学園に対する補助金を打ち切っている地方自治体などが負担を拒否する場合があることが予想される。こうした課題を乗り越えて、朝鮮幼稚園やすべての子供たちにも補助金適用をさせていかなくてはならない。
 帝国主義の女性や在日朝鮮人民に対する差別政策は、国家権力が人民を分断し、支配するための道具だ。帝国主義と真っ向から闘う女性解放運動を組織し、在日朝鮮人民と連帯し、帝国主義の差別攻撃を許さず闘おう。


 
■被爆二世からのメッセージ

  被ばくと女性差別


             永嶋未雀

 二〇一一年三月一一日東日本大震災により、東京電力福島第一原発が大事故を起こした。福島第一原発から大量の放射性物質を放出されたことで、多くの人が被ばくと向き合うことを余儀なくされた。テレビや新聞では連日、特集が組まれた。目に見えない放射能は不安と恐怖を与えた。マスコミだけでなく脱・反原発運動の中からも女性(子どもを産む性)として強調されることが多くなった。ある日、私の所属する労働組合に女性労働者が一冊の本を持ってきた。本には被ばく者の亡くなった赤ちゃん達の写真が載っていた。赤ちゃん達には障害があった。「被ばくしたらこんな子どもが生まれるから被ばくしたくない」と、その女性労働者は言った。私の父は広島原爆の被爆者だ。私と写真の赤ちゃん達は同じ被爆二世になる。彼女の言葉はショックだった。私は彼女に私自身が被爆者の子どもでその赤ちゃん達と同じであること、その赤ちゃん達も必死に生きようとしていたはずだから、貶めるような言い方は止めてほしいと伝えた。女性労働者はまだ若く、これから子どもを産もうとしているので、すぐには受け止められなかったようだ。
 広島・長崎で起きた差別が福島でも起きている。なぜ、差別が起きるのか? 一緒に考えて欲しい。
 二〇一一年四月三〇日、東京電力の鼓紀男副社長が福島で住民説明会を開いた際、女子高生が「私が将来結婚したとき、被ばくして子どもが産めなくなったら補償してくれるのですか」と質問をすると、会場内で拍手がわいた。その様子はテレビや新聞で報道された。福島民友新聞は『東電に悲痛な叫び 計画的避難区域・飯舘の少女』という題名を付けた。
 二〇一二年八月末、ある獣医師が講演で「放射能雲の通ったところにいた人は結婚しない方がいい。子どもを産むと奇形児(ママ)がどーんと増え大変なことになる」と発言したことが報道された。講演自体は地方議員や議員を目指す市民が対象だったらしい。
 翌年、この発言を取り上げたSAPIOでは何故か『当該地域に住む女性を指しての発言』としている。またその記事ではある大学准教授が福島県内の中学校の女子生徒にアンケートを取った結果、結婚・出産に関する不安を持っていたということが掲載されており、『原発避難の女子中学生五〇人中二八人が結婚・出産に不安を持つ』という題名をつけていた。
 題名にわざわざ「少女」や「女子中学生」を付けることにどんな意味があるのだろうか? 女子高生の質問に拍手をした大人達はどういう気持ちだったのだろうか? なぜ、女子中学生のアンケートのみを取り上げたのだろうか?
 私にはそこに被ばく者や女性への哀れみという差別が含まれているように感じられた。その哀れみには被爆二世が生まれること、障害者が生まれる事への否定も含まれている。
 一九七六年、東京都議会の委員会で自民党の近藤信好議員は、「原子爆弾の被爆者を絶滅するにはどういう方法をとらなければならないか」などと発言している。
 二〇一六年七月、「津久井やまゆり園」で障害者一九名が殺害され、二七名が負傷した「相模原事件」は「障害者は不幸をつくることしかできない」という差別と偏見に基づいた思想を持つ加害者によって起こされた。
 近藤議員や相模原事件の加害者のような考え方をする人は少なくない。
 私の知人に重度障害者がいる。重度障害者の母親は障害児を産んだということで親戚から責められたという。知人の被爆二世は産んだ子どもに障害が見つかったとき、夫から「おまえの親が被爆者だからだ」と責められたと話してくれた。
 原爆被爆者から被爆体験を聞くとき、被爆の状況だけでなく結婚差別にあったことを話してくれる方もある。ある男性被爆者の姉妹は差別を恐れ、今も被爆者健康手帳を取っていないと言う。ある女性被爆者は親から被爆したことを口外するなと強く言われて育った。女性被爆者は結婚し、子どもが産まれ、子どもが結婚し、孫が産まれて、ようやく被爆体験を話せるようになった。被爆していることを隠すことは、自己を否定することになり、辛かったと話してくれた。「付き合うことはできても、いざ結婚となると相手と連絡が取れなくなった」――そう話してくれたのは男性の被爆者だった。
 障害者差別・被爆者差別は女性差別と繋がっているし、男性にも関わってくる。
 二〇一二年八月、東京で「被爆二世一〇〇人の肖像展」が開かれた。そこには女性も男性も車いすの利用者も笑顔で写っていた。写真を撮った後、亡くなった被爆二世もいるが、原爆ドームの前で微笑む姿が展示されていた。写真展に来た福島の人は「今日はここに来て良かった。ここには私達の未来がある」と、喜んでいたという。
 私達はどんな未来を子ども達に提示できるのだろうか?
 東電の住民説明会で発言した女子高生の怒りに対し、女子中学生の不安に対し、「相模原事件」を知り不安を持つ障害児に対し、既に大人であったものの責任として、応えなければらならない。
 その為には、あらゆる差別を許さない社会、差別が起きていることを隠さず声を上げられる社会が必要だ。
 被ばくしていようがいまいが、障害があろうが無かろうが、結婚しようがしまいが、どっこい生きていける社会を実現しようではないか! ともに闘おう。


 



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