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■『戦旗』1659号(6月5日)6面

  
 あらゆる女性の解放に向けて
 
                                滝川 涼



 今、階級闘争は侵略反革命戦争に向けた様々な動きの中で重要な局面を迎えている。こうした中で革命党として果たすべき役割を担う闘いはますます苛烈になっている。とりわけ、労働者人民を差別排外主義の下に組織されることを許すのか、階級闘争の隊列を強めその下に組織するのかが問われているのである。
 そうした中で、あらゆるマイノリティを含む女性(以下あらゆる女性とする)たちの闘いをいかに継承させ、発展させるのかを明らかにしていきたい。

女性解放闘争の闘いと地平

 あらゆる女性たちに対して、われわれは現実に起きている差別を問題にし、この差別の元凶が支配者である日帝国家権力であることを明らかにし、これとの闘いを呼びかけてきた。

日本軍性奴隷制度との闘い

 とりわけ日本に於いては、一九八〇年台以降、日本軍性奴隷制度を告発し責任者の処罰を求めるアジアの女性たちの闘いと連帯することを実践的な闘いの大きな柱としてきた。一方日帝は、国家としての公式な謝罪と国家補償を拒否し、元「慰安婦」たちが提起した補償請求裁判では、時効や国家無答責を理由に責任が否認され、ことごとく棄却されている。また、教科書に「侵略」「慰安婦」を記述させない等、真実を認めない動きが、右翼反動勢力を突撃隊として行われている。こうしたことに対してわれわれは、全国各地で闘いを取り組んできた。
 われわれは、この中で多くの事を学んできた。「慰安婦」=公娼というキャンペーンに対して、公娼制度そのものに対する批判を行ってきた。「明治維新」前も、それ以降も連綿として行われている性を売買して、拘禁し、国家権力の監視の下で日常的に女性を客や楼主の暴力にさらす国家的性奴隷制度が、幕藩体制や明治以降の政府によって行われて来た。とりわけ、明治当初の「娼妓解放令」は、人身売買は禁止するが、自由意志の営業なら容認するというように空文句にされてしまった。そしてこの制度は、日本がアジアへと侵略する過程で当然のように「慰安所」を設置していき、戦時中は戦時性奴隷制度として行われていた。われわれは、こうした事実を隠蔽し「慰安婦は商売女」として悪罵を投げつける右翼勢力に対して批判してきた。同時に買春は許容され、売春する側が非難されるような二重基準や「奴隷・無垢な犠牲者」なら同情し「売春婦・貞操を商売道具にする女」なら軽蔑するという女性観に対しても批判をしてきた。こうした二重基準や女性観が日帝の無責任な対応を容認する素地となっているからである。
 こうした中で、実践的には一九八〇年代以降、それまでのフェミニズムの主流が欧米ミドルクラスの白人女性中心に進められてきたことに対して、非白人・植民地従属国の女性たちのフェミニズムが提唱されるようになっていくという歴史的動きが開始された。われわれは、この動きをプロレタリア国際主義に立脚した革命運動の一環としての女性運動ととらえ、帝国主義の女性支配に対する革命を希求して闘ってきた。①昭和天皇に有罪を宣告することになる日本軍性奴隷制度を裁く国際女性戦犯法廷の開催・「慰安婦」問題解決の努力、②フィリピンや韓国の仲間と連帯した、沖縄―「本土」を貫く米軍基地反対闘争の推進とその不可欠の要素としての基地村女性問題や基地性暴力反対の闘いを展開した。沖縄でレイプ被害にあったフィリピン女性を支援する闘いでは、フィリピンの女性組織・在日フィリピン人の仲間とともに様々なレベルで多様な取り組みを展開した。また、妓生観光反対の闘いなども取り組んできた。

女性解放運動の歴史

 一六世紀~一八世紀にかけて、欧米諸国の各国で行われたブルジョア革命を通じて、封建制に対してフランス革命のように選挙権等の「民主的な制度」が次々と作られていった。しかし、この時代の中にあっても女性たちには「選挙権」が与えられなかった。これに抗する闘いがヨーロッパを中心に進められた。日本では一九一一年平塚らいてうを中心として集まった女性たちが雑誌「青鞜」を発刊した。この雑誌の序文「元始、女性は実に太陽であった」という言葉は有名である。しかし、この運動は一部の女性たちの取り組みに留まり、無政府主義的な「自由恋愛」等が政府やマスコミなどによってセンセーショナルに取り上げられてしまうという限界性を有していた。
 戦前に於いて、労働運動や革命運動の中でも女性たちは果敢に闘ってきた。しかし、この闘いの中でも女性たちに対して差別的な対応が行われていたことをわれわれは見ていく必要がある。一例をあげれば「婦人部論争」(一九二五年)が起きている。労働運動の指導部はほとんど男で占められていた。これに対して山川菊枝らは本部に「婦人部協議会」を作り女性労働者が置かれている過酷な実態や賃金差別を解消する闘いと仕組みを提起した。しかし、これに対して当時の指導部は、「女性労働者の組織化の困難性はわかるが、これは階級的な男女共通の問題である。これを女の手で行うことは、女を男に対立させることになる。女の賃金が安いのは女の経済的負担が軽いからだ。『婦人部』など作っても女は能力が低いから結局は男が手伝わなくてはならない。性的差別撤廃などは経済闘争を本務とする労働組合の範囲外のことだ」と反対した。このように女性を劣ったものとして捉え、男の指導部に従わせることが当たり前のように語られ行われていた。この論理と実態は残念ながら現在の日本の労働運動に残っていることをしっかりととらえ返し、現在労働運動の分野における闘いの課題となっている。
 また、一方で戦争に協力する「愛国婦人会」や「国防婦人会」が作られ、多くの女性たちが「女でもお国の役に立てる」等とこの下に組織されていったという事実についてもとらえ返す必要がある。
 日本では女性の参政権は敗戦後になってから付与されている。敗戦後女性たちは様々な運動に参加したが、その多くは男性のリーダーの下で行われていた。こうした中で男性が主導の運動や社会の有様を鋭く批判した闘いが一九七〇年代に開始された。一九七〇年代学園闘争が広まったが、女は「飯づくり」「ガリ版切」、そしてひどい場合は、男性活動家による強姦さえ行われていた。こうした現実にNOを突きつけた。参政権を得ても変わらない社会の仕組みに対して異議を申し立てた運動である。われわれの同志たちもこうした中で苦闘してきたことを忘れてはならない。
 また、われわれは、問題は社会の側にあるという視点で女性解放への道を明らかにし、日帝打倒・女性解放の闘いを機関紙での論文や様々な諸運動に於いて行ってきた。
 また、「生む・生まないは女の自由」という主張に対して、障害者団体から批判の声が上がり、われわれは、「誰もが生み暮らせる社会」を求める障害者と連帯する闘いや、被爆者と共に闘ってきた。また、セクシャルマイノリティと連帯するために討論と闘いを行ってきた。

あらゆる女性の解放闘争へ 現状と課題

 われわれは、あらゆる女性の解放を目指して闘っている。現在この運動を「フェミニズム運動」と表現していることが多い。しかし、われわれは、あらゆる女性の解放を目指す「女性解放運動」とすべきである。「女性解放運動」とは、第一に全ての女性の自立的な運動であること、第二に社会的・経済的差別と闘うこと、第三に最終的に革命により搾取と収奪からの解放を目指すものである。
 世界的には一九九〇年代から「フェミニズム運動の第三の波」が始まったとされている。この波を支える理論は、女だから分かり合えるということではなく、人種や階級、セクシャリティなど様々な異なるバックグランドを持つ女性たちがそれぞれ複雑に重なり合った抑圧を経験しており、自分の経験は全ての女性の経験ではない。様々な差別や抑圧がどのように関わっているのかを理解し、差別をなくすことが必要だというものだ。
 こうしたことは、日本の中では、先に明らかにした「慰安婦」の闘いや障害者と連帯した闘いの中で培われて来た。確かに差別や個々人の経験はそれぞれ違う。しかし、われわれは革命党として階級的団結を創造する。この団結を創造する闘いは、差別被差別の関係を明らかにしながら進め、この団結によって権力打倒に向けた力を作り上げていくという闘いである。こうした闘いを行って来たし、これからも行っていく。
 闘いの課題の第一は社会的・経済的差別支配と闘うことである。
 あらゆる女性の現状は、世界経済フォーラムが発表したジェンダーギャツプ指数が世界一四六カ国中一二五位だったという現実の中に表れている。この現実を変える闘いは、ブルジョア女権主義者が行う男並みへの地位向上ではない。日本では、一九八五年「雇用機会均等法」ができると、労働基準法の「女子保護規定」は削除された。女性労働者は「機会の均等」という中で男性の働き方のルールを変えることなく、「平等を求めるなら男並みに働け」と言われた。しかし、現実には「男並みに働いても」賃金の男女格差はそのまま、家族のための家事労働は押し付けられたままである。とりわけ、正社員男性の七割以下というあらゆる女性の低賃金の現実に対する闘いは、労働運動の重要な課題として闘われている。また「年収の壁」問題として現在岸田政権が行っている政策は、世帯主主義に基づく低賃金の固定化を資本の都合のいいように手直しする制度である。われわれは、現実の差別と貧困の中で呻吟し闘うあらゆる女性と共に闘おう。
 また、現在、公然と又は隠然と行われていた「性暴力」を告発する闘いや、女性へのハイヒールの着用強要に反対する「#KuToo運動」などが大衆的に行われている。また、性犯罪やセクハラを行った企業や個人は弾劾されるようになった。そして、セクシャルマイノリティの存在を実質的には否定する「理解増進法」制定への闘いなどが行われている。
 しかし、こうした運動の高揚に対して、男女平等ではなく「男女共同参画」と言い換えながら政府側から制度・政策が作られている。また、経団連は口先での「多様な性の尊重」を言い出している。こうした融和主義的な動きが活発化していることに対しても闘っていこう。
 今年から本格施行が始まる「困難をかかえる女性支援法」については、帝国主義を支える国策としての女性支援運動ではなく、共に社会変革を目指す仲間として自らが求め目指す社会を創りだす連帯と団結を創造するものへと実践していくべきである。
 闘いの課題の第二は、日帝に戦時性奴隷制度の謝罪と補償を認めさせる闘いを引き続き行うことである。
 韓国の裁判所は二〇二三年一一月二三日、日本政府に対し、第二次世界大戦中に旧日本軍の「慰安婦」として働かされた女性たちに賠償するよう命じた。
 日本兵の性奴隷として働かされた韓国人女性ら一六人が、日本政府に損害賠償を求めて二〇一六年に提訴していた。一審のソウル中央地裁は二〇二一年、「主権免除」を理由に訴えを却下した。主権免除は、国家の行為に他国の裁判権は及ばないとした。しかし、ソウル高等裁判所はこの日、一審判決を覆し、「主権免除に関する国際慣習法は恒久的で固定的なものではない。……法廷地国(韓国)の領土内で法廷地国の国民に対して行われた不法行為は、その行為が主権的行為と評価されるかどうかを問わず、主権免除を認めないことこそ、現在の有効な国際慣習法だと考えるのが妥当だ」として元「慰安婦」一人あたり二億ウォン(約二三〇〇万円)の支払いを命じた。これに対して、日本の上川陽子外相は、今回の判決を受け、「極めて遺憾であり、断じて受け入れられない」とする談話を発表したが、上告しなかったので判決は確定した。そして、「韓国に対し、国家として自らの責任で直ちに国際法違反の状態(日本は「主権免除」の立場)を是正するために適切な措置を講ずることを改めて強く求める」と尹錫悦大統領に責任を押し付けている。
 日帝は、戦時性奴隷制度についての、謝罪と補償を認めていない。この闘いは、引き続いて大きな課題である。
 第三の課題は、戦争への道を拒否する闘いである。
 今、日帝は再び侵略反革命戦争に向けた諸準備を進めようとしている。
 われわれは、目の前の抑圧者や差別者に怒りと糾弾を向けるにとどまらず、人殺しを正当化する最大の暴力である戦争をこそ憎み、抗議し、それを許す社会を変えていく主体である女性として、誇りを持って生きる仲間として、あらゆる女性と団結した闘いを作りだしていこう。

 


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